0430 抗う
アベルが走り出すのとほぼ同時に、王国全軍も動き出していた。
『長距離拡散式女神の慈悲』による<戦域回復>により、怪我は回復した。
もちろん、戦闘によって亡くなった者たちはいる。
魔人の実体兵と激突したのだから、当然と言えば当然だ。
しかし、あれだけの激闘、しかも魔人の眷属を相手にしての戦闘にしては、驚くほど死者は少なかったと言えよう。
だが、ここからが、彼らの正念場であった。
魔人の眷属のうち、実体兵はほぼ壊滅させた。
そして、実体兵を生み出すのは、魔人ガーウィンといえど、簡単ではない。
だが、魔人はもう一つの大軍を生み出すことができる。
それも、瞬時に。大量に。
戦場全体に、『虚影兵』が生み出されていた。
モンク隊は、虚影兵に対して、驚くほど有効な戦力である。
それは、証明されている。
だが、これだけ戦場全体に現れれば、一般の騎士たちも相手にせざるを得ない。
そして、『聖なる祝福を受けた杖』を持たない騎士たちからすれば、一体の虚影兵でも、かなり厄介な相手であった。
霊というにははっきりと形があり、肉体というには微妙にぼんやりとしている。
街を襲った時や、開戦後すぐの時には騎馬として生み出されていたが、今回は馬を降りた状態で生み出された。
右手には剣のようなものを持ち、左手には小盾を持つ。
剣にも盾にも実体があり、騎士にダメージを与える。
「中心だ! 体の中心から喉のあたりを突け! そこに魔力の集中点がある。そこを散らせば消せるぞ!」
そんな声が戦場全体に広がっていく。
モンク隊が戦った時は、『聖なる祝福を受けた杖』が虚影兵の体に触れるだけで消滅させることができた。
だから、明確な弱点は分からなかったわけだが……。
さすがに経験豊富な騎士たちもおり、対処法を探り、それを広めるのにそれほど時間はかからなかった。
もちろん、それでも、数は多く、厄介な敵ではあるのだが。
<聖域方陣>で守られた『長距離拡散式女神の慈悲』と神官たちを前に、魔人ガーウィンは何もせずただ立ち続けていた。
薄っすらと笑いながら。
「さすがに俺でも、絶対魔法防御を破るのは無理だ。それは認めよう。だが問題は、そいつがいつまで続くかだよな」
ガーウィンも、光属性の魔法使いが展開する絶対魔法防御の硬さは知っている。
同時に、その魔法が高位の光魔法使いでなければ使えず、しかもかなりの魔力消費であることも知っていた。
だから、何もせず、神官たち全員が魔力切れとなり、絶対魔法防御を展開できなくなるのを待つことにしたのだ。
いずれ絶対魔法防御が切れれば、戦場全体を回復する馬鹿げた装置は、簡単に潰せる。
そうすれば、極大魔法なりなんなりで騎士たちを一掃してもいい。
だが、この回復装置がある限りは、油断はできない。
一撃で殺してまわれればいいが、数万という人間を一人ずつ殺してまわるのは、かなり厄介だ。
極大魔法でも、中心付近であれば即死だろうが、けっこう重傷ながらも死なずに生き残る者は多い。
人間という種は、驚くほどしぶとい。
ガーウィンは、経験からその事を知っている。
少しでも息があれば、回復されてしまう……これは、そういう装置だ。
だからこそ、騎士たちを殺して神のかけらを回収するのは最後に回さざるを得ない。
まずは、装置を潰す。
それは同時に、神官たちを潰すという事でもある。
回復手段を奪えば、どれほど多数の集団であっても、瓦解する。
ガーウィンは、驚くほど冷静であった。
カキンッ。
だが、ガーウィンを倒そうとする者がいる。
虚影兵への対処で、本営に辿り着けない騎士たちではなく、元々本営にいた者たち。
たとえば、国王にして元A級剣士アベル。
そんなアベルの剣を受けたのは、オレンジュであった。
「この前の隊長さんも、人間にしてはなかなかだったが、国王さんの剣も凄いな」
「そりゃどうも」
オレンジュは笑いを浮かべながら言い、アベルは苦虫を嚙み潰したような表情で答える。
アベルは理解した。
目の前にいる上級眷属の強さを。
(簡単に倒せる相手ではない……)
だが、絶望はしない。
国の滅亡を受け入れたのだ。
そのうえで、種を残した。
あとは、全力を尽くすのみ!
