0506 始末
「こちらの方が、今回の実験の責任者、パストラさんです」
「実験?」
涼が説明し、アベルが首を傾げて問う。
「そう、実験です。壮大な……詳しくは僕も知りません」
「おい……」
「研究分野が違うと、なかなか理解が追い付かないのは仕方のない事なのです」
涼はそう言うと、眼鏡をクイッと上げるジェスチャーをした。
涼の中では、研究者は眼鏡をかけているイメージがあるらしい……。
「リョウがそもそも研究者というのが……」
「水属性魔法と錬金術の研究者です」
「あ、はい……」
涼が、重々しく、反論を許さない口調で宣言し、アベルは素直に受け入れた。
本人がそう主張するなら、そうなのだ。
資格取得が必須でない以上、研究者であるかどうかは、自己申告制となる。
「そうだアベル。こちらのパストラさんは、とっても強い方なので、敬意を払った言動をお願いしますね」
「何で俺だけ……」
「ヘルブ公は、人である限りは……初めて対面した人には、ちゃんと敬意を払うと思うので」
「ええ、もちろんです」
ヘルブ公はそう言うと、パストラに対して優美に一礼をした。
「ほう……。幻人にしては完璧な礼ではないか。研究一筋のオレでも、ちょっと感動したぞ」
パストラが嬉しそうに頷く。
「忘れていた……。ヘルブ公は、完璧な一礼で場を掌握するんだったな」
「ええ、そういうことです」
アベルが、園遊会での事を思い出し、涼が同意した。
なので、敬意を払うのは得意なのだ。
「敬意を払えと……」
「パストラさんは、レオノール並みといえば、意味は通じますか?」
「まさか……」
「ええ、そのまさかです」
涼は言いながら、右手の人差し指だけ立てて、唇の前に持っていった。
黙ってろ、というジェスチャーだ。
そう、『悪魔』という単語は、軽々しく口に出していいものではない。
ここには、二人以外にヘルブ公がいる。
今回は共闘したが、絶対的な味方というわけではない。
なんとなく、涼はそう思っていた。
明確な根拠があるわけではなく、なんとなくだ。
そもそも、ヘルブ公の種族でありそうな『幻人』というのを、涼は初めて聞いたわけで。
多分、涼が感じた「人と混じっている」感じの部分が、それなのだろうと、勝手に推測している。
「確認したいのですが、死竜による……変異のようなものは、この先、行われないと認識してよろしいのですか?」
ヘルブ公が、パストラに丁寧に問うた。
「うむ。死竜も朽ちてしまったようだからな。次の死竜を見つけたらまたやるつもりだが……めったに見つからんしな。今回のも、二千年ぶりだったのに……」
パストラは、少しだけ、恨みがましい視線で涼を見る。
「僕のいないところでやってくれれば良かったのに、目の前でやるからです。僕のせいではありません」
「むぅ」
涼がはっきりと言い切り、パストラは口をへの字に曲げる。
「代わりに、リョウが実験に協力を……」
「それはしません!」
「か、解剖実験でなければどうだ? オレの研究所……は無理だから、オレがリョウの下に出向こう。そこで……観察実験はどうだ? その『雫』を計測するだけなら、痛くもないし……」
「僕の得る利益は何ですか?」
「り、利益? 研究の推進に協力するのは生きとし生けるもの全ての義務……」
「却下です」
パストラの説明を、言下に却下する涼。
その表情は厳しく、言葉は重々しい。
「僕が納得できる利益を考えて提案してください。その内容次第では、協力するのもやぶさかではありません」
「ほ、本当か!」
涼の言葉に、飛び上がって抱きつかんばかりに……実際に抱きつきながら確認するパストラ。
「ほ、本当ですけど、しっかり考えてから提案してください。受け入れられないような利益であった場合、交渉は打ち切りますから」
「む、むぅ……」
「時間をかけて、しっかり考えてきてください」
涼は「時間をかけて」の部分を、かなり強調した。
(リョウ、それは問題の先送りに過ぎないぞ)
アベルは心の中でそう思い、小さく首を振る。
(この悪魔たちの『時間』は、すごく長いはずだから、数十年か数百年は稼げるはず! 数百年とか僕はもういないはずだしね)
もちろん、涼にもそれなりの思惑があったのだ。
それが吉と出るか凶と出るか、それは誰にも分からない……。
パストラは帰っていった。
去る方法は、レオノールやジャン・ジャック同様に、いつもの真黒い『門』を出して。
「絶対、リョウを頷かせてみせるから!」
そんな言葉を残して去っていった……。
そして、涼とアベルは、無事にスージェー王国のローンダーク号に戻る事ができた。
ヘルブ公からの、自艦で歓待させて欲しいという申し出を、丁寧に固辞して。
さすがに、ゆっくりしたかったのだ。
ローンダーク号の乗組員たちは、みんな勝手知ったる人たちだが、ヘルブ公の船の人たちは違う。
いつ襲われるか、正直分からない。
それに比べれば……。
「ローンダーク号では、アベルからの襲撃にさえ気をつけておけばいいわけですから」
「は? 何で俺がリョウを襲うんだ?」
「僕から溢れる雫……妖精の因子の原因を解明するために解剖するかもしれません」
「うん、さっきのどっかの悪魔がやろうとしていたのは、そういうことなんだな。俺はせんがな」
「その言葉をどこまで信用していいのか……」
「信用できないなら、ずっと起きておけばいいんじゃないのか?」
「くっ……それは無理です……」
そんな会話を交わした後、数秒で二人は寝息をたてはじめた。
吊るされたハンモックに、それぞれ体を預けて眠りについた。
さすがに、疲れたので……。
眠った剣士と魔法使いを抱えて、ローンダーク号は自由都市クベバサへと向かうのであった。
明日の「0507 出航」で、「第二章 自由都市」は終了となります。
とはいえ、今回出てきた人々は、この「第三部 東方諸国編」の後ろの方でも出てきます……多分。
ヘルブ公は絶対出てきます(断言
悪魔も……なんかこの悪魔さんは、またすぐに出てきそうな気が……いえ気のせいですね。




