0498 報告
政府通達文は、その夜のうちに各所に届けられた。
だが、自由都市民の多くが目にしたのは、翌朝であった。
それは家の周りで。
それは職場で。
それは……宿屋でも。
「大変なことになってしまいました」
「ああ。政府内部にも、すでに大公国の手が回っていたんだろうな」
涼とアベルが、顔をしかめながら『自由の風亭』に届いた政府通達文の前で話している。
ロビーに貼り出された通達文の前には、彼らだけではなく、他の宿泊客もたむろして話し合っているようだ。
中には、自由都市での交渉を切り上げ、本国に引き上げようかと相談している者たちもいる……。
「でも自由都市って、首相よりもっと偉い人たちがいませんでしたっけ?」
「最高評議会だな」
涼の問いに的確に答えるアベル。
自由都市クベバサの、八つの大商会の商会長が名を連ねる最高評議会。
この最高評議会が、自由議会員の中から、首相を選出する。
そのため、最高評議会こそが、自由都市で最も力を持つ機関であると言われている。
「だが、国の代表は、首相らしいぞ。法律によって、首相はかなりの権限を持っているようだ」
「今回のは……最高評議会の意向に沿った決定とは思えないんですよね」
「そうかもしれんな。何か動きがあるかもしれん」
涼もアベルも、自由都市政府の詳しい動きは全く分からない。
なんとなく、目の前で、他国に侵略される国を見るのは嫌だ……そんな感情は持っている。
とはいえ、彼らは自由都市の民ではない。
この先、政府がどう動くのか、大公国がどう動くのか、そして市民がどう動くのかは、とても気になるのだが。
「とりあえず、僕らがやるべきことは決まっています」
「ん?」
「冒険者互助会に行って、ガイドブックを貰って、お勧め店に行くのです」
「……本当にそれがやるべき事なのか?」
「もちろん、ちゃんとそのお店が開いているか、食材を手に入れる事ができているのかを確認するのが、主たる目的ですよ」
「お、おう……。それは確かに大切だ。もし、開いていなかったら?」
「決まっています。再び大公国大使館を襲撃します!」
「昨日までと違って、大公国はこの自由都市の宗主国になったみたいだが……」
「関係ありませんね。いいえ、むしろ、宗主国であるならなおさらです。市民に食べ物を行きわたらせる義務があります!」
涼ははっきりと言い切った。
アベルも、涼が言っていることが、ある種の正論であることは理解している。
理解しているが……。
「大公国が、理性的な行動をとってくれることを祈るしかないか」
アベルは、まだ見たことのない神に祈った。
お昼前。
無事、互助会で食事処ガイドを受け取った涼とアベルは、最初のページに載っていた店の前に来ていた。
「ここですね、『食!食!食!』とは、なかなか攻めたネーミングです」
「まあ、何の店かは分かりやすいな」
涼もアベルも、店の扉周辺を見回す。
「閉店の札とかはかかっていませんね」
「ああ。入ってみるか」
二人は、中に入った。
「いらっしゃいませ~」
奥から、野太い男性の声が聞こえる。
「二人です」
「お好きな席にどうぞ~」
その瞬間、涼とアベルが、小さくガッツポーズをしたのは内緒である。
少なくとも、食事は準備されているのだ。
食いっぱぐれることはなさそうだ。
しかも、奥の厨房から、かなり美味しそうな香りが……。
「これは期待できるな」
「あの子たちが調べてきてくれたんですから、美味しいに違いありません!」
そして、二人は……美味の海に溺れた……。
「最後の鶏肉は、ぜったいやり過ぎでしたよ。あれは、アベルの失策です」
「甘辛炒めライスも、大盛はないだろう。あれは、リョウの見込み違いだぞ」
涼とアベルは、食べ過ぎた。
ええ、そうです、誰しもが想定していましたね。
当事者二人だけが、考えなしだっただけですね。
仕方ありません。
美味しい料理は中毒です。
