0546 魔力とは、余剰次元にある重力です
船旅は平和だった。
二人のほかにも、十人ほどの兵士の一団が乗っていたが、船自体がかなり広いため、特に衝突することもなく……。
アベルは本を読み、涼は氷の板に何かカリカリ書いていた。
そして、三日目の午後。
「フフフ……フフフ、フフフ……フッ」
「なんだ、不気味な笑いを……」
「上機嫌なので、アベルのその言葉も、今日は許してあげます。遂に完成したのですよ!」
「完成? 何がだ?」
「魔力理論(仮説)です!」
「……は?」
涼は浮かれ、アベルは首を傾げている。
「魔力理論って、何だ?」
「一言で言えば、魔力とは何か、です」
「……魔力とは、何なんだ?」
アベルは、涼が聞いて欲しい雰囲気を醸し出していたので、聞いてみることにした。
アベルはとっても善い奴なのだ。
「魔力とは、余剰次元にある重力です」
「……はい?」
アベルは首を傾げる。
全く意味が分からないから。
「フフフ、これで世界中、全ての魔力の説明がつきます。これまであらゆる場所で発表されてきたファンタジーな物語、『魔力』という言葉を使ってきた小説やコミック、アニメの類も、全て説明ができてしまうのですよ。きっと作者たちも知らないうちに、余剰次元の重力を魔力として使っていたのですよ……ふふふふふ。ファンタジーとSFの融合! SFF、サイエンスフィクションファンタジーという新たな分野を創造するのです!」
涼がとても興奮してしゃべり倒しているのだが、アベルには全く理解できていない。
よく分からない単語ばかりだが、今回問題になっている『魔力』という単語は分かるため、そこを尋ねてみることにした。
「リョウ、魔力とは何だ?」
「魔力とは、余剰次元にある重力です」
「うん、やっぱり、どっちも知らん言葉だ」
「で、ですよね……」
涼はようやく現実に引き戻された。
そして、考える。
アベルへの説明……無理じゃないか、と。
そもそも、涼の考えを理解してもらうためには、いくつもの前提知識が必要になる。
特に、物理学の知識が。
特に、理論物理学の知識が。
特に、超弦理論の知識が。
まず物理学において、この世の中に存在する力、あるいは相互作用というものは、四つに分類される。
『重力』『電磁気力』『強い力』『弱い力』
この世界に存在する全ての力は、上記四つのどれかに入る。
いわゆる化学反応的な、例えば『物が燃える』みたいなものは、すべて電子の動きなので『電磁気力』になる。
物理学においては。
このうち、『強い力』と『弱い力』は、原子よりもさらに小さな、原子核ほどの大きさ、狭さでのみ働きかける事ができる力だ。
力そのものは強いが、人が認識できない極小の世界でのみ働いているため、一般的な生活の中ではまず認識することはない。
だから、ここでは考えない。
『重力』は、地球に生活している人なら、誰しもが知っている。
経験もしている。
「地球に引っ張られる」という経験をしている。
それが『重力』だ。
そんな『重力』、『強い力』、『弱い力』以外が、全て『電磁気力』……そんな認識でいいだろう。
さて、ここで物理学者が長年抱いている疑問がある。
それは……。
『なぜ重力は、これほどまでに弱いのか』
地球で生きる人たちにとってみれば、自分たちを常に引っ張っている地球の重力……弱いとは思わないかもしれない。
どれだけ力強くボールを投げても、どれだけ力強くボールを蹴り上げても、ボールは宇宙には出ていかずに必ず地面に戻ってくる……。
それは地球の重力に引っ張られるから。
そんな重力が弱いわけがない!
だが考えてみてほしい。
磁石を。
とてもとても小さな磁石でも、机の上に置いたクリップを吊り上げる事ができる。
重力に逆らって。
この磁石が引っ張る力は、先ほど出てきた電気と磁気の力、『電磁気力』だ。
約5,972,400,000,000,000,000,000 トンという地球が、引っ張る力を、わずか数十グラムの磁石が軽々と超越してしまう。
それが、『重力』と『電磁気力』の力の差。
『重力』以外の三つの力は、どれくらいの力関係なのか。
『強い力』=1 とすると、
『電磁気力』=0.01
『弱い力』=0.00001
『弱い力』もけっこう弱い?
では、同じように比べた場合、『重力』はどうなるか?
