0537 率いる者
ジュン・ローは、最後尾で切り結びながら退いている。
灰色ゴブリンたちは、棍棒を持ち振り回す。
ゴブリンの体長は人間の胸辺りまでなので、持っている棍棒も決して大きくない。
だから威力は強くない。
だが、何より数が多い。
常に複数を相手に戦い続けるのは、経験豊富なジュン・ローでも簡単ではない。
それでも、彼の左に剣士ロソ、右に斥候チュンクが陣取り、正面だけ対処すればいい状態になっている。
それでなんとかなっている。
そんな時、遠くに……ゴブリンたちの大群のさらに向こう側に、人が見えた。
……気がした。
「人?」
ジュン・ローの呟きが聞こえたのだろうか。
さすが斥候。チュンクも、ゴブリンの向こう側を見た。
「人に見える」
それだけ言うと、チュンクは再び戦闘に戻る。
本来、斥候であるため戦闘が本職ではない。
だから、戦闘をこなしながら観察する余裕はない。
とはいえ、斥候でありながら、多数のゴブリンをさばいている時点で、一流冒険者と言えるだろう。
そんな、ジュン・ロー、チュンク、ロソを殿に置き、側面にも広がって攻撃してくるゴブリンたちを倒しながら、一行は村を目指した。
「最後の坂だ」
ジュン・ローが、チュンクとロソに言う。
三人以外が、坂を走って下り始めた。
ちらりと見ると、村を囲うように立派な柵が作られている。
「二人とも行け! 柵の中に飛び込め」
ジュン・ローの合図で、チュンクとロソが走り出した。
それを確認して、ジュン・ローも駆けだす。
三人を追って、ゴブリンたちも坂を駆け下り始めた。
ジュン・ローは、ゴブリンたちを村まで連れてきてしまった事を後悔しながらも、割り切ってもいた。
山の中で戦うよりは、村で戦った方がいい。
自分たちが出てくる前に、柵を作る事になっていたから、迎撃はしやすい状況のはずだと。
実際に、立派な柵ができているのを見て、自分の判断が間違っていなかったことを知った。
それに、七級以下の班には、あの二人もいるはずだ。
正確な強さは分からないが……。
そこまで考えていたところで、ジュン・ローは石につまづいた。
右足首をひねったのは、瞬間的に理解した。
「しまった!」
だが後の祭り。
すぐに起き上がろうとするが、右足首に力が入らない。
そこに、ゴブリンが迫ってきているのが見え……。
「<アイシクルランス64>」
氷の槍がジュン・ローを飛び越え、彼に迫っていたゴブリンたちを貫く。
同時に、彼の元に黒いマントの剣士が来て、有無を言わさずに肩に担ぎあげた。
そのまま、何も言わずに村に向かって走り……柵の中に入った。
「うぉぉぉぉぉ!」
沸き上がる歓声。
歓声を上げていない者たちは、涙を流している。
ジュン・ローが助かった事も喜んでいるが、自分たちが助かったことも喜んでいる。
最も冷静だったのは、彼を担いで運んだ剣士だった。
ジュン・ローを地面に下ろすと、ポーションを渡してくる。
「ジュン・ローだったよな。見たところ、足首以外は大きな怪我はしていないようだが、あちこち打撲痕がある。ゴブリンたちの棍棒か……」
「ああ。アベルだったな。さすがに数が多すぎた。他の連中は……」
「多少、怪我をしている奴はいるが、全員帰還できた。いい指揮だったようだな」
ジュン・ローの問いに、アベルは頷きながら答えた。
そう、前線班六十人は、全員村への撤退に成功した。
アベルが、ジュン・ローをかついで柵の中に退避すると、ゴブリンたちは足を止めた。
追撃を続けるかどうかを逡巡しているのではない。
まるで、何かの、あるいは誰かの命令を待っているかのような……。
「あれは……?」
呟いたのはフー・テン副代官。
その視線は、ジュン・ローらが下ってきた坂に向いている。
そこには、ゴブリンではないものが……。
「人……?」
呟いたのは、アベルだ。
アベルのすぐ傍には、涼やフー・テン副代官がいる。
そのため、二人の耳には届いていた。
「人のように見えますけど、何か混ざった感じが……」
涼がアベルの呟きに答える。
「混ざった? どこかで聞いたな、その言葉」
アベルが首を傾げて思い出そうとする。
「ん? ああ! そうですよ、ヘルブ公ですよ!」
「そうか、ヘルブ公を見た時にも、リョウはそう言っていたな」
