0428 開戦
午前九時。戦笛が響き渡る。
「いよいよだな」
「ああ」
王国軍中央前衛で、ザック・クーラーが呟くように言い、スコッティー・コブックが頷いて答えた。
先に動いたのは魔人軍。
「来たぞ!」
ザックがそう呟いた時、王国全軍に声が響いた。
「突撃してきたのは虚影兵。前衛待機。モンク隊出撃」
その声は、イラリオン・バラハによる魔法<伝声>
大軍を指揮するのに、これほど便利な魔法はない。
広い戦場全体に、指示の声を届ける事ができるのだから。
風属性魔法<伝声>は、決して難しい魔法ではないが、戦場のような場所で使うのは難しい。
魔法が飛び交い、魔力が荒れ狂う場所だからだ。
もちろん、今はまだ開戦前だからよいが……。
戦端が開いた後でも使えるのは、王国広しと雖も数人。
<伝声>での命令に従い、神殿のモンク隊が出る。
中央、右翼、左翼にそれぞれ千人ずつ配置されている。
数としては、決して多いとは言えないだろう。
向かってくる魔人の虚影兵は、ざっと見ても六万はくだらない。
実に二十倍!
だが、モンクは怯まない。
並の神官などとは比ぶべくもない信仰を抱かねば、モンクにはなれない。
その全てを光の女神に捧げ、女神と信徒たちを守るためなら、喜んで自らの命を危険にさらす。
今、彼らは、信徒である王国民を守るために、全てをなげうつ覚悟で出撃した。
モンク隊の先頭と、虚影兵の先頭がぶつかる。
モンク隊は、自らの命を懸ける武器『聖なる祝福を受けた杖』を振り回しながら、虚影兵につっこむ。
まさに一撃。
杖が触れただけで、虚影兵は消滅。
その光景を見て、大きく頷いたのは、大神官ガブリエルと伝承官ラーシャータ。
予想通りとはいえ、それが上手くはまれば嬉しいのは当然だ。
王国軍にとって、魔人軍に対してのほぼ唯一のストロングポイント、虚影兵に対するモンク隊は、驚くべき効果を上げていた。
波のように押し寄せる虚影兵の前に、全く怯まず戦い続けるモンク。
無論、無傷とはいかない。
二十倍の敵に対しているのだ。
目の前の敵を倒している間に、横から斬りつけられることもある。
だが、彼らはモンクだ。
戦う修道士。
全員が、光属性魔法の使い手でもある。
「母なる女神よ 大いなるその癒しの手にゆだねん <ヒール>」
自らにかけ、隣の仲間にかけ……。
致命打だけは避けつつ、戦い続ける。
彼らは理解している。
魔人の虚影兵に対して、自分たちが切札であると。
逆に言えば、自分たちがいなくなれば虚影兵に数で押し切られると。
だから、まだ死ねない。
信徒である王国民を守り抜くために、戦い続けなければならない。
そのために、死ぬ事はできない。
彼らに、代わりはいないのだから。
大胆に、危険に身をさらしながら。
慎重に、致命打を避けながら。
その両方を見極めながら、モンク隊を率いる総長グウェイン、副総長チェイスは自らも戦いつつ指揮を執る。
総撤退のタイミングは、本営から届く。
だからそれまで、崩れないように……。
彼らにとってもっとも厄介な敵は、虚影兵ではなかったのかもしれない。
彼らに代わりはいない。
つまり、虚影兵が出てこなくなるまで戦い続けなければならない。
最大の敵は、持久力であったのかもしれない。
総長グウェインは周囲を見回しながら戦う。
虚影兵は、さらに増援されて出てきているようだ。
モンクたちは、戦い続けているが、まだ余裕があるように見える。
(鍛え上げたからな)
グウェインは薄っすらと笑いながら、杖を振り続ける。
それは、王都騒乱の時であった。
総長グウェインと副総長チェイスは、中央神殿モンク隊長、副隊長として、地下から湧き続ける化物たちと対峙していた。
当時、たまたま神殿にいた現王妃リーヒャの指揮の下、なんとか壊滅は免れていたが劣勢。
いよいよダメかという時に、現国王アベルが味方を引き連れて援軍に来たのだ。
そして、少し遅れて、あの驚くべき魔法使いも参戦した。
そこからは、全く危なげない防衛戦。
魔法使いが氷の壁で調整し、アベルと勇者が斬り続ける。
アベルと勇者が凄いのは分かる。
だが、彼らの前で、数時間にもわたって魔法を行使し続けた、あの水属性の魔法使い……あり得ない。
しかも、終わってからも、汗一つかいていないとか……。
全てが終わった後、グウェインは件の水属性の魔法使いに教えを乞うた。
その時、水属性の魔法使いはこう言った。
