0467 迎撃準備
<アイスウォール>で守られながら、一行は『白の離れ』に戻ってきた。
「王城って危険ですね。アベルは、よく三年間も生きていられましたね」
「いや、普通は、国の中でも一番安全な場所だろ。多分、この国だって普段はここまで大変じゃないと思うんだが……」
涼がアベルのタフネスさに感心し、誤解されたアベルが首を振る。
二人は、イリアジャ姫の部屋の中でも広く、会議室的にも使われることのあるリビングで、コソコソと話している。
イリアジャ姫は、隣の部屋で動きやすい服に着替えている。
いつもドレスみたいなものだとは思うのだが、やはり王太子妃の招きで訪問するために、正装に近い服だったらしい。
王家というのは色々と大変だ。
そこに、イリアジャ姫が隣の部屋から戻ってきた。
確かに、王太子妃の下を訪れたものに比べれば簡素だろうか。
それと同時に廊下からの扉が開き、カブイ・ソマルが入ってきた。
「殿下……ご無事で」
イリアジャ姫の前で片膝をつく。
「護国卿、心配をおかけしました。お二人が守ってくれましたから」
イリアジャ姫はにっこり微笑んで答えた。
四人が席に着いた。
「毒だけでなく、魔法による攻撃もとは……。大胆過ぎるだろう。王太子宮はどうするつもりか……」
カブイ・ソマルが、独り言のように呟く。
「毒……そうでした。リョウさん、あのライナ様が渡された杯は、毒は入っていなかったのですか?」
イリアジャ姫は、涼に問うた。
絶対に、何らかの毒が入っているだろうと思ったからだ。
無味無臭だったために、シュリンの毒か、チリルカリルの毒か。
「入っていたのかもしれませんけど、大丈夫です。無毒化されたはずです」
「無毒化?」
「はい。僕は特異体質で、邪気を払うらしいのです。それには、無毒化もあるみたいで……」
「ああ! だから、あの時、近付いてこられたのですね」
「はい、姫様。あの距離で五秒間いれば、無毒化されることは実験によって確認しておりましたので」
「もしかして、その実験で犠牲になったのがアベルさん……」
イリアジャ姫の微笑みながらの確認に、アベルが無言のまま頷いた。
「アベルが、凄く不満そうな顔をしていますけど、決して姫様への不満であんな顔になっているわけではありませんから。ほんとに不敬な剣士ですよね」
「当たり前だろうが! リョウのせいでこんな顔をしているんだ。あの……ジュビジュビの毒だったか? 赤い毒々しい……見るからにヤバイあれを飲まされたんだぞ」
「でも、無毒化されていたじゃないですか」
「臭いはそのままだし、色もあのままだったろうが。なんで俺なんだよ……リョウが試せばそれでいいだろう?」
「僕自身で試してもダメじゃないですか。僕も仕方なくアベルの体で試したのです。そう、仕方なくです。溢れ出る涙を何度ぬぐった事か……」
「うそつけ! ククク、仕方ないのです、アベル、犠牲になってください、アーハッハッハッハって……高笑いまでしていたろうが!」
「さあ? 記憶にございません」
どこかの答弁に立つ国の偉い人のように、突然の記憶喪失に陥ったふりをする涼。
クスクスと笑うイリアジャ姫。
苦笑しているカブイ・ソマル。
平和は、多くの人の犠牲の上に成り立っているのだ。
「毒はともかく、魔法はヤバかったな……。いや、魔法だよな、あれ」
「何なんですかね。中央諸国はもちろん、西方諸国でも見たことなかったですよ、あんなの」
アベルが問い、涼が首を傾げながら答える。
日本の『お札』みたいな感じではあったが、チラリと見たところ、お札ほど複雑な印章でも、多くの文字が書いてあったようにも見えなかった。
いつも見慣れた魔法陣も描いていなかったが……そういえば、四角や三角が組み合わさった図に見えない事もなかった。
「魔法よりも錬金術の方に近いんですかね? ちょっと気になりますね」
涼の言葉で、何か閃いたのだろう。
カブイ・ソマルが口を開いた。
「もしかしたら、大陸の呪法使いかもしれません」
「呪法使い?」
姫、アベル、涼の三人が、異口同音に言う。
言葉の響は三者三様。
イリアジャ姫は純粋に疑問に思い。
アベルは厄介ごとの匂いを感じ取り。
涼は好奇心を刺激され……。
「私も詳しい事は知らないのですが、大陸ではけっこう多いらしいです。呪符を使って遠隔で魔法を発動したり、あるいは強化したり。霊符と呼ばれる物は、死霊や魔物を呼び出して使役する事ができるとか」
「なんと!」
カブイ・ソマルの説明に、最も嬉しそうに反応したのは、当然のように涼であった。
「それは気になりますね! ああ、つまりさっきのは、呪符を使って遠隔で魔法を発動したということですか。なるほどなるほど。最終的に姿を現しませんでしたけど、その呪法使いとかは、あの場にはおらず、少し離れた場所にいた? 何でですかね。入ってこれなかったんですかね」
「そうだな。それは俺も疑問に思った。あそこまで派手にやるなら、一気に決めるべきだろう。一度失敗すれば、次からは守る側は余計に堅くなるぞ」
