0440 その奥には
完全勝利を果たしたニール・アンダーセン号に乗る二人は、元の海岸まで戻ってきていた。
「クラーケン、一体で良かったな」
「え?」
アベルが不穏な事を言い、涼が問い返す。
「いや、クラーケンは集団でいることがあるらしいんだ。昔、東方諸国の有名な艦隊が、十分で五十隻、全艦轟沈したという話があってな。王国の伝承にも、クラーケンの集団は出てくるらしいから……そうじゃなくて良かったなと」
「何、その死を告げる使徒的なやつ……」
ここでも一体だったし、ロンドの森の沖合でも一体だったから、一体で行動するものだと思っていた涼。
まだまだ、敵に関して知識が足りていない事を痛感した。
「まあ、クラーケンは置いとくとして。海の中の景色も凄かったが、戦闘も凄かったな」
アベルが、気を取り直して、少し興奮した感じで言う。
元A級剣士である以上、血沸き肉躍る感覚になったのに違いない。
「でしょう? 四十メートル級の相手に、完全三次元戦闘。しかも最後は、これですよ!」
涼もクラーケンの集団はとりあえず置いといて、そう言うと、右手に持った物を掲げた。
それは、拳二つ分の大きさの青い魔石。
「でかいな。あの山で取ったワイバーンの魔石の倍くらい大きくないか?」
「ですね。四十メートルの体長、長い腕に至っては百メートル。その隅々にまで魔力を行きわたらせるために大きいんですかね」
アベルが感心し、涼が適当推測を述べる。
「しかも色が濃い」
クラーケンの魔石は、大きさもさることながら、驚くほど鮮やかなブルー……とても深い青色である。
「長い間、あの辺りの主として君臨していたのかもしれませんね」
涼はしみじみと言った。
その言葉には、一番艦ロンドが沈んでいく時に感じた悲しみが、籠もっていたのかもしれない。
「よし、じゃあ、飯にするか。途中で取ってきた、その魔物たちの塩焼きだろ?」
「ええ。七匹いますからね。食いしん坊のアベルでも満足できるはずです。普通のイワシより、魔物なだけあって大きいですから」
「俺よりリョウの方が、食い意地が張っている気が……」
「アベル、何か言いましたか?」
「いや、何も言ってないぞ」
涼の指摘を、華麗にかわすアベル。
やはり二人はいいコンビなのかもしれない。
取ってきた七匹というのは、クラーケンを倒したところからの戻り道、ベイト・ボールがいたのでちょっと取ったのだ。
捕獲腕と簒奪腕で。
合計七匹。
アベルは、手早く乾燥した枯れ枝やヤシの毛などを集めてきて、さっそく火をつけている。
火打石は、いつの間にか手に入れていたらしく、ナイフに打ち付けて火を飛ばしている。
さすが元A級冒険者だけあって、手慣れたものだ。
涼の方も、ベイト・ボールを構成していたイワシ状の魔物……実は正式名称は知らないのだが、それを捌いて、小さな魔石を取り出していた。
出てきた魔石は、どれも小指の爪より小さい。
ちょうど、涼が左耳につけている『魂の響』の魔石と同じ大きさだ。
つまり、魂の響は、イワシ状の魔物から取り出した魔石だったらしい。
大きさは小さいが、色はとても鮮やかな青。
「サファイヤだったら、凄く高そうです」
涼は呟くが、この魔石も実はかなりの高値がつくものなのだ……。
知らぬは本人ばかりなり。
涼が生成した氷の串に刺された七匹の魚たち。
そう時を経ずして、腹ペコな二人の冒険者の胃の中へと収まった。
「ふぅ、美味いな」
「不思議ですよね。普通の動物や魚よりも、魔物の方が美味しいってのは」
アベルが満足し、涼が疑問を呈する。
そう、動物のウサギよりも、魔物のウサギ、ラビット系の方が美味しい。
イワシであっても、どうもそうらしい……。
涼は常々不思議に思っていたのだ。
「そうか? 全身に魔力が回っているんだから、美味しいのは当然じゃないか?」
「魔力は美味しい……の……?」
アベルが当然のように言い、涼は理解できずに小さく首を振った。
『ファイ』においては、そういう認識になっているらしい。
「という事は、魔法が使えないアベルよりも、魔法使いのアベルの方が美味しい……」
「うん、不穏な事を言うなよ」
涼の呟きに、過剰に反応するアベル。
そもそも、『魔法使いのアベル』などという者はいない。
「魔力に十分浸して、浸透させた後で食べれば……」
「俺より、魔力が溢れ出ているリョウの方が美味いんじゃないか?」
涼の呟きに、アベルが強烈な反撃を行う。
驚きに目を見張る涼。
そしてうろたえた。
「ぼ、ぼぼぼぼぼぼ僕なんか食べても美味しくないですから! そもそも人が人を食べるのは、カニバリズムといって、あまり推奨されていないですし……」
「へぇ~」
涼の言葉に、冷たい反応のアベル。
涼は、必死に話題を逸らす。
「そ、そそそ、そう言えば、今日は魔物のイワシでしたけど、いつもアベルは、どっから食べ物を調達してきていたんですか?」
