0471 ローンダーク号
スージェー王国中央海軍第一艦隊所属、遠洋巡航艦ローンダーク号。
艦長ゴリック・デューは、二十八歳と、同型艦の艦長としては最も若い。
だが、戦場の経験はもちろん、今回のような遠洋航海の経験は、中央海軍の中でも最も豊富な人物の一人でもあった。
小麦色の髪に健康的な陽に焼けた肌、引き締まった体、黒い目、そして端正な顔立ちは、王都ピューリの街でもよく知られている。
乗組員たちを引き連れて飲み屋をはしごしていれば、噂も広がるというもの。
当然、飲み代はゴリック艦長のおごりであるため、乗組員たちからも好かれている。
ただ酒、ただ飯は、乗組員の心を掴むのには有効な方法なのだ。
ローンダーク号は、大陸の自由都市クベバサへの航海中であるが、今回は、二人の客が乗っている。
これは珍しい事だ。
もちろん、全くないわけではない。
たとえば、外交官を送り届ける場合などは、けっこうある。
赴任する場合はもちろん、会談、会議への出席などは、中央海軍の軍艦が送り届ける場合があるから。
官吏の足として使われることがあるのは、ある意味、スージェー王国の伝統と言うべきかもしれない。
しかし、今回の客は違う。
民間人だ。
スージェー王国民ですらない。
だが、海軍トップたる護国卿カブイ・ソマルからは、丁重に送り届けることを厳命されている。
新たに玉座に就いたイリアジャ女王からも、王国にとって非常に大切な人物であるとのお言葉を、直接、全乗組員に対していただいている。
全乗組員はもちろん、艦長ゴリック・デューも緊張していた。
外務大臣を、大陸での会議のために送り届けたこともあるが、それでも、ここまで緊張はしなかった。
当時も国王陛下からのお言葉をいただいたが、ある種おざなりな言葉でもあったから。
今回は、違う。
女王イリアジャの言葉は、驚くほど熱のこもったものであった。
もし、客人を送り届けることに失敗して、帰国したりすれば、降格処分どころか中央海軍からの放逐すらありうる……そう思わせるほどに。
そんな、超重要人物の二人の客であるが、ゴリック艦長には、いろいろと変わっているように思えた。
「グンノ先生、質問があります!」
「はい、リョウさん、何ですか?」
まず、あれだ。
午前中のこの時間、毎日行われている東方諸国語勉強会。
出航したその日、客の一人、魔法使いがゴリック艦長に言ってきた。
「東方諸国の言葉を覚えたいのです」
できるだけ、二人の要望を聞くようにと、護国卿カブイ・ソマルから指示されている。
無謀な要求なら、護国卿の指示であっても拒否するつもりであったが、この要望は別に無謀でも難しくもない。
なぜなら、この遠洋巡航艦ローンダーク号の乗組員は、全員、東方諸国語も話せるからだ。
これは、ある意味当然かもしれない。
外国の港に降り立っても、現地の言葉が分からなければ酒の一つも注文できないのだ。
それでは、楽しくない。
自分のため、楽しむためにも、言葉を覚えるのは当然だろう。
だが、ここで、一緒に乗ってきた剣士の提案は、厄介なものであった。
「可能なら、中央諸国語が話せる者に教えてもらいたい」
魔法使いと剣士は、耳に『翻訳機』という錬金道具をつけている。
見たところ、隣国コマキュタ藩王国製だ。
二人が中央諸国出身であることは聞いていたため、剣士アベルの言う事はゴリック艦長にも理解できる。
母国語から直接変換した方がいい。
それは、全くその通り。
だが問題がある。
中央諸国語は、確かに世界中多くで通用する言葉であるため、商人はマスターしていることが結構多い。
だが、船乗りは……それほどではない。
該当するのはただ一人。
機関長のグンノだけ。
機関長というのは、艦長、副長に次ぐ、船のナンバー3。
ローンダーク号は、帆船だ。
そこだけであれば、機関長は必要ない。
だが、純粋な帆船とは言えない。
これは、別にローンダーク号だけではなく、最近の、発展した錬金術の恩恵を受ける船はほとんどそうなっている。
無風、あるいは向かい風の時には、錬金術によって風を起こし、その風を受けて走ることができる。
この、風を起こす錬金装置を、『風吹機関』というが、この機関の責任者が、機関長だ。
トラブルが起きなければ、機関長の日々の仕事は大変ではない。
もちろん、機関長の下には、多くの機関士もおり、グンノ機関長が錬金術の機構につきっきりなわけではない。
そのため、ゴリック艦長はグンノ機関長に、二人の語学勉強の教師役を命じた。
ただし無制限ではなく、一日二時間。
毎朝の仕事の後、昼食までの間の二時間。
トラブル発生時や、荒天の場合は無し。
涼もアベルも、その条件で受け入れた。
