0459 護国卿
蒼玉商会ワンニャ支店を出た二人。
「困りましたね。護国卿に会う手段が思いつきません」
「相手は、国のトップだ。そう簡単には会えんだろう?」
「普通こういう場合、護国卿が乗る馬車が襲われていて、そこに僕らが通りかかって助けて、関係が構築されるとかのパターンだと思うのですよ」
「だから、そういうのはないから」
涼がラノベ的王道展開を希望し、アベルが言下に否定する。
「だいたい、国の使節の警備なんて、一番厳重に行うもんだろうが」
「アベルの言いたいことは分かりますけど……」
「諦めろ」
涼は口をへの字に曲げて不満げに言い、アベルは一言でシャットアウトした。
そんな二人は、宿泊している『蒼玉亭ワンニャ』に向かっている。
当然、途中では、『平和の海亭』の前を再び通ることになる。
そこには、今度は、けっこうな人だかりができていた。
だが、『平和の海亭』の入口付近は、守備兵によってかなり広い空間が確保されている。
もしも、この中に暗殺者が潜んでいても対応できるように……だろうか。
「商港にあった人だかりと同じような感じですね」
「船の主を一目見ようと、みたいな感じか」
涼とアベルがそんな会話をしていると、一台の馬車が宿の前に停まった。
すぐに、守備兵によって厳重に守られる。
「まさか……」
「これは護国卿が到着するパターンですよ!」
アベルが驚き、涼が嬉しそうに言う。
そして、言葉を続けた。
「そんな中で、暴漢に襲われる……」
「そうならないように、かなり厳重な守りだぞ」
「うっ……さすがに、そこまで完璧なパターンにはなりませんか。残念です」
馬車から降りてきたのは、ただ馬車から降りるだけで圧倒的な存在感を放ち、誰も無視できなくなってしまう男。
その存在感にあてられて、人だかりの者たちの声が止んだ。
そこに響き渡る声。
「護国卿、ここにいるアベルが、あなたの策を潰し、出張る羽目になった元凶です。それと、港のレインシューター号について、お話ししたいことがあります」
「おい……」
その声が合図になったのか、人だかりの者たちの声が復活した。
もちろん、その声が響いている間もカブイ・ソマルは止まることなく歩き続け、『平和の海亭』の扉をくぐった。
だが、そこで立ち止まり、傍らに従う男に言う。
「ナルン、今の言葉、聞いたか?」
「はい閣下。ですが、あのような妄言、よくあります。ここは敵国、囃し立てる者もおりましょう」
ナルンと呼ばれた男は、小さく首を振ってそう答えた。
「いや、そこではない。まあ、そこも気になるが……。そこではなく、レインシューター号という言葉だ」
「レインシューター? そういえば、言っていましたね。それが何か?」
「おそらく、レインシューター号というのは、ブラルカウ号の元の名だ」
「なっ……」
カブイ・ソマルの言葉に絶句するナルン。
彼らが乗ってきた船はブラルカウ号と呼ばれているが、それはスージェー王国海軍が接収して命名された名だ。
接収した相手も、元の船の名は知らない。
かつて船尾には、船の名が描かれていたようだか、接収した時にはその塗料も剥がれていた。
だが、接収して六カ月後、操舵輪を修理のために取り外したところ、『レインシューター号』という船名が刻まれているのが見つかった。
おそらく、ブラルカウ号の元の名であろうと思われたのだが……。
「その名を知っているのは、海軍どころか、あの船に関わる者でもほんの僅かだ。その名が、あの場で叫ばれたのは興味深い」
「確かに」
カブイ・ソマルの言葉に頷くナルン。
「ナルン、先ほど声をあげた者たちが何者なのか知りたい。探れ」
「承知いたしました」
「それと、ロックデイに『アベル』という名について尋ねろ」
「提督は、ゴラン監獄ですが……」
「あそこには、以前からこちらの手のものを潜りこませているだろう?」
「はい。よろしいので?」
「構わん。使え」
「承知いたしました」
ゴラン監獄とは、このワンニャ島の、街の反対側にある監獄だ。
主に、政治犯や戦争捕虜を収容している。
戦争捕虜が入れられる性質上、スージェー王国は、間諜を紛れ込ませ、看守の多くに金をばらまいて懐柔していた。
それを使って、情報の確認を行えと言ったのだ。