そして、二人は、『自由の風亭』のカフェに入って、お腹を休めることにした。
最初は、初日、二日目と、満腹轟沈した際にもお腹を休めた、広場にあるお茶屋さんに向かったのだが、まだ修復中だった。
政府のお偉いさんたちが襲撃された際に、壁や床も壊れたらしく、その修理が行われており、店は閉まっていたのだ。
そのため、泊まっている『自由の風亭』のカフェが腹休めの場となった。
「このコーヒーは……マンデリン? 確かに地球のマンデリンは東南アジア産ですし、この大陸南部とか多島海地域とか、そんな雰囲気はありますけど……。気になりますね。うん、このマンデリンにしましょう」
「俺も同じものを頼む……」
涼は、カフェのメニュー表にあるマンデリンコーヒーに目を留めた。
アベルは、メニュー表を見ることもできずに、涼に全てを任せるらしい。
「アベルだけ、激辛まっかっか唐辛子ジュースにしてあげましょう」
「おい、やめろ……」
「残念、そんなジュースはありませんでした。仕方ないから、同じマンデリンコーヒーでいいでしょう」
「なぜ最初から素直に頼んでくれない……」
「魔法使いと剣士の対立は、有史以来続く宿命なのです。だから、仕方ないのです」
「そんなわけないというのは分かる」
涼とアベルはじゃれ合っているだけだ。
決して、争っているのではない。
もちろん、対立しているわけでもない。
いや、むしろ二人は戦友だ。
『食!食!食!』という戦場を共に駆け抜けた、戦友。
「それにしても……危惧していたことが本当に起きましたね」
「何の事だ?」
「もちろん、大公国による自由都市併合です」
「危惧していたのは確かだし、正直、あまり見たい光景でもないが……。俺たちがどうにかすることではないと思うぞ」
「アベルは薄情です。アベルなら、抵抗組織を作り上げて、レジスタンス活動を主張すると思ったのに」
「れじす何とかってのはよく分からんが……。抵抗するとしても、それは俺たちが主導するのではなく、市民が、国民が自ら立ち上がるべきだろう?」
アベルは、はっきりと言い切る。
「それは、そうかもしれませんけど……」
「そもそも、自由都市を守るべき軍隊はどこに行ったのか、とは思うんだがな」
「ですよね! それは、僕もずっと思っていました。凄い数の艦艇がやってきて、軍人さんたちも上陸しているのに。ちょっとした守備隊の人たちしかいないんですもん。自由都市の戦力はかなり強くて、ずっと大公国も連邦も退けてきた……って言ってましたよね」
「ああ、護国卿カブイ・ソマルは言っていたな。どう考えても、何かあったんだろうが……」
「自由都市艦隊の主力は壊滅した」
その言葉は、二人の横に座った人物の口から、呟くように聞こえてきた。
「ゴリック艦長、おかえりなさい」
「無事に戻って来られたのは、何よりだ」
それは、スージェー王国中央海軍第一艦隊所属、遠洋巡航艦ローンダーク号の艦長ゴリックであった。
「もう少し、驚いてくれるかと……」
ゴリック艦長は、なぜかため息をつく。
「いえ、艦長が近付いてきているのは分かっていたので……」
「今の報告内容には驚いたぞ?」
涼とアベルが、ゴリック艦長を慰めた。
「というか、そんな重大な報告、俺たちに話していいのか?」
「問題ありません。ランダッサ大使には報告済みです。そのランダッサ大使が、お二人にもお伝えしろと……」
「僕たち、ただの民間人なんですけどね」
アベルが情報漏洩を懸念し、ゴリックが許可済みである事を伝え、涼がいかにも巻き込まれるのは困るという雰囲気を出す。
アベルが、涼を白い目で見たのは言うまでもない。
「なんですかアベル、その目は!」
「いや、なんでもない」
「言いたいことがあるならはっきり言うべきです」
「多分、リョウがアティンジョ大公国大使館を襲撃したことを、ランダッサ大使は知っているんだろう。それで、これ以上は騒ぎを起こして欲しくないから、情報を流すように言ったんじゃないかと思うんだ」
