0455 他愛もない会話
襲撃艦隊を退けた翌日。
移送艦隊は、都に向かって整然と進んでいる。
涼は上甲板に椅子とテーブルを出して錬金術の本を読んでいる。
マニャミャの街で購入した、三冊のうちの二冊目に取り掛かっているのだ。
少し離れたところでは、アベルが剣を振っている。
涼が見たところ、今まで以上に一つ一つの動きを確認しながら、丁寧にゆっくりと……振っているように見える。
しばらくすると、アベルは剣を振り終えて、涼のテーブルにやってきた。
当然のように、準備されているアイスマット付きの氷の椅子に座る。
そして、当然のように、差し出されたコーヒーを飲む。
「ふぅ」
口からこぼれる満足の吐息。
そんなアベルの口から呟くように言葉が漏れた。
「スージェー王国は、落としどころはどうするんだろうな」
「落としどころ?」
無視したらかわいそうなので、涼は答えてあげる。
そう、涼はとっても善い奴なのだ。
誰も言ってくれなくても、善い奴なのだ!
「艦隊同士が戦い、捕虜や拿捕された艦も出た。いずれ停戦交渉が行われるだろうが、スージェー王国はどう考えているのかなと思ってな」
「う~ん……」
アベルの言葉に、考え込む涼。
十秒後、涼は顔を上げて言った。
「いっそ切り捨てる、というのはどうでしょうか」
「切り捨てる? 何をだ?」
「捕虜と艦」
「いや……それはないだろ……」
涼のあまりの言葉に、首を振るアベル。
「政府の指示を受けていない艦隊が、勝手に隣国の艦隊とぶつかったと強弁するのです」
「うん、それは絶対無理があるから」
涼の適当こじつけに、アベルのダメ出し。
だが、涼は諦めない。
「陸上での衝突と違って、海での衝突は、戦線の拡大を調整しやすいという側面があります」
「突然、なんだ? どういうことだ?」
「最悪、全滅しても、被害は船と船員だけということです」
「おい……」
「これが陸上であれば、街が落ち、さらに次の街も危険に晒され……戦線のむやみな拡大がありえます。民は不安になり、政情も悪くなり、影響の広がる範囲、速度が海上とは全然違うんですよ」
「なるほど……言いたいことは分かる」
「なので、今回の衝突も、無かったこととして切り捨てる! そういう判断があってもいいのではないかと……」
「うん、やっぱりそれはないな」
涼が展開した最後の飛躍結論に、アベルはやはりダメ出しした。
「もうちょっとだったのに……惜しかった」
「全然惜しくない」
悔しそうな涼、小さく首を振るアベル。
筆頭公爵と国王陛下の、他愛のない世間話だ。
二人が話しているところに、近付いてくる人物がいた。
その人物が二人に近づこうとすると……すぐ横についていた海兵隊二人が、行く手を阻んだ。
「ああ……すいません、とても素敵なコーヒーの香りが漂ってきたものですから」
近付いてきた人物が苦笑しながら言う。
「ロックデイ、だったな」
アベルはそう言うと、少しだけ手を挙げた。
行く手を阻んだ海兵隊が、ロックデイの後ろに下がる。
「投降した方ですね。まあ、どうぞ」
涼はそう言うと、氷の椅子とカップを生成し、フレンチプレスに残っていたコーヒーを淹れてあげた。
「ありがとうございます」
ロックデイはそう言うと、アイスマット付きの氷の椅子に座り、カップを受け取った。
受け取った手は、木の枷が、手錠のようにつけられている。
ちょっと飲みにくそうだが、仕方がない。
その枷を外す権限は、涼もアベルも持っていない。
ゆっくりと香りを味わった後、ロックデイはコーヒーを口に含んだ。
そして、飲み込む。
「おぉ……」
思わずこぼれる呟き。
そして、もう一口。
「これは、本当に美味しいですね」
嬉しそうに言う。
「でしょう? マニャミャの蒼玉亭特製ブレンドです」
涼も嬉しそうに答えた。
そうして、ロックデイはしばらくコーヒーを楽しんだ後、自分が持つ氷のコップを見て言った。
「この水属性魔法は凄いですね」
「いやあ、それほどでも」
ロックデイが称賛し、涼は照れる。
「戦闘中に架けられた、あの氷の橋の指揮を執ったのは、あなたなのですね」
「え……」
