0479 おなかいっぱい
「いやあ、昨日の最後の晩餐、すごく美味しかったですね!」
「わざわざ、最後の晩餐と言う意味が分からんが……まあ、美味かったのは確かだ」
涼もアベルも称賛した、ローンダーク号での夕食。
スーシー料理長ら、ローンダーク号料理人たちの、腕によりをかけた夕食は、かなりハイレベルなものだった。
上陸前の最後の夕食という事で、酒すらもふるまわれ、飲めや歌えの楽しい食事が提供された。
「乗組員の人たち、半分は、同じ宿らしいです」
「そう言ってたな。船長ら幹部を中心に半分が外交島とか。外交島って大使館がある所だろ。上陸してからも、いろいろ仕事があるみたいだな」
「スパイ……諜報活動ですよ、きっと。ハインライン侯みたいな。ああ、そういえば、カブイ・ソマルさんとか、どことなくハインライン侯に似てますね」
「言われてみればそうかもな。どちらも、諜報や謀略は苦手ではなさそうだな」
涼の言葉に、アベルも頷いて同意した。
アベルはその方面は得意ではないが、国を維持していくうえで、情報収集が必要であることは理解している。
「諜報とは汚い仕事である。だからこそ、紳士にしかできない」
涼が重々しく語る。
「なんだ、それは?」
「昔、有名な諜報員が言った言葉です。アベルには……難しそうですね」
わざとらしく、アベルを頭の上から足の先まで見た後で言う。
「確かに俺には無理かもしれんが、リョウはもっと無理だな」
「失敬な! 僕はどこからどう見ても紳士ですよ」
「紳士は、自分の事を紳士だなんて言わんだろう?」
「くっ……諜報員はアベルの罠にはまりました……」
二人がそんな事を話している間に、ローンダーク号はクベバサ自由港に入港した。
自由都市クベバサへの入国手続きは、簡素なものであった。
クベバサの港湾管理の人間が船に乗り込んできて、名簿の名前と乗組員を一人ひとり突き合せる。
もちろん、写真や特殊な身分証明などがあるわけではないため、嘘をついてもばれなさそうである。
涼もアベルも、乗組員の一人として入国申請され、問題なく入国審査を通過した。
「こんな危険な剣士が、何の問題もなく入国してしまう。破壊工作者が、簡単に国内に入れてしまうわけです……」
「おい、危険な魔法使い、何か言ったか?」
涼が水際対策の難しさを嘆き、アベルが抗議する。
そんなことを言い合っていた二人であるが、上陸の際にはおすまし顔であったことは言うまでもない。
いかにも、人畜無害な剣士と魔法使いという態で。
ただ、涼の後ろを、小さめではあるが氷の荷車がついてきていたため、港湾管理の人が二度見をしたのは仕方なかったであろう。
いつもの<台車>の魔法だ。
今回のは、屈折の加減を変えて、中身は全く見えなくなっているが。
ちなみに入っているのは、涼とアベルのお金……。
スージェー王国が両替してくれた、自由都市クベバサのデナリ通貨。
「お二人に用意された宿は『自由の風亭』という名前です。うちの乗組員の半数もそちらに泊まります。そちらの幹部は、副長のレナです。我々は外交島の方ですので、連絡など取りたくなりましたら、レナの方に言ってください」
ゴリック艦長はそう言うと、外交島への馬車に乗り込んでいった。
涼とアベルは、レナ副長やスーシー料理長ら五十人の乗組員と共に、歩きで宿を目指す。
「アベル、お宿の名前は、自由の風らしいですよ」
「そういえば、昨日、涼が言っていたか? 自由の風が吹いているとか、どうとか」
「よく覚えていましたね! やはりこの街には、自由の風が吹いているのですよ」
「うん、やっぱり意味が分からんがな」
現代地球における自由主義の歴史を学んでいないアベルには、通じていないようだ。
涼は、自由主義の歴史とその意義について、五時間ほど講義しようかと考えたがやめた。
なんといっても、アベルは国王陛下だ。
アベルは、自由主義が超越しようとした絶対君主制や王権神授説を体現する存在……そのものに対して自由主義の説明は無意味な気がしたので。
「美味しいものを食べる自由、選ぶ自由がここにはあるということです」
「それなら分かりやすいな。全面的に賛同するぞ」
腹ペコ剣士アベルは、嬉しそうに頷いた。
どんな主義主張を持っていようが、美味しいということは、その全てを超越するのだ!