「むぅ……」
アベルの説明に、反論できなくなる涼。
悪い事をしたとは思っていないが、関係各所の肝を冷やさせる行動であることは確かだ。
それは理解している。
涼だって常識はわきまえているのだ。
そう、とても常識人なのだ。
少なくとも、本人はそう思っている……らしい。
本人以外は同意しないであろう。
おそらく、セーラですら、涼が常識人であることには同意しないであろう。
もちろん、セーラにとっては、涼が常識人であろうがなかろうが、どうでもいい話であろうが。
「しかし……我々が戻ってくる前に、併合が起きてしまいましたか」
ゴリック艦長が、小さく首を振りながら嘆く。
「そういえば、併合されたのに、よく入国できたな」
アベルが、首を傾げて問いかける。
言われてみればその通りなので、涼も頷いている。
「いえ、ローンダーク号は、沖合にいます。自由港を出港した時に、大公国艦隊をすり抜けましたからね。いい印象は持ってもらっていないでしょう。まあ、沖にも大公国の艦隊はいますので、見つからないようにいろいろ動き回っているはずです」
「いいのか、そんな状況で艦長が船にいなくて」
「大丈夫ですよ。遠洋巡航艦だと、単独で他国に赴くことも多いので、今みたいな状況は結構あるんです。ですので、うちの船員は慣れています」
ゴリック艦長は、笑った。
戦列を並べて戦うだけが軍艦の役割ではないようだ。
船版のスパイみたいな活動もするのかもしれない。
「艦長を含めた乗組員たちが優秀だからこそ、難しい仕事に駆り出されるんだな」
「高く評価されるのも善し悪しですね」
アベルが称賛し、ゴリック艦長は苦笑した。
だが、その表情には、嬉しさが滲んでいる。
認められるというのは、悪い事ではない。
「そういえば、さっき、艦隊主力が壊滅したとか言いませんでした?」
涼が、話を元に戻した。
その言葉に答えるように、ゴリック艦長は、体験してきたことを全て二人に話した。
もちろん、ランダッサ大使の許可は貰っている。
どうもランダッサ大使は、本国から、涼とアベルを大切にもてなすように改めて言われたらしい。
その結果が、今回の報告である。
「つまり……その島が、ヘルブ公が言った『青い島』である可能性があると、艦長は考えるわけだ」
「はい、そう考えます。正直、あれが何なのかは分かりません。遠目には島に見えましたけど、本当に島なのかどうかも……」
「島でなかったら何だ?」
「巨大亀の甲羅!」
アベルの問いに即答する涼。
もちろん、その答えは、ゴリック艦長にもアベルにも受け入れてもらえなかった。
「亀は……どうでしょう?」
「リョウのたわ言は気にしなくていい」
「たわ言とは失敬な! 我々が知っていることが、この世界の全てではないのです。ホレイショー、この天地のあいだには、人間の学問などの夢にも思いおよばぬことが、いくらでもあるのだ、なのです!」
「ほれいしょーって何だ……」
二人の言葉に憤慨しながらも、舞台のハムレットのごとく、セリフを述べる涼。
もちろん、アベルはホレイショーを知らないので、こんな反応になるのは仕方ないのだ。
「二人にお伝えしたい内容が、もう一つあります」
「うん?」
「今回の大公国の保護下に置かれる決定、首相と閣僚の独断だそうです」
「つまり、最高評議会の承認は取りつけていないわけか」
ゴリック艦長の言葉に、アベルは頷きながら言う。
「そういうことです。もちろん、自由都市の法律上というか、行政手続き上は問題ないらしいのですが……最高評議会としては苦々しいでしょうね」
「クーデター……」
ゴリック艦長が感想を述べ、涼も感想を述べた。
法律的には違うのだろうが、涼が抱いたイメージはクーデターだ。
「このままでは終わりそうにないですね」




