0525 師匠
「俺の弟子をかわいがってくれたようだな」
「小娘の師匠か。確かに小娘よりは強いな」
アベルとヴォーグの剣戟は激しい。
それは、相手の力を推し量るためだ。
普通、相手の力が分からない場合、慎重に入る。
だが、二人は、いきなり剣を合わせての戦闘となった。
いまさら、距離を取って慎重になど、相手が許さない。
退けばその分押し入られる。
激しく戦い続け、情報を集めるしかない。
「おい、赤色。いちおう、お前の名前を聞いてやる」
「おい、黒色。相手に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが万国共通の礼儀らしいぞ」
赤く輝く魔剣を持つアベルは赤色と呼ばれ、黒い剣を持つヴォーグは黒色と呼ばれる。
そして、結局、どちらも名乗らない。
攻撃と防御が、激しく入れ替わる剣戟。
力、速さ、技、その全てがほぼ互角。
「なるほど強いな、赤色」
「お前もな、黒色」
お互いに名乗らないと、こういう事になるらしい。
「赤色、お前、小娘が死にそうになってギリギリで出てきたが、わざとか?」
「馬鹿野郎、そんなわけあるか! お前らが、正門に攻めてきたから、そっちを倒してきたんだ。自分らの作戦も知らんのか?」
「作戦は知っている。だから、公主を直撃すれば楽に倒せると聞いていたからな。まあ、実際はこれだけ手こずっている」
「それは黒色、お前の実力の無さだ」
「ほざけ」
軽口のように言葉を交わしながらも、剣戟の激しさは最初から変わっていない。
「凄い……」
ポーションを飲み、細かな傷も治ったミーファが呟く。
「ヴォーグ卿は、現在の『国の剣』。それも、歴代の剣の中でも、最強の呼び声高い方です……性格に難ありと言われていますが」
シオ・フェン公主は、ミーファの呟きを受けて答える。
「つまり、歴代でも、この国最高の剣士ということですね」
「それと互角に打ち合うアベル殿は、一体何者ですか……」
「師匠は凄いのです」
「え、ええ……それは認めます」
ミーファが自信満々に言い切り、その迫力に少し驚くシオ・フェン公主。
どちらにしろ、二人は見ているしかない。
もっとも、はっきりと目で捉えられない部分も多い。
それだけ、アベルとヴォーグの剣戟は、ハイレベルであった。
「おい、赤色。正門って、老体が攻めてただろ? さっきの短時間で、倒してきたってのは嘘だろう?」
「なあ、黒色。人の言葉を信じられないってのは、自分の器の小ささのせいらしいぞ。お前の器の小ささが、明らかになったな」
「てめえ……」
毒舌の応酬は、アベルの方が上らしい。
それは、普段から、どこかの水属性の魔法使いと、素敵な会話を交わしているからに違いない。
うん、素敵な会話ですよ?
そうに違いない!
「正門の老体って、フェオ・シュー殿だな。彼は捕虜にした」
「……ホントに正門の攻め手、潰してから来たのかよ」
「だから言っただろうが。なぜ信じない」
「老体の指揮の下、百人以上で攻めたはずだろう? それを短時間で制圧したと言われたら、信じられんだろう」
「お前さんだって、ここの近衛兵……二十人くらいは一人で倒したんだろう? そう変わらんだろうが」
「いや、ろくに指揮されていない公主禁軍と、国の盾と呼ばれた老体指揮の軍は違うだろう……」
老いたりとはいえ、フェオ・シュー将軍の事を、ヴォーグはよく知っている。
確かに、剣においてはヴォーグの方がかなり上だろう。
だが、兵の指揮に関してはヴォーグなど、足下にも及ばない。
「フェオ・シュー殿は、最初から負けるつもりだったのだろうさ」
「なに?」
「この公主襲撃などという暴挙を止められなかったのを悔いていたんだろう。多分な」
「ふむ、そうか。俺には分からんな」
アベルの説明を、全く理解できないと口をへの字にして小さく首を振るヴォーグ。
「黒色、お前は何で加わったんだ?」
「決まっている、金のためだ」
「金?」
「そう、金」
あっけらかんとした表情で答えるヴォーグ。
「お前……これだけの剣の腕があるということは、国から、それなりの地位を貰っているだろう?」
「ああ、『国の剣』の称号をもらっているな。この国の最上位剣士だ」
少しだけ威張って答えるヴォーグ。
「なんで……それなのに……」
国の最上位剣士が、こんな暴挙に加わる理由が、全く理解できずにアベルは小さく首を振る。
こんな争いが起きてはいるが、王族もおり、国としての統治も破綻しておらず、民の生活が困窮しているわけでもない……。
傍目から見ても普通の国だ。
その国の中で、最上位と認められているのなら、色々と優遇されているはずなのだが。
「もっと金が欲しい、ただそれだけよ」
「金を手に入れても、こんな事をしたら国を出なければなるまい?」
