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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 第二章 自由都市
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0493 不穏

その日、自由都市は平和であった。午前中は。

だが、お昼あたりから、不穏な空気が漂い始めた……。


「いやあ、『虎の牙』でしたっけ。あの子たちの報告書、もうすぐですよね。楽しみですよね。いったいこの自由都市には、どんな美味しい食事処があるのか」

「まだ、二、三日はあるだろう? まあ、楽しみではあるがな」

「どうです? 今日は、『嬉食庵』にしますか? あの子らの食事処ガイドができ上がってきたら、そこに載っているお店に行くでしょうから、今のうちに」


涼が提案する『嬉食庵』とは、自由都市に到着した初日、二日目の昼と立て続けに食べに行き、見事に二人とも満腹轟沈した恐るべき店の名である。

一食一食も、もちろんそれなり……肉体労働をする成人であればちょうどいい量というべきだろうか。

決して、多すぎるということはない。


美味しすぎて、二人が調子に乗ってたくさん注文してしまうだけだ。



一人一食なんて誰が決めたのですか!



見事な大食漢のセリフを撒き散らしながら、二人は『嬉食庵』の扉をくぐった。


だが……すぐに異変に気付く。


「お客さんが、いません……」

「昼時は、いっぱいいるよな」

涼が(いぶか)しげに呟き、アベルも同調する。


いつも二人とも、混雑する前にお店に入り、席を確保する。

今日もそうだ。

だが、それでも、客が一人もいないなどというのは、初めてだ。



「すまねえ、今日は出すものがないんだ」

店の奥から出てきたのは店主。


二人とも名前も知らないが、店主が厨房を切り盛りしているのは知っている。

奥さんと、従業員と思われる若いお兄さんとお姉さんがフロアや洗い物担当なのだ。

だが、今日は店主以外誰もいない。


「出すものがないというのは……」

「食材が仕入れられなくてな。申し訳ない」

涼が寂しげに問うと、店主も顔をしかめて答えた。


確かに、いつものいい香りがしない。

仕込みがされていないのは確かだ。


「分かりました。また今度来ます」


二人は、失意のうちに店を出た。



「仕入れができなかったというのは、どういうことなのでしょう」

「分からんな。仕入れの金を、すられたりしたか?」

「なっ……。確かにありそうですが……もし、そうだったなら、僕はこれから、全てのスリを氷漬けにすることをここに誓います!」

「おい、こら、ばか、やめろ」


涼が、大量監禁の罪を犯すのは、アベルによって止められた。



だが……。



次に向かった『食べ倒れの店』も……。


「え? ここもやってない……」

「閉店の札がかかっているな」

涼とアベルが見たのは、入口の扉に掛けられた『閉店』の札。


「これは、さすがにおかしいですよ」

「確かにな。ちょっと、近くの店も回ってみるか」

涼とアベルは、入ったことはないが、周りにも食事処があることは知っている。

それらの店を見て回ることにした。


そうして判明した。


「全てのお店が……」

「営業してないな……」



二人は絶望のどん底に叩き落された。



正午になり、午前中の仕事を終え、昼食をとりに来た自由都市民が、二人同様に絶望のどん底に、次々と叩き落とされていく。


自分たちと同じような悲しい顔になった民衆を見ながら、二人は宿に帰ることにした。


お昼は、二人とも利用したことないが、『自由の風亭』の食事処は、お昼もやっている。

だが、夜はそこを利用するために、お昼は別の所で……といった感じで、いつもは外に食べに出ていたのだ。


「背に腹は代えられません」

「いや、『自由の風亭』も、味は美味いだろ」


お昼も夜も、同じところで食べるのが……というだけの話であって。


もちろん、メニューは変わるのだから、それほど大きな問題ではない。




そんな事を話し合って、二人は『自由の風亭』に戻った。


その受付カウンターで……。

「お二人に、冒険者互助会からお手紙が届いております」

「互助会から?」

「手紙?」

受付の渋いマネージャーのような人が互助会からの手紙を渡し、アベルと涼が首を傾げる。


例の食事処ガイドができあがるには、まだ早い。

いったいなんだろう?