「さて……いったい何者か……」
カブイ・ソマルの呟きに答える者は、誰もいなかった。
「リョウ、あれはどういうつもりだ」
「アベル、これで相手の出方を見るのです」
「それは分かるが……俺の名前を叫んで……俺が襲われたらどうするんだ?」
「大丈夫です! 襲ってきた奴を逆に捕らえて、それで面会を迫ります!」
「……俺の安全は?」
「自分の身は自分で守りましょう」
アベルに、はっきりと言い渡す涼。
もちろん、深い信頼関係があるからこその会話だ。
……多分。
「リョウのせいで、襲われるんだが……」
「でも、スージェー王国海軍の狙いを潰したのはアベルじゃないですか。僕は、嘘は言ってませんよ」
「橋を架けたのはリョウ……」
「彼らの復讐心を、アベルが一手に引き受けてくれれば、全てが上手くいきます! 安心してください」
「うん、襲われる側としては、全く安心できないんだ」
涼が大きく頷いてアベルの肩を叩き、アベルは首を振りながらそう呟いた。
その日の夜、『平和の海亭』特別貴賓室。
「報告いたします」
護国卿カブイ・ソマルの副官ナルンが報告を始めた。
「夕方の声は、この広場の一角にある『蒼玉亭ワンニャ』に宿泊する者たちでした」
「『蒼玉亭ワンニャ』か。以前、泊まったことがあるが、高級宿だ。そこに宿泊する事ができるだけの者たち、ということか」
「夜、『蒼玉亭ワンニャ』のメインダイニングに二人はディナーに現れましたので、宿泊しているのは確かです。ただ、名前を探り出すことはできませんでした」
「あれだけの宿だ、従業員たちもしっかりしているだろう。客の情報を漏らすようなことはあるまい」
副官ナルンが申し訳なさそうに報告するのに、カブイ・ソマルは鷹揚に頷いた。
「明日も、お時間をいただければさらに調査を重ねます。ロックデイ提督には、今夜、接触しますので、そちらの報告も合わせて……」
「ああ、任せる。ただ、あまり深追いするな。決して、敵対すると決まった相手ではない。衝突は可能な限り避けろ」
「承知いたしました」
カブイ・ソマルの命令を受け、ナルンは頷いた。
同時刻、ゴラン監獄。
ロックデイ提督の独房に、訪問者があった。
本来、そんな事はあり得ない。
あり得ないのだが……ここでは、金さえ積めばどんなことでもあり得るとも言える……。
「戦闘に関しての報告を」
訪問者がそう言うと、ロックデイは一つ頷いて話し始めた。
移送艦隊を襲撃した、件の戦闘に関しての報告だ。
全ての報告を聞き終えると、訪問者は一つ頷いた。
全くメモを取った様子はないが、全て記憶したことをロックデイは知っている。
そんな変わった能力の持ち主が、カブイ・ソマルの周りには何人かいる。
「閣下からの質問が一つ。『アベル』という人物は何者かと」
訪問者の質問に、ロックデイ提督は驚いた。
そして、ゆっくりと答える。
「さすがは閣下。すでにアベルを知っていたとは……。そのアベルこそが、先ほどの報告の中に出てきた、真っ先に氷の橋を渡ってきて、モンラシュー司令を圧倒した剣士です。中央諸国のナイトレイ王国から来ており、蒼玉商会護衛隊に協力しておりました」
「なるほど。報告させてもらう」
「あ、お待ちを」
立ち去ろうとする訪問者を慌てて止めるロックデイ。
「そのアベルと組んでいる水属性の魔法使いも厄介です。リョウという名前です。先ほどの氷の橋……その構築の中心となった魔法使いだと思っていたのですが……探ってみると、そうではありませんでした。その氷の橋は、リョウが一人で構築したのです」
「……先ほど、二百メートルの橋と言わなかったか?」
「はい、言いました。複数の魔法使いで構築する大魔法でも難しいのに、ただ一人の魔法使いが架けたのです。どうか閣下にお伝えください。アベルとリョウには気を付けてくださいと。今回の戦闘、認めるのは苦しいですが、この二人にやられたようなものです。ゆめゆめ油断なさるなと」
「承知した」
ロックデイは二人の脅威を伝え、訪問者は頷いて記憶した。
訪問者にも、にわかには信じがたいが、それは関係ない。
聞いたことをそのまま伝えるだけだ。
事実かどうかは、カブイ・ソマルが判断する。
翌日。
コマキュタ藩王国王宮の藩王会議室では、今日も会議が開かれていた。
