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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 第三章 ボスンター国
554/930

0513 襲撃者

代官所から紹介された服屋は、品ぞろえが豊富であった。

隣の店では、同じ系列の仕立て屋も開かれており、既製品もオーダーメイドもどちらも対応しているらしい。


「ほんとに、出来合(できあ)いのマントでいいんですか? お金ならいっぱいありますよ?」

「いつまでこの街にいるか分からんしな。それに、マントなんて頑丈ならそれでいいだろ?」

放蕩(ほうとう)過ぎるのも困りますけど、アベルは王様にしてはお金をあんまり使いませんよね」

「そこ、関係あるか?」


涼の中での『王様』のイメージは、お金をじゃぶじゃぶ湯水のように使う……まではいかなくとも、良い物を手に入れるには金に糸目はつけない、というものらしい。


「いや、良いものを手に入れたいと思えば、金がかかるのは理解しているぞ? まあ、あんまり良いものを買いたいと思うこともないが……」

「アベルは剣士なんですから、武器とか良い物を……って、その剣は、何か存在感ありますからね。代わりはいらなそうですけど」

「ああ、こいつはな。隅に置いてあったのを、なんとなく拾ってきただけなんだが……すっかり愛着を感じるようになったな」


アベルはそう言いながら、右手で剣の柄を叩いた。

冒険者になって以来、共に死線を潜り抜けてきたのだ。

愛着が湧くのも当然であろう。


「隅って、王国の宝物庫の隅ってことですよね?」

「ああ、そうだな」

「いつか入って見たいですね。もの凄い錬金道具とかあるに違いありません」

「ああ、あるんじゃないか? だが、あってもリョウにはやらんぞ?」

「なぜ!」

「王国の財産だ。よほどのことがない限り、下賜(かし)されることはない。俺の一存で決めていいものでもないだろう?」

「国王なのに?」

「国王ってのは、ただの国の管理者だ。別に王国全てが、国王のものと言うわけではない。実際、王室の財産と王国の財産は、別になっている。王室の財産であれば、ある程度融通は利くが……だがそれとて、子孫に対しての責任があるから、あんまり勝手にはできんだろう」

「国王って、自由がないですね……」

「まあ……そんなもんだ」


涼が小さくため息をつき、アベルも苦笑いで答えた。



とはいえ、今はアベル用のマントの購入だ。

アベルが、マニャミャの街以降で稼いだ、自分のお金で購入するために、何の気兼ねもいらない。


「黒いマントとかカッコいいですね」

「ああ、これだろう?」

アベルが、しばらく止まって眺めているのを見て、涼は背中を押す。


実際、その黒マントはとても実用的でありながら、ちょっとおしゃれな感じもある。



マントのような形状のものは、世界中で、また多くの時代で見る事ができる。

それだけ、汎用性に富み、使い勝手がいいということだ。



冒険者にとってのマントの効用とは何か?


