0448 依頼交渉
「なるほど。状況は理解しました」
アベルはそう言うと、一つ頷いた。
そこは商会長室。
涼とアベルが並んで座り、商会長バンデルシュから説明を受けている。
基本的に、質問や確認はアベルが応対している。
涼はその隣にちょこんと座り、おとなしく蒼玉亭特製ブレンドコーヒーを飲んでいるのだ。
人畜無害の、優しい魔法使いを装って……。
「それで、考えていらっしゃる雇用条件を聞かせていただけますか」
アベルが、特に感情をこめずに問う。
ビジネスライクに。
現役冒険者時代、幾度となくこなしてきた事でもある。
「お一人金貨百枚。前金で五十、都に到着して五十。完全成功に対する報酬で、さらに五十枚ずつ。それに、希望されるのであれば、都から大陸に渡る際のお手伝いもさせていただきます。我が商会は、大陸との貿易もありますので」
「ふむ」
正直、このマニャミャの街を含めた藩王国の物価がどれほどのものか分からないため、アベルにはその金額の妥当性は分からない。
ただ、一つ確認しておくべき言葉が、今の話の中にあった。
「商会長は『完全成功に対する報酬』とおっしゃったが、具体的に、どうなれば完全成功だと言えるのでしょうか」
「はい。まず我が商会の船員と護衛隊に死者が出ない事。さらに、王女様が都に到着する事。この二つが成立した場合を、完全成功とさせていただきます」
「なるほど……」
バンデルシュの説明に頷くアベル。
これまでの説明でもそうだったが、この商会は、あるいは目の前の商会長は、商会で働く者たちをとても大切にしている。
だからこそ、完全成功の条件に、船員と護衛隊の無事を入れたのだ。
アベルはチラリと横に座る涼を見た。
(リョウの中では、この商会に対する評価は高いだろうな。ゲッコー商会もそうだが、そこで働く者たちを大切にする組織を、リョウは高く評価するから)
もちろん、アベルも部下を使い捨てにする者たちより、大切に扱う者たちの方が好ましい。
「人材こそ宝、か」
アベルの呟きが聞こえたのだろう。
涼は嬉しそうに頷く。
そして、正面のバンデルシュ商会長も微笑む。
その時、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
バンデルシュが言うと、青年が入ってきた。
長男のバンローだ。
「お話し中、失礼いたします。ですが、今回の件に関連する至急報が、行政府より届きましたので、すぐにお知らせした方がよろしいと思いまして」
そう言うと、バンローは一枚の紙をバンデルシュに渡して出ていった。
バンデルシュは、至急報に目を通してから、二人に説明を始めた。
「正式にスージェー王国新政府より、藩王国とマニャミャ行政府に対して、イリアジャ姫の身柄引き渡しが要求されました。マニャミャ行政府は回答拒否、藩王国政府は亡命者として受け入れたため、都で審問を行う必要があるので、即時の引き渡しは不可能と回答したとの事です。なお、新政府代表は、護国卿カブイ・ソマルとなっています」
「護国卿……」
異口同音に、アベルと涼の口から『護国卿』という言葉が漏れた。
アベルは、聞きなれない言葉に対して、訝しげに。
涼は、久しぶりに聞いた単語に対して、懐かしそうに。
涼が聞いたのは、地球にいた頃だ。
歴史の授業で習った……イングランドの護国卿。Lord Protector。
清教徒革命によって、チャールズ一世が処刑され、オリバー・クロムウェルがイングランド『共和国』のトップとして、護国卿の地位に就いた。
おそらくそれが、歴史上で、最も知られた護国卿の例。
ただ、それまでにもイングランドでは、王が幼年の時の後見人の称号として、しばしば使われてはいたのだ。
学校の歴史の授業などでは触れられないが……。
だが、今回の件で考えた場合、ちょっとだけ疑問がある。
「すいません、ちょっと確認なのですが……」
涼が片手をあげて、発言を求める。
「はい、リョウ様、どうされました?」
「そのさっきの引き渡しの要求ですけど、スージェー『王国』新政府の護国卿さんから、なんですよね?」
「おっしゃる通りです。王室に連なる者は、ほぼ処刑されたと言われていますが、王国を名乗っております」
涼の問いに、バンデルシュが頷いて答えた。
バンデルシュも疑問に思ったのだろう。
誰を王に擁するつもりなのかと。
護国卿オリバー・クロムウェルは、王国を廃し『共和国』になった後の国のトップだった。
イングランド共和国の。
王国時代の護国卿たちは、自ら王になったりはしなかった……あくまで王の後見人。
この『護国卿カブイ・ソマル』は、どういうつもりなのか?