「何て強引な話題転換を……。まあいいだろう。そこの森の中からだ。だいたい、果物と動物だ」
「森に入っていったんですね。すごいですね~、偉いですね~、怖いですね~」
アベルを称賛する涼。
もちろん、その凶刃から逃れるためであるが、実際、涼がロンド級の建造に集中できたのは、アベルが食べ物を調達し、料理してくれていたからだというのは理解している。
その点には深く感謝している。
そう、それは嘘ではないのだ。
「まあ、森の中とはいっても、奥には行ってないぞ。この海岸の近くだけでも、けっこう果物も動物もいたからな。逆に魔物がいない」
「なるほど。じゃあ、出航する前に、食料とかは森で調達してからの方がいいですかね……」
アベルの言葉に、涼は一つ頷いて答えた。
だが、少しだけ気になった。
この森の奥はどうなっているのか。
「ちょっと、空から見てきます」
涼はそう言うと、アベルの返答も待たずに唱える。
「<ウォータージェットスラスタ>」
一気に、上空に浮き上がった。
「あれは……ちょっと羨ましいんだよな」
アベルはその光景を見て呟く。
魔法が使えるようになりたいと思う事はほとんどないが、空を飛べるようになってみたいとは思うのだ。
高速でなく、空に浮かんでみたいとかその程度でも。
空を飛びたいという思いは、人が持つ根源的な願望なのかもしれない。
浮き上がった涼。
「森、かなり広いですね……」
そう呟き、周囲も見回す。
「もしかして、僕たちがいるのは島じゃなくて……半島とか岬とかの先っぽ?」
周りには広い海があるが……。
そして、森のさらに奥、十数キロ先に見てはいけないものを見てしまった。
見てはいけないものなので、見なかったことにする。
涼は地上に戻るとアベルに報告した。
「べ、別に何もなかったですよ」
「なんで、そんなに怪しく、しどろもどろなんだよ」
「見てはいけないものなんて、何もなかったですから」
「いかにも何かありました、って言ってるようなもんだろうが!」
涼の隠蔽は失敗した。
「それで? 何があったんだ」
「うぅ……。森の向こうに、街っぽいものが見えました」
「マジか!」
「それに僕らがいるのは、島じゃありません。半島の先っぽとかです」
「ああ、島だとは別に思っていなかったぞ?」
「なんですと!」
何の根拠もなく島だと、それも無人島だと、勝手に思っていたのは涼だけだったらしい。
「違うなら違うと、何で言ってくれなかったんですか!」
「いや、聞かれなかったし……。特に話し合ったりもしなかったしな……」
涼の追及を、軽々とかわすアベル。
そして反撃してきた。
「それより街だ。行くしかないだろう」
「やっぱり……そう言うと思ったから、見なかったことにしようとしたのに」
「いや、むしろ何で行かないんだよ? 俺らが王国に戻るにはいろいろ不足しているだろう? そもそも、ここがどこで、どうやって戻ればいいか……まあ、手段はリョウの船でもいいが方向とか分からんだろう?」
アベルが、ものすごく当たり前なことを言う。
「でも……街とか行くと、展開上、絶対トラブルに巻き込まれますよ!」
「なんだよ、展開上って……」
涼がラノベ的王道展開からメタ推理を行い、アベルが理解できずに呆れる。
つまり、「何か起きるに違いない」という適当推測だ。
「僕らがいる場所は……すごく南です。南なので、北の方に向かっていけばいいのです。ほら、問題ないでしょ?」
涼は、太陽の高さから、自分たちがいる場所が、星の赤道付近であることは気付いていた。
少なくとも、緯度的に、ロンドの森よりも南であると。
そう、緯度は分かるのだ。
「どこの南なのかわからんだろうが。中央諸国の南なのか、西方諸国の南なのか、あるいは別のどこかの南なのか。それじゃあ、北に向かうだけじゃダメだろう?」
そう、経度は分からないのだ。
アベルのごく当然の反論に、何も言い返せない涼。
一つ大きくため息をついた。
「はぁ~」
非常に大きく。非常にわざとらしく。
いかにも自分は反対だと言わんばかりに。
だがアベルは知っている。
涼は、表向きそんな事を言っているが、実は心の奥底ではすごく行きたがっていることを。
なぜなら、アベルも涼も、本質は冒険者だから。
トラブルが降りかかってきて、面倒なことになるかもしれない。
確かにそうだ。
それは嫌だ。もちろん、それは嫌なのだ。
だが、そこにあるのはトラブルだけではない事を知っている。
見た事のない何かがある。
必ずある。
それは、執務室や、王国や、中央諸国では見る事ができないものかもしれない。
もしかしたら、ここでしか目にすることができないものかもしれない。
今、ここで見逃したら、一生出会う事ができないものかもしれない。
行かないという選択肢はない。
涼も分かっていたのだ。
分かっていたから、浮いている時に、見なかったことにしようとしたのだ。
絶対に行くことになると分かっていたからこそ……。