平和が欲しいのなら、美味しいものを食べさせればいいのだ!
二人と五十人が泊る宿『自由の風亭』は、自由港にほど近い場所にあった。
「五十人が泊まると言っていたから大きいだろうとは思っていたが……」
「木造二階建てですが、すっごく広いですね」
正面道路に面した部分だけでも、百メートルはあるのではないかと思えるほどの大きさだ。
「スージェー王国の資本が入っていると聞いたことがあります」
「何代か前の国王陛下の妹さんね。ここを含めて、大陸のいろんなところに投資したらしいぞ」
二人が驚いているのを見て、レナ副長とスーシー料理長が、後ろから説明した。
「クラウン・エステート……」
涼の呟きは、誰にも聞こえなかった。
『自由の風亭』は、エントランスも非常に素晴らしく、豪華でありながらエレガントでもあった。
その絶妙なバランスは、宿の従業員たちの完璧な所作によって完成している。
「西方諸国……マファルダ共和国でも素晴らしいお宿に泊まりましたが、ここも、そこに負けず劣らず素晴らしそうです」
涼が思い浮かべたのは、『ドージェ・ピエトロ』だ。
あそこも、ハードもソフトも完璧であったが、ここも素晴らしそうだ。
従業員たちの動きだけでそれが分かる。
入ってきたローンダーク号の乗組員たちに、全くストレスをかけることなく全ての手続きが進んでいく。
五十人全員にだ!
いや、涼とアベルを入れて五十二人だが、そんな差など誤差だと思わせてくれる……。
「ここの接客は、いつも凄いんだ」
スーシー料理長が言う。
「スーシーさんは、よくここを使っていらっしゃるのですか?」
涼が問うた。
ここのお宿はかなり高そうだ。
今回のような、『国のお仕事』や、涼やアベルのような『国の客人』などでなければ、なかなか利用できないお値段な気がするのだが……。
「小さい頃、両親がここの大使館の料理長をしていてな。何度か、この宿にも連れてきてもらったんだ」
「ほっほぉ~」
「ここの料理は凄いぞ。二人の食事代も王国が払ってくれるそうだから、好きなものを頼むといい」
「おぉ! それは楽しみです」
スーシー料理長は懐かしそうに嬉しそうに言い、涼は花が咲くような笑みを浮かべて喜んだ。
美味しいは正義!
涼とアベルは、割り当てられた部屋に入った。
その部屋も、いわゆるスイートルームのように、リビングと寝室が別れている。
現在、まだお昼前。
「他の人たちは会議だそうです」
「まあ、仕事だな。俺たちは無いが……」
「仕事もしないで遊んでいられるなんて、アベルはいい身分ですね!」
「そっくりそのまま返してやるよ」
涼もアベルもいい身分らしい……。
「大陸を北上する船を探すために、俺たちはこの自由都市に入った」
「ええ、その通りです。スージェー王国の大使館とかも探してはくれるらしいですけど、本来のお仕事も忙しいでしょうから、少しは僕らで動いてみた方がいいでしょう。活動資金はありますしね」
涼はそう言うと、部屋の隅に置いてある氷の塊に目をやった。
外からは見えなくなっているが、中にはデナリ通貨が入っている。
これなら、二人がいない間に盗人が入ったとしても、大丈夫だ。
なにせ、氷の塊の表面には<動的水蒸気機雷Ⅱ>が発動しており、触ると凍りついてしまうから。
もちろん、氷の表面には『触っちゃダメ』と書いてあるので、宿の従業員は触らないはずだ……。
「それは……俺が金を取り出そうと思ったら、どうすればいいんだ?」
アベルが当然の質問をする。
「アベル、塊の前に行って、手を差し出してください」
「手を差し出す?」
涼に言われた通りに、氷の塊の前に行き、なんとなく右手を出してみる。
すると……氷の塊の一部が口のように開き、そこから皮袋に入ったお金が出てきて、アベルの手に収まった。
「……便利、ではあるな」
「でしょう?」
アベルが、微妙な表情のまま褒め、涼は得意そうなドヤ顔だ。
「これは錬金術か?」
「ん? いいえ、僕の魔法ですよ?」
「ということは、リョウがいないと、今みたいにお金を出してもらえないのか?」
「ええ、そうなりますね」
「ちょっと……不便じゃないか?」
「アベルのお金を人質に取ったとか、そんなつもりはないですから。僕を迫害したらお金を貰えなくなるとか、そんなこともないですから。大丈夫ですよ」
「うん、今、すげー不安になった」
とはいえ、一番確かな保管方法ではあるため、結局アベルは妥協した。
最後に、こう付け加えて。
「持ち金が足りなくなったら、リョウに立て替えてもらえばいいわけだしな」
「お金の貸し借りは、良好な関係性を破たんさせる毒物なのに……」
涼はそう呟くと、小さく首を振るのであった。
ちょっと街を散策しようと、『自由の風亭』を出てきた二人。
