0477 招かれざる客
「平和が一番です」
「そうだな」
涼もアベルも、平和を愛する二人組だ。
特に、ご飯の時とご飯の後は。
二人の前には、食後のコーヒーが置かれている。
いつものように、ローンダーク号の甲板に、氷のテーブルと椅子を出し、優雅にランチを楽しんだ後のコーヒー。
まさに、至福の刻。
「幽霊船に遭遇したなんて、何かの間違いだったのでしょう」
「いや、それは事実だったぞ」
涼の願望には、同調しないアベル。
あれから二日が経っている。
ラウとファンが言う通り、ボルの大型広船の乗組員たちは、誰一人怪我を負っていなかった。
スケルトンとの戦闘で怪我を負った者もいたはずなのだが……いつの間にか治っていたらしい。
不思議である。
そのため、自力で広船を動かす事ができたため、あの場でローンダーク号とは別れた。
ローンダーク号も、お仕事で先を急いでいるので。
そんなローンダーク号甲板上には、食後にゆっくりしている乗組員たちがいる。
基本的に交代制で、自分の仕事時間以外は自由に過ごすこともできるのだ。
長い航海、気を張ってばかりではもたない。
涼とアベルも、そんな緩やかな空気の中で、食後のコーヒーを楽しんでいた。
その時。
何の脈絡もなく、甲板上に、四メートル四方ほどの、黒い『門』が現れた。
「え……」
辛うじて、声が出たのは涼。
もっとも、声が出たというよりも、思わず声が漏れたと言うべきだろうか。
アベルと乗組員たちは、気付いたが、声を出せず動くこともできない。
何か、尋常でないものだということは、全員が感じ取っていた。
だが、その黒い『門』が何なのか分からない。
当然、これから何が起きるのかも分からない。
もちろん、なぜ甲板に現れたのかも……分からない。
この中で、その黒い『門』が何なのか知っているのは、涼だけ。
だが、涼は、認めたくない。
夢か幻だと思いたい。
思い込む事にした。
「世界は平和です」
「うん、多分、あれは、平和じゃないよな」
涼のあえての言葉に、思わずつっこむアベル。
掛け合いとは恐ろしいものだ。
「ほぉ、確かにピッタリだな。やるな、ジャン・ジャック」
「だから言ったろ? 船の上にだって合わせられるって」
女性の声と男性の声が、聞こえてきた。
二人の声を知っているのは涼だけだ。
アベルは、眉をひそめた。
女性の声は、どこかで聞いた覚えがある……。
そして、二人の悪魔が現れた。
女性は、絶世の美女。
美しく、艶めかしく、そして危険な感じがする。
黒くて細い尻尾があり、頭には小さな角もある。
男性は、神官風の服を着たお調子者。
軽やかに笑い、そして危ない感じがする。
尻尾はなく、頭にも角が無い。
「レオノール……ジャン・ジャック……」
「やあ、リョウ、久しぶりだな!」
「俺は止めたんだ、だがレオノールに押し切られて」
涼が二人の名前を呼び、レオノールが嬉しそうに答え、ジャン・ジャックがなぜか責任を回避しようとする。
まだ誰も責めていないのに。
涼の横で思わず身構えそうになるが、あえて意識してその警戒を解くアベル。
敵対すれば、激烈な反応が返ってくるかもしれない相手。
そもそも、アベルの剣が届くとは思えない……。
レオノールと涼の戦闘を見た。強い。
だが、もう一人の男の方も……同じほど強い。
「ふむ、アベルであったな。賢明じゃ」
「そうかい」
レオノールは、意識して身構えなかったアベルを褒めた。
乗組員たちは、驚いたまま動けない。
それがかえって良かった。
「今、食後のコーヒーの時間です。戦えません」
涼がはっきりとそう言い切る。
「戦いに来たわけではない。もちろん、リョウがどうしてもと望むのであれば、戦っても良いぞ?」
「絶対に遠慮します」
レオノールの提案を、言下に拒否する涼。
「むぅ……そこまで拒否せんでもよいだろう」
「戦わないのであればどうぞ。二人のために、美味しいコーヒーを淹れましょう」
涼はそう言うと、新たに二人用の氷の椅子を生成した。
もちろん、<アイスクッション>付きだ。
「む? この椅子の表面のやつは、初めてじゃな。ほっほぉ、よいな! 座り心地が素晴らしいぞ」
「確かにな。さすがリョウだな。水魔法を使わせたら、その右に出る者はいないな」
「褒めても、コーヒー以外は何も出ませんよ」
レオノールとジャン・ジャックが褒め、涼は新たにコーヒーを準備しながら答える。