涼の言葉に、アベルも疑問に思っていることを言う。
それに対して答えたのは、意外にもイリアジャ姫。
「おそらく、予定に入っていない行動だったのでしょう」
「予定?」
「ええ。私を、今日、王太子宮に招いたのは、ライナ様の独断。それも、急に決められたのかもしれません。ライナ様は毒を……」
イリアジャ姫は、そこで、一度言葉を切った。
一度目をつむり、だがすぐに見開いて言葉を続けた。
「ライナ様は毒を盛ったのでしょうが、関わっていたのはそこまで。あの襲撃は、ライナ様も知らなかったのだと思います」
「なぜ、そう思われるのですか?」
カブイ・ソマルが問う。
「ライナ様の表情から、そう思いました」
「なるほど」
「王太子宮も、部外者がそう簡単に入れる場所ではありません。事前に私が招かれるのが分かっていれば、襲撃者も王太子宮に入って襲撃したのかもしれませんが……そうではなかったのだとしたら」
「外から攻撃するしかなかったと……」
イリアジャ姫とカブイ・ソマルの結論に、涼とアベルも頷いた。
「急な予定だったから、今回はあれですみましたが……」
「あそこまでやってしまったら、もう引っ込みはつかないな」
「殿下が必ず、それも時間まで指定されて、ある場所に立つのが分かっていれば……事前に入念な準備をして襲撃するでしょう」
「即位式だな」
「三日後……」
アベルとカブイ・ソマルが言う。
「あの、ちょっとお尋ねしたいのですが……」
「どうしました、リョウさん」
「先ほどの呪法使いとか呪符の件、王城には詳しい方はいらっしゃらないのでしょうか? 守るにしても、相手の事を知らなさすぎなので……」
「確かに。それでは守れませんな。確か……ボイズナン老が詳しかったはずです」
「治癒師の? 毒について講義してくださった先生ですよね」
「ええ。ボイズナン老は、若い頃は大陸で長く修行されていたそうで。ですので、大陸の毒にも詳しいのですが、同様に呪法使いに関しても詳しかったはずです。ご自身は使われませんが、かつて育てた弟子の一人が、呪符を使えるようになったとか……。事情も事情ですので、私の方からもお願いして、リョウさんに教えてもらえるようにしましょう」
「ああ、ありがとうございます!」
こうして、涼は、残りの三日間、呪法使いと呪符について、びっちり学ぶことになる。
ボイズナン老の講義はとても分かりやすく、涼は楽しかった。
もちろん、命を狙われているイリアジャ姫の事は絶対に守るし、そのために学んでいるのだが……それでも、知らない事を知るというのは楽しい事なのだ。
その楽しさは消せない。
人によっては、それは好奇心というかもしれない。
好奇心、猫をも殺すというが、それは仕方のない事なのだ。
知らない事を知る……それは、知的動物の性だから。
涼が学び始めて二日目の夜、涼はアベルに頭を下げた。
「なんだ、突然どうした?」
「アベル、この魔石、一個使ってもいいでしょうか?」
涼がそう言って取り出したのは、青い小さな魔石。
小指の爪の半分ほどの大きさだが、非常に深い青。
「それって、あのイワシみたいな海の魔物から採ったやつだろう?」
クラーケンを倒し、そこからの戻る途中にベイト・ボールを見かけ、ロンド級二番艦ニール・アンダーセンの七本の腕で捕獲したイワシのような魔物。
それらが持っていた魔石だ。
「アベルが、うんと言ってくれれば、このお礼は必ずします」
「いや、俺がどうこうじゃなくて、そもそもリョウがあの船で採ったやつなんだから、リョウが好きにしていいだろう?」
「いいえ、そういうわけにはいきません。僕らが採ったのです。船に乗る者は一蓮托生。船で手に入れた物は、山分けを基本にするべきなのです」
「お、おう……」
涼はこういう場合、妙に律儀なところがある。
アベルも、それは知っていた。
「まあ、好きに使ってくれ」
「ありがとう、アベル! 残りの六個は、三個ずつ山分けにしますから」
「そうか……」
「それだけじゃ足りませんか? 仕方ありません、僕の一週間に一度のケーキ特権を、二週間に一度にしてもいいです……やむを得ません」
涼が、悔しそうに提案する。
「いや……どうせ、王国に戻らないと、ケーキ特権も行使できないんだけどな」
「くっ……世知辛い世の中です」
アベルが呆れたように言い、涼が首を振りながら言った。
次の日、涼はその一個をカブイ・ソマルに渡した。何かが描かれた紙と一緒に。
驚きながらも受け取るカブイ・ソマル。
「明日の朝までにはできるでしょう」
そんな返事を聞いて、涼は嬉しそうに頷いた。
その後は、氷の板に、魔法式をいろいろ書いていった。
錬金術で使う、出し入れ自在の、いつもの氷の板だ。
イリアジャ姫の護衛をしながら、少しでも時間が空くと、氷の板に魔法式を書いている。
時々、確認のために魔法で氷を生成したりしながら……。
横から見ているアベルには、正確には分からなかったが、防御系の何かだということは理解できた。