そして、今、本日分の授業が終わったようだ。
「いやあ、日々、成長を実感できるというのはいいですね。成功体験の積み重ねは、自信になっていきます」
「そうだな。まさか、これほどに文の構造が違っているとは思わなかったが、理解の範囲が広がっていくのを感じ取れると、けっこう楽しいな」
涼が喜び、アベルも笑みを浮かべて同意した。
「良かったです。最近はあまり使うこともなかった中央諸国語ですが、ここで役に立つとは。嬉しいものですね」
グンノ機関長は朗らかにそう言うと、機関室に戻っていった。
午後は、機関長は通常の仕事をし、二人もそれぞれにやりたいことをやる。
アベルは剣を振り、涼は錬金術。
時間は、いくらあってもいい。
「グンノ機関長は、商家の生まれと言っていたよな」
「言ってましたね。それで、小さい頃から中央諸国語を学んでいたと。コマキュタ藩王国蒼玉商会のバンヒューもでしたけど、商人の家は小さい頃からいろいろ仕込みますからね」
それが創業家の強みだ。
もちろん、創業者や創業家の人間が、その強みを理解できておらず、小さい頃に全く鍛えられていない場合もあるが……。
「アベルとかも、小さい頃からいろいろやっていたのでしょう?」
「まあな。王家だから当たり前だ」
何もしないで人並み以上の結果など出せない。
見えないところで努力してきたからこそ、人が驚く結果が現れるのだ。
だが、人は、結果にばかり注目してしまう。
そこに至る、見えない数年、十数年、場合によっては数十年もの努力には思い至らない。
だから、「いいなあ」「羨ましいなあ」で終わる。
寂しい話だ。
「多島海地域の時は、いきなり飛ばされてきましたから、何も準備できませんでしたけど。これから先の大陸は違いますからね。十分な準備をして臨みますよ!」
「その一つが、東方諸国語か」
二人とも、多島海地域は、錬金道具『翻訳機』を使ってなんとか乗り切ったが……やはり、現地語をペラペラ話せる姿に憧れてしまうのだ。
「憧れは、人を成長させます!」
「確かにな」
涼の言葉に、アベルも頷いた。
もちろん、「いいなあ」「羨ましいなあ」で終わっては成長しない。
それを見て、自らも努力をしなければ。
努力は必ず報われる。
本気で努力し、周りがやりすぎを止めるほど努力した人なら、ほとんどがその事を知っている。
だからこそ彼らは、はっきりと言い切る。
「努力は必ず報われる」と。
彼らは、努力している人を決して馬鹿にしない。
結果を出した人を羨んだりもしない。
なぜなら、結果を出した人たちが、見えない部分で努力したであろうことを想像できるから。
逆に言うと、羨んだり妬んだりする人たちは、努力が足りていないのだ。
そして、その自覚が実はある。
若い頃、現役時代、もっと努力できたのに少しだけ手を抜いてしまった……それを心の奥底で後悔している。
もっと努力できたし、していれば、もっと凄い結果を、世界に冠たる結果を残せたかもしれないと自覚しているのだ。
だから、人を羨む。
だから、人を妬む。
……のかもしれない。
「昔、偉い人がこう言いました。努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べないと」
「そ、それは凄い言葉だな……」
「その人は、努力して努力して努力して、世界のホームラン王になりました。アベルも世界の王を目指すのです!」
「ほーむらんとかいう言葉の意味が分からんが……何か、後半、意味が変わっていないか?」
「細かいことはいいのです。どうですか、手土産に自由都市を占領して、ナイトレイ王国の飛び地にするとか……」
「おい、馬鹿、やめろ」
涼が悪そうな顔で悪そうなことを言い、アベルがそれを止める。
「冗談に決まってるじゃないですか。いやだなあ、アベルったら」
「リョウの場合、どこまで冗談かが分からん……」
涼が笑いながらアベルの腕をぺしぺし叩き、アベルがため息をつく。
「まあ、楽しみではあるよな、自由都市クベバサ……どんなところなのか」
「そうですね。美味しい食べ物があるといいのですが」
「あるに決まっているだろう?」
アベルが断言した。
これは珍しい事なので、涼はちょっとだけ驚く。
「どんな場所にも、必ず美味いものはある。なぜなら、人はそういう生き物だからだ」
「アベル……ちょっと尊敬してしまいました。確かに、どこに行っても美味しいものはありますもんね。余計楽しみになりました!」
食いしん坊二人を乗せて、ローンダーク号は大陸に向かって北上していくのであった。
「間章 船上」が、あと6話ほど続きます。
最後の方で、久しぶりのあの人も出てきます。
楽しく読んでもらえると嬉しいです。