ちなみにこのコーヒー豆は、スージェー王国王室からの贈り物だ。
そのため、最上級品質である。
涼は、最後に、氷製の砂時計をひっくり返すと、二人の方を向いた。
「それで? 今日いらっしゃったのは、どんな御用ですか?」
涼のその問いに、不思議なことに、レオノールもジャン・ジャックもうろたえた。
話そうとしていた内容が、もういまさら話す必要がなくなってしまったかのような。
「そ、そうじゃ、リョウがちゃんと遊んでくれなかったから、その文句を言いに来たのじゃ」
「……はい?」
「せっかく西方諸国から戻ってきたのに、すぐに消えたであろう。探すのに、けっこう苦労したのじゃぞ」
「いえ、すいません、意味が分かりません。確かに、魔人ガーウィンの魔法だか魔力だかが暴走して、多島海地域に飛ばされちゃいましたけど……。それとレオノールとの間に、どんな関係が?」
「たまには我と戦ってくれないと困る」
「えぇ……」
レオノールのわがままに、ため息をつく涼。
「まさか、そんな事を言うために、ここにやって来たんですか? 乗組員の人たち、めっちゃびっくりしてるじゃないですか」
「お、俺は止めたんだぞ? せめて陸地に着いてからにした方がいいって。東方諸国の海上だと、何が起きるか分からないからって」
「……東方諸国の海上だと、何が起きるか分からない?」
涼の問いに、ハッとして口をつぐむジャン・ジャック。
ジト目でそれを見るレオノール。
「陸地に着くまで待っていられなくて、ジャン・ジャックに、ここにゲートを開かせたのは事実じゃ。まあ、その件はよい。それより、砂時計、終わっておるぞ」
「おっと、しまった」
そして、ふるまわれたコーヒー。
涼とアベルも、二杯目をいただく。
「ほぉ……」
「なんじゃこりゃ、美味すぎだろ」
レオノールはうっとりし、ジャン・ジャックは激賞した。
悪魔の基準からみても、美味しいらしい。
涼は腕を組んで、偉そうに頷いている。
「そうでしょう、そうでしょう」と言いながら。
アベルも美味しそうに飲んでいる。
美味しいコーヒーは、二杯目もいける!
コーヒーを飲み干すと、レオノールは立ち上がって言った。
「馳走になった。ジャン・ジャック、帰るぞ!」
「も、もう? ゲートを作るのも簡単じゃないんだぞ? もう少し……」
「いろいろやるべき事もあるのじゃ。皆も邪魔したの。さらばじゃ」
レオノールはそう言うと、しぶるジャン・ジャックの襟首をつかんで、黒い『門』の中に消えていった。
同時に、『門』は消えた。
嵐のようにやって来て、嵐のように去っていった。
その後の、レオノールとジャン・ジャックの会話。
「遅かったみたいだな」
「うむ。残滓が残っておった……『ルリ』に遭遇したようじゃ」
「だが、リョウは生き残っていた……」
「さすがじゃ。弱い『器』じゃったのかのお。いやそうだとしても、さすがじゃ。じゃが、戦って生き残ったという事は……」
「明確に認識されたろうな」
レオノールもジャン・ジャックも、深いため息をついた。
「まあ、あれだけ特異な存在だし、目立つのは仕方なくないか?」
「西方諸国で、お前が手を出したみたいにか?」
「いや、だから、できるだけリョウがいない時にやってたんだって! 最後は、ちょっといろいろあって……そう、ちょっとだけ戦ったけど」
「嬉しそうに言いおって!」
ジャン・ジャックの言い訳に、怒るレオノール。
「リョウは我の獲物ぞ。ジャン・ジャックといえども、手を出せば……」
「なあ、やっぱり共有しないか? リョウほどの男なら、俺ら二人の獲物にしても大丈夫だろ?」
「断る!」
「だろうと思った……」
レオノールの拒絶に、ため息をつくジャン・ジャック。
「何かよい方法を考えねば……」
だが、小さくため息をついて言ったレオノールの言葉には、ジャン・ジャックも同意して頷くのであった。
残されたローンダーク号甲板。
「本当にあの二人、何だったのでしょうか……」
涼が小さく首を振る。
「分からんが……戦いにならなかったんだから、良かったんじゃないか?」
アベルが二杯目のコーヒーを飲みながら言う。
「そうですね。平和が一番です」
涼も二杯目のコーヒーを飲みながら呟いた。
それから十日後。
ようやくローンダーク号は、自由都市クベバサの領海へと足を踏み入れるのだった。
「間章 船上」終了です。
明日より、「第二章 自由都市」が開幕します!
楽しく読んでいただけると嬉しいです。




