0496 ちょっとした戦い
先攻は涼。
「<アイシクルランス8>」
相手の情報が全くないため、いきなりの近接戦は危険。
当然、初手は魔法戦からだ。
涼から、八本の氷の槍がヘルブ公に飛ぶ。
カキンッ。
八本すべての氷の槍が、見えざる壁に弾かれた。
対消滅ではない。
弾かれたのだ。
つまり、涼の<アイシクルランス>よりも強力な、見えざる壁。
しかも、ヘルブ公は何もしていない。
魔法も唱えていないように見える。
「呪符?」
「ほぉ、よく分かったな。中央諸国には呪法使いはいないだろうに。スージェー王国にもいないだろう?」
思わず涼が呟き、ヘルブ公が面白そうに答える。
余裕そうだ。
「その余裕を突き破ってあげます! <アイシクルランス32>」
さっきの四倍。
三十二本の氷の槍がヘルブ公を襲う。
だが……。
カキンッ、カキンッ……。
全てが弾かれた。
「むぅ……」
涼が悔しそうに顔をしかめる。
「フハハハハハ。攻撃力は分かった。では、防御力を見せてもらおう」
ヘルブ公はそう言うと、懐から一枚の紙を取り出し、前方に飛ばした。
「<アイスウォール20層>」
ドゴンッ。ドドドドドドドド……。
飛ばされた呪符から連射される、親指大の石。
もちろん、全て氷の壁に弾かれる。
「ほぉ。硬いな。障壁ではなく、氷の壁か、面白い」
「その程度の攻撃、毛ほどの傷もつきません!」
胸を反らして威張る涼。
「ならば、負荷をかけよう。どこまで耐えられる?」
ヘルブ公はそう言うと、懐から三枚の呪符を取り出し、前方に飛ばした。
その三枚から飛び出す、三種類の攻撃。
石、風、そして火。
三属性同時攻撃。
「そ、それは!」
涼は焦った。
なぜなら、土属性、風属性、火属性の攻撃に、涼の水属性という、四属性が揃ったから。
一瞬で涼は思い出していた。
以前、西方諸国において、西方教会の教皇と戦った際、教皇は四属性の同時発動を行った。
それによって、涼の<アイスウォール>は一瞬で割れたのだ。
教皇はこう言った。
狭い範囲で四つの属性が揃うと、『共振』が起きる条件を一気に満たしやすくなり……かなりの高確率で共振が起きる。
その結果、いくつかの魔法が『消滅』すると。
だから、<アイスウォール>が割れた場合に張りなおそうと、身構えたのだが……。
氷の壁は割れずに、ヘルブ公の呪符による攻撃を弾き返した。
『共振』は起きなかった。
「あれ?」
涼は小さく首を傾げる。
「三つでも防ぎきるとは……。厄介な壁だな」
ヘルブ公がそんな事を言っている。
共振を狙ったわけではなさそうだ。
(もしや……いや、まさか……)
涼は、考える。
(試してみるべきでしょう)
怒りに任せて突撃してきたが、悪い癖が出ようとしていた。
そう、好奇心。
好奇心、猫をも殺すならぬ、好奇心、涼をも殺す……にならないといいなあ。
「呪符の攻撃とはその程度ですか!」
「はっ。挑発か? 面白い、乗ってやろう!」
涼の挑発に乗るヘルブ公。
懐から、四枚の呪符を出し、前方に飛ばした。
石、風、火、そして氷。
土属性、風属性、火属性、水属性と、四属性の攻撃が揃う。
(これで、あの時と同じ状況)
涼が想定したのは、教皇の四属性同時攻撃。
そして、呪符四枚からの攻撃が、涼の<アイスウォール>を襲う。
だが……。
防ぎ切った。
そう、『共振』は起きなかったのだ。
「これではっきりしました」
涼は呟く。
(呪符による攻撃は、魔法による各属性の攻撃とは違うもの。具体的にどう違うのかは分からないけど、少なくとも『共振』を起こすような攻撃ではないと)
涼は、少しだけ満足していた。
怒りに任せてというか、義憤に駆られて突撃し、戦闘に突入してしまったのだが、学ぶべきことがあったことに。
呪法使いと呼ばれる者たちは、この東方諸国の大陸にはけっこういるらしい。
であるならば、今後、中央諸国に戻るために大陸内を移動する時にも、もしかしたら対峙することになるかもしれない。
その時に、今日の経験が役に立つことがあるかも……。
「アベルを犠牲にしましたけど、得るものはありました」
もちろん、アベルは犠牲になっていない。