「お前を倒して、ガーウィンを殺す」
「できるかな?」
アベルが吠え、オレンジュは笑う。
二人の剣戟が始まった。
一方。
アベル以外にも、本営には人がいた。
イモージェン率いるワルキューレ騎士団近衛隊二十人。
それ以外は前線に出ている。
そして、王国魔法団最高顧問イラリオン・バラハと、王都中央神殿伝承官ラーシャータ・デヴォー子爵。
魔人ガーウィンに吹き飛ばされて、気絶したままの者たちはともかくとして、決して弱い戦力ではない。
イラリオン・バラハなどは、三年前までは、王国最高の魔法使いとすら言われていたのだ。
彼らの前に立つのは、イゾールダ。
そう、上半身をゴールデン・ハインドのヴェイドラ一号機で吹き飛ばされたイゾールダであったが……。
「再生したか……」
「東の魔人は、上級眷属を再生する事ができるらしいと……」
イラリオンが呟き、ラーシャータが伝承から答えた。
「つまり、魔人本体を倒さぬ限り、眷属は再生される。魔人は<バレットレイン>で穴だらけになっても、自ら再生してしまう。どうみても手詰まりじゃな……」
「だからと言って……」
「そう、だからと言って、ここで手を引いても意味はない。国が滅びるのを、ただ見守るなど……」
全員が理解している。
ここで負ければ、国が滅びると。
国が滅びるという事は、自分の大切な人たちが死ぬかもしれないという事だと。
イラリオンは、魔人ガーウィンが右手を握ったり緩めたりしている光景が目に入った。
そして、辛うじて聞こえた気がした。
「思ったよりも早かったな……」
ガーウィンは、振り返り、イラリオンたちや、オレンジュと戦っているアベルに向かって言った。
「喜べ。お前たちに、俺様の真の姿を見せてやる」
その瞬間、アーウィン・オルティスの体から、空に向かって金色の光が走った。
同時に、アーウィン・オルティスの雰囲気が変わる。
先ほどまでのような禍々しさは薄まり……むしろ優しささえ感じさせるような。
「何が起きた……」
ラーシャータが呟くが、誰も答える事はできない。
真っ先に気付いたのは、魔法使いイラリオン。
「上から何か来る!」
次の瞬間、空から何かが降って来て、地面が爆ぜる。
そこには、身長190センチはあるだろう、金髪褐色の偉丈夫が立っていた。
閉じた目を開くと……金色の目。
雰囲気は、先ほどまでのアーウィン・オルティスと同じ……禍々しい。
ニヤリと笑うと偉丈夫は言った。
「魔人ガーウィン、降臨」
「それが、封印されていた貴様の本体か」
「その通りだ、老人。よく分かったな。空に浮かべておいた」
イラリオンが指摘し、ガーウィンが笑いながら認めた。
「それで……そこのアーウィン・オルティスは……」
「ああ、こっちは、ずっと俺の四将の一人、ジュクが乗っ取っている。そういう眷属なんだ。俺様は、ジュクが乗っ取った体に間借りさせてもらっていた。その方が、いろいろ動きやすいからな」
「で……封印が解けたから、本来の体に移ったと」
「まあ、そういうことだ」
イラリオンの問いに、素直に答えるガーウィン。
それは、圧倒的な余裕からであった。
正確には、まだ完全に封印は解けていない。
リチャード王が施した封印は、それほどに強固なのだ。
(それでも、完全な状態の九割近くにはなっている。大して殺していない気がしたが……死んだ騎士一人ひとりが、想像より鍛えられていたか? 嬉しい誤算だな)
ガーウィンは、笑いながら、自らの状態を確かめる。
何よりも、本来の体に戻り、それを動かせるようになったのが嬉しかったのだ。
900年以上もの間、一所で体を動かすこともできないままというのは、辛い。
睡眠と覚醒とを繰り返していたため、900年ずっと起きていたわけではないが……。
「お帰りなさいませ、ガーウィン様」
そう言うと、イゾールダは片膝をついて礼を取った。
「ああ。イゾールダ、ご苦労だったな」
「もったいなきお言葉」
ガーウィンは、自らに足りない知能の部分を担うイゾールダを、高く評価している。
「イゾールダ、こっちはいいから、オレンジュの方に行ってこい。あいつ、遊び過ぎだ」
「は? オレンジュが負けるとは思えませんが……」
ガーウィンの言葉に、首を傾げるイゾールダ。
どうみてもオレンジュは、あの国王を剣で上回っている……。
「あの国王の剣、元になっているのは“エクス”だ」
