0529 港町ランダ
ダーウェイ礼部婚儀責任次官スヌスは、朝からずっと、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
「なんたる失態か!」
その呟きを、何度吐いたことか。
彼の手元にある書類には、七十人にものぼる名前が書かれている。
全て、今回の公主護衛隊に名を連ねている者たちの名前だ。
同時に、離脱する者たちの名前でもある。
「七十人もの護衛が、同時に激しい腹痛など聞いたことがないわ……」
そう言うと、スヌス次官は文字通り頭を抱え込んだ。
スヌス次官は、現在四十一歳。
式典や祭典を司る礼部に所属しているが、若い頃は皇帝直属の親衛隊たる禁軍所属の軍人であった。
そのため、礼部に移ってからも、今回のような貴人護衛や貴重品の輸送などを、礼部所属護衛隊を率いて担当することが多い。
立派な体格に、黒髪を丁寧に結い上げて冠で留めた立ち姿は、皇帝陛下から直接褒められたこともある、礼部の次代を担う人材と周囲から見られていた。
そして……。
今回は、第六皇子の正妃となる方の護衛だ。
皇子の正妃の場合、お披露目も兼ねて、途中の街で多くの予定が組まれている。
もちろん、今回のように、そのほとんどが船での移動の場合は、天候に左右されることがあるため、かなり余裕のある日程で組んである。
だが、それは、後半の話だ。
さすがに、ボスンター国のジョンジョンから一日で着く、この港町ランダは余裕のある日程とはなっていない……。
長い旅の間には、体調を崩し離脱せざるを得ない者も出てくる。
それは想定の内に入っている。
離脱してもらって、後から追いついてくればいいとなっている。
しかし、七十人もの護衛が、一斉に離脱することはさすがに想定の範囲外であった。
扉がノックされ、秘書官のバルが入ってくる。
「閣下、さらに十人の護衛が……」
バル秘書官も、そこまでしか言えなかった。
上司の苦悩が手に取るように分かるから。
「公主様は、今日一日はランダの代官や町の有力者との会食であったな」
「はい。今夜一泊し、明日の朝、ランダを出立予定です」
「それで、治癒師たちの意見はやはり変わらんのか」
「同じです。治癒の魔法をかけている間は改善するが、離すとすぐに悪化すると。自然の腹下しの類ではないとのことです」
バル秘書官の報告に、スヌス次官は再び深いため息をついた。
陰謀、あるいは妨害行動であることは確定した。
それはつまり、この先も邪魔が入る可能性があるということだ。
「百人の護衛の内、八十人が最初の街で離脱……」
改めて言葉にすると、その深刻さが、嫌でも理解させられる。
この先、帝都ハンリンまで、多くの街に寄りながら一カ月以上の旅となるのに。
もちろん、途中で護衛を補充することになるだろう。
礼部直属の護衛を送ってもらうのは時間がかかる。
かと言って、各地の領主や代官に兵を借りるのは論外。
そのほとんどが、三人の親王の誰かの派閥に入っているとなれば……正直、借りた兵で何が起きるか分からない。
「むしろ、冒険者の方がましか?」
「閣下?」
「いや……帝都の礼部に報告し、護衛補充の依頼は出した。すぐに動いてくれれば、一週間後に寄港するボアゴーの街で合流するだろう。そこまでの急場をしのげばいい。ボスンター国側の護衛は、今回二百人もいる。国内で騒動に巻き込まれた公主だからな、多いのは仕方あるまい。公主周りにそちらから回してもらって、抜けた穴……荷物運びなどに、冒険者を回す」
スヌス次官は、ゆっくりと考えながら言葉を紡ぐ。
だが、バル秘書官が首を傾げながら言った。
「貴人の護衛に、冒険者を雇って補充するなど前例がありません」
「そうだ、だからいい」
「え?」
「今回の妨害をした奴らは、護衛の補充を、ランダ代官の兵士で行うと考えているだろう。過去にそんな事例があったからな。だから、私だったらその兵の中に、暗殺者などを先に潜ませておく」
「なるほど。だから、相手が想定していないであろう冒険者を雇うと」
「そういうことだ」
急速に、スヌス次官の頭の中に、いくつかの具体策が構築されていく。
「バル、すぐに街の冒険者互助会に連絡しろ。帝都までの護衛依頼、八十人の募集だ。公主護衛や、礼部といった名前は出すな。直前の説明会で伝えればいい。なんとしても今日中に集めて、予定通り明日には出立するぞ」
「承知いたしました」
「公主様には、私からお伝えする」
「状況は理解いたしました。全てお任せしますので」
代官所との会食終了後、シオ・フェン公主は、スヌス次官から直接報告を受けてそう答えた。
そこは、ランダ迎賓館。
シオ・フェン公主の護衛の観点から、公主は動かず、代官や有力者たちが足を運ぶ形になっている。