なんとなく、雰囲気で言ってみただけだ。……多分。
さて、分かったのは、呪符四枚の攻撃では、涼の<アイスウォール>は割られないということ。
同時に、三十二本の<アイシクルランス>では、呪符が展開する防御を突破できないということ。
(呪法使いって、魔法も使えるんだよね。でも、ヘルブ公は魔法を放ってこない)
そう、これまでの攻撃も防御も、全て呪符によるものだけだ。
(呪符同士なら干渉しないとかそういうのかな? 呪符による盾を張っていると、それを解除しないと魔法を放てないとか? 足下に呪符の罠、とかもあり得るんだよね)
涼は、イリアジャ女王の即位式での光景を思い出していた。
アベルが石に取り込まれたのはもちろん、天井や壁にも呪符や霊符が設置されて、そこからいろんなものが出てきていた。
この大使館は、そもそも呪法使いのテリトリーだ。
そんな、設置型の罠は無いと考える方がおめでたすぎるだろう。
「仕方ありません。見せてあげましょう、水属性魔法の高みを」
「ほぉ?」
涼は高らかに宣言する。ヘルブ公は、未だ余裕の表情のままだ。
「<ウォータージェット1024>」
涼が唱えた瞬間、極細の水の線が無数に現れ、辺りを動き回った。
ヘルブ公への攻撃ではない。
切り刻んだのは、屋根。
そして、壁。
数秒で、屋根と壁は切り刻まれ、部屋全体が外気にさらされた。
「はっ! 凄いじゃないか。何だ、今のは? 氷? いや水か? 水で切る? そんな事が可能とは……初めて見たぞ。確かに、水属性魔法の高みかもしれんな。いや面白い」
なぜか、ヘルブ公が嬉しそうに拍手している。
それは、嫌味でもなんでもなく、心からの称賛であった。
だが、涼の顔はしかめっ面だ。
屋根と壁がなくなることによって、あることが露になった。
それは、設置されていた呪符と霊符。
天井に設置してあった呪符と霊符は、天井はもちろん屋根自体がなくなったのに……元あった場所に存在し続けているのだ。
つまり、浮いた状態で。
壁に設置してあった呪符と霊符も、壁がなくなったのに、元あった場所に存在し続けている。
これも、浮いた状態で。
「以前、<アイシクルランス>の軌道を歪められた時に、空間を曲げているのだろうと直感で掴んだのですが、ここまであからさまに見せられると……」
「ああ……隠し呪符と霊符が丸見えになったのか」
涼が顔をしかめて言い、ヘルブ公は苦笑いした。
「攻撃を受けつけないその辺りの呪符は、卑怯です!」
涼が非難する。
「そう言われてもな。呪符とは、そういうものだ」
ヘルブ公は、肩を竦めて答える。
だが、それで涼は呪符についての知識が増えた。
『呪符は攻撃を受けつけない』
ヘルブ公や、女王即位式の時の呪法使いの呪符だけがそういうわけではなく、呪符そのものの特性として、攻撃を受けつけないと。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
敵に関しての情報収集は、とても大切だ。
だが……。
「どうやって突破しましょう……」
情報が揃った結果、涼は、悩むのであった。
その頃、部屋の反対側でも、戦闘が行われていた。
それは、涼とヘルブ公の魔法戦と違って、剣戟。
ズルーマが間合いを侵略し、アベルが受ける形で始まった。
一瞬、アベルが先手を取るかに見えたのだが、躊躇したのだ。
その理由は、イリアジャ女王即位式で、一気に呪法使い相手に踏み込んで、『いしのなかにいる』状態にされた記憶がよみがえったから。
一度手酷い失敗をすると、人は、どうしてもためらってしまうもの……。
それは、元A級剣士であるアベルであっても例外ではない。
そのため、ズルーマが攻撃、アベルが防御から始まることになってしまった。
(正直、技術はそれほどでもないが、速さと力が厄介……)
アベルは冷静に分析している。
とても、人とは思えない剣の速さ、そして力。
それは、受けを失敗すれば、一撃で形勢が決まってしまうということでもある。
ズルーマが振るう剣は、アベルに嫌な経験を思い出させていた。
(ダンジョンで戦った魔王子を思い出しちまうな)
