0512 二人について
二人が去った代官所、代官執務室。
「とても興味深かったです」
代官スー・クーはそう言うと、お茶を一口啜った。
彼女の前には、ソロン隊長が座り、同じようにお茶を啜っている。
「あの二人、『迷わずの森』の前にいたのですよね」
「はい。少なくとも、昨日の夕方から今日の朝までいたようです」
「自治都市クベバサから、ジョンジョンへ。船が沈んで陸路を進んだ……。そして『迷わずの森』の前にいた。素直に考えれば、『迷わずの森』を抜けてきた……」
「そうなります。ですが、それはありえない……」
「そう、ありえない。なぜなら、『迷わずの森』は、森の奥に入れないから」
代官スー・クーは、呟くように言った。
涼とアベルが抜けてきた密林、竜王の街があった密林は、かなり深く巨大であるということは知られているが、どれほどの広さか、そして中に何があるのかは、誰も知らない。
なぜなら、奥に入っていっても、いつの間にか入った場所に出てきてしまうからだ。
ずっと昔から。
奥に行く事ができず、迷いたくとも迷う事ができないためについた名前が『迷わずの森』。
だが、あの二人は、その森を抜けてきた可能性がある。
いったいどうやって?
その答えは分かるまい。
おそらくあの二人も、正確な事は知らないのであろう。
代官スー・クーは、一度小さく首を振って、別の事に思考を進めた。
「あの二人が、アティンジョ大公国辺りの密偵である可能性は……」
「低いでしょう」
代官スー・クーの問いに、ソロン隊長ははっきりと答えた。
「密偵であれば、もう少しうまくやるかと」
「そうね」
ソロン隊長は苦笑しながら言い、代官スー・クーも頷く。
ヘルブ公の紹介状が決定的だった。
自分たちから、ヘルブ公との深いつながりを示す書状を出すのは、密偵であればあまりにも不自然だ。
「ただ、あの剣士……アベルと言いましたか。あの者は、恐ろしい使い手です」
ソロン隊長は、真剣な表情に戻って言う。
「かつて、『国の剣』と呼ばれたあなたが、そこまで言うとは……」
「からかわれますな。昔の事です」
「密偵より、暗殺者の可能性?」
「いえ……暗殺者と言うにも、また目立ちすぎます」
ソロン隊長は、首を振る。そして、言葉を続ける。
「ですがスー様は、ローブの方に深い注意を払っているように見えました」
「さすが、良く気づきましたね」
代官スー・クーはそう言うと、顔をしかめて頷いた。
そして、言葉を続けた。
「あのローブの男、リョウ殿……あれは化物です」
「え?」
代官スー・クーの言葉に驚くソロン隊長。
「どういうことでしょうか?」
「彼は魔法使いです。呪法使いではなく魔法使い。二人とも、何か魔法を纏っていましたから、それは間違いありません。ですが……体から溢れる魔力を全く感じ取れませんでした」
「……スー様は、人から溢れる魔力を感じ取れる。そして、全ての人が、量は様々ですが魔力を体から発している」
「そう。ですがリョウ殿からは、全く出ていなかった」
「そんな事が可能なのですか?」
「もちろん不可能です。だから言ったのです。彼は、化物だと」
かつてロベルト・ピルロが護衛隊長グロウンに言い、マニャミャの蒼玉商会バンデルシュ会長が呟いた事を、代官スー・クーも呟いた。
一流は一流を知る。
その言葉は、技術だけでなく、人の器としても一流であるということなのかもしれない。
「巡視隊の中でも、ソロン隊長自身が率いる一番隊が行ってくれて助かりました。今回の宿での護衛のように、最精鋭にそのまま、あの二人のそばについてもらえますから。彼らが、敵にしろ味方にしろ、目を離していい相手ではないでしょう」
「スー様は……あの二人の処遇をどうお考えで?」
「正直、分かりません。何もないまま、街を出ていってもらうのが一番いい気はするのですが……そうはならない気がしています」
「それは、勘ですか?」
「ええ、勘です」
ソロン隊長は眉をひそめながら問い、代官スー・クーは肩をすくめながら答えた。
代官スー・クーの勘は、驚くほどよく当たる。
「情報部にも協力してもらいますので……」
「承知いたしました。情報部とも連携いたします」
「情報部のモゴック局長には、私から伝えておきます」
十分後、代官所内、情報部局長室。
「スー様、わざわざ来られたのは、例の二人組の件ですね?」
「ええ、おっしゃる通りですモゴック局長」
代官スー・クーを迎えたのは、色黒の肌、黒髪に半分ほどの白髪が入った五十歳ほどの男性、情報部局長モゴックだ。
