0503 島にいたのは
「リョウ殿が、強力な魔法使いであることは分かっていましたが、先ほどの氷の槍といい、この氷の橋といい、たいしたものですな」
「参加する力があることは証明できましたか?」
「ええ、もちろんです」
心の底から称賛するヘルブ公。
実際、強力な戦力なら、多いに越したことはないのだ。
「先ほどの、黒いワイバーンについて教えて欲しいのだが」
アベルはさっそく問うた。
「あれは、死竜の能力ではありません」
「何?」
「以前言った通り、死竜は、あらゆるものを腐らせます。人を腐らせ、大地を腐らせ、海すらも腐らせる。ゾンビのように、腐らせたうえで使役することはありますが……先ほどのワイバーンは、腐っていませんでした」
「なるほど。だが、俺たちが知るワイバーンより小さかったのだが、あれが東方諸国のワイバーンなのか?」
「いいえ。ワイバーンは、世界中にいる魔物です。場所によって、色や形が変わるという話は聞いたことはありません」
アベルの問いに、よどみなく答えるヘルブ公。
「つまり……」
「あれは、自然のワイバーンではありません」
さすがに、その言葉はアベルを驚かせた。
「誰か、あるいは何者かが……作り上げたと言うのか? あのワイバーンを? <ソニックブレード>を放ったぞ?」
「ええ、そうです。魔法を放つ魔物を作り上げた者がいる。それも、千を超えるワイバーンを」
アベルの問いに、ヘルブ公は顔をしかめて頷く。
死竜だけでも厄介だが、同じくらい厄介な存在がいると思われるのだ。
さすがに顔をしかめるだろう。
「魔人ガーウィンですら、生み出した眷属は魔法を使えなかった……」
「ああ……。そう言われると、今回の事がとんでもない事なんだというのがよく分かりますね」
アベルの言葉に、涼は大きく頷いた。
だが、涼は、ふと思ったのだ。
魔法を使えるのは、それほど特別な事なのかと。
普通の魔物でも、『グレーター』であれば魔法を使うのが普通だ。
石礫を飛ばしてくるグレーターボアは、何度も狩ったことがある。
『魔法の肝はイメージ』と、涼に教えてくれたのはミカエル(仮名)だ。
だが、中央諸国においては、イメージを描かなくとも、『詠唱』することによって、多くの人間が魔法を行使できる。
威力は、驚くほど弱いが……それを発見したのは、多分、ヴァンパイアの真祖様。
おそらく真祖様は、この『ファイ』における『魔法』というものを、かなり詳しく研究したのだろう。
その結果が、詠唱なのだろうと思う。
魔人ガーウィンの眷属が魔法を使わなかったのは……。
「あのガーウィンは、あんまり真面目に魔法を研究しなかった気がします」
「リョウ?」
「いえ、ガーウィンはいろいろ適当な感じがするので、魔法の研究に真摯に取り組まなかったに違いありません」
涼の独断と偏見であることは、ここに付記しておく。
アベルとヘルブ公の会話は、続く。
「小さめとはいえ、千体を超えるワイバーンを生み出す……。似たような事例で思いつくのは、眷属を生み出す魔人だ」
「魔人?」
「東方諸国には、魔人の伝承とかはないのか?」
「私は、魔人という言葉を聞いたことがないな」
アベルの問いに、ヘルブ公は首を傾げた。
「魔人自身は、かつて自分たちの事を、スペルノと言っていたそうです」
涼が、赤い魔人マーリンが言っていた言葉から補足する。
「ああ、スペルノ。スペルノなら分かります。しかし……東方諸国のスペルノが、眷属を生み出したという話は聞いたことがありませんね」
「中央諸国でも、南の魔人は眷属を生み出しませんでしたし、西方諸国の魔人マーリンさんも、眷属を生み出すのは苦手だそうです。人間でも、人を使うのが得意な人、苦手な人がいるように、魔人でも眷属の使い勝手が違うんですかね」
「そのたとえは合っているのか?」
「マーリンさんが言うには、ガーウィンは特に眷属を生み出すのが得意だそうです。普通は、魔人でもあんな風には無理だそうですよ」
「ワイバーンを生んだ奴は、魔人……スペルノじゃない可能性が高いか」
涼の説明に、アベルはそう言うと考え込んだ。
「先ほどの黒いワイバーンは、実体がありましたからね。呪術で生み出す『式神』系のものとは違います」
