0053 ある日のルンの街 上
「に、ニーナさん……」
「あ、ニルスさんたち、おかえりなさい。今日は早かったですね」
「い、いつも、おうつくブヘ」
しどろもどろで、危うく玉砕しかけているニルスの後頭部に軽くチョップを入れて、エトが黙らせた。
「早く戻ってきたのは、第五層でゴブリンアーチャーが出てきたからです」
そう言って、エトはゴブリンアーチャーから取り出した魔石をニーナに見せた。
ゴブリンとゴブリンアーチャーとでは、魔石の違いは大きさにごくわずかな違いがあるだけだ。
だがそこは受付嬢ニーナ、一目でエトが出した魔石が普通のゴブリンの物ではなく、ゴブリンアーチャーの物であることを理解した。
「確かにこれはゴブリンアーチャーの魔石ですね……。第五層での報告は、ここ数年は無かったはずです。すぐにギルドマスターに報告します。あと掲示板の注意書きにも書いておきますね。よくお知らせくださいました。ありがとうございます」
そう言って、ニーナは受付を出て、ギルドマスターの元へ報告に向かった。
「あ、ニーナさん……」
ニルスはまだ呆けていた。
「はぁ……。ニルス、行きますよ。魔石を買い取ってもらわなきゃ」
そういうと、エトはアモンと共に、魔石買取窓口にニルスを引っ張っていった。
ギルドマスター執務室の扉にノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼します」
ルンのギルドマスター、ヒュー・マクグラスは、いつものように書類と格闘している。
強面巨体のヒューは、およそ書類作業とは縁のない人間に見えるが、それは大いなる誤解だ。
そもそも辺境最大都市ルンの冒険者ギルドマスターが、書類仕事が出来ないわけがないのだ。
十分に、人並み以上の処理能力を有していなければ、この巨大組織は回らない。
「マスター、報告があります。先ほど、F級冒険者ニルスさん、エトさん、アモンさんのパーティーが、ダンジョン第五層でゴブリンアーチャーと遭遇したことを受付に報告されました」
ニーナは、ヒューが書類に目を通しているにもかかわらず、そして特に合図をしたわけでもないにもかかわらず、報告を始めた。
だがこれは、ルンの街の冒険者ギルド職員全てが行うことである。
ヒューがそうするように、と指示しているからだ。
「ゴブリンアーチャーと第五層で? あれは第十層以下だよな、出てくるのは」
「はい、そうです」
さすがに書類を見るのを止め、立ったまま報告するニーナを見上げる。
「異変の兆しかもしれないな。今、街にいるB級パーティーは?」
「赤き剣と、白の旅団です」
「旅団はフェルプスたち核心部隊がいるのか?」
「はい、一昨日遠征から戻ってきたので、まだいるかと」
ニーナは迷うことなく応える。
「よし、赤と白両方に来てもらえ。一時間後にここ、執務室で依頼する」
「旅団もいるんだろう? 俺苦手なんだよね……」
「ここまで来て何を言ってるの。そもそも小さい頃からの知り合いでしょ?」
「まったく、アベルはいつまでもグチグチと。少しはウォーレンを見習ったら?」
「……」
ここは、ギルドマスター執務室前の廊下である。
アベル、リーヒャ、リン、ウォーレンが、ギルドマスターの指名で執務室に向かっているところであった。
「はぁ……」
アベルは溜息を一つつき、執務室の扉をノックした。
「入れ」
「失礼します」
そういうと、アベルは執務室に入った。
そこには予想した通り、ギルドマスターであるヒュー、白の旅団団長のフェルプスと副団長のシェナがいた。
「やあ、アベル」
フェルプスが気さくな調子で声をかける。
身長一九〇センチと、ほぼアベルと同じであるが、より細身。
歳は二十四歳、金髪に青い目、そしてイケメン。
その人気は絶大。
アベルは男女ともに高い人気を誇るが、フェルプスは女性人気が異常に高い。
もちろん、男性からも嫌われているわけではない……ただの男たちの嫉妬である。
その容姿と異性人気から、同性からは嫉妬の対象ではあるが、冒険者としては例外なく敬意を払われている。
