0431 アベル対オレンジュ
その頃、アベルとオレンジュはどうなっていたか?
「人間にしてはやるな、国王さん。マジで驚いたわ」
「魔人本体ならともかく、眷属になど負けん」
「いや、それはなめすぎ……」
アベルの、ある種の決意表明に、顔をしかめるオレンジュ。
オレンジュからしてみれば、アベルは確かに強い剣士ではあるが……どちらが勝つかと言えば、100%自分。
天地がひっくり返っても、その結果は変わらない。
だが……。
(そう、だが、その目が気になる)
オレンジュは、アベルの目を見て、そう思った。
その目は見おぼえがある。
かつて、主ガーウィンを相手に戦ったあの男……。
(リチャードと同じ目。あいつも、何度もガーウィン様に弾き返されながらも、向かっていった……)
それは、傍目から見ていたオレンジュにとって、決して不快な光景ではなかった。
諦めないリチャード。
笑みを浮かべながら戦うガーウィン。
それも、決して馬鹿にした笑みではない。
心底、嬉しそうな……。
本当に心の底からこみあげてくるような笑い……。
オレンジュは、正直に思った。羨ましいと。
心の底から笑みが浮かぶ相手と戦える。
何千年を生きようとも、そんな経験は数えるほどしかない。
最近なら、ハフリーナの街で水属性の魔法使いたちに、それに近い感情を抱けた。
だが、時間が短すぎた!
では、目の前の男はどうだ?
可能性はある。
そんな気にさせられる。
もしかしたらと思ってしまう……。
(これが……? そうかもしれない? もう少し戦ってみれば分かるか?)
オレンジュは、心の奥底からこみあげてくるその感情に、少しだけ驚いた。
何度も何度も向ってくる目の前の男は……。
可能性を持っている。
もっと戦い続けたい。
もっと剣を交え続けたい。
もっと、もっと、もっと!
「オレンジュ、何を遊んでいる!」
オレンジュの思考は、横から入ってきた女性の声で乱れた。
「イゾールダ、邪魔をするな」
それは、オレンジュ自身が驚くほど険の入った声。
不愉快さに満ちていた。
「ガーウィン様が、その男は早めにとどめを刺せと仰せだ」
「今、良いところなんだよ。黙ってそこで見てろ」
イゾールダの言葉に、あえて正面から答えないオレンジュ。
ガーウィンの命令には背けない。
だが、今、本当にいいところだ……それは誰にも邪魔されたくない。
それが、オレンジュの素直な気持ちであった。
アベルは、自分が圧倒的に不利であることは理解していた。
オレンジュと呼ばれた目の前の眷属の剣は、アベルが知っているどんな剣とも違う。
師匠の剣とは違うし、ダンジョン四十層で魔王子が振るった剣とも違う。
もちろん、彼が知る最強の魔法使い、涼の剣とも違う……本気の一太刀は、数回しか見ていないが。
だが、オレンジュの剣が、膨大な時間を費やして、現在の形にまで昇華したのは理解できた。
小手先の技ではない。
才能や能力に頼ったものでもない。
そんなものであれば、これほど絶望しなかったであろう。
アベル以上に、剣に専心した者の剣。
そんな剣は強い。
当たり前だ。
しかも恐ろしいことに、目の前の男は、魔人の眷属。
それはつまり……。
力でも、速度でも、そして技術においても自分を上回っている。
恐らくは、持久力においても……。
そんな者に、どうやったら勝つことができるのか?
答えは明らか。
「勝てない」だ。
当たり前だ。
剣の道はそんなに甘くない。
だからこそ、皆、力をつけ、速さを磨き、技術を極めようとするのだ。
勝つために。
それら全てで上回る相手に勝つことは、できない。
分かっている。
分かっている。
分かっている……だが……。
『ダメです! 僕は認めません!』
なぜか、ここにはいないはずの筆頭公爵の声が聞こえた気がした。
魂の響は、接続が切れたままなので、間違いなく幻聴なのだろうが。
『アベルは、まだやるべきことがあるでしょう! ノアを、父無し子にするのですか? リーヒャを置いていくのですか? 国民を……あなたを王に戴いた彼らを放置するのですか? ダメです。そんなことは認めません!』
(ああ……。病の床で言われた言葉か。ここで魔人を倒せなければ、ノアもリーヒャも、そして国民も……生き残れないんだがな。リョウはいつも無茶を言う)
アベルは薄っすらと笑った。
それは、アベルの剣に変化をもたらした。
余計な力が抜けた。
おそらく、起きた事はそれだけだ。
余計な力が抜けた。それだけなのだが……。
剣速が上がった。
打ち付けるタイミングで強く握り込み、それ以外は力を抜くためか……威力も上がった。
そして視野が広がったからだろうか……オレンジュの剣と体の動きを、今まで以上に理解できるようになった。
ただ、余計な力が抜けただけで。
あらゆるスポーツにおいて、反復練習をする理由。
それは、自分の体における最適化を図っていく……からだという者がいる。
最適化が進めばどうなるか?
