0486 招待状
『自由の風亭』に戻ってきた二人。
カウンターでは、別の二人組が部屋の鍵を受け取っていた。
「二人も、今、戻りか」
「アベルさん、リョウさんも。我々は仕事からの戻りだ」
アベルに答えたのは、スーシー料理長。
もう一人のレナ副長も頷いた。
「アベル、これが人としてのあるべき姿です」
「うん、リョウにだけは言われたくない」
一緒に遊び歩いていた涼に言われ、反論するアベル。
確かに、涼にだけは言われたくないだろう。
「お帰りなさいませ、アベル様、リョウ様。お二人に、お手紙が届いております」
カウンターの、上品なお兄さんが、二人に手紙を渡す。
「招待状?」
「スージェー大使館?」
二人の呟きが、呟きにしては大きかったのだろう。
鍵を受け取ってカウンターを離れようとしていた、女性二人組が振り向いた。
レナ副長もスーシー料理長も、訝しげな表情だ。
それを見て、アベルが封を切った。
中に入っている物を、二人が気にしていると思ったからだ。
「園遊会へのご招待?」
「ああ……やっぱり」
アベルの呟きに、スーシー料理長が小さく首を振りながら言う。
レナ副長も顔をしかめている。
「なんだ? これは良くない誘いなのか?」
「そう……正直、厄介かもしれないな」
「なぜ、大使館は、お二人に招待状を出したのでしょう?」
アベルの問いに、スーシー料理長が正直に答え、レナ副長が疑問を呈す。
「その招待を断ったら、やっぱりスージェー王国的にはよくないのですかね?」
涼が問う。
正直、この『招待状』がどれほどの意味を持つものなのか、理解していないからだ。
「面目は失うな」
「お二人をあてにしていた誰かは、悲しむかもしれません」
「二人分の料理が、残るな」
アベル、レナ副長、そしてスーシー料理長が、それぞれの考えで答えた。
最も涼に刺さったのは、当然最後だ。
「りょ、料理が残るのはまずいですね。食品ロスを減らさなければいけません! アベル、ここは罠が仕掛けられていようとも、万難を排して出席するしかありませんね!」
「大使館の料理が食いたいだけだろう……」
涼の答えに、呆れたように答えるアベル。
「今の大使館料理長ロゴ・バギルシュ殿は、肉料理、魚料理、どちらも得意だぞ。料理人としては、機会があるのなら、ぜひ食べて欲しいほど絶品だが……今回は……」
「行きましょう、アベル!」
「……まあ、いいか」
厄介ごとに巻き込まれる可能性があるので、完全にはお勧めできないスーシー料理長であったが、何とかなるだろうと、適当に考えている涼は、アベルを誘った。
アベルも、何とかなるだろうと考えて、それを受け入れた。
結局、二人はいいコンビなのかもしれない。
「え? アベルさんとリョウさんに、招待状を出したんですか?」
「うむ、出したぞ。何か問題があったのか?」
思わず、大きな声になって問うゴリック艦長。
訝しげに問い返すランダッサ大使。
ここは、スージェー王国大使館、大使執務室。
「大公国大使館から、正式に返答があった。園遊会には、新大使ヘルブ公が出席すると。あまりにも強力な戦力だ。もし何かあった時、現在の我が大使館の戦力では足りん。艦長らローンダーク号歴戦の船員たちがいてもだ」
「それは、そうですが……」
「二人は、戦力としてかなり強力だと言ったのは艦長だぞ? 彼らが今自由都市にいてくれるのは、驚くほどの幸運だ。もちろん、只とは言わぬ。お二人は冒険者ということらしいから、相応の報酬は考えている」
「……その事は、本国にはすでにご報告を?」
「ああ、先ほど行った。返信はまだ来ていない」
ゴリック艦長の問いに、ランダッサ大使は大きく頷いて答えた。
大使館とスージェー王国王城との間には、『魔法通信機』というものが置かれている。
ある種の長距離通信であるが、リアルタイムで双方向通信ができるわけではない。
いわば、ファックスや電子メールのようなものだ。
こちらから送り、返信が来るのを待つ。
距離にもよるが、自由都市と王都の距離だと、片道二時間ほどかかる。
返信が届くのは、早くて今夜ということになるだろう。
