0481 新大使赴任
翌早朝。
自由都市クベバサの一日は、穏やかに平和のうちに明けた。
だが、穏やかだったのも午前十時まで。
騒ぎは、自由港から広がっていく。
「何だ、あれは?」
「……船、か?」
「船だな。近づいてきている」
「いや、待て待て。かなりの距離だが、それでこれほどの広がりって……」
「水平線いっぱいに……」
水平線の彼方から近づいてくる船団の噂は、瞬く間に広がった。
もちろん、人によっては港湾管理に駆けこんだりもしたのだが……。
「アティンジョ大公国の船だ。申請が出ている」
そんな、お役所返答が返ってきた。
役人は、水平線全てに広がる船団、大艦隊がどれほどの圧力をもって迫ってくるのか想像などできなかった。
だから、市民がなぜこれほど混乱しているのか理解できない。
「外に出て、水平線を見ろ!」
そういう市民に、半ば引っ張られる形で外に出て、その光景を見た。
そして理解した。
大艦隊の威容を。
圧倒的な迫力を。
絶望感を抱かせる……。
「なんだ、あれは……」
役人の口から、思わず漏れた言葉。
水平線を埋め尽くす大艦隊。
しかも、自国の艦隊ではないのだ。
強力な、隣国の艦隊……。
それが、これほどの絶望感を抱かせるとは。
「本当に……大丈夫なんだよな?」
そう問うたのは、役人を連れだした市民。
「分からん……」
「分からんじゃないだろう」
「知らん! 偉い人間に聞け!」
市民も役人も、等しく思ったのだ。
あんなのがやってきて……この自由都市は大丈夫なのかと。
「凄いですね、水平線を埋め尽くす船団。なかなか見られない光景です」
「確かにな」
役人や市民に比べれば、絶望感など欠片もない魔法使いと剣士の会話。
その理由は、自国か他国かの違いなのだろう。
「我がナイトレイ王国にも、大艦隊が必要です!」
「いらんだろう。これは、相手を威圧するためだろう?」
「砲艦外交というやつです」
「うちの国は、大艦隊で威圧する相手はいない」
「残念です……」
ナイトレイ王国最大の仮想敵国は、デブヒ帝国だ。
だが、その帝国は海を持たない、完全内陸国。
大艦隊を作り上げても威圧できない。
もっとも、強大国に対しては、威圧は逆効果になる場合が多い……。
だが、そこで、涼は何かを思いついたようだ。
「いい事を思いつきました!」
「期待していないが、何だ?」
「ゴールデン・ハインドを建造しましょう!」
「は?」
ゴールデン・ハインド号は、ナイトレイ王国が誇る空中戦艦で、強力無比な主砲『ヴェイドラ』を積んでいる。
だが、先だっての魔人大戦において、魔人ガーウィンに沈められた……。
それを、再建造?
沈められはしたが、修理すれば再使用は可能なはずだが。
「ゴールデン・ハインドを二百隻建造するのです! 風の魔石が必要なら、ロンド公爵領から提供する用意があります!」
「それは……あの山で、乱獲するという事だな……」
「偉い人は、細かい事まで聞かない方がいいのです。ただ頷けば!」
涼が、なぜか悪い顔になって悪ぶった事を言っている。
「まあ、どちらにしろ許可はできない」
「なぜ!」
「風の魔石以外にも、金がかかりすぎる」
「……そうなのです?」
「量産化した場合でも、一隻あたり一兆フロリンかかるそうだ」
「い、一兆フロリン……。飽食亭のカレーが、一杯千フロリンなので、それが……十億食分? 確かに無理かも……」
「なんでカァリーでたとえたのか分からんが。まあ、あれは高価すぎる船だ」
涼のたとえに呆れるアベル。
だが、涼はあることに気付いた。
「量産化した場合の試算をアベルが知っているという事は、ゴールデン・ハインド大艦隊計画を立てた人がいるってことですね、僕より先に!」
そう、量産化した場合における一隻の建造費用が分かっているという事は、算出を指示したからだ。
算出の指示を出したのはアベルだろうが、大艦隊のアイデアは……。
「ま、まあ……どれくらいになるか、ちょっと気になっただけだ……」
「アベルが計画したのですか!」
驚く涼。
それはそうだ。
空中戦艦の大艦隊計画など、涼ならともかく、アベルが言い出していたとは……。
「戦わずして勝てるのなら……屈服させることができるのなら、それに越したことはない。それだけの戦力があれば、攻めてこようなどとも考えないだろう?」
「自らの安全を自らの力によって守る意志を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない……」
「ん? それはあれか? 例の『孫子』とか言うやつか?」
「惜しいです。これはマキャベッリです」
「そっちか」
涼がよく引用する孫子やマキャベッリは、アベルも慣れてきたらしい。
国王陛下なら、知っておいて損はないだろう。
二人が話していると、後ろから、最近聞きなれた声が聞こえてきた。
「これは、とんでもないな」
「大公国が、自由都市を併合する可能性については、中央海軍でも検討されたことがあるが……これは本気かもしれません」
涼が振り返ると、知り合いがいた。
「スーシーさんにレナさん。お二人も見に来たんですか?」
ローンダーク号の、スーシー料理長とレナ副長だ。
二人とも、涼やアベルと同じ『自由の風亭』に泊まっている。
「お昼をどこかで食べようと外に出たら、市民が騒いでたんだ」
「この光景を見れば、騒ぐのは仕方ないでしょう。艦長たちも、いろいろと大変になるかもしれませんね」
