0502 島へ
「正直に言いますと、生きた心地はしません」
ローンダーク号の甲板上。
氷のテーブルを囲んで、三人の男たちが氷の椅子に座っている。
涼、アベル、そしてゴリック艦長だ。
内心を正直に吐露したのは、ゴリック艦長。
もちろん、他の乗組員たちには聞こえない小さな声で。
「全てはアベルのせいです。ご迷惑をおかけして申し訳ないです」
「なんでだよ!」
涼がアベルに責任を押し付けようとして、失敗していた。
「あ、いえ、迷惑とか不満とかそういうのではありません。我々は軍艦です。行けと言われればどこへでも行きます。しかもそれが、最終的に多くの人命を救うというのであれば、喜んで死地にも飛び込みましょう。ただ今は、単純に居心地が悪いだけですから」
ゴリック艦長は苦笑した。
彼が言う居心地が悪い理由……それは、ローンダーク号の前方にある。
ローンダーク号の前方には、三十隻の大公国分艦隊がいるのだ。
分艦隊の最後尾からついていくローンダーク号を含め、艦隊は、一路東へと進んでいる。
朝、自由都市クベバサを出航し、もうすぐ日が暮れようとしていた。
「ヘルブ公が言うには、明日の昼前には例の海域に到着するらしいが……」
「そこに到着する前に、僕とアベルはあっちの船に移るんですよね?」
「ああ。呪法で守った船一隻だけで、島に近付くと言っていたな」
「まあ、僕の『ニール・アンダーセン』でも良かったのですけど、ヘルブ公が手の内をさらしてくれるというのなら、それに越したことはありませんね」
涼は、ニヤリと笑って、悪そうな顔をする。
とてもわざとらしい。
「なんだ、手の内をさらすって」
「だってヘルブ公って、絶対敵ですよ。最終的には、僕らは戦い合う運命にあると思うのです」
「うん、リョウがそこまで断言できる理由が俺には全く分からん」
「それが、もののあはれです」
「出たな、もののあはれ……」
涼が断言し、アベルが呆れた調子で答えた。
「もし……もしもですよ? ヘルブ公がその島で死んだりしたら……」
「周りの人たちに襲われます……よね」
「だろうな。その時は、俺たちのことはいいから、艦は強行突破して逃げてくれ」
ゴリック艦長が、最悪の想定を述べ、涼がありそうなことを答え、アベルが補足する。
今は、ヘルブ公がローンダーク号と乗組員の安全を保証しているが……この先もずっと、それが保証されるとは限らない。
ゴリック艦長にとっては、すでに油断できない状況であったのだ。
ゴリック艦長は、モスターラ一等航海士に呼ばれて、二人の元を離れていった。
「それにしても……ドラゴンの死体みたいなのって、困ったものですね」
「ああ、死竜とか言ったか」
「アベルも聞いたことないんですよね」
「初めて聞いたな」
「国王陛下が知らないなんて、職務怠慢じゃないですかね」
「国王だからといって、何でも知っているわけじゃないだろう?」
筆頭公爵が国王の怠慢を糾弾するが、華麗にかわされる。
「むしろ、王を支えるべき筆頭公爵が知らなければいけない事じゃないか?」
「ぼ、僕は水属性魔法の練習をしたり、錬金術で遊ん……学んだり、忙しいのです」
「今、遊んだりとか言おうとしなかったか」
「その辺りで国に貢献しています。多様な人材を使いこなす事こそが、国の発展という観点から見た場合、大切なことだと思うのです」
アベルが反撃し、涼がなんとかかわす。
二人はこう見えても、国王と筆頭公爵という、王国ナンバーワンとナンバーツーだ。
二人とも、常に国の事を考えているのだ。
……そうは見えないかもしれないが。
「死竜はヘルブ公が相手をするのでしょうけど、一体何をするのかは、気になりますね」
「まあ、そのために魔力を溜めていると言っていたしな。そもそも、魔力って溜められるのか?」
「さあ? 文字通りの魔力だとは思えませんけど……何か、それっぽいものじゃないですか?」
「何だ、それっぽいものって」
「だって魔力は……いえ、魔力については別の機会にしましょう」
「思わせぶりな……」
魔力とは何か?
