0462 決断
四人の会談から三日後の朝、商港の蒼玉商会ワンニャ支店から涼とアベルが出てきた。
「世話になった」
「いや、誰も犠牲が出なかったのはアベルさんのおかげだ。いつでも、俺ら蒼玉商会を使ってくれ」
アベルがもてなしに感謝し、バンソクス護衛隊長が答える。
「皆さんの返還事業、よろしくお願いします」
「お任せください。全員、責任をもってスージェー王国にお届けします」
涼がお願いし、バントン支店長が頷いて請け負う。
レインシューター号は優美で、それなりに大きな船ではあるが、イリアジャ姫と共に来た百人全員が乗れるわけではない。
なんと百人全員が、イリアジャ姫が戻るのなら自分も戻ると表明したため、いろいろと大変だったのだ……。
そもそも、マニャミャからの移送で揉めた通り、姫と別々の行動など受け入れられない、という者たちばかりなのだから。
この三日間で、イリアジャ姫とカブイ・ソマルが、共に何度も説得したらしい……。
そして、近衛兵を中心とした十人は、レインシューター号に姫と共に乗り込み、残りの九十人は別便で王国に戻ることに同意した。
その別便を、蒼玉商会ワンニャ支店が請け負った。
涼やアベルからすれば、最も信頼できる商会だ。
蒼玉商会に任せておけば大丈夫……そう思っている。
二人が蒼玉商会ワンニャ支店を出て、レインシューター号の前に到着すると、すでにカブイ・ソマルは到着していた。
「よく来てくれた」
そう言って、アベル、涼と握手をする。
「それにしても、見事に出ていけるな」
「グス提督は、私や姫を藩王国から追い出したがっていたからな。それに乗っただけだ」
アベルが手際を称賛し、カブイ・ソマルが笑った。
四人の会談後、御前会議でイリアジャ姫とカブイ・ソマルの国外追放が決まるように、カブイ・ソマルが藩王国の各省の第一次官数人に手を回した。
「ちょっとお願いしただけで、簡単に通ったよ」
そこへ、王女が乗った馬車が到着した。
出迎えるカブイ・ソマルと船乗りたち。
笑うカブイ・ソマルを見て、涼は思ったのだ。
我が、ナイトレイ王国は大丈夫かと……。
だから、国王陛下に忠言した。
「アベル、ナイトレイ王国でも、政策決定プロセスに、他国からの干渉があるんじゃないですか? その辺、大丈夫ですか?」
「それはあるだろう」
「なっ……」
「だが、ハインライン侯が防諜を担っているからな。他の国よりは入り込みにくいと思うぞ?」
「それでも完璧ではない……?」
「それは当然だろう。人がやる事だ、完璧を目指せば多くのものを犠牲にせざるを得ん。場合によっては、犠牲を払ってでも完璧でなければならん場合もあるが……行政に関しては、ぎちぎちに絞めつけ過ぎると、その歪みは、全て民にいくからな……。民を幸せにするのが行政の目的なのに、民を不幸にしてしまってはダメだろう?」
アベルは、王として現実主義者であった。
行政というのは、本当に難しいのだ。
忘れてはいけないのはただ一つ。
『それは本当に、民を幸せにしているのか?』
それだけは、忘れていけない観点なのだ。
イリアジャ姫は、二人の元へやって来た。
「アベルさん、リョウさん、よろしくお願いします」
「全力を尽くすことを約束する」
「好待遇も約束してもらっちゃいましたし、任せてください」
アベルが請け負い、涼がホクホク顔で答える。
船に乗り込む際、アベルはカブイ・ソマルに尋ねた。
「途中で、藩王国海軍が襲ってくる可能性はないのか?」
「ああ、それはグス提督が、という意味だな?」
アベルの質問の意図を理解し、ニヤリと笑うカブイ・ソマル。
イリアジャ姫とカブイ・ソマルを国外追放にした中心人物のグス提督は、対王国主戦論者でもある。
そして、これまでも、何度もカブイ・ソマル率いる王国海軍と戦ってきた人物でもある。
「グス提督に限って言うなら、それはない」
「ほう?」
「提督は頑固だし、王国が大嫌いだし、滅ぼしたいと思っているかもしれんが……それは、正面から打ち破って滅ぼしたいと思っている。曲がったことが大嫌いで、謀略のぼの字もやらん、海の男だ」
「……そこまでまっすぐだと、戦では勝てんだろう」
「そう、だから私の全勝だ」