「それにしても、午前中からお宿に入れましたね」
「ん?」
「いえ、僕の故郷とかだと、夕方くらいからしか入れないのがほとんどなのです」
日本などは特に、午後三時からのチェックインがほとんどだ。
今回のように、午前中からということはない。
それは、午前中、宿の人たちが清掃作業などを行っているから……。
「本来は、昨日のうちに入る予定だったからじゃないか。昨日の段階で、俺らが使う部屋は準備ができていたはずだからな」
「ああ、なるほど。アベル、賢いですね!」
「そ、そうか? 普通だろ」
涼が褒め、アベルは照れている。
ナイトレイ王国の国王陛下は、褒められ慣れていないのだ。
涼としては、周りがイエスマンばかりでは困るが、褒められ慣れていないというのも、国の顔としてはどうかと思う。
あるいは、佞臣の甘言や詐欺師の口車に乗らないように、今の内から鍛えておくべきなのではないかとも思うのだ。
筆頭公爵としてのお仕事として、そう思う。
「いやあ、さすがですよ、さすがはアベル! いよっ、元A級剣士! 頭の回転が違いますね、やっぱ凄いですね冒険王! 国民みんなの憧れの的!」
「うん、そこまでいくと、わざとらしい」
失敗した。
話題の転換を図らねば。
涼は、常々不思議に思っていたことを聞いてみることにした。
「でもアベルって、ルンの街にいる時から人気者だったでしょう? なんでそんなに褒められ慣れていないのかなと不思議なのです」
「なんだそれは? 人気があっても褒められはしないだろう? 褒めるってのは……なんというか、親とか上司とか、あるいは同僚か。そういう人たちからされるもんじゃないか?」
「ああ、立場が上か同じくらいの人ってことですね。言われてみればそうかもしれません」
アベルの言葉に、涼も頷く。
後輩や部下からの言葉は……褒められるとは違うかもしれない。
いや、でも、称賛は誰からでもある気がするのだが……。
とりあえず、話題の転換には成功したのだから良いのだ。
しかも……。
「なんか、いい香りがするな」
「ですね。これは、あっち……裏通りから?」
腹ペコ二人組の嗅覚は鋭い。
匂いにつられて裏通りを進む二人。
初めての街であっても関係ない。
美味しいものを求めるのは、人の性。
たとえそこが、怖い人たちがいっぱいいる地域であったとしても大丈夫。
そう、そのために二人は鍛えているのだから!
え? 違う?
まあ、細かいことは気にしてはいけない。
美味しいものを手に入れるため……それも、彼らが鍛えている理由の一つに入れればいい。
涼は思うのだ。
「怖い人が出てきても、アベルを生贄に捧げれば大丈夫」
「おい、考えていることが口から出ているぞ」
「しまった!」
美味しい香りは、口元を緩めてしまうらしい。
二人が行きついた先は、絶対に観光客は来ないようなお店。
地元民限定……文字では書いていないが、そう感じさせるお店。
もちろん、二人には関係ない。
「この匂いは、お肉を焼いた匂い」
「魚もいいが、久しぶりに肉もいいな」
二人は、長い航海をしてきた。
考えてみれば、肉料理はなかった。
スーシー料理長の腕がいいため、あまりその辺を考えなかったというのもある。
彼女の料理は美味しいから。
だが、久しぶりのお肉が焼ける匂いは……。
「いらっしゃいませー!」
「二人です」
「そちらのテーブル、どうぞ」
二人はテーブル席に通された。
周りは、地元の常連客ばかりだが、彼らからの視線は関係ない。
美味しいものを食べたいだけだ。
そして二人は、置いてあるメニューを読む。
「やはり! 牛肉も豚肉もありますね!」
「さすが大陸だな。いや、というか、俺ら……」
「ええ、文字が分かります! さっき会話もできました!」
アベルも涼も、少しだけ感動して震えている。
「四十数日間、グンノ機関長の猛特訓に耐えた結果が表れていますよ」
「どう考えても、俺らより、機関長の方が大変だったと思うがな」
グンノ機関長は、二人に東方諸国語を教えながら、いつもの仕事もこなしていたのだ。
二人は、グンノ機関長に感謝した。
「牛肉とポーマンの辛調味料炒め? ザスと潰れ肉の発酵大豆炒め? ライス甘辛あんかけ炒め?」
「小麦麵の汁ありトントン麺? 炒め麺辛辛具だくさん? とりあえず、それで」
「はい、ありがとうございますー」
涼とアベルは、注文という大仕事を終えた。
二人の表情には、一定の満足感が漂っている。
それは事実だ。
間違いない。
間違いないのだが……。
「読めましたけど、正直、意味が……」
「どんな料理が来るのか、分からんな」
そう、いろいろと仕方ない。
料理の世界は広く、深い。
文字が分かった程度で理解できるほど、甘くはないのだ!
