0446 数字を扱う者
『蒼玉亭』で、剣士と魔法使いの、熾烈な争いが繰り広げられていた頃、マニャミャ行政府の大会議室でも、熾烈な争いが繰り広げられていた。
「現在、都に報告し返答を待っております。今しばらく宿の方でお待ちください」
「処遇決定に時間がかかるのは理解できます。ですが、我々は罪人ではありません。宿から出るなとはどういうことですか!」
「このような情勢下です。皆様の安全を確保するためにも、どうかご協力をお願いいたします」
「納得できぬ!」
平身低頭説明をする行政長官レメンゲサス。立腹する初老の紳士。
「ロンク、その辺にしておきなさい」
「ですが、姫様……」
「マニャミャの方々は、よくやってくださっています。レメンゲサス長官、ロンクも私のためを思っての事なのです。どうか、お気を悪くなさいませぬよう」
「いえ、もったいなきお言葉……」
ロンクと呼ばれた初老の紳士、それをなだめる第六王女イリアジャ姫、頭を下げるレメンゲサス長官。
スージェー王国王室専用船がマニャミャの街に落ちて二日が経過していた。
その間、コマキュタ藩王国の都からは、「処遇が決定するまでもてなせ」とだけ連絡があった。
レメンゲサス長官としては、さっさとしてくれ、というのが本音だ。
普通に考えて、「都への移送」以外に選択肢はないはずだ。
要望に出した『亡命希望者百人が乗れる船を回して欲しい』という要望に時間がかかっているのか?
可能性はある。
とはいえ、その要望は出さざるを得ない。マニャミャ行政府には、その規模の船はないのだから。
だが、それにしても反応が遅い……。
百人もの亡命希望者を抱えているのだ。
しかも、おそらく旧王家唯一の生き残りの王女を含めた……。
時間が経てば経つほど、王女を巡って何が起きるか知れたものではない。
反乱を起こした第一海軍卿カブイ・ソマルは、切れ者として周辺国家にも知られている。
だからこそ、問題が発生する前に対処する術も、必要性も理解しているはず……。
生き残った旧王家の人間は、できるだけ速やかに処分するのがいいと考え、実行に移したとしても不思議ではない。
カブイ・ソマルは、切れ者であり、決して甘い男ではない。
非情な決断も断固として下せるからこそ、切れ者なのだ。
だから、レメンゲサス長官は思っている。
「亡命希望者たちは、さっさと街から出ていってもらいたい」
だが、街にいる間は、絶対に間違いが起きてはならない。
街にいる間に、万が一にも暗殺、あるいは拉致されたりなどということが起きれば……彼の責任問題となるのは必定。
そのため、『麗しの泉亭』周辺は、三百名もの守備隊で固めた。
これは、街の余剰戦力のほぼ全てといっても過言ではない。
王女らとの会議を終え、長官室に戻ったレメンゲサス。
彼を待っていたのは、都からの指示書であった。
早速読む。
「都の連中は……何を考えているんだ……」
あまりにも低い、低い、本当に低い声で絞り出された言葉。
傍らで聞いていた首席補佐官ニージュも、思わず首を竦める。
だが、無言。
レメンゲサスの気持ちを理解できたからだ。
そして、時々思う。
なぜ、都からの指示書、あるいは都からの決定というのは、現場状況から乖離したものが多いのかと。
彼自身、おそらく十年後には、都の行政官として、国レベルで腕を振るうことになる。
つまり、今、この指示書を出してきている者たちは、ニージュの先輩たちであり、優秀な人材だったはずの者たちなのだ。
それなのに、なぜ……。
だが、小さく首を振って、ニージュは余計な考えを追い払う。
今は、目の前の問題に集中すべきだ。
「亡命希望者を都に移送しろ……方法は、こちらに任せる……」
「はい……」
レメンゲサス長官は、もう一度、都からの指示書を読んだ。ゆっくりと、ゆっくりと。
レメンゲサスの抱く感情を理解できるニージュは、顔をしかめて頷く。
「百人……王女らを送れる船は、マニャミャには無いというのは……伝えたよな……」
「はい。その部分について問い直したのですが、こちらでなんとかしろの一点張りでした」
レメンゲサス長官が苦々しい声で問い、ニージュも沈んだ声で答える。
「数十人ずつ分けて別々の船に乗せろとでも言いたいのか? そんな言葉を受け入れるわけないだろうが……反乱を起こされた者たちだぞ? 王女様から離れて別の船へなどと言ってみろ、こっちが武力制圧されるわ。あの百人の内、半分は軍人、それも王女の近衛兵も混じっている精鋭だ。彼女の亡命のために、全てを投げ捨ててきた者たちなんだ。そんな連中が、他の船に乗るわけないだろうが。都の連中は、数字でしかものを見ないから、こういう決定を下してくる。現場に出てこいってんだ」
「おっしゃる通りで……」
あまりの怒りに、むしろ落ち着いた声音になってしまっているレメンゲサス。
数字でしかものを見ないのくだりで、大きく頷くニージュ。
数字の裏には、常に現実の状況があることを忘れてはいけない。
そして、人は心を持っているということも。
数字に、人の心は表れないからこそ、数字を扱う者たちは、数字から現実を想像できなければならない。
それを最も求められるのが、官僚であり、経営陣なのだが……その自覚を、どれほどの者たちが持っているか……。
かつてはできていたはずなのだ。
完璧でなくとも、汲み取ろうと努力はしていたはずなのだ。
だが、いつしかできなくなっていく。
かつてできていたはずの事ができなくなる……それは老いか?
いや、ただの怠惰だ。
意識し続け、努力し続けるのを怠ったがための。
「百人の亡命希望者を乗せる……船員とは別に。しかも、彼らを抑え、場合によっては守るための海兵も、その船に乗せねばならん。同数乗せたとして、二百だ。船員以外に二百人。そんな船……行政府にはない。現場で何とかしろ? できる事とできぬ事がある……なぜそれが分からん。しかもわざわざ伝えたのに理解しようとせぬ……」
レメンゲサス長官の苦渋に満ちた言葉に、いちいち頷く首席補佐官ニージュ。
翌日。
予想通り、レメンゲサス長官と首席補佐官ニージュによる説得は失敗に終わった。
第六王女イリアジャ姫の執事長ロンクは、別々の船での移動に、頑として首を縦に振らなかったのだ。
それは彼だけでなく、イリアジャ姫やロンクの後ろで、立ったまま聞いていた近衛兵に至るまで全員……。
レメンゲサスもニージュも、彼らの気持ちは痛いほど理解できる。
だが、現実問題として船がないのだ。
会議は、何も決まらないまま解散となった。
「長官、やはり方法はあれしか……」
「……ニージュ、簡単に言ってくれるな」
ニージュが言い、レメンゲサスが苦渋の表情のまま答える。
もちろん、ニージュが簡単な気持ちで言っているわけではない事は理解している。
その解決策が引き起こす問題も、ほぼ理解したうえで、決断を迫っているのだ。
だが、それはあくまで、行政府の首席補佐官として。
ニージュは、マニャミャの街に生まれ育ち、子どもたちもマニャミャの街で生活をしている者ではない……。
取らざるを得ない方策は、大げさな言い方をすれば、子々孫々に至るまで、迷惑をかけるかもしれないものだ。
そんな方策になる。
「それでも、やむを得んのか……」
レメンゲサスは、何度か首を振ると、ついに意を決した。
「ニージュ、蒼玉商会に連絡してくれ」