アベルが呆れ、カブイ・ソマルは肩をすくめた。
「まあ、敵ではあるが、人としては素晴らしい人物でもある。絶対に、藩王を裏切ることはない人物だからな」
カブイ・ソマルがそう言った時の表情は、自嘲が混じっていた。
勅命であったとはいえ、反乱を起こしたのだから。
「勅命だったんだ。誰もあんたを責めんだろう」
「そう言ってもらえると、少しは救われる」
アベルが慰め、カブイ・ソマルは小さく首を振った。
アベルは、カブイ・ソマルと共に、レインシューター号に乗り込んだ。
その前には……固まったままの涼が。
「リョウ?」
「あ、アベル……ついに、乗り込んでしまいましたよ。船の革命、レインシューター号に」
「お、おう……」
「中も優美ですね。かなり広いですし。船の全長も五十メートルくらいですか? 素晴らしいです」
「そうか……リョウは乗り込むのは初めてか」
「まさか、アベルは乗ったことがあったんですか! 卑怯な!」
「いや、何が卑怯なのか分からん」
涼が弾劾し、アベルが受け流す。
涼はフラフラとキャビンの中を、あっち行きこっち行きしている。
「五分後に出発する。港内にいる間は、いちおう適当な席に座っておいてくれ。港外に出たら、船首でも船尾でも好きにくつろいでもらって大丈夫だ」
カブイ・ソマルがやってきて、アベルに説明した。
ちょうどそこへ、フラフラしていた涼がやって来て、興奮して言う。
「喫水より上は風属性魔法、喫水下は水属性魔法というハイブリッド航法だと思うのですが、アベルはその詳しい仕組みは知っていますか?」
「いや、錬金術でどうこうということしか知らん」
「むぅ……後で、その辺も見せてもらえ……あ、カブイ・ソマルさん、その辺も見せてもらえますか?」
涼は、カブイ・ソマルがすぐ近くにいることに気付き尋ねた。
「それは構わんが……ずっと不思議に思っていたのだ。二人は、この船をなぜ知っているのかと」
「え?」
「ほら、広場で叫んでいただろう。レインシューター号について話したいと。この船は、現在ブラルカウ号と呼ばれている。接収した際、誰も本当の船名を知らなかったために、海軍によってそう名付けられた。だが、半年後、補修作業の際に『レインシューター号』と記された箇所が見つかってな」
「それは、操舵輪か?」
アベルが問うと、カブイ・ソマルは目を大きく見開いた。
本当に驚いたようだ。
「ああ。やはり、この船に詳しいのだな」
「そう、造船されたのは我がナイトレイ王国でだ。だが、海洋調査に出て行方不明になった」
「ほぉ……。スージェー王国海軍が接収したのは、海賊からだな。根拠地を襲撃したら、この船もあったそうだ」
「海賊……」
カブイ・ソマルの説明を受け、涼は悲しげな視線をレインシューター号に向けた。
そして、優しくその壁をなでる。
「あ~我が海軍もそうだが、その海賊たちも、この船は大事にしていたらしく、接収した時も磨き上げられていたらしい……」
「おぉ! 海賊も、良いものは良いと理解できるのですね! 良かった、レインシューター……」
涼は嬉しそうに壁をぺしぺしと叩いた。
ナイトレイ王国を離れても、レインシューター号が大切にされていたことを知って、嬉しかったのだ。
「アベル、レインシューター号は大切にされていたそうです」
「お、おう、そうみたいだな」
「僕は、この船を強奪して、ナイトレイ王国まで戻るのは良くないと思っています。このまま、この多島海地域で、船の女王として君臨するのがふさわしいのではないかと……」
「うん、まず強奪するとかそんな予定は無かったし、話も全くしていないからな。護国卿から変な目で見られているから注意しろ。まあ、船の女王というのは良い表現だ。確かに、この優美な外観にふさわしい」
涼が妄言を吐き、アベルがたしなめる。
隣で聞いていたカブイ・ソマルの眉が、僅かに上がったのが見えたのだ。
「レインシューターを返せとか言うつもりはない」
アベルは、カブイ・ソマルにはっきりとそう告げた。
「そう言ってもらえるとありがたい。確かに二人は姫の恩人であり、これからも手伝ってもらう大切な客人でもあるが、この船は王国海軍の所属なのでな。例えば私の一存でどうにかなるものでもない」