だが、二人は不安に打ち震えてはいない。
なぜなら、店に入る前の肉の匂いを覚えているから。
あれは甘美であった。
あれは恍惚であった。
あれは……圧倒的な説得力を持っていた。
『この店なら大丈夫』……そんな説得力。
待つこと五分。
出てきた料理。
予感は確信に変わった。
「ああ、もう、これは、匂いだけで分かります」
「美味そうだな」
だが、涼は、同時に並べられた道具に驚いた。
「スプーンとフォークがあるのは分かるのですが、この二本の棒は……お箸?」
一人驚く涼。
腹ペコ剣士アベルは、そんな事には頓着せずに、フォークで食べ始めていた。
「美味いな!」
アベルのその呟きは、涼の驚きを吹き飛ばす。
箸など関係ない。
いや、まあ、箸を使って食べるのだが。
「うんうん、これは美味しいですよ!」
「言ったろ? どこに行っても美味いものはあるって」
「確かに。アベル、御見それしました」
「いや、分かればいいんだ、分かれば」
そんな事を言いながら、満面の笑みを浮かべて食べ進める二人。
その食べっぷりを見て、嬉しそうな常連客。
見慣れない客が来て……だけどそんな客たちが、自分たちがいつも食べているものを美味しそうに食べれば……それは嬉しくなるというものだ。
少なくとも、そこで気分を害する人はいないであろう。
そう、ここ『嬉食庵』は、食事で全ての人を嬉しくさせるお店であった。
「食べ過ぎた気がします」
「リョウは、炒めた辛いライス、お替りしたからだろう?」
「そういうアベルだって、あの麵のやつ、ぜったい余計だったでしょう? お腹いっぱいじゃないですか?」
「……まあ、否定しない」
腹ペコ二人組は、無事に、満腹二人組にバージョンアップしていた。
満腹は人を幸せにする。そして優しくする。
今の二人は、この世の全てを許していた。
いや、あるいは、満腹を超えた先に、新たな世界の創造をすら見ていたかもしれない。
「アベル……歩くのが……」
「皆まで言うな。どこかその辺で休もう」
満腹は人を幸せにしますが、食べ過ぎには注意しましょう。
二人は、広場に面したカフェ……というより、お茶屋さんに入った。
そして注文される緑茶。
「これは何というか、清涼だな」
「緑茶を清涼と表現するのは、なかなか新鮮です。そういえば、中央諸国って、紅茶でしたっけ」
「そうだな……発酵させた茶葉だな。最近は、コーヒーが流行りだが」
アベルは、そんな事を答えた後、視線が動いた。
それを見て、涼もアベルの視線を追う。
「ゴリック艦長?」
「ああ。あと後ろについてる二人は、ローンダーク号の乗組員だよな」
「諜報活動ですか? でも、素人考えなんですけど、諜報とか船乗りにできるものなんですかね?」
「難しいだろうな。多分、彼らは目くらまし……ある種の陽動だ」
「ああ、なるほど。ローンダーク号の乗組員さんたちが動いて視線を集めている間に、専門の人たちが裏で動くと」
「そういうことだ。いろいろ大変そうだな」
「でも、僕らほど大変ではないですよ」
「俺らのは……完全に自業自得だ」
さっそく、諜報活動に駆り出されている船員さんたちを見ながら、満腹剣士と満腹魔法使いは、罪悪感と満足感を、お茶でお腹に流し込むのであった……。