「そうだな。金を貰ったら、国外逃亡だ」
「そこまでして金が欲しいか?」
「剣士なんて、最盛期は短い。その間に稼がなきゃいかんだろう? 俺は変なことは言っていないと思うんだが」
「変なことは言っていないが、やり方がダメじゃないか?」
「見解の相違だ」
アベルのダメ出しに、ニヤリと笑うヴォーグ。
当然、同意して欲しいなどとは思っていない。
そこで、鍔迫り合いから、二人とも大きく後方に跳んで距離を取った。
「赤色、殺す前にやはり名前を聞いておく。俺の名前はヴォーグだ」
「俺は、ナイトレイ王国のアベルだ」
ヴォーグが自分から名前を名乗ったために、アベルも名乗った。
ナイトレイ王国を付けたのは、なんとなくだ。
『ナイトレイ王国のアベル』という言葉の響きを、けっこう気に入っている。
だが、それを聞いたヴォーグが顔をしかめた。
「ナイトレイ王国って、吟遊詩人のやつだよな? 王国を再統一したアベル一世は、赤い魔剣の剣士だったと歌ってるよな。おい、まさかお前じゃないのか?」
「フェオ・シュー殿も言っていたが……お前ら、そんなに吟遊詩人の歌を知っているのか?」
「そりゃ、お前……東方諸国一と言われる吟遊詩人ワンア・シーが歌うとなれば、聞きにいくさ。王国解放戦を舞台にした、『冒険者の王』や『ロンド公爵』は、人気の歌だぞ」
「お、おう……知らなかったわ……」
遠く離れた地で、自分を題材にした歌が広がっていることに、アベルは驚いた。
同時に、恥ずかしかった……。
次からは、ただのアベルで自己紹介しようと決意した。
「そんなアベル王を殺せるとは、俺はついているな」
「アベル王が、そんな簡単に死ぬわけないだろうが」
ヴォーグが笑いながら言い、アベルが小さく首を振りながら否定する。
話している間も、少しずつ、動く二人。
二人で円を描くように、少しずつ、時計と反対周りに……。
同時に飛び込んだ。
ヴォーグの打ち下ろし。
それを前でさばき、横に流すアベル。
さばいた剣で、アベルが袈裟懸け。
軽くバックステップして後方によけるヴォーグ。
間髪を容れずに、アベルは左足を大きく踏み込み、左手一本で突く。
それを、剣で流し、一回転して、横薙ぐヴォーグ。
だが、それはアベルの罠だった。
一回転ということは、どうしても相手への視線を切ることになる。
その瞬間に、アベルは飛び込んだのだ。
ヴォーグの死角に入り、死角を移動し続けるアベル。
ブスリ。
ヴォーグの背中に剣を突き立て……。
だが次の瞬間、全ての動きをキャンセルし、ヴォーグから離れるアベル。
走った先は、扉とシオ・フェン公主の間。
カカカカキンカキンッ……。
開いたままの扉の向こうから飛んできた、五枚の細い槍のような呪符を、剣で弾いた。
だが一枚だけ失敗し、アベルの左腕を傷つける。
「デザイ、邪魔をするな!」
ヴォーグが叫ぶ。
誰が、何をしたのか分かったのだ。
「そうは言ってもヴォーグ卿、さっさと公主を殺してもらわねば困るのだ。そういう契約であろう?」
そう言いながら、扉の向こうから現れたのは、白いローブに、茶色の長髪を後ろで一束ねにした三十代半ばの男。
「デザイ殿……」
シオ・フェン公主の口から、呟くようにその名が漏れた。
「どうも、シオ・フェン公主。一度、カン公邸でお会いしただけのはずですが、よく覚えておいでで」
デザイの口が、禍々しく笑った。
「公主一人を殺すのに、ここまで手間がかかるというのは……。いや、あなたの他の姉妹であれば簡単だったのですが、シオ・フェン公主は隙が無かったのでね」
「そうですか、褒められたのであれば光栄なことです」
そこで一度シオ・フェン公主は言葉を切ってから、さらに続けた。
「イデ国最後の王、スラ王の遺児、デネハイル殿」
「そこまで分かっていましたか。やはりシオ・フェン公主は油断ならない」
デザイは笑いながら認めた。
「あなたを殺すことによって、ボスンター国内は割れ、大きく乱れる。さらにダーウェイの怒りも買う。メンツをつぶされたダーウェイは、かなり横暴な要求をしてくるでしょう。当然、それを受け入れられないボスンター国内の勢力は、さらに勢いを増し……ボスンター国は滅びるかもしれませんな」
「それがあなたの望みですか」
「ええ。最も素晴らしいのは、あなたを殺しさえすれば、後は私が全く関与しなくともそうなるということです。ゆっくりと、異国で、この国が滅びゆくさまを見学させてもらいますよ」
デザイは、わざとらしく一礼した。
だが、デザイの味方は、不満に満ちていた。
「おいデザイ、てめえ、俺の楽しみを横から奪いやがったな」
「ヴォーグ卿、あなた、殺されかけていたでしょう」
「黙れ! せっかく……互角に戦える奴と楽しんでいたんだ。いいか、二度と邪魔するな」
