0458 やってきたのは
「地下大浴場も凄かったです」
「確かにな。憧れの宿というのも、分からんではないな」
涼とアベルが、『蒼玉亭ワンニャ』の驚くべき一面を体験した。
二人がいるのは、『蒼玉亭ワンニャ』のカフェだ。
『カフェ・ブルー』というらしく、宿に泊まっていない人でも利用できる。
ただし、かなりお値段が高いようで、利用している人は、見るからにお金持ち……。
「ここ……僕たちは、飲み食い自由なんですよね」
「ああ。蒼玉商会は凄いな」
涼がその厚遇に震え、アベルが蒼玉商会の太っ腹さに驚く。
そして、二人の前には、当然のように蒼玉亭特製ブレンドコーヒーが。
その完璧な香りをかぎ。
その類稀な滑らかさを楽しみ。
その全てを飲み込む……。
「ほぅ……」
異口同音に、二人の口から漏れる満足の吐息。
それは、コーヒーが至る事のできる頂点の一つではないかとすら、感じさせる。
それ程の完成度。
二人が座るのは、窓際の席。
窓の先には、ワンニャ第二中央広場がある。
涼は、ふと窓の外を見た。
中央広場の端の方にある宿に、かなり厳重な警備が敷かれている。
昨日は、そんなことはなかったはずなので、何かあったのだろうか。
涼のそんな姿を見て、アベルも涼の視線を追った。
「ああ、あれは『平和の海亭』という宿らしいぞ」
アベルが、厳重な警備が置かれた宿を見て言う。
「なんで、アベルがそんな事を知っているんですか?」
「さっき大浴場で、他の客が話していたのが聞こえたんだ。何か、他の国の偉い人が突然来たとかで、宿を政府が借り上げたらしい」
「それ……どこかで聞いた気が」
「マニャミャの街でもあったろう」
「そうでした! イリアジャ姫の宿を借り上げたんでしたね。まさか、またスージェー王国からの人とか……」
「さあてな」
涼が適当推測を述べ、アベルが適当受け流しを発動する。
涼の、本当に適当な推測が当たった、珍しい例であった……。
「凄い船だな、あれは」
「商港に停泊した、あれだろ? 『平和の海亭』に入った奴が乗ってきた船らしいぞ」
「何? じゃあどっかの国のお偉いさんか? 国が作ったにしては攻め過ぎだろう、あの外観は」
「俺に言われても……」
涼とアベルが広場の景色を楽しみながらコーヒーを飲んでいると、一つはなれたテーブルからそんな会話が聞こえてくる。
元々は、会議所の売上がどうこうとか、入会金があれでとか、そんな話をしていた三人であったが、いつの間にか、商港に停泊した船の話題に流れたのだ。
着ている服は立派だが、元々海の男なのだろう。
珍しい船の話題で盛り上がっている。
当然それは、二人の興味を引いた。
「アベル、攻め過ぎな船があるらしいですよ」
「らしいな。何だよ、攻め過ぎな船って……」
「国では作らないような攻め過ぎな船……気になります」
「バシュティーク号は、でかい船ではあったが、攻め過ぎな外観ではなかったしな……」
涼もアベルも、攻め過ぎな船なるものが気になった。
海の男たちから見ても攻め過ぎな船とは、いったい……。
二人は、攻め過ぎな船を見に席を立つのであった。
商港にできた人だかりを抜け、涼とアベルはそれを見た。
「アベル……僕は、夢を見ているようです」
「リョウ……奇遇だな、俺も幻を見ていると思う」
二人が見た船は……。
「レインシューター号に見えます……」
「ああ、俺にもそう見える」
そう、そこに停泊していたのは、かつてナイトレイ王国ウィットナッシュで建造された、船の革命とすら言われたレインシューター号。
それは、トリマラン、つまり三胴船であり、他の船とは一線を画す驚くほど優美な船。
帆も櫂も、もちろんスクリューもない……喫水下は水属性魔法、水上は風属性魔法というハイブリッド航法。
「レインシューター号は、一年前になくなった。アベルはそう言いました」
「ああ、言ったな。『魂の響』を通して、言ったな」
「あの時、アベルは、何て言いましたっけ?」
「一年前に、海洋調査のためにウィットナッシュを出航し、それ以来、帰ってきていない……とか言った気がする」
涼もアベルも、会話しながらも、視線はその船に向いたままだ。
「ナイトレイ王国からこの多島海地域まで……船が……?」
「分からん。過去の王国海洋庁の海洋調査記録によると、ウィットナッシュより東、あるいは南東の方角に航行するのは困難となっていた」
「まさか、それなのに海洋調査を強行した?」
