0474 嵐の中に
無事、トビウオの大群と、その下に潜んでいたであろうクラーケンたちをよけることができたローンダーク号。
波乱の航海かと思われたが、そんな事もなかった。
その後、二日間は、大きな問題にも遭遇しなかったからだ。
「海賊船とか幽霊船とか、いったいどこにいるんでしょうね?」
「突然、何を言い出すんだ?」
昼食後、甲板でまったりと食後のコーヒーを飲んでいた涼とアベルであったが、突然、涼がそんなことを言いだした。
もちろん、ローンダーク号は、海賊に襲撃されていないし、幽霊船とも出会っていない。
「こういう航海中には、海賊船が襲ってきたり、幽霊船に遭遇したりすることが多いと思うのですが、なかなか出会わないので」
「いつものやつか。だいたい、軍艦を、海賊船は襲わんだろう」
「ハッ……言われてみれば確かに。ならなら、商船を襲っているところを、僕らが助ける……」
「それなら、無いとは言わんが……。陸上なら、人が通るのは街道沿いだから、襲撃現場で助けることもあり得るのかもしれん。それは認めよう。だが、この広い海原だと、どうなんだろうな」
アベルの言葉に、涼は驚いて目を見張った。
いつもなら、「盗賊がそんなに出るなど、国の治安的にあり得ない」とか言われるのに、今回は違ったからだ。
「アベルの表現が柔らかくなりました」
「何だそれは。まともな国であっても、外縁というか辺境というか、そういうところで盗賊が出るのは否定できないだろう? ナイトレイ王国は、比較的治安は良い方だが、全ての国がそうだというわけでもないしな」
「海であればなおさらだと」
「ああ。船乗りたちに言わせれば、使われる航路、漁場はほぼ決まっているから、広い海であっても出会う事はあるらしいが。俺には正直分からん」
「なるほど」
その時だった。
久しぶりに、マストに上って、遠眼鏡で周囲を警戒している乗組員の一人が叫んだ。
「艦長! 北東に船影見ゆ! 数一隻」
それを受けて、ゴリック艦長は船首に走り、遠眼鏡を前方に向けた。
涼とアベルも船首に走る。
前回は、「何か見える」であり、何なのか分からなかった。
だが今回は、「船影」と言っているために、船なのは確かだ。
「アベル、これはまさか……」
「いや、一隻だろう? 海賊だとしても、これが軍艦だと分かったら逃げるだろう」
「違いますよ! 幽霊船の可能性です」
「それは、俺も知らん」
さすがに小声で、会話する二人。
さすがの国王陛下も、幽霊船に関する情報は持っていなかった。
だが、『幽霊船』という言葉を知っているという事は……『ファイ』にも、幽霊船はあるということだろうか?
「幽霊船という言葉は知っているんですね?」
「そりゃあな。いろんな物語に出てくるから知っているが、見たことはないし、見たという報告を聞いたこともないぞ」
さすがに、幽霊船には、なかなか出会わないらしい。
そんな二人の会話が聞こえたわけではないだろうが、マストの上の乗組員が続報を叫ぶ。
「船型は、諸島型大型広船だと思われます! 進路そのまま。こちらの進行方向に向かっています!」
「国籍旗は掲げているか?」
「マストトップに翻っているように見えますが、まだ確認できません!」
「続けろ!」
乗組員とゴリック艦長が、怒鳴り合うような声で会話した。
波の音はもちろん、帆船の甲板上は、けっこういろんな音が飛び交うのだ。
怒鳴るような音量なのは仕方ない。
「ああ、アベルさん、リョウさん。まだ詳しくは分かりませんが、諸島国家のどれかの軍艦だと思われます」
「諸島国家? 多島海地域の国とは違うんだな」
「はい。多島海地域と大陸の間にも、いくつかの島や小国家が点在しています。予定通りの航路であれば、航路上の国々も慣れていますし、我々も慣れているのですが……」
「クラーケンのために東にずれたからな」
「はい。もしかしたら、臨検したいと言ってくるかもしれません。海の上ではよくあることです」
ゴリック艦長は、苦笑しながら答える。
「もしかして、戦いになるとか?」
「普通、ならないですね。ただ、こういう場合、何が起きてもいいように準備はしておきます」
涼の問いに、ゴリック艦長は周りをチラリと見ながら答えた。
確かに、乗組員たちの動きがいつもと違う。
アベルが着ている物に比べれば簡素だが、革鎧をつけ始めている。