ここで描いた魔法陣や魔法式を、明日届く何かに『写す』のだろう。
それによって、写されたものが、錬金道具になる。
アベルも、涼やケネスが、この方法で錬金道具に魔法式を描くのを見てきたので、さすがにその辺りは知っていた。
だが、疑問に思う点がある。
その夜。
部屋に戻っても、涼は氷の板に魔法式を描き続けていた。
だが、晩御飯を食べてしばらくして、ようやく一区切りついたのだろう。
コーヒーを淹れ始めた。
これまでは、侍女に持ってきてもらっていたのだが、今回は淹れている。
先の見通しが立つようになったからだ。
アベルは、そのタイミングで、疑問に思っていた点を尋ねることにした。
「なあ、リョウ、王太子宮で襲撃された時、リョウの氷の壁が剝がされたじゃないか?」
「ええ、剥がされました」
「あれは、何でだ? 海中のクラーケンみたいなのか?」
アベルは、ロンド級二番艦ニール・アンダーセンでの戦闘で、涼が魔法で生成した<アイスウォール>が、魔法制御をクラーケンに奪われて、剥がされていくのを経験している。
今回のやつも、現象としては同じものなので、そう尋ねたのだ。
だが、涼は首を振って答えた。
「見た目は同じですけど、根本は違います。クラーケンは、魔法制御を奪いました。上書きした、といってもいいかもしれません。ですが、今回のは、魔法制御を奪われたわけではなく、魔力線をずらされた、という表現が正しいですね」
「魔力線? ずらされた?」
アベルには分からない。
この辺りは、魔法使いでなければ分からない感覚だ。
「例えば<アイスウォール>は、<アイスウォール>を生成した後も、僕から<アイスウォール>に向かって、魔力が供給され続けています。目には見えないんですけど、魔法使いは、それを感じ取れるんです。僕は勝手に、それを魔力線と呼んでいます。でも、今回のあの……『お札』の効果で、その魔力線がずれていくんです。その結果、<アイスウォール>が僕の制御下から外れていく……。あの『お札』、魔力を乱すんだと思うのですよ」
「ふむ。完全には理解できんが、なんとなくは分かった」
涼の説明に、少しだけ顔をしかめながら、アベルは頷いた。
だが、そうなると、別の問題が生じる。
「それは……錬金道具にすることによって、解決するのか?」
クラーケンとの戦闘においては、錬金術で<アイスウォール>を生成することによって、魔法制御を奪われないようにできた。
今回も、涼が描いている魔法式を写した錬金道具によって、魔力線の問題を解決できるのだろうか?
「多分、原理的には無理です」
「おい……」
「ただ、論理的に考えて、遠いよりも近い方が、ずれは小さくなるじゃないですか?」
「うん? どういうことだ?」
「例えば、弓で矢を放つとしましょう。遠くを狙えば、途中で突風が吹いたり、放つ際に手元が少し狂っただけでも、最終的なずれは大きくなります」
「そうだな」
「でも、近い場所を狙うのであれば、途中で突風が吹いたとしてもずれは小さくてすむし、放つ際に手元が少し狂っても、最終的なずれはそこまで大きくならないでしょう?」
「確かに」
「つまり、魔力供給源と対象の魔法が近ければ、あの『お札』がずらしてきたとしても、それによる影響を小さくすることができます。それどころか、もし供給源と対象がくっついていたらどうなるでしょう?」
「なるほど。イリアジャ姫に、錬金道具で生成した、この前みたいな細かな氷の鎧を着せる。しかも、その錬金道具はイリアジャ姫が身につけていれば、ずれようがない……」
アベルが理解して言うと、涼は嬉しそうに頷いた。
魔石がはまった錬金道具は、ある意味、独立している。スタンドアローンと言ってもいいかもしれない。
「さすがに即位式では、僕らはすぐそばにいてあげられません。普通なら、それでも大丈夫です。ある程度の距離があっても、<アイスウォール>で守れますから。でも、お札みたいなのがあると……さすがに五秒ごとの連続生成はめんどくさかったです」
「俺ら、来賓席なんだよな」
「ええ。アベル、凄い服が届いていたでしょう?」
「ああ。正装らしいんだが……仕立てはもちろん、全て一級品だ」
アベルはそう言うと、部屋の隅でマネキンのようなものに着せてある服を見る。
その服を着て、来賓席に座ってくれと、カブイ・ソマルには言われているのだ。
「リョウは、いつものローブでいいのに……」
「これは、師匠から貰った服です。妖精王のローブといって、人の手で作り出せるものではないのです。これほど、式典にふさわしい服はありません」
「う~ん……そうか?」
力説する涼に、疑問を呈するアベル。
確かに素晴らしいものだが、式典で着るには、もう少し装飾があった方がいい気がする……アベルは、自分のために準備された服と見比べながらそう思うのであった。
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