ロックデイは笑みを浮かべたまま断定し、涼は言葉を失う。
しばらくきょろきょろと辺りを見回した涼。
そして、ついに口を開いた。
「いったい、何のことだか……」
「あの氷の橋は見事でした。何人もの水属性魔法使いの力を合わせての大魔法でしょうが、中心となって指揮を執った魔法使いは、間違いなく強力な……それこそ、一国に冠絶すると言われるほどの魔法使いのはずです。それが、あなたなのですね」
「ち、違います……」
言ってる内容は追及するかのような内容だが、笑いながらのロックデイ。
そして、何とか逃れようとする涼。
「リョウ、諦めろ」
「アベル! もう少しでごまかせそうだったのに!」
「いや、無理だろ」
顔をしかめる涼。呆れるアベル。
「あんたの魔法も、とんでもなく厄介だったぞ?」
アベルは、ロックデイの方を向いて言う。
完全無音で、暗がりからの五本の石の槍だ。
実際、三本は弾いたが、腹と右足に深々と突き刺さったのだから。
「いやあ、すいませんでした。なにしろ、モンラシュー司令は、我が国の接舷戦術の要になる人物です。死なせると、国元から大目玉を食らいますので」
自分が殺そうとした相手から言われ、さすがに苦笑いのロックデイ。
本当に優秀な人材というのは、そう簡単には見つからない。
確保しているのであれば、何としても守り抜かねばならないのだ。
「アベル、この人に、色々と知られてしまいました。なんで、あっちの旗艦で命を奪っておかなかったのですか!」
「いや、物騒な事を言うな……」
「今からでも遅くありません。口封じを……」
「おい、馬鹿やめろ」
涼の軽挙妄動を止めるアベル。
「情報の取り扱いは、慎重に慎重を期さねばなりません。人ひとりの犠牲くらいなら……」
「ダメに決まっているだろうが」
そんなやり取りを聞き、さらに苦笑するロックデイ。
自分の命を奪おうとしているお話が展開されているのに……。
「仕方ありません。どうせ僕の情報を持っていかれるのであれば、少しでも代わりの情報を引き出しておくことにします」
「代わりの情報?」
「はい?」
涼が口をへの字にして決意表明をし、アベルが訝しげに問い、ロックデイも首を傾げる。
「でもその前に、僕はこの人の立場を知らないのでした」
「今さらかよ」
涼の告白に、呆れるアベル。
そう、確かに今さらな気がする。
「襲撃してきた艦隊の指揮官、ロックデイ提督だ」
「ああ、そうだったのですね! アベルが魔法を食らったとか言っていたから、艦隊付きの魔法士官とかそういう人かと思っていました。艦隊指揮官に魔法を食らうなんて、アベルもまだまだですね」
「くっ……言い返せないのが悔しいな」
涼の言葉に、イラっとしながらも言い返せないアベル。
不覚を取ったのは事実だ。
「まあ、それはともかく。提督というのは、カッコいいですよね」
「え?」
「は?」
涼の言葉が、ロックデイもアベルも意味が分からないようだ。
「『将軍』というのもカッコいいですけど、個人的には『提督』の方がいいですね。涼提督……うん、悪くないですね」
「個人の嗜好だから、俺は何も言うまい」
自分で言った言葉を気に入ったらしい涼、論評を諦めたアベル。
賢くも、コーヒーを飲みながら、何も言わないロックデイ。
「ところでそんなロックデイ提督に質問があります」
「答えられるものならいいのですが……」
涼の問いに、笑顔を浮かべるロックデイ。
「スージェー王国の落としどころはどこでしょうか?」
「落としどころ?」
「おい……」
涼が問い、ロックデイが首を傾げ、アベルが呆れる。
先ほど、涼とアベルが話し合っていた内容だ。
それを、当事者に聞くのはどうなのか……アベルが呆れたのは当然かもしれない。
だが……。
「無かったこととして切り捨てる可能性はありますよね」
ロックデイは、先ほど涼が言った内容と同じことを言った。
「ほらー!」
鬼の首を取ったように得意げに言う涼。
「本当の事を言うわけないだろうが!」
アベルは呆れる。
実際に国が採る政策を、こんな場で、戦った相手、つまり敵に言うわけがないのだ。