普段は、さすがにずっと陽の光の下だし、基本的に大海原では見えないところからの奇襲というのはないため、着ていないのだが。
「アベル、僕らも準備をしておきましょう」
「お、おう。とは言っても、俺、いつも革鎧着ているし……リョウも、剣とか身に着けているだろう?」
「心の準備です! あ、本! 本とバッグをどこかに置きましょう」
「なるほど」
涼の気づきに、アベルも頷く。
「いちおう、お二人は船尾艦長室にいてください。奥にも扉にも窓が付いていますから、そこから様子を見てもらう形で」
「承知した」
「本は、氷漬けにして艦長室に置かせてもらいましょう」
再び、マストの上の乗組員が叫んだ。
「ボルの国籍旗を確認!」
ゴリック艦長は一つ頷いた。
「ボルは、諸島国家の一つです。そしてあの船は、やはり諸島型大型広船です。大きさも乗員数も、このローンダーク号とほぼ同じ。諸島国家が抱える船の中では最大級と言っていいでしょう。そんな船が……だいぶ広い海域に臨検をかけていますね。何かあったのかもしれません」
「分かった。俺たちは艦長室に入っておく」
アベルは答え、涼も一礼した。
二人が船長室に入ろうとした時、三度、マストの上の乗組員が叫んだ。
「艦長! 嵐が来ます」
「なんだと?」
ゴリック艦長の、訝しげな返答も聞こえる。
涼とアベルは顔を見合わせ、本と鞄を氷漬けにして船長室に置いて、再び甲板に戻った。
ゴリック艦長が、遠眼鏡で遠くを見ている。
「確かに、雲が海面から渦を巻いているように見えるが……。この辺りで嵐? あり得るか? もっと北ならよくあるが……」
ゴリック艦長は、無言のまま、しばらく遠眼鏡を見ていたあと、呟いた。
「あの嵐は、おかしい……」
その言葉が聞こえた瞬間、アベルは見た。
涼の目がキラリと輝いたのを。
もちろん、それはただの錯覚だった可能性もあるが……アベルの中では、ある意味、確信していた。
「リョウ、またよからぬことを考えただろう」
「な、何を言っているのですか、アベル。勘違いしてもらっては困りますね」
アベルの突然の指摘に焦る涼。
「そうかそうか、俺の勘違いか」
「ええ、そうです。アベルの勘違いです」
「……で、本当は何を考えた?」
「え……」
アベルの追及は、涼を捕らえて離さなかった。
涼は、あらぬ方向を見て、口笛を吹いてごまかそうとして失敗する。
そもそも、口笛など吹けないのだ。
「……で?」
「あの、えっと……ちょ、ちょっとした気の迷いでして……」
「うん、気の迷いで、何を考えたんだ?」
アベルの追及に、涼はついに諦めた。
小さい声で言い始める。
「ほら……セーラのところのおババ様が言っていたじゃないですか、浮遊大陸。あれとか、雲に囲まれていて外からは見えないと」
「言っていたな。なるほど、あれがそれじゃないかと思ったんだな?」
「ええ」
「だが、それにしては……低くないか?」
「うっ……そうかもしれませんけど……海の上では低く飛ぶのかもしれないじゃないですか!」
アベルも涼も、浮遊大陸については全く詳しくない。
そんな中、マストの上の乗組員の声が響く。
「嵐の中に何かいます!」
これには、涼とアベルも顔を見合わせた。
「まさか……」
「浮遊大陸?」
ずっと顔をしかめたまま遠眼鏡を見ていたゴリック艦長が、一度遠眼鏡を外して首を傾げて呟いた。
「やはりあの嵐、速度を上げているな」
そこに、一人の女性がやってきて報告した。
「艦長、全乗組員、臨戦態勢が整いました」
それは、ローンダーク号のレナ副長。
艦長に次ぐ、艦のナンバー2。
可愛いというより、美しいという言葉の方に近い、黒髪が似合う女性だ。
その歩く姿を見て、アベルが呟いたことがある。
「あれは……強いぞ」
涼はそれを聞いて頷きながら、こう付け足した。
「あの副長さんは、魔法を使えます」
それを聞いて、アベルは目を見開いた。
「この艦で一番強いのは、彼女か?」
「そうかもしれません。怒らせてはいけませんね」
アベルが声を潜めて言い、涼も同意した。
もちろん、涼はすでに策を施してある。
レナ副長と、もう一人女性の料理長には、氷製風呂を提供しているのだ。
氷風呂ではない。氷製風呂だ。
氷製の浴槽に、お湯が入っている。
副長も料理長も、声をあげて喜んだのを覚えている。
権力者の囲い込みはばっちりだ!
