0507 出航
二人が『青い島』から戻ってからは、多くの事が決まっていった。
最高評議会のスクウェイ会長が望んでいた通り、クベバサにはある程度の自治権が付与された。
もちろん、最高評議会は解散し、アティンジョ大公を国主とする大公国の一部としてだ。
自由都市クベバサではなく、自治都市クベバサという呼称が正式に使われるらしい。
行政のトップとして、最高執政官は、自由都市時代の首相ノソンが就くと発表された。
だが、自由都市艦隊主力の壊滅、その海域の探索指示を出したのが当時のノソン首相であり、大公国の進駐を最初から受け入れていたのもノソン首相であり、呪法によって大臣たちを操り、大公国の支配下にはいる議決を先導したのもノソン首相……。
それらの情報が市民の間に出回り、市民の怒りは、支配者となった大公国よりも、ノソンへと向いていった。
「政治家って大変ですね~」
「基本、褒められることはない仕事だが、市民や国民から罵倒されてばかりではやる気がなくなるだろうな」
涼とアベルは、『自由の風亭』での夕食を終え、食後のコーヒーを飲みながらそんな会話を交わしている。
かたや筆頭公爵、かたや国王という、本来であれば国レベルの政治に携わる二人だが、とてものんきな会話だ。
そもそも涼は、筆頭公爵であるが、国政には携わっていない。
国王特別顧問とかいう、完全な名誉職に就いているだけだ。
そこでもらっている手当は、王都のロンド公爵邸の維持費に消えているらしい……。
涼の手許に来たことは一度もない。
アベルの場合には、ナイトレイ王国の国王であるが、元冒険者であり、侵略者デブヒ帝国軍を追い払ったこともあり、国民人気の非常に高い王様だ。
また、常に国民のためになる政治を心掛けているせいか、国王になってからも国民からはかなり好かれているようである。
「まあ、自治権が認められて、市民レベルでは生活はほとんど変わらないわけですから、良い落としどころじゃないかと思うんです」
「そうだな。国の上の方のすげ替えなんて、正直、民からすればどうでもいい場合が多い……」
涼の感想に、アベルはそう言い切った。
自分が、すげ替えられる可能性のある『国の上の方』なのだが。
「いいんですか、そんな事を言っていて」
「んあ?」
「今、アベルがいない間に、ナイトレイ王国が乗っ取られているかもしれないんですよ?」
「誰にだ?」
「え? えっと……り、リーヒャ王妃とノア王子に……」
「リーヒャはともかく、ノアはいずれ王国を継ぐ予定だ。それが少し早まるだけだろう?」
涼の言葉に、事も無げに言うアベル。
「そしたら、ハインライン侯はどうですか!」
「俺よりうまく国を治めると思わんか?」
「はい……思います……」
アベルの問いに、涼は頷かざるを得なかった。
宰相閣下は、とても優秀なのだ。
だが、同時に、アベルやノアを追い出して、自分が国王位に就こうとする絵は浮かばないのもまた事実。
元王国騎士団長でもある、騎士の鑑という言葉がぴったり……。
「アベル、人材に恵まれていますね」
「そう、それは否定しない」
涼の言葉に、アベルははっきりと頷いた。
そんな二人の元に、受付のお姉さんが手紙を運んできた。
「ヘルブ公からだな」
アベルはそう言うと、封を切った。
涼は、アベルの後ろに回り込んで、肩越しに見る態勢だ。
「北への船の手配ができたそうだ。大公国の軍艦で、明後日の朝出航か」
「約束通りとはいえ、さすが仕事が早いですね」
アベルが手紙を読み、涼は感心した。
青い島から戻った次の日に、ヘルブ公が二人に申し出た。
大陸の北に向かいたいらしいが、それなら大公国が船を出せると。
二人は、勝手知ったるスージェー王国海軍が一番いいのだが、彼らはここより北の海域には詳しくない。
また、自由都市改め自治都市クベバサの船も、北への航路はそう多くない。
クベバサの北は、しばらくアティンジョ大公国の海岸がある。
その辺りを考えても、アティンジョ大公国の船、それも軍艦であれば一番いいだろうというのは、二人にも理解できた。
「スーシー料理長みたいに、美味しい料理人さんが乗っているといいんですが」
「その辺りは乗ってみないと分からんよな」
翌日夕方、『自由の風亭』の食堂は、貸し切りとなった。
スージェー王国大使館がお金を出して、ローンダーク号の乗組員たちが涼とアベルの送別会を開いてくれたのだ。
二人は、料理の海に溺れた。
もうすぐ解散しようという時……参加した、多くの者が溺れてしまった食堂に、急報が届いた。
「これは本当か!」
報告を受けたゴリック艦長が驚きの声をあげる。