ミファソシを拠点に、ボスンター国西半分の諜報活動を統括している人物である。
代官スー・クー同様に、ボスンター国の重鎮の一人と言えよう。
「なんといっても、『迷わずの森』から来た可能性があるということですから。情報部としても無視できる者たちではありません。しかも、剣士は、かなりの手練れらしいとか」
「そこまで把握されているのなら話が早いです。『護衛』に、ソロン隊長の一番隊がついています。それと連携して、監視して欲しいのです」
「もちろん、それは構いませんが……。具体的にどのような情報が欲しいのですかな?」
「全てです」
モゴック局長の問いに、代官スー・クーは即答した。
「巡視隊の目が届かないところで、彼らが何をしているか、真の目的が何なのか……」
「なるほど。まあ、あくまで巡視隊の護衛は、部屋の外ですからな。承知いたしました。彼らが巡視隊の目を盗んで何をするか、逐一報告いたします」
「よろしくお願いいたします」
代官スー・クーはそう言うと、立ち上がった。
そのまま部屋を出ようと思ったのだが……。
「モゴック局長、大丈夫ですか?」
「え? 何がでしょうか?」
「疲労が顔に出ていますので」
「これは……お恥ずかしい」
モゴック局長は、情報部幹部というだけあって、細かな部分にも気を配り、自身の生活も含めて粗の少ない人物だ。
仕事中の表情にも、疲労がにじむなどめったにない。
確かに今の状態でも、多くの者が、その表情から疲労を感じ取ることはないであろう。
だが代官スー・クーは感じ取れる。
昔から、家同士の付き合いがあったこともあり、僅かな変化でも気付いてしまう。
「娘の……」
「……ミーファ?」
「はい……」
それだけで二人の間では通じてしまう。
モゴックの次女、ミーファの件だと。
「もうしばらくしたら、都に上がりますね」
「はい……」
モゴック局長はそこまで言うと、大きくため息をついた。
そして呟くように言葉を続ける。
「なぜ、あんな風に育ってしまったのか……」
「剣に生きるのは悪い事では……」
自らも、その生涯の多くを魔法に費やした代官スー・クーは、少し苦笑しながら言う。
一つの事に一生懸命すぎると、周りの者たちは心配になるらしい。
それは、自分の経験で嫌というほど知っていた。
「それに、あれほどの剣の腕だからこそ、シオ・フェン公主もミーファを侍女に指名したのでしょう? まあ、元々、あの二人は姉妹のように仲良く育ったけど」
「ええ、それは分かっております。分かっておりますし、親としても光栄です……。ミーファが、公主様に捧げるために剣の道に励んできたのも、我が娘ながら一途に育って嬉しいと思うのですが……。侍女としてついていく以上、剣ができるだけでは困るのです……」
「ええ、そうね……」
代官スー・クーも、理解している。
モゴック局長が、なぜ悩んでいるのかは。
同時に、これ以上となれば、気持ちの問題である事も……理解できていた。
翌日。
涼とアベルは、午前中から服屋に向かっていた。
もちろん、巡視隊による護衛が二人、後ろからついてきている。
「アベル、やっぱり街の人の視線を一身に集めています。さっそく、アベルのマントを買いに行く決断をして良かったですね。マントさえ着れば……」
「本当に、マントを着ればこの視線、受けなくなると思うか?」
アベルはそう答え、ちらりと後ろからついてくる巡視隊の護衛を見た。
「可能性は、あると思うんです。一パーセントくらい」
「だよな。この街の人の視線は、巡視隊がついてきているからだよな」
「そうですけど、仕方ないじゃないですか。アベルのような凶悪剣士は、護衛と称して監視しないと危ないですよ」
「俺だけじゃなくて、リョウもな。気のせいじゃなければ、後ろの二人以外にも、監視してる奴がいるだろう?」
「いつもの、気配が! ってやつですね。僕の魔法によると、四人一組で監視されています。巡視隊の人たちと違って、諜報部とか情報部とか、そういう隠れてコソコソ監視する人たちですよ」
涼は、西方諸国などでの経験から、監視される経験が結構多いのだ。
「まあ、しょうがないか」
「ええ、しょうがないです」
アベルも涼も、いろいろと諦めていた。
少なくとも、監視は同時に護衛でもあるはずだ。
「悪い人たちが、僕らを襲ってくるのは防いでくれるでしょう」
「護衛と監視をしている連中が、その悪い人たちにならないといいな」
大丈夫、平和な導入部です。
名前を一部変更しました。