「リョウって、そういうところ、けっこうマメだよな」
「当然です。強きを助け、弱きも助く。みんな味方にするのが一番です!」
涼なりの処世術らしい……。
そんなレナ副長の報告を受けて、ゴリック艦長は一つ頷いた。
その上で問うた。
「レナ、あの嵐、どう思う?」
レナ副長は、自分用の遠眼鏡で嵐を見る。
十秒ほど見た後で口を開いた。
「まず、あれは嵐ではありません。なんというか……魔物が、雲や霧を纏った感じでしょうか」
「ふむ。中にいるのは魔物か? だが、海上であんな魔物、聞いたことがないぞ」
「ええ。あれは……先行するボルの広船を追っているようにも見えます」
「俺もそう思ったんだ。レナもそう見たのなら間違いないな。広船を追っている。そして、広船は逃げている」
マストの上の乗組員が叫んだ。
「大型広船が旗を振っています。ニ・ゲ・ロ。意味は、逃げろです!」
ようやく、ローンダーク号に気付いたボルの大型広船が、旗で知らせてきたのだ。
「さらに、速度が上がりました」
その間も、観察を続けていたレナ副長が冷静に報告する。
そして、ついに……。
「霧の中から……」
「なんだ、あれは……」
涼が呟き、アベルも絶句する。
霧の中から、出てきたのだ。
「でかい船だな……」
ゴリック艦長の言葉に、涼もアベルも頷く。
現れたのは、巨大な帆船。
マストは三本あるが、帆はボロボロ。
一目で、普通の船でない事は分かる。
「幽霊船ですね」
レナ副長が言った。
「なんだと……」
「ついに……」
アベルも涼も、驚きからの言葉だが……含まれる感情はそれだけではない。
アベルは純粋に驚き、涼は期待を通り越して怖れ。
「さすがに俺も、幽霊船に遭遇したのは初めてだ。レナは?」
「いえ、私も初めてです。ですが、言い伝わる『幽霊船ルリ』の描写そっくりです」
「『幽霊船ルリ』って……マジか……」
レナ副長もゴリック艦長も、顔をしかめている。
「追いつく……」
「でかくて速い」
涼もアベルも、幽霊船から目を離せない。
幽霊船が船首から、ボルの大型広船の船尾に突っ込んだ。
同時に、ボルの船に放たれる何本ものロープ。
「接舷する気か!」
「船員を自船に連れ帰り、働かせる……永遠に」
ゴリック艦長の言葉に、レナ副長は言い伝えから引用した。
「くそっ! そんなの見過ごせるか!」
ゴリック艦長は小さいが鋭く叫んだ。
だが、すぐに我に返る。
ローンダーク号は軍艦。そして、極めて重要な命令を受けている。
それも、女王からの、いわば勅命。
客人を自由都市クベバサに、確実に届ける事。
ゴリック艦長は何も言わない。
涼とアベルの方を見たりもしない。
それでも、分かる人には分かる。
「艦長、俺とリョウの事は気にするな」
「アベルさん?」
「俺は、海のことも東方諸国の事情もよく知らん。だが、こういう場合……他の船が困っている場合に取るべき手順は、決まっているのではないか?」
「戦争状態でもない限りは、国籍に関係なく、船乗り同士は助け合う慣行があります。ですが……」
もちろん、その慣行の中に、幽霊船に襲われている船に関しての慣行はない。
ないが、このまま見過ごすのは、船乗りとしては寝覚めが悪い。
悪いのだが……相手は、言い伝えにも出てくる幽霊船。
助けに行って、自船と乗組員が無事である保証はない。
さらに、預かった客人にもしもの事があったら……。
そこまでして、そこまでの危険を冒してでも、見知らぬ船を助けるべきか。
「艦長、君たちは船乗りなんだろう?」
アベルのその一言を聞いた瞬間、ゴリック艦長の体が震えた。
雷にでも撃たれたかのように。
そして、決然と顔を上げた。
命令を下す。
「機関、最大戦速! 全乗組員は接舷戦用意! 広船の船乗りを助けに行くぞ!」
「おう!」
ゴリック艦長の叫ぶような指示に、叫ぶように答えるローンダーク号の乗組員。
彼らも、助けたかったのだ。
同じ船乗りとして。
幽霊船に連れて行かれるのを、黙って見過ごすことなどできない。
「接舷戦になったら、正直、何が起きるか分かりません。お二人を守る事も……」
「大丈夫だ。俺もリョウも、自分の身は自分で守る。艦長たちは、船乗りとしてやるべきことをやってくれ」
ゴリック艦長の言葉に、アベルは笑いながら答えた。
その横で涼も頷く。
「感謝します」
ゴリック艦長は深々と頭を下げた。
こうして、対幽霊船ルリ・広船船員拉致阻止作戦が開始されるのであった。