それだけのことを、これまで成してきているからだ。
「こんにちはフェルプスくん」
渋い顔で挨拶をするアベル。
「必ずその挨拶だな、アベルは」
微笑みながらフェルプスは言った。
赤き剣が席に着くと、ヒューが口を開いた。
「赤き剣、白の旅団、共に来てくれたことに感謝する。使者から簡単な説明は受けたと思う。ダンジョンの第五層でゴブリンアーチャーが確認された」
「マスター、その情報の確度は?」
「100%だ。F級冒険者三人が、アーチャーを含めた三体の集団を倒し、魔石を持ち帰った。受付でアーチャーの魔石だと確認された」
フェルプスの確認に、ヒューは100%と答えた。
「F級でアーチャーを含めた集団を狩るとは、将来が楽しみだな」
アベルは嬉しそうに言う。優秀な後輩の存在は、先輩として頼もしいのである。
「リーダーのニルスは、判断はしっかりしている。あれは息の長い冒険者になるだろう」
ヒューは太鼓判を押した。
「ニルス? もしかしてその三人ってのはリョウのルームメイトか?」
「ああ、ニルス、エト、アモンの三人はリョウのルームメイトだな。なんだ、アベルは知ってるのか」
「まあ、この前ちょっと話したことがあるだけだが……」
(生き残ることの大切さを知っているなら、いい冒険者になるだろうな)
食堂で会った時の様子を思い浮かべながら、アベルはそっと微笑んで小さく頷いた。
「わかりました。情報は確定。で、我々への依頼は、具体的にどのようなことに?」
フェルプスが先を促す。
「赤き剣と白の旅団には、ダンジョンに潜って、『大海嘯』の発生の有無を確認してほしい」
『大海嘯』の単語を聞くと、その場にいた全員に緊張が走った。
『大海嘯』とは、ルンのダンジョンで数年に一度発生する、魔物の爆発的増加現象の事だ。
その前兆は、本来ならもっと深い階層にいるはずの魔物が、上階層で複数回見られる、というもの。
ただ実際は、ソルジャーアントが第一層で見られることがあるように、蟻系はダンジョン内に縦穴を掘って上階層に現れることもある。
そのため、ソルジャーアントが第一層に現れた報告は半年前からあったが、それは大海嘯とは結びついてはいなかった。
だが、今回はゴブリンアーチャー。
本来なら第十層以下にいるはずのものが、第五層で発見されている。
十分に、大海嘯の前兆の可能性はある。
しかも、前回の大海嘯からすでに十年が経とうとしている。
現状、いつ大海嘯が起きてもおかしくない。
「報酬は前金で金貨百枚、戻った後で二百枚をそれぞれに支払う」
「ギルマス、もう一度確認だが、『発生の有無を確認』でいいんだな?」
アベルが依頼内容の念押しをした。
「ああ、発生の有無を確認してくれ」
「もし、発生していたら?」
今度はフェルプスが以後の対応を確認する。
「発生を確認したら、即地上に帰還、報告。出張所には俺も詰めておく。ダンジョン入口は放棄し、地上で二重防壁を利用しての迎撃を、ギルドと辺境伯領騎士団とで行う。すでに今回の確認依頼と、その後の迎撃案は辺境伯に報告済みだ」
それを聞いて、全員が一層緊張した。
迎撃案まで辺境伯に報告済みということは、ヒューはすでに大海嘯の発生そのものを確信しているということに他ならない。
「明日午前には潜ってもらうことになる。恐らく、明後日にはルンの街にいる冒険者全てに『ギルド待機』をしてもらうことになると思う。ギルド内の掲示板には、明日以降のダンジョン探索は禁止という貼り紙をしてある。もちろん、ダンジョン脇にある出張所でも、明日以降はダンジョンに降りるのを止めることになっている」
ヒューは、打てる手は全て打っていた。
強面巨漢で、脳の中まで筋肉に見えるかもしれないヒューであるが、そこはルンの街のギルドマスターであり、元A級冒険者でもある。
脳の中も一流でなければやっていけない。
「赤き剣、白の旅団、この依頼引き受けてもらえるか?」
「ああ、赤き剣はその依頼、引き受ける」
「白の旅団、依頼引き受けます」