アベルが手紙を開き、涼が後ろからそれを覗き込む。



一読すると、涼は走り出した。



「おい、待て!」

アベルもそう言って、涼を追って走る。


すれ違う街の人たちは、驚いたであろう。

涼の形相に。


アベルは必死に追ったが、追いつけない。


「ホントに魔法使いかよ……」

体力自慢の剣士が、魔法使いに追いつけないのだ。


だが、アベルはすぐに思い出す。

「リョウだからな……」



数分後。二人は、冒険者互助会の前に到着した。


アベルが少し遅れて到着したのだが、涼は中に入っていなかったのだ。

建物の外で息を整えている。


それを見て、アベルが驚いた。

涼なら、扉を蹴破らんばかりに「なんでですか!」とか言いながら入りそうだったからだ。


涼は、呼吸を落ち着けて、何度も頷いた後で、むしろ軽やかに入った。

「こんにちは~」

手紙を読んだ時の絶望感など、微塵(みじん)も感じさせない声で。



「リョウ殿……アベル殿も、ご足労をかけてすまんな」

冒険者互助会の会長が、挨拶をした。

互助会の中にいるのは、彼女と、二人の依頼を受けた『虎の牙』のメンバー三人だけだ。


よく見ると、三人の目が赤くはれている……ように見える。


さっきまで泣いていたのだろう。



「お手紙は読みました。例の依頼をキャンセル……中止したいと」

涼は、努めて冷静な声音で言う。

さすがに、少しだけ声が震えているのが、アベルには分かる。

他の人は気付かないだろうが、それなりに長い付き合いのアベルには分かる……。


「うむ……」

会長はそれだけ言うと、二人に席を勧めた。


そして、どう切り出そうか少し考えた後、口を開いた。


「実は、これ以上の調査ができんくなったのじゃ」

「その理由は?」

会長の言葉に、やはり冷静さをぎりぎり保った口調で問い返す涼。


「この自由都市における食事処の調査であったが、そのほとんどの店が開かない」

「ええ、それは僕たちも、先ほど経験しました」

「しかもそれは一過性のものではなく、この先、しばらくは開かぬ見通しじゃ」

「え……」


会長の言葉に、さすがに涼も絶句する。

アベルも、何も言えないまま聞いている。



この先しばらく開かないというのは、さすがに想定外の言葉だ。



「それは……しばらく開かない見通しというのは、なぜですか?」

涼が問う。

だが、さすがに言葉が僅かに震えている。

アベルだけが分かるほど微量ではなく、問われた会長も気付くほどに。


「お二人は、先ほど店が開いていないのを経験したそうじゃが、なぜ開いていないのかの理由はご存じないのじゃな?」

「えっと……行きつけのお店の店主さんは、仕入れができなかったと言っていましたが……」

「うむ。全ての店がそうじゃ」

「なぜ……」

「大公国が買い占めおった」


その瞬間、涼は立ち上がった。


アベルは見た。

涼の顔に走った激情を。



だが、すぐに表情を戻す。

意志の力で。



ここにきて、ようやくアベルは理解した。


なぜ涼が、すぐに表情を戻したのか。

なぜ涼が、入ってずっと冷静に振る舞っているのか。

なぜ涼が、扉をくぐる前に、何度も落ち着こうとしていたのか。



三人のためだ。



涼とアベルを、そして会長を、不安そうに見る三人。

いや、依頼を失敗し、泣きはらした三人。


その三人の、まだ成人していない子どもたちのために、涼は冷静に振る舞っているのだと。



子どもたちは、大人をよく見ている。


そして、大人が思っている以上に、理解している。


理解していることを論理的に説明するのはなかなか難しいが、理解はしているのだ。

そして、頭と心に記憶する。

数年後、数十年後も、その記憶は残る。


良い影響も、悪い影響も、どちらも与える記憶。


だからこそ、大人は、常に子どもたちの視線を意識して振る舞わなければならない……。



それは、想像以上に難しい事なのだが。



少なくとも、涼はそう考えて行動した。

完璧には程遠いが、できる限りの範囲で。


