0483 心を折る
「アベル、馬鹿な行動も、二度までなら笑い話ですみますが、三度もやるのは愚か者なのです」
「リョウ、二度やるだけでも十分愚か者だ」
ここは、広場に面したお茶屋さん。
涼とアベルは、満腹二人組となって、一昨日、昨日に引き続いて三日連続で休んでいる。
そう、またも食べ過ぎたのだ。
「『嬉食庵』を避けて、別のお店に行ったのに……」
「『食べ倒れの店』とか書いてあったか。見事に、二人とも食べ倒れているな」
「この自由都市、美味しいお店がいっぱいありすぎるのでは」
「かと言って、不味いものを食べて満腹にならないようにするのも……」
「ええ、そうですね。それは何か違いますよね」
アベルも涼も、仕方ないと諦めた。
二人は、昨日と同じ席で、外をぼんやり眺めながら、緑茶を飲み、食べ物が消化されるのを待っている。
しばらくすると、再び、隣の隣の席に、昨日と同じ三人組がやってきた。
港湾省副大臣付き補佐官、ロンファン。
港湾省大臣付き補佐官、ゾー。
外務省大臣付き補佐官、ジューズ。
今日は、もう一人、女性が加わっている。
「知っているかもしれんが、俺らと同期、内務省副大臣付き補佐官のラーサだ」
ゾーが紹介し、それぞれが軽く自己紹介をしあう。
「ラーサというと、それこそ昨日話した図上訓練、あれの原案を作ったのが……」
「ええ、私です。初年度研修の中で作りました」
「凄いね」
ロンファンが思い出したように言い、ラーサが少し微笑みながら答え、ジューズが称賛した。
入省初年度に作ったものが、国の防衛中枢で評価されて、その一部になっているというのはかなり稀な例だ。
「昨日、ゾーから話を聞いて、いろいろと驚いたわ。港湾大臣、外務大臣、財務大臣……全員が酷い頭痛って。そして……」
「まさか……」
「そう、内務大臣もよ」
ラーサの言葉に、三人は驚きつつ、やはりかと思う部分もあった。
「間違いないな。何らかの工作だ」
「だな。薬か、魔法か……」
「呪法の可能性もあるか」
ロンファンも、ジューズも、そしてゾーもただの偶然とも、病気が流行っているとも考えなかった。
これだけ、ピンポイントで『酷い頭痛』というのであれば、何らかの理由があって、狙われていると考えるべきだ。
「昨日、話を聞いてから、内務大臣付きの人たちからいろいろ聞いてみたのだけど、酷い頭痛と共に、ぼんやりしていることが多く、思考にもキレがないと言っていたわ」
「思考にキレがない? 内務大臣と言えば、切れ者で知られているだろ?」
「そう言われてみれば……うちの港湾大臣も、反応が鈍くなっている気がするな。まあ、正直、もともとそれほど切れ者ではなかったが、今よりはましだった気がする」
「うん、うちの外務大臣もそうかも。元々、頭を抱えていることが多いから、あれだけど……」
ラーサの言葉に、ロンファン、ゾー、ジューズが思うところを述べた。
少なくとも、以前までと少し違うらしい。
「大臣だけ、だよな? 副大臣はいつも通り?」
「うちはいつも通り」
「うちもいつも通り」
港湾のロンファン、内務のラーサが頷きながら答えた。
憂慮すべき状況に陥っているのは、大臣だけらしい。
「それが、どこまで広がっているか、確認したいね」
「他の大臣、あるいは首相も」
「そう、それと海軍提督や守備隊長」
その時。
「<アイスウォール20層>」
カキン。カカカカカカ……。
四人の上方に張られた、半透明の屋根。
そこに、見えない何かが連続で当たる音。
よく見ると、天井付近に一枚の呪符が浮いており、そこから、見えにくいエアスラッシュのような攻撃が四人に向けて放たれている。
いつの間にか、四人の上に現れた呪符からの攻撃。
さらにいつの間にか、四人を守るように張られた半透明の覆い。
「に、逃げろ!」
ゾーが叫ぶ。
三人と共に、店の中にいた他の客も、走って、外に逃げ出した。
逃げ出した人たちの中に、剣士と魔法使いが混じっていたことは内緒だ。
「思わず防いでしまいました」
なんとか、広場に出て、ベンチに座る涼。
「いや、良かったんじゃないか? すぐそばで、頑張っている人たちが死ぬのは見たくないしな」
息も絶え絶えに、涼の隣に座るアベル。
そう、二人とも、まだお腹いっぱいなのだ。
「呪符が、ふわりと入ってきたのが見えて。まさかと思ったら案の定……」
「スージェー王国の、王太子妃の部屋とか即位式でもあったよな。あれは、石礫だったが」
「ええ、今回はエアスラッシュみたいなのですかね。風属性魔法の系統? あの、呪符を飛ばしての上方からの奇襲攻撃は、呪法使いの得意技なんですかね」
「そうかもしれんな。どうしても人間は、上方は死角になるからな。特に奇襲なら、有効な攻撃手段だろう」
涼もアベルも、これまで多数の戦闘を経験してきているため、この手の分析は苦手ではない。
だが、分からない部分も多い。