「式神! ちょっと気になりますけど……そういえば、霊符では怖いものを生み出してませんでしたっけ?」
「ええ、よくご存じで。ですがあれは、別の場所で作っておいた者たちを、霊符を通じて召喚しているだけです。それに、作っておいた者たちも魔法は使えません」
「そうですか」
どうも、三人が持つ知識では、先ほどの黒いワイバーンの謎は解けないらしい。
「出たとこ勝負だな」
「アベルの得意なやつですね」
アベルの呟きに、涼が反応する。
「俺、得意か?」
「昔から、剣士は出たとこ勝負が得意と相場が決まっています。緻密な戦略なんてどうせ練れないんですから……」
「うん、馬鹿にしているだけだな」
「そんなつもりはなかったのですけどね!」
涼がわざとらしく驚いてみせる。
アベルは何か言おうとしたが、視線が船首の方を向いたまま止まった。
涼とヘルブ公も、その視線を追う。
島が青く光り輝き、止まったのだ。
船からの距離は百メートルほどだろうか。
そんな青い島の中央に、巨大な何かがいるのが見える。
「あれが?」
「ええ、死竜です」
アベルの問いに、ヘルブ公が頷いて答える。
「私の周囲、半径二十メートル以内なら、死竜のブレスも弾かれます。呪符の効果で」
「承知した」
「ブレス……カッコいい」
ヘルブ公の説明に、頷くアベル。もう一人の水属性魔法使いは……まあそういうものだ。
「船はここまでです。彼らも、船に設置した呪符が守ります。私はここから跳びますが……お二人もついてきてください」
ヘルブ公はそう言うと、跳んだ。
正確には、空中に『置かれた』呪符の上を、飛び石のように跳ねながら島に向かう。
「僕らも行きますよ。アベル、しっかりつかまってください」
涼はそう言うと、左手でむんずとアベルのベルトを掴んだ。
「……大丈夫か?」
アベルも、両手で涼の腰にしがみつく。
「行きます! <ウォータージェットスラスタ>」
二人は飛んだ。
そう、跳んだのではない、飛んだのだ。
島まで、ゆるやかな弾道を描いて。
ヘルブ公と二人が島に着いたのは、ほぼ同時だった。
「氷の橋で来るかと思いましたが、空を飛べるとは……」
「水属性の魔法使いですから」
ヘルブ公の感心した言葉に、得意げに答える涼。
だが、アベルはつっこまない。
島の中央に巨大な黒いドラゴンがいる。おそらく死竜であろう。
片方の翼はもがれ、右前足もないようだ。
朽ちた、という表現が最も適切に見える。
血も流れ出ていないようだし。
だが、三人は、死竜の足下に、二足歩行の何かがいることに気付いていた。
死竜が巨大であるために、二足歩行の何かの大きさが正確には分からない。
パッと見、人に見えるが……。
島に降り立った三人が見たのは、死竜とその足下にいる女性。
「お前たち、何しに来た」
それは女性の声であった。
おそらくは、死竜の足下にいる……。
ヘルブ公がゆっくりと歩きだす。
右後ろにアベル、左後ろに涼がつく。
「死竜を退治に来ました」
歩きながら、ヘルブ公が、いつも通りの落ち着いた声で答える。
「それは困る」
先ほどの女性の声だ。
「なぜ困るのですか?」
「まだ実験の途中だからだ」
「実験?」
「魔法の真理に……」
そこで、女性の声は止まった。
近付いてくる三人をはっきりと認識し、それで言葉が途切れたようだ。
その女性は、薄い水色の髪を肩までで切りそろえ、眼鏡のようなものをかけ、白い服を着ている。
遠目には、白衣に見えるかもしれない。
だが、その顔は目が大きく見開かれたまま、驚きに固まっている。
涼は、既視感に襲われた。
もちろん会ったことはないし、初めてのはずなのだが……。
雰囲気を感じたことがあるのだろうか。
ああ、そうかもしれない。
知り合いが纏う雰囲気に似ている。
涼の知り合いに二人いる。
特にその片方は、涼を見るたびに戦おうとする……。
だが目の前の女性は、角もないし黒い尻尾もないが……。
涼は、男性版の知り合いは、角も尻尾もない事を思い出した。
「実験は中止だ。そんなことよりもいい事を思いついた」
眼鏡の女性は、禍々しく笑った。
それは……悪魔的な笑いだった。
その瞬間、世界が反転した。
ふふふ……明日は戦いです!
今回の涼の相手は……まあ、あの方々はいつも強敵ですよね。