「まったく……アベルは人を信じるということができないのですか。ロックデイ提督の目を見てください。嘘をついている人の目に見えますか!」
「すまん……嘘をついているように見える」
涼の言葉に、アベルは思ったことを素直に言った。
それを受けて、ロックデイは頭を一つ下げて言った。
「すいません、嘘をついています」
「なんですと!」
その言葉に驚く涼。
「信じていたのに……」
「すいません」
「何を根拠に信じたんだ……」
落ち込む涼、苦笑するロックデイ、やっぱりという表情のアベル。
しばらくすると、涼は決然と顔を上げた。
何かを思い立ったらしい。
「護国卿ってどんな人ですか?」
「え?」
涼が問い、突然の質問にロックデイは驚く。
だが、少しだけ考えた後、しっかりと涼の目を見て答えた。
「護国卿カブイ・ソマル様は、素晴らしい方です。まさに、一国を率いるのにふさわしい御方で、あの方についていけば絶対に大丈夫だと思わせる。そういう人物です」
ロックデイはそこまで一息で言い、一度言葉を切ってから、さらに続けた。
「私は、あの方のためであれば、喜んでこの命を捧げます」
そう言い切ったロックデイの表情は輝いていた。
本当に、自分の全てを捧げても悔いがない、それどころかぜひ捧げたい……そんな人物に仕える事ができたことが、この上ない幸運であることを理解しているのだ。
多くの人は、そんな経験をしないまま一生を終える。
経験をしないから、その気持ちを理解などできない。
人によっては、想像する事すらできない。
だが、ロックデイは、そんな人物に仕える幸運を理解していた。
「あんたにそこまで言わせるとは、たいしたもんだな」
アベルはそう言うと、小さく何度も頷いた。
カブイ・ソマルという人物が、魅力的な人物であることを理解したのだ。
「ロックデイ提督は幸運ですね」
「はい」
涼が言い、ロックデイははっきりと頷いた。
「分かりますよ、その気持ち」
涼はそう言うと、チラリとアベルを見てから、再びロックデイを見て言葉を続ける。
「まあ、普段はちょっとあれで、時々失敗もしてあれで、戦闘中に不覚を取ってあれなことになる時もあるのですけど、少なくとも、その判断に全幅の信頼を置くことができる……そんな人を支える事ができるのは幸運だと思うんです」
「……」
「僕には、ロックデイ提督の気持ちは、少しだけ理解できますよ」
アベルは何か言いたげであるが、無言のまま。
涼ははっきりと言い切った。
そして、さらに言葉を続けた。
「だからこそ分かります。護国卿は、ロックデイ提督、あなたたちを切り捨てはしませんね。救い出そうとするでしょう」
「さて……」
「どこで、どうやって救い出すのかは分かりませんが……。ぜひ会ってみたいです」
ごまかすロックデイ、断言する涼。
「リョウ?」
アベルが眉をひそめて呼びかける。
涼が何を考えているのか、正直よく分からないからだ。
「大丈夫です。氷漬けにして国に連れて帰ろうなんて思っていませんから」
「うん、さすがにそれは想定していなかった。そもそも、本人が救出には来ないだろう」
「ならば、救出部隊を迎撃して……捕まえたらアベルの訓練の相手をさせます!」
「は?」
「なまっていて、お腹に大穴空かされたアベルは、このままでは次の戦場で死ぬかもしれません。もう一度鍛えなおして、剣士の嗅覚を取り戻してもらうために、真剣勝負の相手を……」
「捕虜に真剣勝負とかさせるな。国によっては、リョウが裁判にかけられるぞ」
「ハッ。捕虜虐待……」
アベルが指摘し、涼も地球の知識から思い当たる節があったらしい。
「戦わせて、アベルが負ければ捕虜の虐待にはなりませんね!」
「真剣勝負で負けたら、俺、死ぬだろう?」
「その程度で死ぬようなら、アベルなんてその程度の男です!」
「さっき、判断に全幅の信頼を置けるとか言っていたのは何だったのか……」
人と人の関係は、時に、他の者には理解できないものなのかもしれない。
他の者どころか、当事者たちでも理解できない場合もあるようだし……。
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