だが、そんな鉄の意志すら、僅かとはいえ突き破った事実。



大公国による買い占め。



「そのために……これ以上の調査ができないから……依頼を中止したいと」

涼は座りなおすと、あえてゆっくりと、自分自身を落ち着けるかのように問うた。

「うむ。残念じゃが、店が開かぬ以上は……」

答える会長の表情も無念そうだ。


当然であろう。


この依頼に成功すれば、『虎の牙』の三人は、次の八級に昇級できる。

八級になれば、回してやれる依頼がいくつもあるのだ。

だが、現在の九級では、回せる依頼がない。


いずれは依頼が入ってくるだろうが……正直、大公国軍の進駐が行われている現状では、何か月後になるか……。


マーラ、ニコス、ローザの『虎の牙』の三人も、頭では理解しているのだろう。

何も言わないで話を聞いている。

三人とも悔しそうに下を向きながら。

頭では理解しても、感情は難しい。



「依頼では、十軒載せて欲しいとお願いしましたが、現状、何軒ですか?」

「今、六軒までは終わっておる。三人が集めた情報は受け取り済みで、わしが報告書にまとめておるところじゃ。明日には渡せる」

「今、中止になると、依頼は失敗扱いになるのですよね?」

「うむ……互助会の規定上、そうなる」

涼の確認に、会長は頷く。


『虎の牙』の三人も、悔しそうに肩を震わせた。

ローザは、また涙がこぼれ始めたようだ。

それを、横に座るニコスが慰めている。


「もし……僕が六軒で構わないと言えば、依頼は成功扱いになりますか?」

涼がそう言った瞬間、マーラの頭が跳ねあがった。

泣いていたローザと、慰めていたニコスも、涼を見る。


「うむ……依頼人がそう言うのであれば、成功になるが……よいのか?」

「十軒の内、過半数以上の六軒の情報を集めてもらえました。しかも、調査の打ち切りの理由は、彼らや互助会には何の関係もないものです。僕は、依頼人として、六軒の情報をもらえたので、成功扱いにして欲しいと思います」


涼が言い切った瞬間、三人の視線は、会長を向いた。


会長は、少しだけ笑みを浮かべて、小さく頷いた。

「依頼人が言うことは絶対じゃ。今回の依頼、成功と判断する」

「やったー!」

三人は、嬉しそうに、文字通り椅子から跳びあがった。



それを見て、涼も笑みを浮かべている。


だが、アベルは知っている。

涼が怒っていることを。

いや、激怒していることを……。




涼とアベルは、依頼終了の手続きをして、冒険者互助会の建物を出た。


出る際に、会長だけでなく、『虎の牙』の三人にも、何度もお礼言われ、扉の外まで送られた。



しばらく、無言のまま歩く涼とアベル。



互助会から十分離れたところで、ようやく涼が口を開いた。


「アベル、僕は怒っています」

「ああ」

「もちろん、あの子たちや、互助会の会長さんに対してではありません」

「だろうな」

「民を飢えさせている自由都市政府に対しても、怒っていますが、それ以上の相手がいます」

「うん……」

「ちょっと一言言ってきます。止めないでください」

「ああ、止めない」


いつもなら、涼の過激な行動を止めるアベルであるが、今回は止めない事を明言した。


どこに行こうとしているのかは分かる。

行けば、あまり望ましくない事が起きるであろうことも分かる。


だが、止めるべきではないとアベルは思った。



占領しようとする相手の心を折るのは、戦略としては理解できる。

だが、そこではないのだ。


王としてではない。

人として、アベルは涼を止めない事に決めた。



そして、二人は、アティンジョ大公国大使館に向かった。


本日(5月26日)、墨天業先生によるコミックス第7話が更新されました!

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是非お読みください!

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