「その辺りは、ここで考えても答えは出ないでしょう」
アベルの一言で、涼とバンデルシュの思考は引き戻された。
アベルのいうことはもっともなため、涼も反論はしない。
反論はしないが……。
「リョウ、その恨みがましい目は何だ」
「いえ、何でもないですよ。アベルはいつも現実主義者ですね」
「いちおう、決めておかねばならないことが、まだいくつかあるだろう?」
アベルはそう言うと、バンデルシュに向き直った。
「その至急報からすると、スージェー王国海軍が襲撃してくる確率は、飛躍的に高まりました」
「おっしゃる通りです」
アベルの言葉に、バンデルシュは頷く。
「しかも、王女が都に移送されるという情報も、スージェー王国に伝わりました」
「!」
アベルが続けた言葉に、驚く涼。
そう、藩王国政府は『都で審問を行う必要がある』と答えているのだ。
つまり、王女が都に移送されることを、スージェー王国は知ってしまった。
「なんたる失態」
涼は悔しそうに呟く。別に、涼の失態ではないのだが。
「まあ、移送される情報は掴んでいたのでしょうが……確定情報になりました」
「報酬額を、倍にさせていただきます」
アベルが要求する前に、バンデルシュ商会長から提案が行われた。
目を見開いて驚く涼。
だが、アベルは表情を変えない。
そして、言葉を続けた。
「それはありがたい。ありがたいのですが……そして、確かに我々は中央諸国に戻りたいのですが、そのための情報がいくつも足りていません。それら足りない情報を補足したいと考えています」
「なるほど。お二方が確認されたのは、街の地図とマニャミャ周辺地図だけでしたね」
バンヒューから報告を受けていたのだろう。バンデルシュ商会長は一つ頷いて答えた。
「我々が理解しているのは、ここは東方諸国で、中央諸国に戻るには、大陸に渡る必要がある。極論すれば、これだけです」
「そう……その認識は、概ね外れてはおりません。この多島海地域も、東方諸国に含める場合がありますから。ただ、多くの場合、この多島海の北にある大陸が、いわゆる東方諸国だと認識されることが多いですね」
バンデルシュ商会長は、そこで一度言葉を区切ってコーヒーで喉を潤してから、再び説明を始めた。
「大陸はとても広いです。正直、どれほどまで広いのかは我々では分かりません……。我が蒼玉商会が取引しておりますのは、大陸南端のゲギッシュ・ルー連邦です。この多島海以西の海を渡るのが不可能である以上、この連邦から大陸に渡り、大陸を北上し……最終的に、『西への出口』から、砂漠都市を渡り歩きながら中央諸国に至る……おそらくそういう旅程になるのではないかと」
「かなり遠そうだ……」
バンデルシュの説明に、小さく首を振って呟くアベル。
「大陸の情勢は、この多島海までは聞こえてきません。ですので、そこもどうなっているのかは……。さらに、今私が言いましたのも、昔、聞きかじった程度の情報です。大陸に渡って以降は、また新たに情報を収集された方がよろしいでしょう」
「いや、助かりました。大筋だけでも頭の中に入っているのといないのとでは、全く違うので。感謝します」
アベルはそう言うと頭を下げた。涼も隣で、慌てて一緒に頭を下げる。
「いえいえ。先ほどのお約束通り、今回の件を引き受けていただければ、大陸、具体的にはゲギッシュ・ルー連邦までお二方をご案内させていただきます。そこは、蒼玉商会の名に懸けて約束させていただきますが……」
「条件は承知しました」
アベルはそう言うと、涼を見た。
それは、涼からは何か聞いておきたいことはないか、という視線だ。
すでに、アベルの中では、この依頼を受けたいと思っているのが、涼には理解できていた。
危険であることは承知しているが、なんのつてもない状態では、大陸に渡る事すら簡単ではないだろう。
だが、この依頼を受ければ、藩王国有数の商会がバックアップしてくれる。
受けない理由は無い。
だが、涼はタフネゴシエーター。
交渉相手としては、とても厄介な人物なのだ。
厳しい条件を突き付ける。
「絶対に譲れない条件が一つあります」
「なんでしょうか?」
重々しい口調で語る涼。それを真剣な面持ちで受けるバンデルシュ商会長。
「こちらの蒼玉亭特製ブレンドコーヒーを、船に大量に積み込んでいただきたい」
「承知いたしました」
涼が要求し、バンデルシュ商会長は一つ頷いて受け入れた。
「……は? それがリョウの要求?」
アベルが小さな声で呆れたのは言うまでもない。
とにかく、二人は、王女の移送依頼を引き受けた。