「あの四人を殺そうとしたのだろうが、なぜあの場で決行したんだろうな」
「ホントですよ。もっと人気のない場所でやればいいのに。おかげで防がれちゃいましたよ」
「……防いだ本人が言うのも、なんか違和感を感じるが」
「義を見てせざるは勇無きなり、と言います。目の前でいじめを見たら、止めなければいけないのです!」
「お、おう……」
アベルは、何か少し違う気もしたが、涼は間違ったことは言っていないため、同意した。
そして、思い出したことを問う。
「そういえばリョウ、即位式の時、呪符から延びた魔力線とかで、相手の位置を見つけてただろ?」
「ええ。今回のはどうだったのかですね? 残念ながら、探れませんでした。あれって、けっこう時間がかかるんですよね。もっと修行して、一瞬で相手の魔力線を探り出せるようになれば、いろいろと変わりそうですよね。努力します!」
「そうか……まあ、無理しない程度にな」
なぜか、アベルの問いかけが涼のやる気に火をつけたらしく、やってやりますから! とか言っている……。
火をつけたアベルは、ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしているのが、非対称性というやつなのだろうか。
広場のベンチに座る二人の元に、市民の声が聞こえてきた。
「襲われたのは、政府の偉い人らしいぞ」
「呪符の攻撃って……」
「え? じゃあ、呪法使い? まさか……」
「どう考えてもそうだろ! 暗殺、呪法っていやあ、あの国のやり口じゃねえか」
「アティンジョ大公国……」
市民が、口々に話している。
「さっきのすら、示威行為だったんですかね」
「そうだろう。あまりにも、情報の回りが早すぎる」
涼が問い、アベルが答える。
二人の見解は、一致しているようだ。
「一目で軍人さんと分かる人たち、いましたもんね。アティンジョ大公国は、自由都市政府の偉い人間を、街中で攻撃する力をすでに持っていて、自由都市政府は防ぐ事ができない……その事を広めている……」
「それは……」
「ええ。市民の心を折りにきているのです」
「心を折る……」
涼が断言し、アベルが小さく首を振る。
人の強さの根源、それは心だ。
剣士であり、王であり、数々の強敵と対峙してきたアベルは知っている。
心が折れない限り、何度でも立ち上がれると。
だが、心が折れれば……。
「一般的に言うと、相手の重要都市の占領は、誰にも知られないうちに全ての準備を整えて、一気に占拠した方が成功率は高いです」
涼が説明を始めた。
「例えば、うちの王都のようにだな」
アベルは、かつて、王弟と北部貴族、帝国軍によって一夜のうちに占拠された王都クリスタルパレスを思い出して言う。
「ええ、まさに。ですが、この方法をとると、後から市民や、元守備隊、みたいな人たちの反乱が必ず起きます。抵抗運動というやつです」
突然、自分たちの住む街が敵国に占領されれば当然だろう。
「ザックやスコッティー、あるいは『ワルキューレ』や『明けの明星』たちが反乱者になって抵抗した……」
アベルは頷きながら答える。
「そうです。占領した側は、そんな抵抗運動を何度も何度も叩き潰して、力があるところを見せねばなりません。一度でも失敗すれば、ひっくり返される可能性があります。なぜなら、市民の人口は、占領している者たちよりも多いからです。彼らが一斉に蜂起したら、勝てません」
「ああ、分かる」
「だから、今回のアティンジョ大公国は、最初に力があるところを見せつけているのです。お前たちの政府があっても、これだけの力が振るえるんだぞと。市民が、もう無理だ、抵抗できない、諦めようと思うように。心から占領し始めている、と言っていいのかもしれません」
「市民の心を折って、そもそも抵抗運動を起こす気もなくした状態で占領しようというわけか。えげつないな」
涼が説明し、アベルも納得する。
占領した後で力を見せつけるか、占領する前に力を見せつけるかの違いだが。
どちらが効果的かは、言うまでもない。
「ただ、先に見せつけると、実際の占領が難しくなります。どんな政府、国だって、敵国による占領は防ごうとしますからね。より防備を固めますよね」
「それをされても大丈夫、あるいはされない自信がある? そんな準備を整えているということか……?」
「まあ、そう考えるのが自然でしょう。具体的にどんな方法かは、今の僕らには分かりませんけど」
涼は顔をしかめながら答えた。
自分の故郷ではなく、第二の故郷でもない国ではあるが、目の前で占領されるのを見るのは、あまりいい気持ちになれないのは確かだ。
とはいえ、歴史学の道に進んだ涼は知っている。
国家は、必ず滅亡すると。
それを防ぐ、あるいは寿命を延ばすことができるのは、国民一人一人の行動によってしかない。
「世界は優しくないのです……」