0441 言葉が通じない
一時間後。
二人は街の入口に立っていた。
「……すごい疲れましたね。森というかジャングルでした」
「……リョウのあの船で来るべきだったんじゃないか?」
「そりゃあ、今となっては、街の向こう側が海に面しているってのが分かったので、それが正しい方法だったと認めますけど……我々がいた海岸からは見えなかったんですから仕方ないじゃないですか!」
この街は森の奥に見えたので、陸路を行くしかないと諦めてやって来た二人であったが、街の奥は海に面していたのだ。
例の海岸から、海路をぐるりと回ってきた方が楽だったのは、その通りかもしれない……。
かなり大きな街に見えるのだが、城壁と呼ぶようなものはないらしい。
魔物がいるこの『ファイ』においては、けっこう珍しいのではないかと涼は思ったのだが……。
「中央諸国だと珍しいな。開拓村とかならともかく、この規模の街になれば壁はあるからな」
中央諸国で王様をやっていた傍らの剣士はそう言った。
つまりここは、中央諸国ではない?
いや、まあ、緯度的に赤道付近という事は、中央諸国ではないのは明らかなのだが。
「街を襲うような強力な魔物はいないということなんだろう。少なくとも、陸上には」
「なるほど。平和なのはいいことですね」
アベルの説明に、嬉しそうに頷く涼。
平和が一番だ。
戦闘狂だって平和が一番ですよ?
パラベラム、というやつです。
Si vis pacem, para bellum.
汝平和を欲さば、戦への備えをせよ。
城壁らしきものが無く、入口……といっても、露店が並び始めている場所を勝手にそうかなと二人が思っただけなのだが。
そこから、二人は街に入っていった。
だが、入る前に、涼はアベルにはっきりと言った。
一切の反論を許さぬ厳しい口調で。
「地図でこの場所がどこか分かったら、すぐ出ますからね!」
さらに一時間後。
「いや~、これめちゃくちゃ美味しいですね! ご飯を炒めて塩やコショウと……何ですかね、これ、適度に辛くて。チャーハンとは違うんですよね……そう、卵を絡めていないからチャーハンじゃないんです。卵が目玉焼きになって、上に乗っているのもいいですね」
料理を褒める涼。
「地図見つけてすぐに出るって言ったの、リョウだろう」
掌返しに呆れるアベル。
「周辺国を含めた地図なんて、場合によっては国家機密だったりするんですから、そんなに簡単に手に入るわけないでしょう。そんなことより、美味しいご飯ですよ。さすがにケーキはなさそうですけど、食べ物が美味しいのは正義ですね」
嬉しそうに、炒めたご飯をスプーンで食べる涼。
その向かいで、涼を責めた同じ口で美味しそうに食べるアベル。
二人とも、美味しいものは大好きだ。
「こっちの、少し甘辛い味付けのも美味しかったですね。これ、もう一皿頼みましょうか。店主! これ、同じのをもう一つね!」
涼が言うと、少し離れた場所で料理を作っている料理人が、右手を上げて合図した。
おそらく、『了解した』の意味なのだろうと、涼は認識している。
それを横目で見るアベル。
その視線に気づく涼。
「な、なんですかその目は。別に、アベルに奢ってもらおうなんて思ってませんから。だってお金、全く持っていないんでしょう?」
「ああ……それはすまん」
涼が言い、アベルが素直に謝った。
そう、アベルは一文無しなのだ。
魔人ガーウィンとの戦場から飛ばされてきたために、アベルはお金を持っていない。
戦場で、国王陛下がお金を懐に忍ばせている……などということは、普通ないわけだから仕方ない。
涼は、いちおう西方諸国で活動する間も、使節団からお金を持たされていたために、懐に入っていたのだ。
しかも、西方諸国のそのお金は、この街でも使える。
中央諸国もそうだったが、金貨、銀貨、銅貨と、貨幣そのものが持つ価値が金額に比例しているため、文化圏が変わっても通用するらしい。
だからこそ、二人は食事にありつけたのだ。
これが紙幣だったら難しかっただろう……。
「無事に王国に戻ったら、利息をつけて請求しますから大丈夫ですよ」
「……リソクが何か分からんが、お手柔らかに頼むぞ」
銀行がない世界であり、ギルドに余剰金を預けていても利子がついたりはしないために、利子や利息という言葉と概念が無いらしい。
世界が違うといろいろと難しいものだ。
しばらく食を堪能した後、涼はお金を支払った。
「店主、とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「လာစားပြန်တယ်။」
「ええ、また食べに来ます」