多くの街での寄港は、お披露目を兼ねているという話だったのだが、街の人たちへのお披露目はないのだろうか……そんなことを考えた、侍女ミーファであった。
「私の輿入れ、本当にいろいろ大変ね」
シオ・フェン公主が、隣にいるミーファに笑いながら囁く。
「シオ様、笑い事ではありません……」
ミーファが、顔をしかめて言う。
「そうなんだけど、どうしようもないもの。離脱する八十人分は、ダーウェイ側で準備するということだし」
「ですが、配置換えもお願いされていましたよ? ボスンターの護衛を、シオ様の周りにと。つまり、新たに準備される八十人は、それほど信頼できない人達ということです。今まで以上に気を付けなければなりません」
「ミーファは心配性ね……」
シオ・フェン公主が参加する、全ての公式会食が終了した夕方。
「公主様、配置転換が終了いたしました」
そう言うと、ビジスは二枚の書類をシオ・フェン公主に手渡した。
ビジスは、ボスンター側の公主護衛隊長だ。
ボスンター王妃直轄親衛隊の副隊長であったビジス。
年齢は二十八歳の女性。
黒というより、光の加減では藍色にも見える長い髪を頭の後ろで結い、180センチという女性にしてはかなりの長身もあいまって、同性異性問わず人気がある。
あくまで公主護衛であるため、シオ・フェン公主を帝都ハンリンに送り届けたら、再びボスンター国に戻るのだが、今回の護衛任務を最後に、王妃直轄親衛隊の職を辞する予定であった。
国許の父親が引退し、ジュジャン伯の地位をビジスに譲ることを決定していたからだ。
十八歳で王妃直轄親衛隊に配属され、十年勤めあげてきた最後の任務。
王妃の三人目の娘であるシオ・フェン公主の輿入れの護衛隊長は、王妃から直接頼まれたものでもあった。
本来、ボスンター国において公主クラスの外国への輿入れの護衛は、国王直轄親衛隊が担う。
だが、今回は事情があって却下された。
国王直轄親衛隊の筆頭は、『国の剣』の称号を与えられる。
そう、数週間前まで、ヴォーグ卿がその地位にあった。
だが、よりにもよって、ヴォーグ卿はシオ・フェン公主襲撃の片棒を担いだ……。
そんな人物が筆頭となっていた国王直轄親衛隊に、我が娘の護衛を任せることなどできない!
普段、分別もあり、お淑やかな宮廷の華と言われ、国の政治に口を出す事などなかった王妃が、この件に関しては、絶対に首を縦に振らなかったのだ。
そのために、国王から出された妥協案が、国王直轄親衛隊ではなく、王妃直轄親衛隊を責任者に置いた護衛であった。
ただ、王妃直轄親衛隊は、全員でも二百人ほどしかいない。
王妃は、その全員を出してもいいと言ったのだが、さすがにそうはいかない。
そのため、王妃直轄親衛隊からは、副隊長ビジスを筆頭に三十人、国王親衛隊たる国王禁軍から百七十人の混成護衛隊が組織された。
そして、その隊長に、ビジスが据えられた。
公主護衛二百人は、王妃の意向により、純白に染められた革鎧が与えられている。
本来、王妃直轄親衛隊と国王禁軍という、別々の組織の人間たちであるが、公主の護衛においては協力してやり遂げなければならない。
また、指揮系統がぼやけてもいけない。
それらを為すための、王妃からの献策であった。
現在のところ、その目論見はうまくいき、公主護衛二百人は、仲が良い。
公主護衛隊長ビジスは、その点については安堵していた。
「承知したわ、ビジス。よろしくお願いね」
シオ・フェン公主は書類に目を通すと、そう答えた。
この手の書類は、適当に目を通したり、それどころか全く目を通さない王族や高位貴族が多い。
だが、シオ・フェン公主は丁寧に目を通し、疑問に思った部分は尋ねてくる。
それは、ビジスからすれば心地良いものであった。
王妃同様に、命を賭けて守るに値する人物だと思うほどに。
「閣下、なんとか、八十人集まりました」
「でかしたぞ、バル。これで、明日の朝、出立できるな」
「はい。冒険者は、第二食堂で夕食を取っております」
その言葉に、スヌス次官の体が少し震えたのは見間違いではない。
「まさか、また腹痛になるなんてことは……」
「食べる物全て、魔法使いに精査させましたので大丈夫かと」
「そうか」
スヌス次官は何度も頷いた。
第二食堂には、迎賓館の食事を美味しそうに食べる八十人の冒険者たちがいた。
その中に、黒マントの剣士や、ローブを着た水属性の魔法使いがいたことは、内緒である。
ついに、「第四章 超大国」に入りました!
そう、ようやく東方諸国編の中心地です……長かった……。
本日の投稿分には、涼もアベルも出てきませんでしたが、明日から出てきますからね!
え?
最後の行の描写? 剣士? 魔法使い?
さ、さあ、よく分かりませんね……。