「正直、それほどの戦力であっても、ヘルブ公を抑える事ができるとは思えんが、我々の助けにはなろうと思うのだ」
「いや、大使館で戦争でもする気ですか……」
ランダッサ大使の言葉に、思わずつっこむゴリック艦長。
「何も起きなければそれでよし。だが、何か起きてしまってからでは間に合わんだろう?」
「だがお二人は客人……」
ゴリック艦長は言いかけて、やめた。
二人が、招待を断ってくれればそれで済む。
あるいは、園遊会に来たとしても、なんとかして混乱に巻き込まれないようにしようと考えたのだ。
園遊会には、ローンダーク号の乗組員たちも、手伝いとしてその場にいる。
彼らなら、ちゃんと行動してくれるだろうと考えて、少しだけ気持ちが楽になった。
すでにこの時、『自由の風亭』では、主に魔法使いの主張によって、園遊会への出席が決められていたのだが……。
翌日。
「さて、アベルの服はどうしましょうかね」
「服?」
「園遊会に着ていく服ですよ。大使館から正式に招かれたのですから、普段着というわけにはいかないでしょう?」
「いや、まあ、そうなんだろうが……」
朝食後、突然の話題に振り回されるアベル。
「スージェー王国の即位式の時は、白い礼装でしたからね。対抗して黒い服にしてみますか?」
「く、黒か?」
「やはりパーティー名に『赤き剣』と付けているだけに、赤にこだわりがありますか? いっそ、赤と黒とか? スタンダールですね……むしろ赤黒の縦じまにして、ロッソネロとか。イタリアの名門チームになりますね」
涼はそう言うと、何か想像してニヤニヤしている。
アベルが、ロッソネロ、つまり赤と黒の縦じまのユニフォームを着て、サッカーをしている光景を想像したのだ。
やはり剣士だからフォワードですかね~とか、ミラノの風を感じますね~とか呟いているが、当然、アベルには意味が分からない。
「スージェー王国での即位式に出た時の白い礼装は貰ってきたから、それでいいんじゃ……」
「いやいや、大陸のアベルファンは、別の服を着たアベルも見たいと思うのですよ」
「なんだ、大陸のアベルファンって……」
「そのまんま、大陸に住んでいるアベルのファンの方々です」
「いねーよ、そんな人」
「これを機に、本格的に増やすのです。剣士アベル、ここにあり! って感じでアピールを」
「必要ない」
涼の提案は、本人によって拒否された。
ナイトレイの王様は、目立つのが好きではないらしい。
その後、午前中はいつもの通りに過ごした二人。
中庭で、アベルは剣を振り、涼は錬金術の本を読みながら、錬金術の実験をしている。
だが、アベルは剣を振りながら気づいていた。
中庭の四隅に、時々、氷の塔が現れたり消えたりしていることに。
もちろん、涼がやっているのだろう。
それは分かる。
だが、涼は、錬金術の本を読み、錬金術の実験を繰り返している。
「まさか、錬金術の実験をしながら、水属性魔法も……?」
アベルは、魔法が使えない。
そのため、魔法の細かな行使の部分は、知識でしか知らない。
その知識によれば、錬金術と魔法の同時行使など不可能だ。
確かに、『融合魔法』というものがある事は知っている。
友人であるケネスが発表したものだ。
錬金術と魔法の融合だが……。
あれは、Aという人物が錬金術、Bという人物が魔法、その二つの効果を融合する……つまり複数人でやることが前提だ。
一人の人物が、錬金術と魔法を同時にというものではない。
錬金術は、実験にしろ錬金道具の製作にしろ、魔力を注ぎながら行われる。
そんな事を行いながら、属性魔法を行使するのは……剣を振りながら矢を放つようなもの。
同時に成立しえない行動。
だが……。
「ふぅ」
涼は、目の前の実験が、満足いく結果を出せたのか、そんな吐息を吐いて、首を左右に傾けている。
肩が凝った時にやる動きだ。
「なあ、リョウ」
「なんですか、アベル」
「今、錬金術の実験をしていたよな」
「ええ、なんとかうまくいきましたよ」
涼はそう言うと、にっこり微笑んだ。
「もしかして、同時に、氷の塔も作っていたか?」
「よく気づきましたね! 人と同じ高さだったからですかね。さすがに、錬金術を行使しながらだと、極小の塔はまだ建てられないですね。もっと練習しなければ」
