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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 第二章 自由都市
532/930

0491 操船

涼とアベルが戻った『自由の風亭』は、夜だというのに慌ただしかった。

原因は、ローンダーク号の乗組員たちらしい。


「慌ててどうしたんですか?」

「緊急出航が決まりました。今夜中に、ローンダーク号は出航します」

涼の問いに、玄関で命令を出していたレナ副長が答える。


答えは礼儀正しいが、すぐにあちらこちらと動いて、乗組員たちの準備を手伝っている。


「アベル、軍艦って、そんなにすぐに出航できるものなんですか?」

「いや、食料その他を積み込む必要があるから、早くとも半日はかかるはずだが……」

「もしもの時に備えて、乾物を中心にした食料はすでに積み込んであるんだ」

涼が問い、アベルが答え、さらに後ろから現れたスーシー料理長が答えた。


「スーシーさん、おかえりなさい! 大使館の料理、すごく美味しかったです!」

「だろう? 大使館料理長というのは、腕がいいんだ」

涼の絶賛を、我が事のように喜ぶスーシー料理長。


「大使館においては、料理も外交の一部らしいからな」

「なるほど、なるほど」

スーシー料理長が断言し、涼も頷く。

日本にいた頃、涼も、そんな漫画を読んだ記憶があるため、心から同意した。



「この急な出航は、やはり、あれか?」

アベルは、小さな声で問う。

「ああ……私も軍属だから……これは軍機の範囲なので言えないんだ」

「まったく、アベルはもう少し考えて質問してください!」

「そ、そうだな、すまん」

スーシー料理長が苦笑しながら答え、涼が質問の筋の悪さを指摘し、アベルが素直にミスを受け入れた。


確かに、答えられない質問だからだ。


「軍機に触れない範囲で答えると、ヘルブ公の発言に関係する動きだ」

「ああ、それで十分だ」

スーシー料理長が言葉を選びながら答え、アベルは頷いた。



そんな事を話していると、レナ副長が戻ってきた。


「準備は終わりました。出発します」

レナ副長はスーシー料理長にそう言うと、二人の方を見て言った。

「自由都市も、数日で情勢が動く可能性があります。アベルさん、リョウさんも気を付けてください」

「ああ、そっちもな」

「ご武運を」

レナ副長が安全を祈願し、アベルと涼もそれを返す。


こうして、レナ副長やスーシー料理長を筆頭に、乗組員たちは、愛艦へと戻っていった。




自由港に停泊中のローンダーク号。

外交島にゴリック艦長やグンノ機関長、『自由の風亭』にレナ副長やスーシー料理長が宿泊し、大使館の仕事を手伝っていた。


その間、ローンダーク号が無人だったわけではもちろんない。

軍艦なのだ。

ドライドックでのオーバーホールのような、船自体が陸に上がって整備でもされない限り、基本的に幹部の誰かが中にいる規定だ。


今回は、モスターラ一等航海士であった。

航海中は、真面目で誰にでも優しく接する男であるため、乗組員たちからの信頼も厚い。

だが、いざ接舷戦となると、常に先陣を切るレナ副長の次に敵船に乗り移っていく。


乗組員を率いる幹部の一人として、突撃の先頭にいるべきと考えている……そう見れば、やはり真面目なのかもしれない。



「港の封鎖はされていませんね?」

「はい、大丈夫です! 大公国艦隊にも動きはありません」

モスターラ一等航海士の確認に、居残り乗組員が答える。


「来ました! 外交島からの渡し船です。ゴリック艦長が見えます」

「よし」

外交島の五十人は、大使館が持っている船で、直接自由港に到着した。

外交橋を渡ってくるよりも、そちらの方が早い。


「陸からも来ました! レナ副長が先頭にいます」

「よし」


両方の報告を聞いて、モスターラ一等航海士は何度も頷いた。


「さあ、急いで出航の最終準備をしますよ」

「おう!」



一時間後、ローンダーク号は自由港を出港した。



「港そのものは、さすがに封鎖できないな」

「おそらくは、少し沖合でしょう」

ゴリック艦長の言葉に、海図を見ながらモスターラ一等航海士が答える。


「西の風は、明け方までは変わらないでしょう。追い風ですから、これを掴んでいけば……北からの海流は弱いので、無視できるほどの速度は出ます」

一等航海士は、天気の予測も重要な仕事だ。


「西の風か……」

ゴリック艦長は、一度そう呟いてから、マストの上を見て叫んだ。