国の所有物、財産を、勝手に他国の人間に譲り渡してはいけないのだ。
「僕は、レインシューター号が幸せならそれでいいです!」
涼がはっきりと言い切る。
「我が海軍では、大切に扱っている」
カブイ・ソマルもはっきりと言い切った。
彼も海の男だ。
部下も含めて、命を預ける船を、ぞんざいに扱ったりはしない。
その返事を聞いて、涼は笑顔を浮かべて、再びレインシューター号の壁をぺしぺしと叩いた。
満足したり、喜びを表す時の涼の癖らしい。
「まあ、みんな幸せならそれが一番だ……」
アベルは、強引に自分を納得させたのだった。
レインシューター号は、静かに港を出た。
それはそれは、驚くほど静かに……。
「この船は、喫水下が深くない。そのために、浅い海でも航行できるし、それほど大きくない港でも接岸できる。そして、静かだ」
「普通そういう船は不安定になるが、それを三胴によって補正していると、以前説明を受けた」
「そう、アベル殿の言う通り。やはり詳しいな」
「まあ、珍しい船だったからな。俺もいろいろ質問したんだよ」
カブイ・ソマルが感心し、アベルは苦笑しながら答えた。
ちなみに、涼は窓にかじりついて、外の景色を見ている。
かと思えば、キャビンの中をウロウロして、あっちをぺしぺし叩き、こっちをぺしぺし叩きしている。
とても嬉しそうなのは、誰の目にも明らかだ。
「リョウさんは、この船が好きなのですね」
「はい、姫様! とても素晴らしい船です。将来、女王の御座船にされることをお勧めします」
「私一人で決める事はできませんが……希望として聞いておきますね」
涼の提案を、イリアジャ姫は笑顔で受け止めた。
もちろん、二人の会話は、アベルとカブイ・ソマルの所にまで聞こえている。
「あんなことを提案しているぞ」
「うむ……私一人でも決めることはできん……。王国海軍の旗艦の一つになっているからな……。まあ、頭の片隅には置いておこう」
アベルが言い、カブイ・ソマルも答えに困った。
無邪気な提案は、時として大人たちを困らせるのだ。
完全に港から離れると、レインシューター号は船速をあげた。
「おぉ~」
涼が思わず喜びの声をあげる。
その無邪気な声に、船長と操舵手が笑顔を浮かべた。
「最高速度はまだまだ速いのだが、これでも十分な速度だろう?」
「ええ、素晴らしいですね! まさに、船の女王にふさわしい性能です」
カブイ・ソマルの言葉に、涼が嬉しそうに答える。
涼の中では、レインシューター号は船の女王で確定しているようだ。
「殿下、今一度、これからの予定をお伝えいたします」
「はい」
カブイ・ソマルが、イリアジャ姫に今後の予定を話し始めた。
涼とアベルも、横からこっそり聞いている。
まあ、こっそりというのは、涼の主観的意識だ。
アベルはもちろん、姫も護国卿も、聞いているのは分かっているから。
「あと三時間後、国境を越えます。スージェー王国側国境には、王国海軍四百隻が停泊しており、それと合流します」
「四百は多いですね。私の記憶では、中央海軍ほぼ全軍では?」
「おっしゃる通りです。藩王国に圧力をかけるために駆り出しました。それと、今回のように姫の護衛と、都港への入港を演出するために」
イリアジャ姫が首を傾げながら問い、カブイ・ソマルは頷いて答えた。
少しだけ笑いながら。
王の入城は、大々的なイベントの一つだ。
力の誇示という意味もあるが、それ以上に、民に対して、民を守護する者が帰還したことを示す必要がある。
多島海においては、それは『入港』ということになる。
王が乗る御座船が都の港に入り、そこから王が降りてくる。
ある種のセレモニー。
区切りをつける、という意味で、式典、セレモニーは必要だ。
一見無駄に見えるかもしれないが、セレモニーが行われることによって、外に対しては告知、内に対しては心の整理……それらが、半ば強制的に行われる。
「王城に入城して、一週間後、即位式を予定しております」
「早いですね。即位式は、王国各地の貴族が都に集まってきて、執り行われますよね。彼らの移動は間に合いますか?」
「外縁の貴族たちはさすがにギリギリでしょうが……大丈夫でしょう。入城と同時に、即位式の日程と案内が各貴族に届くように手配してあります」