アベルの問いに、頷いて答える涼。
まだまだ、納得いかないようだ。
「うん、その二つを同時にやるとか、不可能だと認識していたのだが……」
「アベル、やってやれないことはないのです。剣士だって、右手と左手で剣を振る人もいるじゃないですか」
「そのたとえは、合っていないと思う……」
「そ、そうですか? えっと……右手に槍、左手に剣を持って戦う人もいるじゃないですか」
「……意味ないだろ、それ」
「意志あれば道通ずなのです」
「そうか……」
涼が自信満々に言い、アベルは全く納得できなかったが、受け入れることにした。
現実に、目の前で、錬金術と水属性魔法の同時行使を見てしまったから……。
そして、午後三時。
園遊会に出席する服に着替えた二人は、『自由の風亭』のロビーに降りてきた。
スージェー王国大使館までの馬車が迎えに来るのだが、同乗者がいる。
「レナ副長、お待たせしました」
「いえ、私も、今来たばかりですので」
涼が言い、レナ副長が答えた。
そして、アベルを見て、さらに言葉を続けた。
「アベルさんの服は、即位式の時の。やはり、似合っておいでですね」
「いや、そうか?」
少しだけ照れるアベル。
涼が、いつものローブであることは言うまでもない。
ちなみに、レナ副長もスージェー王国海軍の礼装だ。
王国海軍の代表として、レナ副長とゴリック艦長が出席するのだ。
他の乗組員たちは、園遊会を手伝う側らしい。
「スーシー料理長は、先に大使館に行っているのですよね」
「はい。仕込みの手伝いがあるとかで。私が、お二人のエスコートをさせていただきます」
レナ副長はそう言うと、綺麗に一礼した。
凛としたたたずまいで、海軍礼装を着こなしたレナ副長の礼は、美しいものであった。
涼が嬉しそうに、うんうん頷いている。
アベルも、ほぉ、とか呟いている。
いつの時代、どんな場所においても、きちんとした礼は、その人への評価を高める。
それは、教養の一部でもある。
教養とは、決して知識だけではない。
立ち居振る舞い全てを含むのだ。
三人は馬車に乗り込むと、外交島にあるスージェー王国大使館に向かった。
「今回、お二人に招待状が出された経緯が分かりました」
馬車が走り始めると、レナ副長が、そう切り出した。
「アティンジョ大公国の新大使として、ヘルブ公が赴任され、今回の園遊会にも早速出席されるからのようです」
「なぜ、俺たちが?」
「ヘルブ公とか言う人は、アベルの知り合いでも仇敵でもないですよね?」
「……聞いたことある名だがな」
「アベル、そこは、『知らない人ですね』というフレーズの方がいい……あれ? 聞いたことあるんですか?」
「リョウも聞いただろうが。ほら、広場に面した茶屋で」
「ああ、そういえば!」
そう、二人は、『自由都市政府のお偉いさん』とかいう人たちの会話を、聞いてしまったのだ。
その中に、出てきた新大使の名前が、ヘルブ公だった。
涼とアベルが会話をし始め、レナ副長が戸惑っている。
「ああ、すまん。ヘルブ公の件は知っている。強力な呪法使いということもな。そうか、それへの対抗策として、俺たちを呼んだのか」
「はい。ランダッサ大使の独断ですが……」
レナ副長は、目の前の二人が、女王イリアジャの客人、というより賓客である事を知っている。
そのため、今回のようなことに巻き込むべきではないとも思っている。
だが……。
「まあ、大丈夫ですよ。呪法使いだろうが、じゅじゅじゅじゅだろうが、一ひねりにしてくれます。アベルが!」
「おい……。そもそも喧嘩しに行くわけじゃないぞ」
「もちろんです。美味しいお料理を食べに……ハッ、しまった。アベルの罠にかかって、心に秘めていた本当の気持ちを言ってしまいました……」
「元からバレバレだ」
レナ副長の懸念など、目の前の二人には関係ないようだ。
二人の会話を聞いて、レナ副長の心にあった申し訳なさは消えていった。
「でも、良かったですねアベル。その服、似合ってて」
「リョウはいつものローブのままだが、いいのか?」
「これは、師匠がくれたものです。どんな礼服よりも園遊会にふさわしいのです」