「まさか! リチャードの……」
ガーウィンの言葉に、イゾールダは驚いてオレンジュとアベルの剣戟を見る。
アベルが振るうのはいつもの愛剣。
いつも通り赤く輝いているが……。
「ですが、あの赤い輝きは、人間が言うところの魔剣で……」
「だから、『元になっている』と言ったのだ。まあ、“エクス”が、リチャード以外を主と認めるとは思えんし、あの程度では力は引き出されまいが……。念には念を入れておけ」
「畏まりました」
そう言うと、イゾールダは駆けていった。
その光景を見ても、王国の者たちは誰も動けない。
辛うじて話すことはできても、眷属を追う事はできない……足が動かないのだ。
それは、この場で最も経験豊富なイラリオンですら。
「どうした老人。他に聞きたいことはないのか? 俺は、今、気分がいい。答えてやるかもしれんぞ」
顔をしかめたまま動けないイラリオンに、ガーウィンは問う。
王国側とすれば、情報を集める必要があるのは確かだ……。
国王アベルの方は……。
(しぶとく生き残るのを、祈るしかあるまい)
幼少の頃からアベルを知るイラリオンは、割り切った。
そして、ガーウィンに質問する。
「貴様は……王国をどうするつもりだ」
「どうする? 滅ぼすに決まっているだろう?」
「なぜ」
「なぜ? 変な問いだな? 滅ぼしたいから滅ぼす。そうしたいからそうする。他に理由などあるか?」
「人は……やりたくとも我慢する」
「ああ、それは弱いからだな。分かるぞ。俺も、この体に戻るまでは弱かったから、ずっと我慢したもんな」
ガーウィンは笑いながら言った。
そして、笑いを収めて、さらに続けた。
「だが、我慢する必要がなくなったから、我慢しない」
そして再びニヤリと笑って言う。
「まあ、リチャードへの意趣返しと言う事もできるな。そっちの方が受け入れやすいなら、そっちでもいいぞ。好きなように受け取れ」
リチャードとは、ナイトレイ王国中興の祖、リチャード王の事であろう。
全属性の魔法を操り、錬金術は極北に至ったと言われる王。
伝説では、目の前の魔人を封印したと言われていたが……あくまで、ただの伝説だと思われていた。
だが、どうもそうではなかったらしい。
さすがに、自分を900年以上封印した相手には良い感情を持っていないようだ。
「さて、お話はこれで終わりだ。俺も久しぶりの自分の体、どれくらい動くか試してみたいんだよ。誰が相手をしてくれる?」
わざとらしく見回す魔人ガーウィン。
「当然、私たちが相手だ」
そう宣言したのは、ワルキューレ騎士団長イモージェン。
そして、頷く副団長カミラ、魔法隊長ミュー、救護隊長スカーレット。
そして十五人のワルキューレ近衛騎士。
カツンッ。
背後に忍び寄っていたワルキューレ騎士団斥候隊長アビゲイルの一撃を、ガーウィンは左手甲で軽く受けた。
そのまま間髪を容れずに、裏拳のようにアビゲイルの腹に左手拳が入る。
アビゲイルは吹き飛んだ。
それが開戦の合図であった。
「風よ その意思によりて敵を切り裂く刃となれ <エアスラッシュ>」
超速の詠唱により、ほとんど瞬時に放たれるイラリオンの不可視の風の刃。
だが……。
「<リバース>」
ガーウィンが唱えた瞬間、エアスラッシュは向きを変え、イラリオンに向かって飛んだ。
それをギリギリでかわすイラリオン。
ほぼ同時に、ガーウィンに殺到するワルキューレ騎士団。
狙いは明白。
数で押し潰す!
一対十五なら、あり得る……。
だが、それが十五対十五なら?
イラリオンには、ガーウィンが同時に十五人いるようにすら見えた。
ほとんど同時に、十五人のワルキューレ騎士団員を吹き飛ばしたのだ。
「分身……というやつか?」
「私も、伝承でしか聞いたことありませんが……」
イラリオンが呟き、ラーシャータが答える。
「<エリアヒール>」
吹き飛ばされたワルキューレ騎士団員を、瞬時に範囲回復で癒す救護隊長スカーレット。
「ふむ、悪くないな」
ガーウィンは、そう言いながら首をコキコキ傾ける。
そして、言葉を続けた。
「さて、王国の騎士たちよ、どうする? 諦めるか?」
「誰が諦めるか! お前は私たちが止める!」
ガーウィンの挑発に、真っ向返すイモージェン。
「ハッ。その心意気は買ってやろう。かかってこい」
次回、「0431 アベル対オレンジュ」