まずは、防寒具としてであろう。

その一枚があるだけで、驚くほど温かい。


次に、防具としてであろう。

ひょろい矢など、丈夫なマントは弾いてくれる。

実際、マントを使って、複数の矢を払い落とす技すらあるのだ。

もちろん、アベルは身に付けている……。


さらに、汚れよけとしても重宝する。

冒険者が使うマントは、簡単に水洗いできるものがほとんどだ。

マントの下なら汚れないから、貴族の前に出るような服を着ていても大丈夫。



アベルがじっと見る黒マントは、生地そのものは硬くなさそうに見える。

首下の留め具が銀色。

だが、何よりも肩から背中にかけての仕立てが、非常に特徴的だ。


「これ、アベルみたいに剣を背負っている人用のマントですよね」

「そうだな。マントを着ていても、剣を握って、そのまま抜剣できる」


アベルが、じっと目を留めていたのは、その点が一番大きかったのかもしれない。

高速で抜剣しても、マントを斬らないように、何かの革を重ねるかして補強されている。

しかも、注意して見ない限り気づかないほどに、丁寧な補強。



アベルはマントをめくって、内側を見た。


「これは……」

「真っ赤……」

マントの内側は赤かった。


内が赤、外が黒。


「赤と黒、スタンダール……」

涼の口から思わず出る呟き。


『赤と黒』とくれば、スタンダールが紐づいて出てくるのは仕方ないのだ。

社会人の常識なのだ。


ただし、スタンダールが書いた『赤と黒』という小説、涼は読んでいないが……。



「でも、これは確かに、アベルのような上級剣士用のマントですよ」

「何でだ?」

「内側が赤ってのは、返り血をどれだけ浴びても大丈夫ってことでしょう? むしろ、返り血でもっと赤く染め上げろと、(あお)っているのかも」

「……俺が斬られた時の血が目立たなくなる、じゃなくて?」

「その可能性もありましたね! これなら、どれだけ斬られても大丈夫ってことですね!」

「大丈夫じゃないだろ……」


涼の言葉に、軽口を返しているが、アベルの気持ちは固まっていた。


「すまん、このマントをくれ」



黒マントの長さは、ちょうどアベルの足首まである。

「何から何までちょうどいいですね」

「ああ、確かにこれはいいな」

アベルはそう答えた。


アベルは意識していないように見せているが、頬は上気し、目元も少し緩んでいるのを、涼は見逃さなかった。

とても喜んでいるらしい。


そんなアベルの様子を見て、涼も嬉しくなった。

いい買い物ができて、連れが嬉しそうであれば、こちらも嬉しくなるというものだ。



だが、そんな平和で幸せな時間は、突然の終わりを告げる。



二人の前に、一人立ち塞がる者が現れた。


すでに剣を抜き、その切っ先を二人に向けている。



「アベル! ついにですよ! ついに、襲撃者が現れました! 僕らは街の真ん中で襲撃されています!」

なぜか嬉しそうに言う涼。


もちろん、巡視隊の護衛二人が、襲撃者と二人の間に入り、体を張って守る。


だが、その口から思わず漏れる言葉。

「あ、あなた様は……」


その呟きは、アベルの耳にも届く。



そして、ついに襲撃者が口を開いた。


「ナイトレイ王国のアベル殿とお見受けする。模擬戦の相手をしていただきたい」

その声は、男性にしては高い。


「女の子?」

涼が呟く。


襲撃者の顔は、確かに十代半ばの少女に見える。

もっとも、着ているのは男装だ。


「ふむ……」

アベルはそう呟くと、何かを見定めているようだ。


「アベル?」

涼は小さな声で呼びかける。


それをきっかけにしたのではないだろうが、アベルは口を開いた。

「ここではダメだ。だが、戦える場所があるのなら、お相手しよう」


アベルの言葉に、襲撃少女は目を見開いた。

アベルが受けたのに驚いたようだ。


すこしだけ考えて口を開く。

「分かりました。ついてきてください」

そう言うと、歩き出した。


アベルは、何も言わずに少女についていく。

その横を涼も。


二人の後ろから、巡視隊の護衛二人も……。



「アベル」

涼は、再び呼びかけた。


「何だ?」

「ついに王道展開街中の襲撃かと思ったら、一手ご指南(しなん)願いたいでした……」

「……おう」


涼が小さく首を振る。

想定外の展開に不満があるらしい。


「なんで模擬戦、受けるんですか?」

「あの子の目が……本気の目だったからな」

涼の問いに、アベルは答えた。


「なるほど! それはそれで面白い展開かもしれませんね。油断し過ぎて不覚をとらないでくださいね!」

すぐに嬉しそうな声に変わる涼。


熱い展開は大好きだ。




少女が入っていったのは、広い屋敷であった。


「間違いなく、貴族とか偉い人とか、そういうご家庭です」

「そうみたいだな。後ろの巡視隊の二人も、あの子の事は知っているみたいだったしな」


少女が敷地の中に入っていくと、屋敷の方から女性が一人走ってきた。


「お嬢様! どちらに行っておられたのですか! ヴァイオリンの練習が……」

「ヴァーヤ、今から模擬戦を行います」

「え? 模擬戦? またお嬢様が勝たれるのでしょう? そんな事よりも練習を……」

「今回は、とても強い方です。治癒師の手配をお願いします」



少女が案内したのは、中庭であった。


中庭といっても、かなり広い。

陸上の、四百メートルトラックが一つ入るくらいはあるだろう。

屋敷の壁に近い辺りには、椅子とテーブルが何組も置いてある。


中央付近には何も置いておらず、恐らくそこで戦うのだろう。

少女は、そんな中央部で立ち止まった。


アベルはそこに向かう前に、マントの留め金を外す。


「持っておきましょう」

「ああ、頼む」

涼が、アベルの新品マントを受け取った。


そして、隅の方にある椅子の一つに座る。



だが涼は、アベルがマントをとったことに、実は驚いていたのだ。