「そうか?」
胡乱げな目で見るアベル。
「どうせ、他の服を着るのがめんどくさいだけだろう?」
「な、何を言っているのですかね。そうだ、アベルもその服なら、伯爵は無理でも、子爵とかには見えるに違いありませんから、粗略に扱われることないでしょうね」
「なんて強引な話題転換だ……」
涼の転換を、呆れたような表情で見るアベル。
だが、正面に座るレナ副長の怪訝な表情が気になった。
「レナ副長、どうした? リョウのこのローブではダメか?」
アベルのその言葉に、驚き、悲しそうな表情でレナを見る涼。
「あ、いえ、もちろん問題ありません」
レナの答えを聞いて、再び涼の顔に笑顔が戻った。
「その……先ほど会話に出てきた『子爵』という言葉が、気になったもので」
「ああ、なるほど」
レナ副長の言葉に、アベルが頷く。
もちろん涼は、何がなるほどなのか、全く分かっていない。
「何が、なるほどなんですか? いや、というか、レナ副長は子爵を知らない?」
「はい。寡聞にして知りません」
「なんですと……」
レナ副長の答えに、驚く涼。
隣を見ると、アベルは驚いていない。
「何で、アベルは驚いていないんですか!」
「基礎知識の差だな」
「くっ……アベルに馬鹿にされた……」
アベルが余裕の表情で答え、涼が悔しそうに泣きまねをする。
だが、そこで、何かを思いついたようだ。
「レナさん、もしかして、『子爵』というものが無い?」
「はい……ありません」
「なるほど!」
涼は大きく頷くと、アベルの方を見た。
だが、アベルは口をへの字にしている。
「え? それだけじゃ足りない? じゃあ……もしかして、『男爵』という地位もない?」
「はい、ありません」
「なるほど!!」
涼は再び大きく頷くと、アベルの方を見た。
だが、アベルは未だに口をへの字にしたままだ。
「公爵は……?」
「公爵は……確か古い敬称ですね。今は、先ほどのヘルブ公のように、『公』だけです。もちろん、公爵でも間違いではありません。そして、公の敬称が付くのは、ほとんどの場合、王族だけです」
「なるほど……。侯爵は……?」
「侯爵は、聞いたことありません……ん? 古い本の中ではあったかもしれませんが……すいません、私は知りません」
レナ副長が、申し訳なさそうに答える。
「もしや伯爵は……古い敬称で、今は伯だけとか?」
「はい、おっしゃる通りです」
「なるほど……」
涼は、得た知識を頭の中で反芻している。
いろいろと、中央諸国とは違うようだ。
「中央諸国では、王族、貴族と平民とに分かれるが、東方諸国ではそうではないということだ」
アベルが、補足説明を始めた。
「東方諸国には、貴族階級と呼ばれるほどには、我々が認識している貴族はいない。公は王族だけだったが、伯が貴族にはあたるが……そう多くはないはずだ。中央諸国で言ったら、大貴族……だいたい侯爵以上が伯にあたると考えればいい」
「なるほど」
「多島海地域には、伯すらいなかったよな」
「はい、おりません」
最後の問いは、アベルがレナ副長の方を向いて問うた。
レナ副長は頷いて答える。
「かの護国卿カブイ・ソマルの爵位とか、リョウは聞いたことないだろう?」
「ああ、そういえば確かに。なるほど、そういうことだったのですね」
涼は思い出し、考えながら口を開いた。
「平等な世界なのですね」
「ああ……どうだろうな。大陸も、もっと北の方に行けば、『シタイフソウ』とかいう、中央諸国での貴族階級にあたる階級があるらしいからな」
「結局、世界はどこへ行っても身分社会なのでした……」
アベルの説明を受けて、涼は小さくため息を吐く。
ちなみに、そんな事を言っている涼は、筆頭公爵だ。
「その方が国の統治をするのに便利だからな」
アベルは肩をすくめて答えた。
ちなみに、そんな事を言っているアベルは、国王陛下だ。
「でもアベル、よくそんなこと知っていますね」
「ああ、昔な」
成人になる前、まだ王城にいた時に学んだのだ。
「くっ……これが情報格差。格差社会反対!」
「何を言っているんだか」
そんな事を言っているうちに、三人が乗る馬車は、スージェー王国大使館に到着したのだった。




