0513 襲撃者
代官所から紹介された服屋は、品ぞろえが豊富であった。
隣の店では、同じ系列の仕立て屋も開かれており、既製品もオーダーメイドもどちらも対応しているらしい。
「ほんとに、出来合いのマントでいいんですか? お金ならいっぱいありますよ?」
「いつまでこの街にいるか分からんしな。それに、マントなんて頑丈ならそれでいいだろ?」
「放蕩過ぎるのも困りますけど、アベルは王様にしてはお金をあんまり使いませんよね」
「そこ、関係あるか?」
涼の中での『王様』のイメージは、お金をじゃぶじゃぶ湯水のように使う……まではいかなくとも、良い物を手に入れるには金に糸目はつけない、というものらしい。
「いや、良いものを手に入れたいと思えば、金がかかるのは理解しているぞ? まあ、あんまり良いものを買いたいと思うこともないが……」
「アベルは剣士なんですから、武器とか良い物を……って、その剣は、何か存在感ありますからね。代わりはいらなそうですけど」
「ああ、こいつはな。隅に置いてあったのを、なんとなく拾ってきただけなんだが……すっかり愛着を感じるようになったな」
アベルはそう言いながら、右手で剣の柄を叩いた。
冒険者になって以来、共に死線を潜り抜けてきたのだ。
愛着が湧くのも当然であろう。
「隅って、王国の宝物庫の隅ってことですよね?」
「ああ、そうだな」
「いつか入って見たいですね。もの凄い錬金道具とかあるに違いありません」
「ああ、あるんじゃないか? だが、あってもリョウにはやらんぞ?」
「なぜ!」
「王国の財産だ。よほどのことがない限り、下賜されることはない。俺の一存で決めていいものでもないだろう?」
「国王なのに?」
「国王ってのは、ただの国の管理者だ。別に王国全てが、国王のものと言うわけではない。実際、王室の財産と王国の財産は、別になっている。王室の財産であれば、ある程度融通は利くが……だがそれとて、子孫に対しての責任があるから、あんまり勝手にはできんだろう」
「国王って、自由がないですね……」
「まあ……そんなもんだ」
涼が小さくため息をつき、アベルも苦笑いで答えた。
とはいえ、今はアベル用のマントの購入だ。
アベルが、マニャミャの街以降で稼いだ、自分のお金で購入するために、何の気兼ねもいらない。
「黒いマントとかカッコいいですね」
「ああ、これだろう?」
アベルが、しばらく止まって眺めているのを見て、涼は背中を押す。
実際、その黒マントはとても実用的でありながら、ちょっとおしゃれな感じもある。
マントのような形状のものは、世界中で、また多くの時代で見る事ができる。
それだけ、汎用性に富み、使い勝手がいいということだ。
冒険者にとってのマントの効用とは何か?
まずは、防寒具としてであろう。
その一枚があるだけで、驚くほど温かい。
次に、防具としてであろう。
ひょろい矢など、丈夫なマントは弾いてくれる。
実際、マントを使って、複数の矢を払い落とす技すらあるのだ。
もちろん、アベルは身に付けている……。
さらに、汚れよけとしても重宝する。
冒険者が使うマントは、簡単に水洗いできるものがほとんどだ。
マントの下なら汚れないから、貴族の前に出るような服を着ていても大丈夫。
アベルがじっと見る黒マントは、生地そのものは硬くなさそうに見える。
首下の留め具が銀色。
だが、何よりも肩から背中にかけての仕立てが、非常に特徴的だ。
「これ、アベルみたいに剣を背負っている人用のマントですよね」
「そうだな。マントを着ていても、剣を握って、そのまま抜剣できる」
アベルが、じっと目を留めていたのは、その点が一番大きかったのかもしれない。
高速で抜剣しても、マントを斬らないように、何かの革を重ねるかして補強されている。
しかも、注意して見ない限り気づかないほどに、丁寧な補強。
アベルはマントをめくって、内側を見た。
「これは……」
「真っ赤……」
マントの内側は赤かった。
内が赤、外が黒。
「赤と黒、スタンダール……」
涼の口から思わず出る呟き。
『赤と黒』とくれば、スタンダールが紐づいて出てくるのは仕方ないのだ。
社会人の常識なのだ。
ただし、スタンダールが書いた『赤と黒』という小説、涼は読んでいないが……。
「でも、これは確かに、アベルのような上級剣士用のマントですよ」
「何でだ?」
「内側が赤ってのは、返り血をどれだけ浴びても大丈夫ってことでしょう? むしろ、返り血でもっと赤く染め上げろと、煽っているのかも」
「……俺が斬られた時の血が目立たなくなる、じゃなくて?」
「その可能性もありましたね! これなら、どれだけ斬られても大丈夫ってことですね!」
「大丈夫じゃないだろ……」
涼の言葉に、軽口を返しているが、アベルの気持ちは固まっていた。
「すまん、このマントをくれ」
黒マントの長さは、ちょうどアベルの足首まである。
「何から何までちょうどいいですね」
「ああ、確かにこれはいいな」
アベルはそう答えた。
アベルは意識していないように見せているが、頬は上気し、目元も少し緩んでいるのを、涼は見逃さなかった。
とても喜んでいるらしい。
そんなアベルの様子を見て、涼も嬉しくなった。