正直、アベルと少女の間には、かなりの力の差がある。

涼ですら認識できるのだから、アベルも把握しているはず。


それほどの差があれば、アベルはいろいろ試してもいいだろう。

たとえば、新しいマントを着ての戦闘とか。

マントのある無しは、剣での戦闘に影響を及ぼす。

いきなり本番よりも、こういう模擬戦で試しておく方がいいのでは……涼はそう思ったのだ。


しかし、アベルはマントを脱いだ。


そして、剣を抜き、構える。



「いいぞ」

「行きます!」


少女はそう言うと、一気に間を詰めて打ち下ろし、模擬戦が始まった。



「ほぉ~」

思わず涼の口から漏れる感嘆の言葉。


少女の剣閃は鋭く、体重移動もしっかりしていて、一撃一撃に重さも乗っている。


少女が振るうのは、片手の直剣。

剣の重さだけでは、ダメージを与えるのは難しい。

彼女が有効に使うのなら、『斬る』ことを主眼に振るうのがいいだろう。


そう考えると、しっかり自分の武器の特性を理解して練習してきたのだと分かる。

そんな動きを見せている。



今回の模擬戦の特性上、少女が攻め、アベルが受ける。

ただ、時々アベルが反撃している。

もちろんそれは、少女を追い詰めたり、戦闘力を奪うのが目的ではなく、防御はちゃんと鍛えられているかを試しているように、涼には見えた。


実際、強さだけで見れば、アベルと少女の間には、かなりの差がある。

アベルが終わらせようとすれば、三合もせずに終わったであろうほどには。


もちろん、少女が弱いわけではない。


十代半ば、おそらく十五歳か十六歳であろうが、その年齢にしては恐ろしく強い。

涼が剣術指南役をした事もあるルン騎士団に入ったとしても、トップ二十には入るであろう。

王国屈指の精鋭と呼ばれるルン騎士団で、トップ二十だ。

冒険者で言うなら、C級のトップ。

もしかしたら、B級にも届くのかもしれない。


十代半ばで!


それほどに強い。



だが、アベルはもっと強い。


元A級であり、いくつもの死線を潜り抜けてきたその経験は、アベルの強さを磨き続けてきた。

涼が初めてアベルに会った時と比べて、今のアベルは信じられないほど強くなった。



「お?」

涼が気付いたのは、少女が大きく一呼吸入れた事だ。


このままでは勝てない事を理解し、逆転の大技を放とうというのだろう。


アベルは、何も変わらない。



「<シュンフー>」

少女が小さくそう呟いた次の瞬間……。


少女の体はアベルの目の前にあり……だが手にしていたはずの片手剣は、大きく空に弾き飛ばされていた。



周りで見ていた者たちは驚いたであろう。

もしかしたら、そのほとんどは、何が起きたか理解していなかったかもしれない。


驚いていないのは二人だけ。

涼とアベル。


<シュンフー>と唱えた少女が、一番驚いていた。

一気に間合いを詰め、その勢いのまま突きを放つはずだったのに、剣は吹き飛ばされ、自分の手の中に剣はなくなっていたのだから。

そして、当然のように、自分の首に、剣が突きつけられていれば……。



「負けました……」



少女がそう言うと、アベルは一つ頷き、剣を収めた。


そして、無言のまま(きびす)を返そうとする。



「あの!」

少女が呼びかけ、アベルは少女の方に再び向き直った。


「どうすれば……もっと強くなれるでしょうか?」

その声、その目は、必死だった。

誰が見ても分かる。

心の底から、他の何を投げうってでも、もっと強くなりたいのだと。


アベルは、静かに口を開いた。


「才能もあり、努力もしている。焦らずとも強くなれる」

「私には、時間がないのです」

「ふむ。今言った通り、時間さえかければ、国を代表するような剣士になれるだろう。努力の方向性も間違っていない。攻撃も防御も、偏ることなく努力しているのが分かる。そのまま伸ばせばいい」

「はい……」

「もし足りない部分を挙げるとすれば、経験だけだ」

「経験?」


少女は、対人戦の経験も積んできたのだろう。

アベルが言っている意味が、正確には伝わっていないようだ。


「武器を……他の、例えば槍や両手剣に替えるつもりはないのだろう?」

「はい、ありません」

アベルの問いに、はっきりと頷き、力の籠もった視線で見返す少女。


「そうであるなら、余計に経験を積み、引き出しを多く持ち……その結果得られる洞察力を身に付けた方がいいな。さっきの俺のように、その武器そのものを攻撃対象にする奴も出てくる」

「え……」

「片手剣は、剣速は速いし、取り回しもしやすい。だが、どうしても片手で持つ以上、両手で握る事ができる槍や両手剣に比べて握る力……武器を保持する力は劣ってしまう。そこを狙ってくる相手もいる。戦闘中だと、相手が何を狙っているかどうかなどは、経験を積むことによってしか見抜けんからな」

「なるほど……」


アベルの説明に頷く少女。


そこまで言うと、アベルは踵を返した。

伝えるべきことは、全て伝えたということだ。



だが……。



「あの!」

少女は再びアベルに呼び掛けた。


「私を弟子にしてください!」

「断る」

「なっ……」

少女の申し出に、間髪を容れずに返すアベル。



そして、再び歩き始め、涼のところに寄ってきた。


涼は立ち上がって、アベルにマントを渡す。

「あの子、いいんですか?」

「いい。宿に戻ろう」

小さな声で問う涼。普通の声で答えるアベル。


そのアベルの言葉を聞いて、巡視隊の二人は、涼とアベルの前と後ろに立って歩き始めた。

この屋敷から、宿までの道を涼とアベルが分からないと思ったからだ。



後には、呆然と立ち尽くす少女が残された。


ようやく、第三部の主要登場人物の一人(予定)が……。


アベルも冒険者をしていた頃は、普通にマントを羽織っていたんですけどね。

魔人大戦の剣戟でなくなったのでしょう……。

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