「ええ。そしてあの坂の人、ヘルブ公の感じに似ています。人と何かが混ざったような感じ」
涼は何度も頷く。
二人の会話を聞いて、チラリと見たフー・テン副代官が問う。
「あれが何か分かるのか?」
「確信はありません。もしかしたら、以前、似たような種族……というか、生き物……と会ったことがあるかなと」
涼が、微妙な表現で答える。
確信というほどではないので。
「どう見ても、灰色ゴブリンを操っているようだが……以前見たとかいうのも、操っていたか?」
「いえ、操ってはいませんでしたね」
フー・テンの問いに、首を振って否定する涼。
そして、提案してみた。
「問いかけて確認してみますか?」
「できるか?」
「多分……」
「やってくれ」
フー・テン副代官が許可した。
涼は鋭く息を吸い込み……。
「幻人よ! なにゆえ我らを攻撃するか!」
朗々たる声が響き渡った。
涼が、剣道で培った、腹からの声を出したのだ。
はっきりと、坂の人が驚いているのが見える。
『幻人』というのは、青い島で会った悪魔パストラが、ヘルブ公の事をそう評したのだ。
涼は、ヘルブ公の種族か何かだと、勝手に解釈している。
「今一度問う! 幻人よ! なにゆえ我らを攻撃するか!」
再び響く涼の声。
坂の人は、聞き間違いではないと理解したのだろう。
ゆっくりと坂を下り始めた。
その前にいた灰色ゴブリンたちが、海が割れるように左右に広がっていく。
おそらく身長は涼より少し高いくらいの180センチ。
堂々たる体躯に、腰までありそうな長い白髪。
だが、せいぜい二十歳前後であろう、とても若く見える。
顔貌は整っており、洋の東西と問わずイケメンだと言われるに違いない。
ただし、気が強そうな、イケメン。
坂から下りてきた白髪イケメンは、ゴブリンの最前列をさらに越え、柵からほんの十メートルほどで止まった。
「おい、ローブ男、なぜ幻人だと分かった」
白髪イケメンは、涼を詰問した。上から目線で。
涼はその問いには答えず、傍らのフー・テンに恭しく一礼して言う。
「幻人、参りました」
「う、うむ」
突然報告されたフー・テンは、驚きつつも報告を受け入れた。
さすがにこの場で「幻人とは何だ」と問うのが悪手であるのは分かる。
せっかく、目の前の幻人とやらをおちょくっているわけだし……。
「質問に質問で返すのは愚かです。先ほど、私は問いました。なにゆえ我らを攻撃するのかと。その問いへの回答が先ではありませんか?」
幻人のある種乱暴な言葉に対して、逆に涼は慇懃無礼といえる丁寧な言葉で対応する。
「何で俺が、お前らの質問に答え……」
「幻人よ! 私が知る幻人は、完璧な礼儀を身に付け、人を圧倒していました。敵ながらあっぱれと感心したものです。それに比べ、あなたは……本当に幻人なのですか? なんて見苦しい。まさに、こちなしなさけなしです。幻人であるなら、もっと雅に振る舞うべきです」
「貴様……いや、待て。お前、他の幻人を知っているのか?」
「知っているから、あなたが幻人だと気付いたのですよ?」
幻人が驚いて問い、涼が鼻で笑う。
「俺以外にも? あのクソ首領、やっぱり他にもダーウェイに送ってんじゃねえか! 何がダーウェイ人の力を測ってこいだ、ふざけやがって」
幻人は何かを勘違いしたようで、首領に怒っているらしい。
それを聞いてアベルは心の中で首を振った。
(リョウの誘導尋問は、決してうまくなかったと思うんだが……目の前の幻人が、驚くほど馬鹿なのか? 多分そうなんだろうな、可哀そうなやつ)
ちゃんと情報を引き出したのに褒められない涼。
不憫である。
「まあ、いいです。幻人、私の名前はヘノヘノ・モヘジです。あなたの名前は何ですか?」
涼が堂々と偽名を使う。
アベルはかなりびっくりしたが、それは表情に出さないようにした。
「いいだろう、名乗ってやる。俺の名前はガリベチだ。覚えておけ、ヘノヘノ・モヘジ」
「覚えておきましょう、ガリベチ」
会談は終了した。
ガリベチは、襲撃した理由を答えないまま、灰色ゴブリンを率いて虎山に戻っていった。
こちなし:無作法だ、無骨だ、興ざめだ
なさけなし:風情がない、風流がない
重要古語です!