『重力』=0.0000000000000000000000000000000000000001
ざっとこうなる。
そう、弱すぎる!
圧倒的に、弱すぎる!
ほとんど誤差と思えるほどに、弱すぎる!
だから物理学者の中には、こう考える者たちがいる。
「誤差だ」
「本体から漏れ出ているだけだ」
誤差? 本体? なんぞや?
彼らは言う。
『重力』の本体は、我々がいるこの三次元には無いと。
ここで思い出してほしい。
これまでにも何度か出てきた『超弦理論』を。
超弦理論、あるいは超ひも理論。最先端の理論物理学。
前回は確か、教皇聖下を氷漬けした時に出てきたはずだ……。
さて、それによると、我々がいるこの世界は、九次元以上ある。
もちろん、我々が認識できるのは三次元だけ。
残りの六次元は……認識できない。
この六次元が、余剰次元と呼ばれている。
涼の魔力理論の肝は、この余剰次元だ。
『重力』は、唯一、全くのロス無しに、次元を超える事ができるものだ。
そして、理論物理学者たちの中には、この余剰次元に『重力』の本体があると考えている者たちがいる。
その余剰次元から、我々が認識できる三次元に、『重力』がちょっと漏れ出してきていると。
だから、三次元で認識できる『重力』は驚くほど小さいのだと、驚くほど弱いのだと。
つまり、余剰次元には、膨大な『重力』がある。
では、その余剰次元はどこにあるのか?
答え:どこにでもある
我々の目の前にも、目の後ろにも、頭の上にも、足の下にも。
お腹の中にも、心臓の中にも、もちろん、脳の隣にも。
涼は、人は九次元の中に存在していて認識できるのが三次元分だけ、とすら考えているのだ。
つまり、他の余剰次元と呼ばれる六次元分も、どこにでもある。
三次元に住む我々では、認識できないだけ。
だから、どこからでも繋がれる。
繋がって、利用する。
そうしなければ足りないから。
そう足りない。何もかもが足りない。
ふんぬっ、と気合を入れただけで魔力が満ちる?
魔法が生成される?
あり得ない。
足りなすぎる。
疑問は、ことの最初から湧いていた。
水の生成? 氷の生成?
空気中の水蒸気を使ったにしても、足りなすぎる。
では、足りない分はどこから来たのか?
E=mc²
Eはエネルギー。
mは質量。
cは光速。
エネルギーから物質を生み出すことができる……それを示唆するアインシュタインの公式。
そう、エネルギーから物質を生み出した。
だが、ここには大きな問題がある。
広島に落ちた原子爆弾、実際にエネルギーに転換された質量は0.7グラム程度であったと言われている。
つまり、あれだけのエネルギーを全て質量に転換できたとしても……たった0.7グラムの物質しか生成できない。
水の線? 氷の槍?
生成するには、膨大なエネルギーが必要だ。
魔力というエネルギーを使って?
生成するのに魔力を元に?
体内にある魔力?
足りるわけがない!
足りない分をどこからか持ってこないといけない……。
空気中を漂う魔力?
それが無いとは言うまい。
だが、そうであるなら……エネルギー保存の法則はどうする?
無視するのか?
破綻しているのか?
やはり足りないのだ。
物理学を扱う時、厳密に扱う時、必ず考えるべき言葉、そして枕詞のように付く言葉がある。
それは『系』だ。
閉じた系において……。
同じ系において……。
エネルギー保存の法則も、系においてがつく……。
ありとあらゆる……。
つまり、それらを突破するには、方法は一つしかないのだ。
『別の系から持ってくるしかない』
その別の系が、『余剰次元』なのだ。
だが『重力』はあくまで重力。
いわゆる魔法現象のほとんどは、『電磁気力』だ。
別物?