カブイ・ソマルの説明に、涼は静かに驚いていた。
(できる男だ)
そこで、チラリと横にいるアベルを見たいなとも思ったのだが、我慢した。
絶対、何か怒られると思ったから。
君子は、危うきに近寄らないのだ。
「分かりました。その辺りの日程や手配はお任せします。私が気を付けておくべき事は、何がありますか?」
「毒にお気を付けください」
イリアジャ姫の問いに、カブイ・ソマルは即答した。
その一言で、イリアジャ姫の表情が変わる。
当然、毒への備えは、介入してくる可能性が高いアティンジョ大公国の事を考えてだ。
「私を含めて、彼らの毒で生死の境をさまよった者は多いです。あるいは、実際に命を失った者も。いちおう、中央錬金術研究所などが、毒消しの錬金道具の開発を行っておりますが……難しいようです。まあ、当然と言えば当然ですね。簡単にできるのであれば、今までに開発されているはずですし」
カブイ・ソマルはそう言うと肩をすくめた。
「対症療法ではありますが、王城には多島海地域各地、さらに大陸からも取り寄せた様々な解毒剤を準備しております。さらに、何の毒なのかを診断する治癒師も。ですので、王城にいる限りは、もし毒にやられたとしても、よほど即効性の致死毒でもない限りは大丈夫です。それらの特徴については、王城で学んでいただきますし」
カブイ・ソマルは、そこで一度言葉を切った。
そして、一息入れてから、言葉を続けた。
「可能性として高いのは、もっと直接的な襲撃です」
「王城の中でですか?」
「はい。アティンジョ大公国は、昔から刺客を使って国主を殺し、混乱を生み出してそこにつけこむという謀略が得意な国です。今回、連邦での内戦も彼らが仕掛けたものでしょう。さらに我が王国にも仕掛けてきたわけですが……当初は、連邦の内戦に多島海地域から介入させないための謀略かとも思われたのですが、どうもそうとばかりは言えないようです」
「……つまり、スージェー王国そのものに影響力を伸ばしたい?」
「もしくは、もっと直接的に、玉座を手に入れたい」
「そんな……」
カブイ・ソマルの言葉に、驚くイリアジャ姫。
よく理解できていないのが、アベルと涼だ。
「横からすまんが。イリアジャ姫より、王位継承権が上の人物が、まだいるのか?」
「難しいところなのだ」
アベルの問いに、カブイ・ソマルが小さく首を振りながら答える。
「彼らが担ぎ出そうとしているのは、王太子殿下の長男ジョルト殿。まだ五歳だ。当然、第一王太子妃が摂政となるが、妃はアティンジョ大公の姪だ」
「ああ……」
カブイ・ソマルの説明に、涼が頷く。
ありそうな展開だ。
「本当に、姫様とジョルト殿を除けば、直系王族はもういない。国王陛下が亡くなられ、王太子殿下に王位が移っていれば、確かにジョルト殿は王位継承権第一位となっただろう。だが、王太子殿下と国王陛下が亡くなられたのはほぼ同時。そうなると国法では、ジョルト殿の継承権はイリアジャ姫よりもかなり後ろになる……」
「その辺りは、国によっていろいろだからな」
アベルが小さく首を振る。
「現在、イリアジャ姫が王位継承権第一位だ。だが……」
「そう、すんなり認めない者たちがいるよな」
「うむ。国王陛下が先に亡くなられたと主張している……」
「面倒ですね……」
アベルが顔をしかめ、カブイ・ソマルが補足し、涼がため息をつく。
当事者であるイリアジャ姫は、苦笑しながら聞いている。
その辺りに問題が出るのは、予想していたのだろう。
苦笑を引っ込めて、はっきりと言い切った。
「ですが私は、女王になると決めました」
それを聞いて、思わず頭を下げるカブイ・ソマル。
大きく頷く涼。
アベルは、小さく何度も頷いて思った。
(さすがに、王女として育っただけの事はある)
王たるもの、柔軟さも必要だが、熟考に熟考を重ねたうえで決断し、行動に移したのであれば、ブレてはいけない場合が多い。
王がブレれば、周りが混乱するからだ。
その事を、自らの経験で知っているアベルには、イリアジャ姫の行動は好ましく見える。
それは当然、応援したいと思えるものであった。