かつて、大海嘯後の調査でダンジョンに潜った際に、四十層に強制転移させられ、魔王子と剣で戦う羽目になった。
その魔王子の剣は、人間とはけた違いの力、そして速さで、アベルを追い詰めた。
嫌でも、その記憶が蘇る。
だが、アベルははっきりと言い切る。
「あの時とは、違う!」
ズルーマの、速さと力を活かした剣。
それを、アベルは丁寧に受け流す。
絶対に正面からは受けない。
受けきれない事が分かっているから。
打ち下ろしを受け止めれば、手首や肩を痛める。
切り上げを受け止めれば、体ごと吹き飛ばされる。
横薙ぎを受け止めても……体ごと吹き飛ばされるだろう。
剣の角度をつけて、ズルーマの剣を流す。
それを可能にするのは、技術。
経験に裏打ちされた、技術。
その技術を、力と速さに屈しないものにしているのが、先読み。
先読み通りに体を動かす事ができるのは、これまでに剣に費やしてきた時間があればこそ。
勝ち。
負け。
全てがアベルを成長させてきた。
だからこそ。
圧倒的な力と速さの前に、臆することなく立ち続けることができる。
全ての経験を糧として、成長を続けるアベルの剣。
努力は裏切らない。
幼少より積み上げてきた剣。
死地で振るい続けてきた剣。
自らの命、仲間の命を繋いできた剣。
その全てが、今、振るわれるアベルの剣。
アベルには、ただ一度でいい。
ただ一度、チャンスがあればそれでいい。
だからそれまで。
守り、守り、守り……。
そして……。
「ここ!」
受け流すとみせて、剣を引いて空振らせる。
体を一度回転し、空振りで体勢が崩れたズルーマの後ろに回り込んだ。
後背から、心臓への一撃。
勢いよく剣を引き抜き、その回転運動のまま、首を刎ね飛ばした。
「ふぅ……」
深い呼吸で、たぎった血を落ち着かせる。
戦闘はまだ終わっていない。
涼とヘルブ公は戦っているのだ。
そんな涼の斜め後ろに移動する。
「これで、二対一だ」
「さすがはアベルです。早かったですね」
アベルがヘルブ公に向かって言い、涼が一つ頷いてアベルを称賛した。
「『星を刻んだ』者が、まさかこれほど短時間に倒されるとはな。驚いたぞ」
「そりゃどうも」
ヘルブ公は、笑みを浮かべたままではあるが、驚いたのは本当らしい。
アベルは、答えた。
「しかし……」
カキンッ。
音高く響く硬質な音。
「!」
響いたのは、アベルの体から。
首なしズルーマが、アベルの体を剣で突いたのだ。
だが、その剣は、ギリギリで受けたアベルの剣によって弾かれ……。
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ。
アベルによって、瞬時に両手両足を斬り飛ばされる。
最後に、地面に落ちた胸に、剣を突き刺した。
「アベル……またミスを……」
「俺のせいじゃないだろ! 心臓突いて、首までちゃんと斬り飛ばしたんだぞ」
涼が小さく首を振りながらなじり、アベルは反論する。
「もう次から、首だけじゃなくて、両手両足も切り飛ばしてください」
「……ものすげえ、凄惨な光景になるな」
涼のオーダーは、スプラッター待ったなしになることを、アベルも理解した。
その間、何も動かずに見ていただけのヘルブ公。
というより、涼との戦闘中も、ずっと椅子に座ったままだ。
「ものすごいラスボス感です……」
「らすぼすの意味が分からんが、親玉ってことなら同意だ」
涼の呟きに、アベルが答える。
「さて、どうするかな」
ヘルブ公が、首を傾げて呟く。
「何らかの理由で、魔法を使えない、あるいは魔法を使うのを控えているようです」
涼が、普通の声の大きさで言い放つ。
その声は、アベルだけではなく、対峙するヘルブ公にも聞こえる。
当然だ。聞かせるためのセリフなのだから。
涼の言葉を聞いて、苦笑するヘルブ公。
「そこまで見抜かれているとは……。謝罪しよう。正直、ズルーマに星を刻めば、あとは呪符と霊符だけでなんとかなるのではないかと思っていた」
ヘルブ公はそう言うと、小さく頭を下げた。
「甘く見られたものだな」
「謝罪は、しっかりと頭を下げないと」
アベルも涼も、口ではそんな事を言っているが、油断はしていない。
