0004 決戦の日
『ファイ』に来て十三日目。
いよいよ決戦の日。
慣れた手際で火を起こし、肉を食べる。
ゆっくりと、これまで準備してきたことを頭の中で反芻しながら……。
食べ終わると、持っていく物の確認である。
キズグチ草はすでに磨り潰し、水魔法で冷凍パックしてある。解凍すればすぐに傷口に当てることができるように。
先端にナイフを付けた竹槍。ナイフと竹槍の接合部分を、生成した氷で補強する。
以上。
実際、結界の外に持っていくものは、あまり無かった。
目的は火打石と解毒草を手に入れること。
それと、弱い魔物との戦闘……できればスライム希望!
あまり遠くまで行くつもりはない。
何かあった時に、すぐに結界内に逃げ込めるような距離でなければ困るからだ。
少しだけ目を瞑り、呼吸を整える。
「よし、出発」
目指す方角は南西方向。五百メートルほど先には海岸があるとミカエル(仮名)が教えてくれた方角だ。
火打石として使える石はいくつもあるのだが、涼はそれほど詳しくない。
そんな詳しくない涼でも見分けることができ、火打石として使われてきた実績のある石が『石英』だろう。
石英の中でも無色透明なものを水晶と呼ぶが、そこまでいかない、はっきり言って不透明な白い石英なら、けっこうよく落ちているのだ。
そんな石を見つけるのにいい場所は、河原。
川があるのなら、それは海に繋がっているはずである。
ならば、家から海にいたるどこか途中で、川に出くわしたりしないだろうか……。
「まあ、なければ、次回は反対側とか行ってみればいいし。ある意味冒険。何が起こるかわからないのが、冒険だよね」
結界を出る時、ほんのわずかな抵抗を涼は感じた。
「今の感触が結界の外縁ということか」
森の中ということもあり、視界はあまりよくない。
耳を澄まし、聴覚情報に頼りながらゆっくり歩いていく。
遠くで鳥が羽ばたく音が聞こえたりする。
結界を出てから百メートルも進んでいないのだが、突然森が途切れた。
目の前には、対岸まで数百メートルはあろうかという河があった。
「ビンゴ!」
だが、涼が出たのは崖の上であり。河原に降りて火打石を探すのは難しそうな場所。
(このまま上流に歩いていこう)
川は東から西へ流れており、涼は崖の上を慎重に上流へと歩いて行った。
「家から百メートルも行かない場所に、こんな大河があったなんて……。この景色はちょっと感動的……」
とはいえ、景色をゆっくり眺めていられる余裕は、今の涼には無い。
少し歩いていくと、河原に降りることができた。
石英はすぐに見つかった。
試しにちょっと火打ちをしてみる。
竹槍の先端につけたままのナイフ、その背の部分に拾った石英を打ち付けてみる。
カチッ、カチッ。
「お、火花が飛んだ。これで、太陽が出ていなくても火を起こせる」
そうと分かれば、長居は無用。
川は獣の水飲み場。何がやってくるかわからない。
急いで元来た崖の上に戻り、北東の方角に向かってみる。
(このまま北に行けば、家の結界の南端に出るはず。北東に向かえば、左手に家を意識しながら、という感じで動けるはず……)
何か起きた時に、すぐに家の結界に逃げ込める。
何度も言うが、これは、今の涼にとって何より大切なことだ。
そもそも、この『ファイ』の魔物がどんな強さなのかも知らないのだから。
スライムならきっと倒せる、そう思ってはいても、スライムが出てきてくれるとは限らないわけだし。
もちろん、スライムの事も、『魔物大全 初級編』で読んだだけだ。
火打石はすぐに見つかったが、解毒草はなかなか見つからなかった。
家の位置を常に意識しながら移動したために、結界からそれほど離れてはいない。
「これは……なかなかに大変だ……さて、どうしたものか」
植物大全に、何かヒントがなかったかと解毒草のページを思い浮かべていたからか……少なくとも意識が周りへの注意から逸れていたのは確かであろう。
ふと気づくと、イノシシがこちらを見ていた。