王国の大きな港町は、ウィットナッシュくらいである。
いくつかの小さな漁村と呼ばれる規模の村は点在しているが、とてもレインシュータークラスの船が接岸する事などできない。
「海洋庁からの報告で、強力な海の魔物除けが完成したとあったんだ。実験でも、かなりの成果を出したと。それを積んで、海洋調査を行いたいと……」
「そして、レインシューター号は帰ってこなかった……」
「ああ」
涼もアベルも、顔をしかめている。
涼は、三千七百億フロリンの建造費を思って。
アベルは、その時の自分の判断の甘さを悔やんで。
「も、もしかしたら、レインシューター号の同型船とか、他船の空似とかいう可能性も……」
「あんな特徴的な船にか?」
「……ないですね、やっぱり」
船というのは、外観から真似て同じようなものを造ろうとしても、たいてい上手くいかない。
見えない部分にこそ、設計士や造船技師の技術が込められているのだ。
それは、そこを疎かにすると、致命的な問題を抱えた船になってしまう箇所……。
「やはり一番現実的な解釈は……」
「何らかの方法でレインシューター号が、この多島海地域にまで来た」
涼もアベルも、視線の先にある攻め過ぎな船は、レインシューター号そのものであるという結論に達した。
「あれ……返してもらうこととか……」
「まず、無理だろうな」
涼が提案し、アベルが小さく首を振る。
仮に、レインシューター号そのものであることが証明されたとしても、ナイトレイ王国に返せという要求は通るまい。
しかも、有象無象が使っているのではない。
国一つを支配下に置いた権力者が、隣国に乗りつけているのだ。
「返してください」「いいですよ」が通るわけがない。
場合によっては、権威への挑戦とすら思われるだろう。
だが、それでも……。
「レインシューター号が幸せなら、それでいいです」
「よく意味が分からんが……」
涼は、生まれ故郷から遠く離れ、誰とも分からない者たちに動かされているレインシューター号の気持ちを思いやって言う。
もちろんアベルには、全く意味が分からない。
「レインシューター号には、幸せになる権利があります」
「お、おう……?」
「ちょっと持ち主と話してきます」
「は?」
「持ち主が善い人ならいいです。でも、悪い人だったら、僕が連れ去ります」
「うん、外交問題に発展するからやめろ」
「アベル、止めないでください!」
「いや、止めるだろ!」
涼が決意に満ちた表情で宣言し、アベルが止める。
言うまでもないが、涼がレインシューター号を連れ去る権利は全くない。
一万歩譲って、ナイトレイ王国国王アベルなら……レインシューター号の元々の所属はナイトレイ王国なので、権利を主張するのは分からないではないが……。
「俺ですら、今さら返せとは言えんわ」
アベルは、首を振りながらそう呟いた。
二人は、第二中央広場に戻ってきた。
そこには、二人が宿泊している『蒼玉亭ワンニャ』があるが、目的はそこではない。
『平和の海亭』
レインシューター号に乗ってきた、外国のお偉いさんが泊まっているらしいお宿。
コマキュタ藩王国が借り上げ、宿の前には、王国の守備兵らしき人たちが立っている。
「なあ、リョウ……」
「分かっています。もちろん無理に押し入ったりはしません」
アベルが心配そうに言い、涼が皆まで言うなと大きく頷く。
「くれぐれも、俺らが世話になっている蒼玉商会に迷惑を……」
「分かっていますから。アベルは、僕を信じられないのですか?」
「ああ、全く信じられない」
「なんたる言い草……」
涼は、にこやかな笑顔を浮かべて、『平和の海亭』の前に立つ守備兵に近づいた。
「あの~、すいません」
「何だ? ここは外交使節団が宿泊している。民間人は近づくな」
「はい、承知しております。港に泊まっているレインシューター号で来られた方ですよね」
「……船の名前は知らんが、そうだ」
「どちらの国のどなたなのかを知りたいのですが……。それも、教えてもらうことはできませんか?」
涼は、笑顔を浮かべて、高圧的にならないように、柔らかく問う。
こういう場合、相手が答えてくれるかどうかは、質問の仕方次第なのだ。
ニコニコ笑い、丁寧な言葉遣いの人間を、いきなりどなりつける……よほど変な人でない限りそんなことはできない。
常識的に考えて、よほど変な人を、外交使節団の守備兵として配置したりはしない。
守備兵が外交問題を引き起こしたら、目もあてられないであろう?