「前方、何か見えるか!」

「何も見えません!」

「後方、何か見えるか!」

「港内の大公国艦数隻に動きがあります!」


前方のフォアマストから、前方を確認するナン。

中央のメインマストから、後方を確認するニン。


ゴリック艦長は、絶対何かあると踏んでいるため、最初から監視二人体制だ。


「前方! 遊弋(ゆうよく)する艦を確認! 数、五から十」

「所属と艦型は?」

「まだ不明!」

ナンが叫んで報告する。


「後方! 大公国艦六隻。艦型はマスリジャ型!」

「速いやつだな。後ろからせっつくつもりか」

ニンが叫んで報告し、ゴリック艦長は呟く。


「前方! 大公国艦。八隻のブナ型遠洋強襲艦!」

「魔法砲撃があるやつか。やっぱり、一番厄介なやつを配置しているな」

「一隻あたり、二十人の魔法使いの配備が標準です」

ゴリック艦長が顔をしかめ、レナ副長が情報を補足する。


「百六十本の魔法砲撃か。それは、この艦の魔法障壁では防ぎきれんな」

「こちらの一斉砲撃と合わせて、五十本までならなんとかなりますが……」

ゴリック艦長の言葉に、再び情報を補足するレナ副長。



「さすがに、接舷戦はやれんし、魔法砲撃も厳しい。当然、こちらは逃げる事しかできんし、向こうもそう思っているだろう……」

ゴリック艦長は、独り言を呟きながら思考をまとめている。


その間、レナ副長は何も言わない。

モスターラ一等航海士は、海図と風を何度も見なおしている。



二十秒後、ゴリック艦長は、顔を上げた。


「モスターラ、風と海流は変わりないな?」

「西の風のまま。北からの海流は弱いです」

「よし。総員、縦帆も張れ!」

「了解!」


ローンダーク号は、三本の大きなマストを持つ。

マストとは、帆を張り、中ほどで遠眼鏡を持った船員が周囲を見るための巨大な柱だ。


一番前のフォアマスト。

中央にあり、一番背が高いメインマスト。

そして、後方にあり、一番背が低いミズンマスト。


前方の二つ、フォアマストとメインマストには、基本的に横帆が張られる。

一般的に『帆船』と言った時に想像する、マストに何枚も張られる、横長長方形の巨大な帆……あれが横帆だ。

後方からの風、つまり追い風を捉えるのに、最も適している。



だが、風というのは、いつも都合よく後方から吹いてくるわけではない。

向かう方向によっては、風上に向かって進まねばならない時もある。


もちろん、帆船は、完全な風上に向かっては進めない。


『風吹機関』を使わない限り。


だが、錬金術がそれほど発展していなかった時代であっても、帆船が風上の方に行かねばならない事はあったのだ。

風が吹いてくる方に真っ向勝負で向かっていくことはできないため、風上に対して、ジグザグに上がって行ったわけだが……。


そんな、追い風でない、横からの風や、少しだけなら斜め前方からの風でも捉えるように張られる帆、それが縦帆である。

もちろん、横帆同様に追い風も捉える事ができる……万能な帆と言えるだろう。

ただし、追い風だけに限定すると、横帆の方が速くなるのだが。


ローンダーク号の場合は、一番後ろのミズンマストに、この縦帆を張る事ができる。

しかも軍艦としての特別改装で、走りながらでも横帆と縦帆を張り替える事ができる……。



現在のような西の風で、東に向かっているローンダーク号にとっては、縦帆は意味がない。

むしろ、中央にあるメインマスト下部の横帆にあたる風を、邪魔してしまう。



だが、ゴリック艦長は、縦帆を張るように命令した。


もちろん、命令は遂行される。


意味を理解した者は皆無だろうが、そんな事は関係ない。


艦長が命令を出し、乗組員がそれを遂行する。

そうやって、彼らは生き残ってきた。



さらに、ゴリック艦長が命令を下す。


「よし。操舵手! 取り舵!」

「と~りか~じ」

ゴリック艦長の命令に、操舵手が独特の口調で答えながら、舵を左に切る。


ローンダーク号が、左手に十五度の角度で曲がる。


「船が北東に向くまで、取り舵そのまま」

「了解」



続けて、ゴリック艦長は、傍らの伝声管の一本を開く。

伝声管は、艦橋から、船内の各所と声でやりとりをするための管だ。


「グンノ機関長」

「こちら、グンノ。艦長、どうぞ」

「機関逆回転。向かい風、四分の一だけ、発生させろ。俺が合図したら、機関順回転、最大でぶん回せ!」

「機関逆回転、向かい風、四分の一、了解!」


ローンダーク号は、錬金術によって風を起こし、その風を受けて走る事ができる。