スーシー料理長もレナ副長も、肩をすくめている。
ゴリック艦長ら、ローンダーク号の半数の乗組員は、大使館の方に泊まっており、いろいろと働いているらしい。
それに比べれば、『自由の風亭』組は、楽なようだ。
「そういえば、昨日、見かけたな」
「そうそう。広場のお茶屋さんにいたら、ゴリック艦長と、ナンさん、ニンさんが入ってきてましたね。いろいろ、動いているみたいです」
「こういう光景を見ると、この自由都市もきな臭くなってきたって思うよね」
「いずれは、我々も命令を受けることになるのかもしれません」
アベルと涼が、艦長らを見かけたことを言い、スーシーとレナが自由都市の未来を思って言った。
その後、スーシー料理長とレナ副長の女性コンビと別れた、涼とアベル。
「知っていますかアベル。その剣士のいく先々では、必ず事件が起こり犠牲者が出るらしいです。人呼んで、災厄の剣士アベル」
「自由都市での最初の犠牲者は、どこかの水属性の魔法使いかもしれんな」
「くっ……何という返し……。アベルが腕を上げています」
「自ら罠にはまった気分になるのは、なぜだ……」
コンビというのは、いろいろと難しいものだ。
港湾省、副大臣執務室。
「アティンジョ大公国の旗艦フランゼが入港しました」
ロンファン補佐官からの報告を受ける、ミシタ副大臣。無言のまま、一つ頷いた。
ミシタ副大臣は、少しだけ考えた後、問いかける。
「新大使は、イエバ家のロカク殿であったな?」
そもそも今回の入港は、新しいアティンジョ大公国駐クベバサ大使赴任のためだ。
どう考えても、二百隻の随行艦は必要ないが……。
「いえ、それが……」
答えを言いよどむロンファン。
ミシタ副大臣は、訝しげに見る。
「新大使としてみえられたのは、ヘルブ公だそうです」
「なんだと!」
ロンファン補佐官の報告に驚くミシタ副大臣。
「ヘルブ公というのは、あのヘルブ公か?」
「あの、とは?」
ミシタ副大臣の慌てふためいての質問に、どう答えればいいか迷うロンファン。
「いや、すまん。他にいないな」
一度ため息をつくミシタ副大臣。
「ヘルブ公だと……? 大公の弟だぞ? しかも、南方呪法使い教会を統括する十師の一人……。いったいどうなっているんだ」
その、呟きと言うには大きすぎる言葉は、当然ロンファン補佐官にも聞こえたが、口は開かなかった。
それも仕方あるまい。
答えようのない問いだから。
ミシタ副大臣は、港湾省の副大臣だ。
おそらく、外務省などには、事前に新大使の変更は伝えられていたのだろうが、港湾省には、その連絡は来ていない。
入港と同時に知らされただけ……。
アティンジョ大公国は、その名の通り、国主はアティンジョ大公だ。
その大公の、十五歳年下の弟が、ヘルブ公。歳の離れた兄弟。
ヘルブ公は、大公の同母弟であるだけでなく、呪法使いとしても優秀であることが知られている。
伝統的に、アティンジョ大公国は、優秀な魔法使いや呪法使いを輩出してきた。
その中でも、ヘルブ公の存在は傑出しており、彼がいるだけで他国は手を出せないとまで言われるほどだ。
そんな大物。
そもそも、大使として他国に赴任するなど考えられない。
ミシタ副大臣でなくとも、「いったいどうなっているんだ」と問うのは仕方ない事であったろう。
「いったいどうなっているんだ」
ゴリック艦長は、何も答えない。
彼が問われたわけではない事は分かっているから。
そもそも、問われたとしても答えようがない。
ここは、スージェー王国大使館。
少なくとも、ゴリック艦長の目の前に座る、スージェー王国大使ランダッサが、苦悩に満ちた表情であるのは理解できた。
想定外の大物が、赴任してきたのだから。
「ヘルブ公……」
ランダッサ大使の口から、絞り出すように出た単語。
ゴリック艦長は、スージェー王国中央海軍所属の艦長だ。
いちおうの訓練は受けているが、諜報活動が専門ではないし、外国に赴任した事もない。
だがそんな彼でも、『ヘルブ公』の名前は知っている。
アティンジョ大公の弟の一人。ただ一人の同母弟。
大陸南部で隠然たる力を持つ『南方呪法使い教会』の、十人の指導者の一人。
年齢は、二十八歳。
まだ二十代であるにもかかわらず、これほど知られているというだけでも、その実力は推して知るべし。
ヘルブ公の名を絞り出してから、たっぷり一分以上、ランダッサ大使は無言のままだった。
だが、ついに口を開く。
「六日後の園遊会……。ヘルブ公にも、招待状を持っていかねばならん」
「私が持っていきましょうか?」
「いや、正式……とまではいかんが、大使館から通常の外交ルートで届ける。断ってくれればいいが、もし来るとなったら……」
ランダッサ大使は、深いため息をつく。
相手は、いちおう同格の大使とはいえ、そもそもが『大公弟』だ。
王族の中でも、かなり上位。
実力、知名度を合わせて考えれば、国主である大公に次ぐ地位とすら言える。
本来、そんな人物が大使として赴任することなどあり得ないし、聞いたこともない。
いったい、どう対応すればいいのか分からず、途方に暮れているのだ。
もちろん、この園遊会には目的がある。
そのために開かれるのだが……ヘルブ公が現れるのは、完全に想定外であった。
ランダッサ大使は、何度目かの深いため息をつく。
ゴリック艦長は、何も言えず、退出することもできず……心の中で、ため息をつくのだった。