もちろん、答えてはならない質問であれば……どうやっても答えてはくれない。
「それは……答えることはできん」
守備兵のお兄さんも、つっけんどんではなく、答えてはならないと上から言われているので答えられない……そんな表情だ。
こういう場合は、いくら押しても無理。
「そうですか。承知いたしました。ただ、その、どこの国からかだけでも……というか、お隣のスージェー王国とかじゃないですか?」
涼は、さらに問う。
それも、明確に答えなくともいいように。
ちょっと頷くだけでいいように。
守備兵のお兄さんは、周りをチラリと見てから、小さく頷いた。
「なるほど! ありがとうございました」
涼は余計な事は言わず、丁寧にお礼を言ってその場を去った。
アベルと合流する。
「スージェー王国のお偉いさんらしいです」
「なるほど。イリアジャ姫の件か……それとも、襲撃艦隊の停戦交渉の先触れか」
「あるいは両方か……」
「両方なら、大物だろうな。難しい交渉になるのは目に見えているから、かなりの権限を与えられないと話にならんだろうし」
「そんな大物だと、僕らじゃ会ってもらえません……」
涼は顔をしかめて言う。
本気で、レインシューター号の現在の持ち主と話をしようと考えているらしい。
いったいどこから湧いてくる情熱なのか。
アベルには全く理解できないために、小さく首を振っている。
とはいえ、他の人に迷惑が掛からない範囲でなら、涼の気持ちをすっきりさせてやるのにやぶさかではない。
「スージェー王国からやってきたのが誰か、蒼玉商会で聞いてみたらどうだ? かなり大きな商会みたいだから、王宮の情報を集める手段も持っているだろう」
「なるほど! 間諜を仕込んでいるのですね。官吏なんて安月給でしょうから、お金をちらつかせれば簡単に情報を渡すでしょうしね。もしかしたら、大臣の幾人かもすでにお金で懐柔を……」
「リョウの言い方だと、悪徳商人だよな……」
「アベル、失礼な言い方をしないでください。正しい判断を下すためには、正しい情報が必要です。正しい情報を手に入れるために、あらゆる手段を尽くすのは当然の事です。お金なんかのために情報を売り渡す官吏が悪いのです」
涼の飛躍論理に小さく首を振るアベル。
国を統べる国王としては、国家中枢の情報が簡単に流出するのは大変困る。
「……金を、官吏に渡すこと自体が法で禁じられていれば?」
「それは仕方ありません。別の方法になりますね。奥さんに船を贈ったり、娘さんに高級人形を贈ったり……」
「お、おう……。多分そういうのは、全部、贈収賄で捕まると思う……」
「国によってはそうかもしれません。ナイトレイ王国がどうなのかは知りませんが」
「王国も……官吏や大臣は、そういうのがあったはずだ」
「くっ……さすが王国ですね。すでに手を打っていたとは!」
「きっと昔、リョウみたいなのが情報を盗んでいったんだろうな」
「まあ、国家中枢の情報を手に入れる手段なんて、古今東西、官吏をお金か異性で篭絡するか、官吏の家族を傷つけるぞと脅して従わせるかくらいですからね。そんなことにならないように、ちゃんと官吏たちを守ってやってくださいね!」
「そ、そうだな……」
なぜか、筆頭公爵が国王に注文を付ける形になり……。
二人は、すぐに蒼玉商会ワンニャ支店に到着した。
商港のすぐそばである。
「いらっしゃいませ。アベル様とリョウ様ですね。本日は何か?」