そうだが、『重力』も『電磁気力』も、本質は同じものだ。
究極的には、『ひも』の振動でしかない……それが超弦理論。
元々、宇宙創成の時は、『重力』も『電磁気力』も『強い力』も『弱い力』も、一つのものだった。
それが、時間が経ち、温度が下がり、圧力が減って四つの力に分かれていった。
そう考えると、『重力』を、『電磁気力』にすることは可能な気がしてくる……魔法なら。
「マーリンさんやガーウィンといった魔人は、重力を操ります。しかも、四つの属性魔法も操ります。でも、重力が魔力そのものだと考えれば、彼らが属性魔法を操れるのも説明がつく……気がなんとなくするのです」
涼は説明している口調だが、ただの独り言だ。
アベルは、一ミリも理解していないし、アベルに理解させようとも思っていないから。
「一度発現した魔法は、距離が開いてもずっと魔力線のようなものが繋がっていて、魔力が供給されている感じになるのです。たとえば<氷棺>など、かなり離れてもそのまま維持されます。でもこれは、とても不思議なことなのです。なぜ離れても、魔力が供給され続けるのか……? この疑問も、『魔力は余剰次元にある重力』と考えれば解決します。余剰次元は三次元ではありません。五次元、あるいは六次元かそれ以上です。僕らが『距離』と呼んでいるものは概念自体が違う可能性があるのです」
そう、『ファイ』に来て、魔法を使い始めた最初の頃から、涼は疑問を持ち、ある種の解答にすら近付いていたのかもしれないと……今ではそう思っている。
ほとんど無意識ではあったのだろうが。
距離が無視される物理現象として、『量子もつれ』という現象がある。
量子もつれ状態にあるペアの光子を作り、それぞれを引き離した状態にする。
だがどれだけ離しても、片方の光子が影響を受けると、「その瞬間に」もう片方の光子にも影響が生じる。
それが『量子もつれ』
そう、距離に関係なく「その瞬間に」だ。
もちろん、この現象は、21世紀初頭実験によって確かめられている。
涼は、なんとなくぼんやりとだが、この現象には余剰次元が関わっているのではないかと考えていた。
そう、21世紀の人類は、すでに余剰次元が関係する現象に、手を届かそうとしていたのだ!
「もちろん、僕たちの体内を流れる魔力はあると思うんです。もしかしたら、この空気中にも。それらが呼び水となって、余剰次元から魔力の元となる重力を呼び出してくる……?」
まだ完璧ではない。
いくつか当てはまらないピースがある。
だが……今は言い切ってしまっていいだろう。
「そういうわけで、魔力とは、余剰次元にある重力です」
「うん、すまん。全く分からん」
涼が結論を述べ、アベルは理解不能を宣言した。
「まあ、いいです。とりあえず王国に戻ったら、これを発表します!」
「発表……って何だ?」
涼が宣言し、アベルが首を傾げる。
「え? 論文を発表する場とかあるでしょう? ほら、以前ケネスが、融合魔法とか、魔石分割の長距離通信とかを発表してたじゃないですか。そういうところって……」
「あれか。あれは、王立学術協会員専用だな。ケネスや、イラリオンの爺さんも入っているが……リョウは入っていないだろう?」
「確かに、そんなのに入った覚えはありませんけど。なんですか、その名前からして閉鎖的な組織は」
「各分野の、一流と認められた研究者だけが入る事ができる協会だ。確か、現役の協会員二人の推薦と、二本の論文の提出が必要だろ。多分、リョウは無理……」
アベルの言葉を聞いて、涼はがっくりと首を垂れた。
だが、すぐに立ち直る。
「別にそんな所に出す必要はありません! 世間に公表してやります!」
「世間に公表?」
何かの暴露記事的なノリで宣言する涼。
「『そんなアベルは、腹ペコ剣士』の続きの中に書いてやります! これで、世界のファンタジー小説の潮流を変えてやるのです!」
「その腹ペコ剣士のアベルって、剣士なんだろう? その小説に、魔力理論を?」
「大丈夫です。アベルの上前をはねる、清廉潔白善良魔法使いリョウが出てくるので、そこに書いてやります!」
「上前をはねるって段階で、清廉潔白で善良だとは思えないが……」
物語の行く末を案じたわけではないが、アベルは小さく首を振った。
可哀そうな、物語の中のアベル、などと思いながら。
はたして、涼の魔力理論は、ファンタジー小説の潮流を変えることができるのか……。
壮大な挑戦が、今、幕を開ける! ……かもしれない。
いつもの筆者の趣味です。
この魔力理論のために『水属性の魔法使い』は書かれたと言っても……いえ、それは言い過ぎ。
でも、いろんな小説とかアニメとか見ていて、E=mc²を考えた時に……
「物質生成するのに、魔力っていうエネルギーは少なすぎじゃない?」っていつも思っていたのですよ。
まあ、ファンタジーですって言われれば、それはそうなんですけどね。
あまり気にしないで、今日のも読んでください。
明日から、またいつも通りです。
あはははは。