涼の中では、いちおうの仮説ができ上がっているが、アベルに説明するのは無理だ。
おそらく、国元のイラリオンに説明しても通じない。
もしかしたら、悪魔レオノールなどの方が、理解しやすいのではないかとすら考えてしまう……。
「まあ、ヘルブ公が死竜にあたったとして、他の何か……それの相手を僕らはすることになりますよね。アベル、期待していますよ」
「え? 俺? 絶対、俺よりリョウの方だろう」
「僕は二人を応援しておきます! 大丈夫です、応援には自信があるんです!」
「うん、そんな余裕はないと思うぞ」
涼の提案は、アベルによって退けられる。
「なんとしても僕を巻き込もうとするあたり、アベルは意地悪です」
「リョウの方が意地悪だと、俺は思う」
そんな不毛な会話は、スーシー料理長の言葉によって打ち切られた。
「晩飯だよ! 今夜はカレーだよ!」
「おぉ~!」
船のあちこちから上がる歓声。
船乗りはカレーが好きに違いない。
「やりましたよアベル。カレーです!」
「ああ。スーシー料理長のカァリーは美味いからな」
未だに、アベルは『カァリー』と発音する。
おそらくそれは、今は亡き兄カイン王太子との思い出なのだ。
涼は一つ頷くと、カレーを貰う列に並んだ。
もちろんアベルも。
その後、彼らがお替りをして、三杯食べたのは内緒である。
翌早朝。
朝早く目覚めた涼とアベルが、甲板で剣を振り、ストレッチをしていると、ローンダーク号が停船した。
「止まったな?」
「ええ、止まりましたね」
アベルも涼も、船首方向を見た。
その先には、大公国分艦隊がいる。
どうも、大公国の分艦隊も、全て停船しているようだ。
「艦長! 大公国艦隊から手旗信号。緊急事態発生、だそうです! 繰り返します。緊急事態発生!」
「総員、第一種戦闘配備!」
マストからナンが叫び、すぐにゴリック艦長が指示を出す。
涼とアベルも、すぐに準備を整えた。
そして、船首に走る。
そこに聞こえてくる声。
「空が!」
見ると、東の空が黒く染まっていく。
日が昇り始めているのだが、それを覆う何かが空に広がり始めたのだ。
「鳥の大群か?」
「<アイスウォール20層パッケージ>」
アベルの呟きに、涼は間髪を容れずに魔法を唱えた。
それは、ローンダーク号を丸ごとカバーする氷の覆い。
「ゴリック艦長、艦を氷で覆いました」
「感謝します! それにしてもあれは……」
ほぼ完全な透明の氷の覆いのため、涼は報告する。
ゴリック艦長は感謝しながらも、何が起き始めたのか理解できていない。
「飛行型の、魔物?」
「ワイバーンとかか?」
「海上にワイバーンなど、聞いたことがありません」
涼が思いついたことを言い、アベルが具体名を出し、ゴリック艦長が持つ知識から否定する。
「まあ、確かに、鳥というには大きそうだな」
「やっぱり、ドラゴンの下位互換ですよ!」
「普通のワイバーンよりは小さいが……」
「真っ黒なワイバーンですね」
アベルも涼も、大陸にいるワイバーンは知っている。
乱獲して、魔石をたくさん手に入れたこともある。
基本的に茶色、あるいはこげ茶色なのだが……今回のワイバーンは、黒い。
漆黒と言ってもいい。
だが……。
「目だけが赤い?」
「不気味です」
そして、当然のように、ワイバーンから<ソニックブレード>が放たれた。
一本の<ソニックブレード>は、五本に分かれる。
範囲攻撃だ。
しかし、涼の<アイスウォール>に覆われたローンダーク号は、全ての<ソニックブレード>を弾く。
「おぉ!」
思わず乗組員たちから漏れる声。
「この程度の攻撃では、毛ほどの傷もつきません!」
胸を反らして言い放つ涼。
襲ってきた黒いワイバーンは、千を上回る数だ。