「ဘာကြောင့်လဲဆိုတော့အခြားအရသာရှိတဲ့အစားအစာတွေရှိတယ်」
「他にもお勧めがあるんですか? それは楽しみですね」
そうして、二人は店を出た。
「言葉が分からないのに、よく会話できるな……」
「会話とは心です。言葉の違いなど些事。昔、ボディーランゲージが基本だと習いました」
そう、言葉が通じないのだ。
涼もアベルも、この街で話されている言葉は全く分からない。
全く分からないが……美味しい匂いにつられて店に入り、苦心しながら注文をし、美味しいご飯にありついたのだった。
涼が撒き散らす笑顔が良かったのだろう。
言葉は通じなくとも、店主も笑顔で料理を作ってくれた。
もちろん、『撒き散らす』という表現が、この場合に適切かどうかは置いておいて。
やはり、笑顔は強力な武器。
「さてアベル、これからどうします?」
「そう言われてもな……なかなかいいアイデアが浮かばんな」
最も良いのは、地図を手に入れる事。
次に良いのは、手に入らずとも地図を見せてもらって、今どこにおり、どうやったら中央諸国に戻れるかを知る事。
欲しい情報は分かっているのだ。
問題は、その情報をどうやったら手に入れる事ができるのか。
「そもそも、言葉が通じないのもまずいのではないですかね」
「確かにな。だが、中央諸国語は、世界中でかなり通じると俺は聞いていたんだが……」
「それは中央諸国人の傲慢ではないですか? 自分たちが世界の標準だとか思い上がりも甚だしいです!」
「な、なんかすまん……」
なぜか涼が偉そうに指摘し、なぜかアベルが謝った。
「中央諸国語は世界中で通じます」
「だよな。俺が言ってること、間違ってないよな」
「はい。学んでいない方が怠慢なのではないでしょうか」
「まったく……また危うく、リョウに言いがかりをつけられるところだったぞ」
「……アベル、誰と喋っているんですか?」
「え?」
涼は正面にいるアベルに問いかける。
アベルは正面の涼を見て驚く。
確かに、涼の声じゃなかった。
それに聞こえてきた方向も、正面からではなく背後から。
アベルは後ろを振り向く。
誰もいない。
「下です」
声に従って下を見ると、十歳くらいの少年がいた。
「こんにちは」
「おう、こんにちは」
少年は挨拶し、アベルも条件反射的に挨拶を返した。
そして気付いた。
「中央諸国語が話せるのか?」
「はい、もちろんです。将来、商売で身を立てようとする人間が、中央諸国語を学ぶのは当然です」
アベルの問いに、少年は大きく頷いて答えた。
しかも、受け答えもしっかりしている。
家が商売をしていて、小さい頃からその辺りも鍛えられているのだろう。
それがおそらく、創業家の強みだ。
小さな頃から、そうすることが当然の環境に置かれて育つという。
「アベル、良かったですね。アベルの運も捨てたもんじゃないですね」
涼が嬉しそうに言う。
少年が話す中央諸国語は、とても流ちょうだ。
以前聞いた、暗黒大陸の冒険者たちの中央諸国語よりもはるかに。
「俺の運かは分からんが……。少年、いや俺の名前はアベルだ。お前さんの名前は?」
「私の名前はバンヒューです。アベルさん」
「よしバンヒュー。俺たちは、この街の地図……というか、この街の周辺地図が欲しいんだ。それが手に入る場所まで案内して欲しい。もちろんタダとは言わない。こっちのローブのお兄さん、リョウがちゃんと手間賃を払ってくれる」
アベルが交渉を開始した。
だが、話を聞いてバンヒューは少し首を傾げた。
そして言う。
「申し訳ありません、アベルさん。その希望には添えません」
「どうしてだ?」
「街の周辺地図は、街の外には持ち出し禁止です。ですので、地図を手に入れる事はできません」
バンヒューはそう言うと、申し訳なさそうな表情をした。
「見るだけでも、どこかでできないか」
アベルはさらに交渉する。
とりあえず、この街がどのあたりにあるかだけでも知っておきたい。
「それなら可能です。うちは宿屋をやっていますけど、そこに大きな周辺地図があります。それなりに周辺の島々も描きこんでありますし、宿泊されるお客様にならお見せできますよ」
「バンヒューは、将来、立派な商人になりそうです」
バンヒューの言葉に、涼はそう呟いた。
そんな涼をアベルが見る。
もちろん涼も、アベルが言わんとすることは理解しているし、反対する理由もない。
もうそろそろ、午後三時になろうという時間だ。
いまから街を出れば、夜を街の外で越すことになるだろう。
久しぶりにベッドで寝たいと思うのは、人として当然だ。
それは、夜営に慣れた冒険者といえども変わらない。
二人は、バンヒューが案内する宿に向かうのであった。