「しまった。あれは、レッサーボア」
レッサーボアは涼に向かって、一直線に向かってきた。
あれはレッサーボアである。
こちらに向かってきている。
迎撃しないといけない。
涼の意識は、それらを認識していた。認識していながら、身体が動かない。
初めて、正面から魔物の殺意にさらされたのだ。
これまで生きてきて、初めて経験する明確な殺意。
蛇に睨まれた蛙が動けないのと同じ原理なのかもしれない。
「やばい、動け、動け、動け~~~!」
ようやく、身体が左に跳んだ。跳んだというよりも、倒れた、という表現の方が近いかもしれない。
「うぐ……」
レッサーボアの突進をかわした際、レッサーボアの牙がわずかに涼の右足をかすり、傷を負う。
だが、倒れたままではどうにもならない。
通り過ぎたレッサーボアは、速度を落として止まり、振り返って涼を見た。
その目に浮かんでいるのは明確な殺意。それとも突進をよけられた怒りか。
「落ち着け」
と言って落ち着くことができたら、誰も苦労はしない。
涼も例外ではない。
心臓は早鐘の様に脈打っている。
頭の中は真っ白……というわけではない。
そうではないのだが、身体が思った通りに動かないのだ。
再び突進してくるレッサーボア。
相変わらず、思うように動けない涼。
だが、身体は動かなくとも涼には魔法があった。
繰り返し繰り返し、何度も何度も、修練に修練を重ねた水属性魔法。
努力は裏切らない。
「<アイスバーン>」
涼の前からレッサーボアの前まで、幅二メートルほどの氷の道路ができ上がる。
勢いのついたレッサーボアはその勢いのままアイスバーンの上を涼に向かって滑ってくる。氷の上だ、止まりたくても止まれない。
「<アイシクルランス16>」
未だ飛ばせないアイシクルランスだが、アイスバーンから生やすことはできる。
槍衾のように、涼の前に生まれた。
その数十六本、氷の床から生えた角度は三十度。
止まることのできないレッサーボアは、正面からアイシクルランスの山に突っ込んだ。
「ギョォォォォォォ」
突き刺さるアイシクルランス。激痛から叫びをあげるレッサーボア。
まだ、レッサーボアは死んでいない。
だが、涼を縛っていた死への恐怖は解けた。
涼の身体は、ようやく動くようになった。
ナイフ付き竹槍を構える。
涼は剣道はやっていたが、槍の動かし方などは当然知らない。
だが、難しいことは考えない。突き刺すだけ。
顔、首、足の付け根、何度も何度も突き刺す。
身体は動くようになったが、決して冷静というわけではない。
一心不乱に竹槍を突く。
何度も、何度も、何度も……。
何十回突き刺しただろうか。
ようやく、レッサーボアが動かなくなっていたことに涼は気づいた。
「勝った……」
この日、涼は初めて、魔物を倒した。
「早くこの場を動かなきゃ」
血の匂いに惹かれて、何が集まってくるかわかったものではない。
気力を振り絞って涼は立ち上がる。
問題は、レッサーボアの死体。
見るからに重そうだ。
「さて、どうやって運ぶか」
もちろん、ここに置いていく、などという選択肢は無い。
初めての獲物だ。
今夜はこのレッサーボアの肉を食べる、涼はそう決めている。
結界までの距離はそれほどないはず。せいぜい百メートル。
そこでふと目に入ったのはレッサーボアを滑らせたアイスバーンであった。
「レッサーボアの下に氷を敷けば、引っ張れるかな?」
結界まで全部アイスバーンを敷いてしまうと、引っ張る自分まで大変なことになる。
少し調節しながら、レッサーボアの下にだけ氷の道を生成しながら引っ張っていく。
「おお、これはちょ~らくちん」
恐らく二百キロ近い重さのあるレッサーボアだが、片手で簡単に引っ張っていける。
そして……結界をくぐり、家の前にたどり着いた。
「やっと……たどりついた……」
精も根も尽き果てた一人の青年が、そこにはいた。
解毒草こそ入手できなかったが、火打石と初戦闘勝利とレッサーボア一体。
十分な戦果であった。