当然、前方の大公国分艦隊も襲われているが、あちらも何か見えない力で攻撃を防いでいるらしい。
そして……。
光が一閃した。
おそらくは分艦隊旗艦から。
その光の一閃で、数十のワイバーンが切断され、海上に落ちていく。
「ヘルブ公の呪法ですかね。なかなかやりますね」
「感心している場合か……」
光の一閃を見て、両腕を組んで偉そうに頷く涼。
それを見て呆れるアベル。
「こういう時は、雰囲気が大切なのです。大物感を出さないと!」
「本当の大物は、大物感を出すなんて言わないと思うんだが」
「くっ……アベルに言葉尻を捉えられました」
アベルも涼も、そんなことを悠長に話しているが、<アイスウォール>で攻撃を弾いているからこそだ。
反撃というのは、ある程度、相手の攻撃を引き出したうえで行った方がいい。
反撃に、さらに反撃を被せられることもあるから。
「ふむ。黒いワイバーンは、これ以上は増えなさそうですね」
涼はそう呟くと、一つ頷き唱えた。
「<フローティングマジックサークル>」
すると、十六の魔法陣が空中、ローンダーク号のアイスウォールの外に浮かぶ。
「<アイシクルランスシャワー“扇”>」
唱えた瞬間、魔法陣から、数千本の氷の槍が放たれた。
その全てが、黒いワイバーンを撃ち抜く。
頭と胸を。
暗殺者が、銃でその二カ所を撃ち抜いて確実に命を奪うように……涼の氷の槍も、確実にワイバーンを仕留めた。
「うぉー!」
沸き上がる歓声。
それは、ローンダーク号はもちろん、大公国分艦隊からも聞こえてきた。
彼らは、誰が放った魔法かは知らないだろう。
もし、自分たちについてきたスージェー王国の軍艦に乗り合わせた魔法使いの魔法だと知ったら、複雑な顔をしたかもしれない。
だが、今は、危機を脱したのだ。
素直に喜んでもいいはずだ。
そう、今だけは……。
「島が近づいてきます!」
マストの上から、ナンが叫んだ。
さらに、大公国分艦隊の中から、ひと際大きな一隻だけが艦隊を離れ、島に向かって航行を開始したのが見える。
「ヘルブ公の船だな」
アベルが頷く。
「アベルさん、リョウさん、行ってください!」
ゴリック艦長が叫ぶ。
「でも氷の覆いがなくなりますよ……」
涼が指摘する。
涼がいない状態でも維持するのは可能だが、維持するだけだ。
必要に応じて、開いたり閉じたりはできない。
そうなると、例えば海上に投げ出された人を助けたりはできなくなるのだ……。
だから、<アイスウォール>は解除していかねばならない。
「ヤバくなったら逃げますから。ローンダーク号は、足の速い船です」
ゴリック艦長は笑いながら言った。
元々、そういう手順だ。
「分かりました」
「俺たちは何とでもなるから、ちゃんと逃げろよ」
涼とアベルは言い切った。
「<アイスゲート>」
涼が唱えると、覆い付きの長大な氷の橋が出現した。
届いた先は、走り始めているヘルブ公の船。
「ご武運を!」
涼とアベルは、走っていった。
もののあわれ【もののあはれ】
外界の事物にふれて,何とはなしにおこるしみじみとした情緒・感動をいう。平安文学の美的理念の1つであり,『源氏物語』のなかを一貫して流れているのは,この「もののあはれ」の情趣である。その後,日本文化の特性のおもな要素となった。
コーチ
「あはれ」と「をかし」はともにおもむきのあることを表すが,「あはれ」は優美な感じ,「をかし」は明るく印象的な感じ。
(「学研キッズネット」より)
https://kids.gakken.co.jp/
え? 涼の「もののあはれ」の用法は正しいのか?
もちろん、正しいのです! それこそが、もののあはれなのです!