『風吹機関』と呼ばれる錬金装置だ。


現在の西風のように、追い風の場合には風吹機関は動いていない。


魔石を動力とした機関であるため、魔石が溜めた魔力を使い切れば、機関は動かなくなる。

もちろん、乗組員の中には、多少は魔法が使えるものもいるため、彼らが入れ代わり立ち代わり魔力を補充すれば動くが。


帆船であるローンダーク号にとっては、追い風が吹いているのであれば、無理に使う必要のないものでもあるのは確かなのだ。



それどころか、ゴリック艦長の命令は、『向かい風』



当然、船足は遅くなる。

四分の一であるため、まだ離れている遠洋強襲艦は、減速に気付かない。


だが、ローンダーク号が、方向を転換した事には気づいたらしく、北に向かい始めた。

ローンダーク号の行く手を遮る動きだ。


距離と、それぞれの艦の速さを考えた場合、それほど快速とは言えないブナ型遠洋強襲艦であっても、ローンダーク号の前方を遮るのは成功するだろう。




「あと五分で、敵砲撃の射程圏に入ります」

モスターラ一等航海士が、計算して報告する。


それが合図であった。


「よし! 操舵手、面舵一杯!」

「お~もか~じ」

急転換によって、大きく船が右に傾く。


ゴリック艦長は、伝声管に掴まりながら、指示を出す。

「機関室、<魔法障壁>左側面に全力展開!」

「了解。<魔法障壁>左側面に全力展開しました!」

「続けて、機関順回転、最大でぶん回せ!」

「了解! 機関最大、回します!」


グンノ機関長の声が、伝声管から聞こえてきた直後。

ゴリック艦長は、その場で叫んだ。


「全員、つかまれ!」


先ほどの、面舵、つまり右への急転換で、近くの動かないものを掴んでいた乗組員たちは、再び掴みなおした。



船は、加速した。



最大で回された機関。

さらに、右後方からの風となった西風。


その二つが相まって。



帆船において、最高速が出るのは、真後ろからの風ではない。

斜め後ろからの風だ。

なぜなら、真後ろからの風は、主にメインマストの横帆が捉える事になる。

メインマストの帆に遮られて、その前にある、フォアマストの横帆にまでは風は届かないからだ。


だが斜め後ろからの風であれば、メインマストの横帆だけでなく、フォアマストの横帆にも風が当たる。

さらに、ミズンマストの縦帆も風を捉える事ができる。


今、ローンダーク号は、右斜め後ろからの西風を、全ての横帆と縦帆で捉え、さらに機関も最大で動かして、建造以来最高速での航行を実現していた。


海洋国家スージェー王国の船だ。

遅いわけがない。



その船速は、相手の想像を超えた。



もうすぐ、射程に捉えると考えていた、大公国の遠洋強襲艦は混乱した。


射程ギリギリで転換し、しかも信じられない加速。


南東方面に転換されると、遠洋強襲艦としては追えなくなる。

なぜなら、彼らは行く手を阻むために北に向かっていたからだ。

南東に向かう船を追うとなれば、その場で180度回頭せねばならない。

あるいは、緩やかな弧を描いて船を南東に向けて、逃げた船を追うか。


どちらにしろ、船足は遅くなる。


そして、追うべき船は、信じられない加速をして、一気に戦場を離脱しようとしていた。


散発的に魔法砲撃が行われたが、ほとんど届かない。


わずかに届いた砲撃も、<魔法障壁>で弾かれる。



自由港から追っていたマスリジャ型すら振り切られ……ローンダーク号に、水平線の彼方へと逃げられたのであった。




アティンジョ大公国大使館、大使執務室。


「閣下、スージェー王国海軍、ローンダーク号は封鎖を突破して東方海上に進んだとの事です」

「さすが、藩王国と並ぶ海の大国。海上では、太刀打ちできんか」

ヘルブ公は、苦笑しながらそう言った。


いちおう、妨害しろとの命令を出しはしたが、実は、それほど期待してはいなかった。

多島海地域の船乗りたちは、船の扱いが上手い。

そんな中でも、海洋国家として知られるスージェー王国海軍、それも最精鋭と言われる中央海軍の船だ。

捕まえるのは容易でないだろうと考えていた。


そして、その通りになった。


「そう、ゴリック艦長とレナ副長だったな」

ヘルブ公は、園遊会で会った二人の顔と名は当然覚えている。


「さて……彼らは、真実を知った後、どう報告するか……。いや、そもそも生きて帰れるか?」

その呟きは、傍らのズルーマ二等書記官の耳にも届かなかった。


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