最初はぎこちなかった動きが、スムーズになる。
いちいち考えてやっていた動きを、ほとんど反射的にできるようになる。
それは、必要なところ、必要なだけ集中的にエネルギーが注がれ、手を抜けるところは手を抜く……ということになる。
それはある意味、余計な力が抜けるということなのだ。
もちろん、アベルは、それらの事を理解して剣を振るっているのではない。
ただ、勝つために振るっている。
だが、少しだけ笑う事によってリラックスして、不要な力が抜け……視野が広がり、思考に余裕も生まれた。
「悪くない」
アベルは呟いた。
同時に、心の中では考えていた。
(この眷属……打ち下ろしからの横薙ぎ気味の切り上げ、よく連携するよな……)
高速の連撃の中に組み込まれている、その繋がり、組み合わせの確率が驚くほど高いことにアベルは気付いた。
それもこれも、涼が笑わせたからだ……。
目の前の国王の剣が変化したことは、もちろんオレンジュも感じ取っていた。
(剣速が上がったな……。体の動きもしなやかになった? いきなり成長した? いや、さすがにそれはないか。いったい……)
少し前の事を思い出して、オレンジュは気付いた。
(少しだけ笑ったな……あの後から、だな)
オレンジュは、アベルから余計な力が抜けて、剣速だけではなく体の動きそのものがスムーズになり、速さを増したことを理解した。
オレンジュは剣に生きた眷属だ。
いや、剣に憑かれた眷属と言っていいかもしれない。
どうすれば剣で勝てるかを追求してきた……。
力の込め方。
速度の上げ方。
そして、技術の磨き方。
人が生きることの叶わない年月……。
それだけの時間、剣を極めることに費やせば、当然強くなろうというものだ。
だから強い。
だが、驚くべきことに、目の前の剣士は、オレンジュが費やしてきた数百年、あるいは数千年という時間に、今この瞬間、追い付こうとしている。
(馬鹿な……)
そう、そんな事はあり得ない。
剣を極めるというのは、そんな簡単な事ではない。
いかな天才であろうと、どれほどの才能を持っていようと……鍛えるには時間がかかる。
(いったい何が起きている?)
オレンジュは訝しむ。
訝しみ、おかしいとは思いつつも……心の奥底では、理由などどうでもいいとも思っていた。
アベルが、最初よりも強くなったことによって……。
(面白いからな!)
思わず笑みがこぼれる。
アベルが変化した理由に気付いたのは、傍から見ていたイゾールダであった。
もちろん、ガーウィンが、アベルの剣について指摘したから。
(あの魔剣、赤く光るだけだったのに、白い光も交じりだした)
そう、アベルの愛剣の光り方が変わった。
それによって、具体的に何がどう変わったのかは分からない。
だが、それが何か理由になっている気がする……イゾールダはほとんど確信していた。
(だから言ったのだ! さっさととどめを刺せと!)
拳を握りしめながら、心の中で悪態をつくイゾールダ。
それなのに、オレンジュは邪魔をするなと……。
(これは介入するべきか?)
正直、判断がつかない。
まだ、互角にもなっていない……オレンジュの方が上だ。
だが……何が起きるか分からない。
イゾールダが動けないまま、見つめるその先で。
オレンジュの高速の連撃。
一口に連撃と言っても、何十、何百という組み合わせがあるため、相手は読む事はできない。
できないはずなのだ……。
オレンジュが、打ち下ろし、地面につく直前からの45度ほどの切り上げ……。
アベルは、大きく足を広げ、さらに上半身を前にかがみ、切り上げる剣の下に潜り込んで……。
一太刀でオレンジュの両手首を切り、返す剣で首を切り飛ばした。
「なんだと……」
言葉を続けることができないイゾールダ。
何が起きたのかは理解できた。
アベル王は、読んだのだ。オレンジュの技の連携を。
連撃の中に組み込まれた、必ずある技の繋がりを。
打ち下ろしからの45度の切り上げ。
もちろん、毎回ではないだろう。
剣の打ち下ろしなど、よくある動きだ。
だが、そこから45度の切り上げに繋げる何らかの癖を見つけたか……あるいはもっと細かな事を元にした予測か……。
どちらにしろ、『見切り』によって、一瞬で形勢をひっくり返した。
だが、それがアベルの力だけでなかったのは、イゾールダには見えていた。
オレンジュの両手を斬り、首を斬り飛ばした時、その剣が鋭く輝いた。
アベルの動きか決意か……何かに、剣が応えた……。
「いや……」
アベルの息が荒すぎる。
ついには、剣を地に突き刺し、杖のようにして体を支え出した。
明らかに、剣戟だけの結果ではない。
「剣に、その身を捧げた……? 強引に剣の力を引き出したわけだ」
もちろん、ある程度は剣に認められたのだろう。
だが、完全ではない。
完全には、剣は認めていない。
だからその分、自らの気力……あるいは魔力か……それを差し出して、瞬間的に剣の力を引き出した……。
「なるほど……さすがにリチャードの末裔」
イゾールダは顔をしかめながら呟いた。
もうすぐ……。
ガーウィンの覚醒について、ここまでの数話、本文を何カ所か補足しました(2021.9.15)