いい買い物ができて、連れが嬉しそうであれば、こちらも嬉しくなるというものだ。
だが、そんな平和で幸せな時間は、突然の終わりを告げる。
二人の前に、一人立ち塞がる者が現れた。
すでに剣を抜き、その切っ先を二人に向けている。
「アベル! ついにですよ! ついに、襲撃者が現れました! 僕らは街の真ん中で襲撃されています!」
なぜか嬉しそうに言う涼。
もちろん、巡視隊の護衛二人が、襲撃者と二人の間に入り、体を張って守る。
だが、その口から思わず漏れる言葉。
「あ、あなた様は……」
その呟きは、アベルの耳にも届く。
そして、ついに襲撃者が口を開いた。
「ナイトレイ王国のアベル殿とお見受けする。模擬戦の相手をしていただきたい」
その声は、男性にしては高い。
「女の子?」
涼が呟く。
襲撃者の顔は、確かに十代半ばの少女に見える。
もっとも、着ているのは男装だ。
「ふむ……」
アベルはそう呟くと、何かを見定めているようだ。
「アベル?」
涼は小さな声で呼びかける。
それをきっかけにしたのではないだろうが、アベルは口を開いた。
「ここではダメだ。だが、戦える場所があるのなら、お相手しよう」
アベルの言葉に、襲撃少女は目を見開いた。
アベルが受けたのに驚いたようだ。
すこしだけ考えて口を開く。
「分かりました。ついてきてください」
そう言うと、歩き出した。
アベルは、何も言わずに少女についていく。
その横を涼も。
二人の後ろから、巡視隊の護衛二人も……。
「アベル」
涼は、再び呼びかけた。
「何だ?」
「ついに王道展開街中の襲撃かと思ったら、一手ご指南願いたいでした……」
「……おう」
涼が小さく首を振る。
想定外の展開に不満があるらしい。
「なんで模擬戦、受けるんですか?」
「あの子の目が……本気の目だったからな」
涼の問いに、アベルは答えた。
「なるほど! それはそれで面白い展開かもしれませんね。油断し過ぎて不覚をとらないでくださいね!」
すぐに嬉しそうな声に変わる涼。
熱い展開は大好きだ。
少女が入っていったのは、広い屋敷であった。
「間違いなく、貴族とか偉い人とか、そういうご家庭です」
「そうみたいだな。後ろの巡視隊の二人も、あの子の事は知っているみたいだったしな」
少女が敷地の中に入っていくと、屋敷の方から女性が一人走ってきた。
「お嬢様! どちらに行っておられたのですか! ヴァイオリンの練習が……」
「ヴァーヤ、今から模擬戦を行います」
「え? 模擬戦? またお嬢様が勝たれるのでしょう? そんな事よりも練習を……」
「今回は、とても強い方です。治癒師の手配をお願いします」
少女が案内したのは、中庭であった。
中庭といっても、かなり広い。
陸上の、四百メートルトラックが一つ入るくらいはあるだろう。
屋敷の壁に近い辺りには、椅子とテーブルが何組も置いてある。
中央付近には何も置いておらず、恐らくそこで戦うのだろう。
少女は、そんな中央部で立ち止まった。
アベルはそこに向かう前に、マントの留め金を外す。
「持っておきましょう」
「ああ、頼む」
涼が、アベルの新品マントを受け取った。
そして、隅の方にある椅子の一つに座る。
だが涼は、アベルがマントをとったことに、実は驚いていたのだ。
正直、アベルと少女の間には、かなりの力の差がある。
涼ですら認識できるのだから、アベルも把握しているはず。
それほどの差があれば、アベルはいろいろ試してもいいだろう。
たとえば、新しいマントを着ての戦闘とか。
マントのある無しは、剣での戦闘に影響を及ぼす。
いきなり本番よりも、こういう模擬戦で試しておく方がいいのでは……涼はそう思ったのだ。
しかし、アベルはマントを脱いだ。
そして、剣を抜き、構える。
「いいぞ」
「行きます!」
少女はそう言うと、一気に間を詰めて打ち下ろし、模擬戦が始まった。
「ほぉ~」
思わず涼の口から漏れる感嘆の言葉。
少女の剣閃は鋭く、体重移動もしっかりしていて、一撃一撃に重さも乗っている。
少女が振るうのは、片手の直剣。
剣の重さだけでは、ダメージを与えるのは難しい。
彼女が有効に使うのなら、『斬る』ことを主眼に振るうのがいいだろう。
そう考えると、しっかり自分の武器の特性を理解して練習してきたのだと分かる。
そんな動きを見せている。
今回の模擬戦の特性上、少女が攻め、アベルが受ける。
ただ、時々アベルが反撃している。
もちろんそれは、少女を追い詰めたり、戦闘力を奪うのが目的ではなく、防御はちゃんと鍛えられているかを試しているように、涼には見えた。
実際、強さだけで見れば、アベルと少女の間には、かなりの差がある。
アベルが終わらせようとすれば、三合もせずに終わったであろうほどには。
もちろん、少女が弱いわけではない。
十代半ば、おそらく十五歳か十六歳であろうが、その年齢にしては恐ろしく強い。
涼が剣術指南役をした事もあるルン騎士団に入ったとしても、トップ二十には入るであろう。
王国屈指の精鋭と呼ばれるルン騎士団で、トップ二十だ。
冒険者で言うなら、C級のトップ。
もしかしたら、B級にも届くのかもしれない。
十代半ばで!