「はぁ……。分かりました、邪魔はしませんけど……多分、その剣士、もう動けないですよ?」
「なに?」
「先ほどの武器呪符、一枚かすったようです。あれはかすっただけで、古のドラゴンでさえ痺れて動けなくなるものです」
「おい……」
デザイの言葉に、驚くヴォーグ。
確かに、アベルは、片膝をついて苦しそうだ。
「まあ、ヴォーグ卿がとどめを刺す間くらいは待ちましょう」
デザイはそう言うと、扉を閉め、一枚の呪符を張った。
実際、アベルは、苦しんでいた。
(……平静のネックレスが、状態異常を回復してくれるが、すぐに痺れが押し寄せてくる。初めてだ、これほどの異常は。だが……こんな所では死ねん)
「わりぃなアベル。とんだ邪魔が入っちまった。だが、公主様を殺さないと、金が貰えないんでな。お前も小娘も、殺す。あと腐れのないようにな」
そう言いながら、ヴォーグが一歩近づいた。
その時、アベルが、自らの赤く輝く魔剣を支えに立ち上がった。
もちろん、足下はおぼつかないし、目の焦点もあっていないようだ。
だが、立ち上がった。
「おいデザイ、ドラゴンも動けないんじゃないのかよ」
なぜか少し嬉しそうにヴォーグが言う。
「そうなのですが……変ですね。ん? もしや、状態異常抵抗系の装備を持っているのですかね」
「そんなもんがあるのか?」
「存在はします。ですが、いずれも国宝級のアイテムです。一介の剣士が持っているとは思えません……」
デザイが首を傾げながら言う。
だが、ヴォーグは大きく頷いて言った。
「なるほどな」
ヴォーグは、目の前のアベルが、アベル一世である事を確信している。
だから、あり得ると思ったのだ。
だが、口に出して言ったのはそれだけ。
続けて発したのは、アベルに対して。
「おいアベル、お前の気力には感心するが、もう戦えんだろう。とどめを刺してやる」
「笑止。ヴォーグ、それを、油断と言うのだ」
「言うじゃねえか。その体で言うだけでもたいしたもんだ」
剣を支えにやっと立っているアベルに、ヴォーグは感心しながら言う。
しかし、すぐに気づいた。
アベルの目が死んでいない事に。
「本気で、戦えると思っているようだな」
ヴォーグはその目を見ながら言う。
アベルは、うっすら笑いながら答えた。
「ヴォーグ、いいことを教えてやる。師匠ってのは、弟子の前では負けないんだ」
アベルはそう言うと、剣を構えた。
だが、いつもと違う。
「逆手? その剣を逆手に持ってどうする?」
訝しげな表情でヴォーグが指摘した通り、アベルはいつもの魔剣を、右手で逆手に持った。
「アベル、お前の剣は正統派だろうが。逆手に持つ意味などないだろう」
「冒険者をやっていると、急場をしのぐために、いろいろ覚えるんだよ」
「強い剣士で、逆手に剣を持つ奴に会ったことはない」
「そうか。なら、その認識は、今日変わるな」
「ほざけ」
アベルは右手に剣を持っているが、左手はだらりと垂れたまま。
痺れて力が入らないのだ。
(どうせ、両手で剣は使えん)
アベルの剣は、バスタードソードのように、両手でも片手でも使えるものだ。
だが、片手では、ヴォーグの全力の打ち込みに対応できる自信がない。
しかし、逆手に持てば、右手首だけではなく、肘から先の右腕そのもので自らの剣を支え、ヴォーグの打ち込みに対応する事ができる。
油断なく、ヴォーグは剣を構える。
アベルの強さは理解している。
左腕が痺れており、右腕しか使えないとしても……油断していい相手ではない。
「だが、俺は負けん」
そう言い放つと、ヴォーグは一気に間合いを詰め、打ち下ろした。
それを、いつもよりさらに一歩前に踏み込んで、逆手に持った剣で受け流す。
同時に、体を時計方向にその場で回転させる。
「剣技:零旋改」
左足を軸に後方に270度回転、そこから右足を軸に前方に180度回転。動いた先は、ヴォーグの右後方。
逆手に持った剣が、ヴォーグの右脇腹を貫く。
突き刺さった剣を手放し、アベルは短剣を同じように逆手に持つ。
魔剣を突き立てられたまま、ヴォーグが剣を薙ぐ。
それを、再び回転してよけながらヴォーグの左側面に出たアベルは、その回転の勢いのまま左脇腹に短剣を突き立てた。
「ごふっ」
両脇腹を貫かれ、血を吐き、両膝をつくヴォーグ。
アベルを見る目は、驚きに満ちたものだった。
信じられないものを見た、あり得ない経験をさせられた……。
そんな驚き。
「逆手に、持った時は……体を、回転させるのが、大切だそうだ……」
途切れ途切れにそう言うと、アベルも両膝をついた。
体を支える剣は、ヴォーグに突き立ったまま……。
ヴォーグは地面に倒れた。
ナイトレイ王国とボスンター、国を代表する剣士の戦いは、決着した。