「魔法を放てんことはないのだ。だが、今放つと、自由都市一帯が消え去る」
「はったりを!」
ヘルブ公が申し訳なさそうな顔で言い、アベルが怒鳴る。
それを横目に、涼がたしなめる。
「アベル、僕もはったりだと思いたいのですが……あの人、いや人じゃないけど、えっとヘルブ公が言っていることは、必ずしも嘘ではない気がします」
「なに?」
「何て言うんですかね。『長距離拡散式女神の慈悲』の、発射直前の状態……みたいなそんな感じ? あるいは、弦を引き絞って矢を放つ直前の弓……みたいな感じを受けます。正直、針でつんつん突きたくない、みたいな……」
涼は、なんとなく感じたイメージで説明する。
具体的に、何がそう感じさせるのかは分からない。
魔力なのか、魔法の生成なのか……。
だから、正直に感じたままを言ったのだ。
「そう、さすが優秀な魔法使いだな。だいたいは合っているぞ」
「でも、それを街の人に向かって放つ予定だというのなら、今止めるしかありません」
「心配するな。民衆が対象ではない」
「それを信じろと?」
「民は敵ではない、支配の対象だ。あるいは、庇護の対象か。どちらも本質は同じだから、好きな方で解釈すればいい。これを使う相手は民ではない」
涼が問い、ヘルブ公は答えた。
その顔は、笑っていた今までとは違う。
笑みは消えている。
「分かりました。信じましょう」
「おい、リョウ」
涼が頷き、アベルが驚いて問いかける。
「アベル、どうも僕らや街の人たちが全く知らない何かが起きているようです。もしかしたら、今回の大公国軍の進駐もその辺りに関係するのかもしれません」
「そうだとしても……」
「ええ、そうだとしても、武力での他国占領は嫌ですね。もし、自由都市民が望むのなら……その時、僕たちの力を貸しましょう」
涼は、はっきりと、そう言いきった。
涼自身でも理解できてはいないのだが、今ここで戦いたくはないと思ったのだ。
勝ち負けではない。
勝っても負けても、今よりひどいことになりそうな気がするから。
なぜそんな判断をしたのか……。
おそらく、今まで得てきた情報を、無意識のうちに分析した無意識下での判断の結果だ。
意識が重要とは捉えておらず、切り捨てた何らかの情報。
それらを、だが無意識は脳に収めたままにして、分析した……。
人が良く行う行為。
その結果が直感であり、なんとなく、なのだ。
「我々の要求は、市場での買い占めを、すぐに止めていただくこと。それが受け入れられれば、このまま大使館を出ます」
「いいだろう。アティンジョ大公国大使として約束しよう」
涼が提案し、ヘルブ公は受け入れた。
ヘルブ公の様子は、最初の時同様の、完璧な貴公子に戻っている。
涼としては、人と何が混じっていたのかは気になるが、聞けそうにはない。
星形の魔法陣も気になったが、それも聞けそうにはない。
せめて……。
「もう一つ要求があります」
「ふむ?」
「じゅ、呪符を一枚……研究用にもらえないかと……」
「おい……」
涼の要求につっこんだのは、もちろんアベルだ。
「気持ちはわかるが……呪法使いとして、魔法使いであるリョウ殿に助言するなら、やめた方がいいと言わざるを得ん」
「え?」
「『印』を描きこんだ時点で、呪符は呪法使いの手足に等しい。それを傍らに持っていると、何が起きても不思議ではない……」
「なるほど。前言撤回です。呪符はいりません」
ヘルブ公の説明に、目を見開いて前言を翻す涼であった。
「この重荷がなくなったら、ちゃんと戦ってみたいものだ」
「その時は、全力でお相手しましょう」
ヘルブ公が笑いながら言い、涼も笑いながら答えた。
涼とアベルが大使館の外に待っていた店主や、大将たちに買い占めが終わることを説明すると、歓声が起きた。
彼らも、大使館の屋根がなくなり、壁もなくなり、何やら戦いが起きているというのは分かっていたのだが、それでもその場を離れなかった。
買い占めの有無は、今後の生活に直結することだから。
それが無くなることを聞いて、大いに喜んだのであった。
だが、自由都市民にとっての嵐は、その日の夜、訪れるのであった。
今回は、さわり程度です。7000字程度です。