それほどに強い。
だが、アベルはもっと強い。
元A級であり、いくつもの死線を潜り抜けてきたその経験は、アベルの強さを磨き続けてきた。
涼が初めてアベルに会った時と比べて、今のアベルは信じられないほど強くなった。
「お?」
涼が気付いたのは、少女が大きく一呼吸入れた事だ。
このままでは勝てない事を理解し、逆転の大技を放とうというのだろう。
アベルは、何も変わらない。
「<シュンフー>」
少女が小さくそう呟いた次の瞬間……。
少女の体はアベルの目の前にあり……だが手にしていたはずの片手剣は、大きく空に弾き飛ばされていた。
周りで見ていた者たちは驚いたであろう。
もしかしたら、そのほとんどは、何が起きたか理解していなかったかもしれない。
驚いていないのは二人だけ。
涼とアベル。
<シュンフー>と唱えた少女が、一番驚いていた。
一気に間合いを詰め、その勢いのまま突きを放つはずだったのに、剣は吹き飛ばされ、自分の手の中に剣はなくなっていたのだから。
そして、当然のように、自分の首に、剣が突きつけられていれば……。
「負けました……」
少女がそう言うと、アベルは一つ頷き、剣を収めた。
そして、無言のまま踵を返そうとする。
「あの!」
少女が呼びかけ、アベルは少女の方に再び向き直った。
「どうすれば……もっと強くなれるでしょうか?」
その声、その目は、必死だった。
誰が見ても分かる。
心の底から、他の何を投げうってでも、もっと強くなりたいのだと。
アベルは、静かに口を開いた。
「才能もあり、努力もしている。焦らずとも強くなれる」
「私には、時間がないのです」
「ふむ。今言った通り、時間さえかければ、国を代表するような剣士になれるだろう。努力の方向性も間違っていない。攻撃も防御も、偏ることなく努力しているのが分かる。そのまま伸ばせばいい」
「はい……」
「もし足りない部分を挙げるとすれば、経験だけだ」
「経験?」
少女は、対人戦の経験も積んできたのだろう。
アベルが言っている意味が、正確には伝わっていないようだ。
「武器を……他の、例えば槍や両手剣に替えるつもりはないのだろう?」
「はい、ありません」
アベルの問いに、はっきりと頷き、力の籠もった視線で見返す少女。
「そうであるなら、余計に経験を積み、引き出しを多く持ち……その結果得られる洞察力を身に付けた方がいいな。さっきの俺のように、その武器そのものを攻撃対象にする奴も出てくる」
「え……」
「片手剣は、剣速は速いし、取り回しもしやすい。だが、どうしても片手で持つ以上、両手で握る事ができる槍や両手剣に比べて握る力……武器を保持する力は劣ってしまう。そこを狙ってくる相手もいる。戦闘中だと、相手が何を狙っているかどうかなどは、経験を積むことによってしか見抜けんからな」
「なるほど……」
アベルの説明に頷く少女。
そこまで言うと、アベルは踵を返した。
伝えるべきことは、全て伝えたということだ。
だが……。
「あの!」
少女は再びアベルに呼び掛けた。
「私を弟子にしてください!」
「断る」
「なっ……」
少女の申し出に、間髪を容れずに返すアベル。
そして、再び歩き始め、涼のところに寄ってきた。
涼は立ち上がって、アベルにマントを渡す。
「あの子、いいんですか?」
「いい。宿に戻ろう」
小さな声で問う涼。普通の声で答えるアベル。
そのアベルの言葉を聞いて、巡視隊の二人は、涼とアベルの前と後ろに立って歩き始めた。
この屋敷から、宿までの道を涼とアベルが分からないと思ったからだ。
後には、呆然と立ち尽くす少女が残された。
ようやく、第三部の主要登場人物の一人(予定)が……。
アベルも冒険者をしていた頃は、普通にマントを羽織っていたんですけどね。
魔人大戦の剣戟でなくなったのでしょう……。