食べるよりも飲んでいた艦長は、その報告で一気に目が覚めてしまった。
横から、報告書を見るレナ副長。
「ノソン最高執政官が殺された?」
レナ副長は小さく呟いた。
そう、急報は、あらたな自治都市の行政トップとなった、ノソン最高執政官が殺されたという報告であった。
それから数日、行政島は上を下への大騒ぎとなるのだが……それは、また別のお話。
「いやあ、昨日は食べましたね~」
「ああ、間違いなく食べ過ぎたな」
出発の朝、涼とアベルは、自由港に向かいながら話している。
もちろん、胃もたれなどはない。
お酒は、それほど飲んでいないために、二日酔いもない。
これから船に乗るのだから、その辺があったら大変なことになっていただろう。
「僕らが寝ている間に、大変なことが起きたらしいです」
「最高執政官が殺されたそうだな。いろいろ大変だな」
「やったのは、きっと大公国の人たちだと思うんです」
「は? なんでだ?」
涼は悪そうな顔をして言い、アベルは首を傾げて問いかける。
「まず、首相だったノソンさんを最高執政官にしました。しかも、そのタイミングで、首相時代のノソンさんがいろいろ悪い事をして、今日の状態になったのだ~という噂が流れました」
「そんな噂が確かにあったな」
「あれは大公国側の謀略です。あれで、市民のヘイト……不満みたいなものを、大公国ではなくノソンさんに集めることに成功したのです」
「なるほど」
謀略家涼の説明に、アベルは頷く。
「そうやってヘイトをノソンさん一身に集めておいて、そのノソンさんを殺せばどうなるか……」
「いろいろ事実かどうかにかかわらず、ノソンが全ての罪を背負わされる……。大公国は、自分たちへの不満が減る、か?」
「そういうことです」
涼は得意そうに頷いた。
だが……。
「そうはいっても、まだこれからも市民の不満は出てくるだろう? 生かしておいて、新たな不満も全部ノソンに被らせた方がよくないか?」
「む……確かに、そういう考えもありますね」
決して権謀術数が得意ではないアベルだが、まがりなりにも三年間、国王をやってきて少しはその手の考え方ができるようになっていた。
「まあ、どっちにしろ、これから俺ら、大公国の船に乗せてもらうんだから……」
「ええ、今の考えは黙っておきましょう」
二人は共通理解を得た。
二人は、迷うことなく、目的の船に辿り着く。
なぜなら、その桟橋前にはヘルブ公とお付きの者たちが多数いたから。
「ああ、ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりました」
「今回は船の手配、感謝する」
「どうもありがとうございます」
ヘルブ公が笑顔で二人を迎え、アベルも涼も頭を下げて感謝した。
「お二人のおかげで、死竜と青い島の問題も解決できたのですから。これくらいお安い御用です」
ヘルブ公が笑顔のまま言葉を続ける。
「船は、我が大公国北岸を越えて、ボスンター国の首都港がある、ジョンジョンにお二人をお送りいたします。十日ほどで着くはずです」
そう言うと、ヘルブ公は一通の封筒を差し出した。
「こちらが、ボスンター国への紹介状です。大公弟としての正式な紹介状ですので、それを出せば、さらに北に向かう手助けになるかと思います」
「おぉ~。これは、重ね重ね感謝いたします」
ヘルブ公の完璧な手回しに、涼は驚きつつ感謝し、紹介状を受け取った。
「昨晩、何やら大変なことが起きたらしいな」
「ええ、聞かれましたか。まあ、混乱期にはいろいろ起きるものですが……」
あえて話題を振るアベル。
それに如才なく答えるヘルブ公。
それを少し不安そうに見る涼。
その視線は、さっき黙っておこうって言ったじゃない、と語っている。
もちろん、アベルもここで喧嘩するつもりはない。
「国の上の方で何があってもいいが、市民のための政治をして欲しい」
「もちろん、承知しています」
アベルの言葉に、ヘルブ公も頷いて答える。
そう言うために、アベルは、あえてこの話題に触れたのだ。
「良き旅にならんことを」
「ああ」
「行ってきます」
ヘルブ公が言い、二人は船に乗り込む。
ほどなくして、出航した。
「さて……お二人は北に向かうということですが……。あれが南下してくる前に、中央諸国に抜けられるといいのですがね。どうなるでしょうか」
ヘルブ公は、そう呟くと、小さく首を振った。
「第二章 自由都市」は終了です。
「間章 密林」が明日、明後日と二話入ります。
出演は、引き続き、涼とアベルです。
あと、明日(6月10日)のあとがきで、いくつかのお知らせがあります。
ぜひ、お読みください!