最初に二人に気付いた店員が、そんなことを聞いてくる。
二人が名乗りもしないのに、誰なのか分かっているということは、情報共有が、ワンニャ支店内でもしっかりされているわけだ。
こういうお店は、伸びる。
株を持っていれば、ずっとキープしておきたいような……。
「すいません、支店長さんかバンソクスさんにお会いしたいのですが……」
「申し訳ありません。支店長はただいま外出中です。護衛隊長は、二階の護衛隊控室にいらっしゃいます。どうぞ、こちらへ」
涼の問いに、すらすらと答えた店員は、先に立って二人を案内してくれた。
ノックの音が響く。
「どうぞ」
中から声が聞こえ、案内した店員が扉を開けて言った。
「アベル様とリョウ様がお見えになられました」
「ん? おう、二人ともよく来てくれたな。今日はどうした? 『蒼玉亭ワンニャ』で何か不満が?」
何か読んでいたバンソクスが立ち上がって、二人を迎え入れた。
「いや、『蒼玉亭ワンニャ』に不満はない」
「ええ、全くありません。とても素晴らしいお宿です」
アベルも涼も、『蒼玉亭ワンニャ』にはとても満足していたので、はっきりとそう答える。
それを聞いて、バンソクスは嬉しそうに頷いた。
自分が直接その運営に関わっていなくとも、グループ企業が褒められれば嬉しいものだ。
それも、自信をもって恩人たちに宿泊を勧めた宿なのだし。
涼とアベルは、勧められたソファーに座り、用件を切り出した。
「『平和の海亭』に泊まっている、スージェー王国からの人物が誰なのかを知りたくてな」
「ああ、話題になっているな。すげー船でやってきたから」
アベルが尋ね、バンソクスは笑いながら答える。
そして、言葉を続けた。
「『平和の海亭』の客人については、王宮内ではよく知られている。例の、護国卿だそうだ」
「カブイ・ソマルか?」
その答えに、アベルも涼も驚いた。
艦隊戦を戦ったばかりの相手国に、国のトップ自らが乗り込む。
「なんて大胆な」
思わず涼が言い、バンソクスも同意して頷く。
「とんでもないよな。国内外から、命を狙われていてもおかしくない立場だ。国内からは旧王家を支持する勢力、国外からはスージェー王国の混乱に介入しようとしている国家。どちらも、カブイ・ソマルを殺したいだろう」
「もちろん、それなりの自衛手段や、もしもの代替計画も準備しているんだろうが……」
「護国卿自らが乗り込む必要があると判断したんですよね。それだけ重要だと」
バンソクスが推測し、アベルもバックアッププランの存在を指摘し、涼もその行動理由を考える。
「重要なのは、艦隊戦の後始末じゃないよな」
「やっぱりイリアジャ姫の方でしょうね。まあ、艦隊戦で勝利して、イリアジャ姫を手に入れる事ができれば、それでよかったのでしょうけど」
「ああ」
「どこかの剣士が邪魔をしたおかげで敗北。護国卿自身が最前線に出てくる羽目になったということですね。これで護国卿が暗殺でもされたら、全てはアベルの責任……」
「なんでだよ! そもそも、敵旗艦に氷の橋を架けて突撃させたの、リョウだろ。俺じゃなくて、全てはリョウの責任だ」
「責任転嫁は美しくないですよ」
「そっくりそのまま返してやるよ!」
魔法使いと剣士の熾烈な争い……。
いつの時代になっても、変わらない構図。
それは、世界平和の難しさの縮図とすら言えるのかもしれない……。