連日、会議が開かれている。
当初は御前会議だったのだが、昨日より藩王が体調を崩し出席を見合わせていた。
そのため、以前よりも更に混迷を深めている。
混迷を深める会議……それは、結局何も決まらないということだ。
そんな会議に、今日も出席している外務省第五次官ドスナジ。
ここにいる間も、本省では仕事が進んでいるため、彼が処理すべき仕事は増えていっているはずだ。
「せめて、何か決まってくれれば……」
ドスナジはそう呟く。
何も決まらない会議ほど、疲労するものはない。
これだけ議論しているのに、なぜ決まらないのか。
議論というものの存在価値とは何なのか。
そもそも、何かを決めるために議論をする必要などあるのだろうか。
結局、議論は、何が正しいかを決めるものではなく、誰が議論を進めるのが上手いか、誰が決定する力を持っているかが現れるものでしかないのではないか。
会議に全く関係のない事を考えてしまうのだ……。
今、話し合われているのは、相も変わらずイリアジャ姫の処遇をどうするか。
それと、カブイ・ソマルから出されている、イリアジャ姫への面会希望をどうするか。
いつものように、対王国主戦論者で、海軍のタカ派グス提督が、イリアジャ姫とカブイ・ソマルの国外追放を叫んでいる。
それを、穏健派と言われるボタン首相がなだめる。
そこに、多くの大臣たちの勝手な意見が飛び交い……。
ドスナジは小さくため息をついた。
そして呟くのだ。
「今日も変わらない」
だが、そうではなかった。
報告が飛び込んできた。
「報告いたします。スージェー王国海軍が、国境付近に展開したとの事です。その数、四百隻」
「四百!?」
「主力全軍……か……」
「スージェー王国は、全面戦争でも始めるつもりか!」
「いや、護国卿カブイ・ソマルは、このワンニャにおります」
「つまりこれは……」
「さっさと決めろという……」
「脅し……」
「おのれカブイ・ソマル! 我らは、貴様の脅しになどのらぬぞ!」
最後のセリフは、主戦論者のグス提督だ。
だが、彼の威勢に乗る者はいない。
誰しもが、国境に現れた四百隻の艦隊に怯えていたから。
交渉は、硬軟織り交ぜて。
コマキュタ藩王国は、カブイ・ソマルに翻弄されていた。
その夜。再び、『平和の海亭』特別貴賓室。
「報告いたします」
昨晩に続いて、護国卿カブイ・ソマルの副官ナルンが、報告を始めた。
まずはロックデイの戦闘報告と伝言を。
続けて、件の二人に関して、今日分かったことを。
「名前は、アベルとリョウ。『蒼玉亭ワンニャ』に宿泊しています。この宿泊も、蒼玉商会の『特別な客』だそうで、あらゆる便宜が図られているそうです。また、ロックデイ提督の戦闘報告は正確なようで、水属性魔法使いのリョウが氷の橋を架け、剣士のアベルが蒼玉商会護衛隊と共に旗艦に乗り込んで、モンラシュー司令とロックデイ提督を倒したそうです」
「なるほど。慎重なロックデイが、旗艦に乗り込まれるのは珍しいなと思っていたが……二百メートルもの氷の橋か。しかもモンラシューとロックデイの二人を敵に回しても、圧倒する剣士までいれば……負けは仕方ないか」
ナルンの説明を受け、カブイ・ソマルは苦笑した。
そして、言葉を続ける。
「二人とも、非常に興味深い人材だな。興味深いのだが……今は、王女殿下の件が最優先……」
「はい」
「艦隊は、手はず通り国境に移動したな?」
「はい。コマキュタ政府にも報告は届き、御前会議は一時騒然としたそうです」
「そうか。ここまでは予定通りか」
ナルンの報告を聞き、頷くカブイ・ソマル。
藩王国側が、イリアジャ姫の身柄引き渡しを断固拒否するであろうと予測して打っておいた手だ。
もちろん、それ以外の場合でも効いてくる手でもある。
効果は、『押し』
カブイ・ソマルの動き、希望を、後ろから押してくれる……そういう効果になるはず。
「明日、再び王宮に参内し、王女殿下への面会を求める」
「承知いたしました。ただ、ここ数日、藩王陛下の健康がすぐれないそうですので、陛下への謁見は難しいかと」
「らしいな。ボタン首相に要求してみよう」
「うまくいくでしょうか?」
「さてな。少なくとも、グス提督に要求するよりはマシであろうさ」
カブイ・ソマルはそう言うと笑った。