「訓練し続けるのです。それ以外にはありません。人の体は、全て、使い続ければ鍛えられていきます。それはモンクである皆様も経験されているでしょう? 戦場において最も大切なのは、生き残る事です。そのためには、最後まで戦い続け、立ち続けなければなりません。それを可能にするのは持久力です。持久力は、鍛えさえすれば、誰でも身に付ける事ができます。そこから始めてみてはどうでしょうか?」
二人は訓練し続けた。
少しずつ、他のモンクたちも訓練に加わり始めた。
解放戦後、モンクたちは王都の外を走り鍛えることがあった。
その時見たのは、城壁に向かって氷の槍を放つ、例の水属性の魔法使い。
そして、跳ね返ってきた氷の槍を自らの剣で斬る。
しかも、一本ではない。
数十、あるいは数百の氷の槍を。
水属性の魔法使いは、筆頭公爵に叙されていた。
身分違いを理解しつつも、思わずグウェインは再び教えを乞うた。
「魔法を使い続けながら走ってみてはどうでしょう」
「それは、自らにヒール掛けながらということでしょうか?」
ヒールは、基本的に怪我の回復を行うが、わずかに疲労の回復効果もある。
その説明をグウェインがすると、水属性の魔法使いは目を輝かせて頷いた。
「素晴らしいですね! 訓練を長く続けられますよ!」
王国全モンクの総長となったグウェインは、自らにヒールをかけながらの訓練も、メニューの中に取り入れた。
それが今、生きている。
戦い続けるモンクたちは、どうしても動けなくなると、自らにヒールをかけ、疲労を回復しながらさらに戦い続けた。
彼らは、当然のように、早口での詠唱だ。
「なんか、すげーな」
遠く本営から見つめる王様は、そう呟いたとか……。
十数回の虚影兵の波に耐え続けたモンクたち。
ついに響く<伝声>。
「敵は実体兵を繰り出した。モンク隊は下がれ」
彼らは、耐え抜いた。
「ようやくだな!」
「ああ」
ザックが気合を入れ、スコッティーが頷く。
そして、スコッティーは後ろを向いて部下たちに叫んだ。
「分かっているな! 怪我してもいいが死ぬなよ!」
「おぉ!」
「いや、あからさまだな……」
ザックが小さく首を振りながら言う。
「怪我はヒールで治るが、死んだらどうしようもないからな」
スコッティーが小さく肩を竦めて答える。
「来たぞ」
第二ラウンドの幕が上がった。
騎馬同士の激突……の前に、王国軍から放たれる魔法砲撃。
中央、右翼、左翼全ての中衛に、魔法使いが配置されている。
そこからの、一斉砲撃。
火属性、土属性、風属性……。
魔法使い各々が、ソニックブレードのような、着弾前に五つに分裂して面制圧を行う魔法を放つ。
だが、魔人の実体兵は……。
「奴ら、魔法を斬りやがった」
「強い、ということだ」
ザックの言葉に、スコッティーが答える。
ザックは、ハフリーナ防衛戦において、実体兵の攻撃を受けたことがある。
部下たちが、できるだけ正面から戦わなくてすむように、城壁上からの槍での攻撃に終始させた。
それでも、強さの一端は垣間見れた。
スコッティーは、初めて見るが、想定はしていたのだろう。
魔法を斬るのを見ても、驚いてはいないようだ。
そして、王国騎士団、カーライル騎士団と実体兵がぶつかった。
ほぼ同時に、右翼でルン辺境伯領騎士団、左翼でシルバーデール騎士団が戦闘に入る。
いずれでも、中心となる騎士団は精強をもってなる者たちばかりだが、戦線が広がれば、当然、それほど強くない騎士たちも戦闘に巻き込まれる。
五万もの騎士となれば、強さにばらつきがあるのは当然だ。
だが、強さにばらつきはあれども、大切なものを守りたいという気持ちに変わりはない。
ここで負ければ、国が滅び自分たちの家族も巻き込まれることは理解している。
技術が足りない者はいても、思いは同じだ。
騎士たちは奮戦した。
「下がるな! 押し込めずとも、絶対に下がるな!」
「我らが下がれば負けるぞ!」
ザックとスコッティーは、自ら斬り合いながら叫ぶ。
そして、指示を出していく。
何があろうとも下がるな。
それが、中央を任せられた王国騎士団に下された命令。
だからこそ、王国騎士団と共にカーライル騎士団が置かれている。
大盾を振るう三百人の騎士。
彼らは、最初の位置から、一歩も下がっていなかった。
相手は、魔人の眷属だ。
力、速さ、体力……何もかもが人間に比べて圧倒的に上。
だが、そんな相手にも……。
一歩も怯まない。
一歩も下がらない。
一歩も踏み込ませない。
中央で王国騎士団とカーライル騎士団が踏みとどまっているのとは対照的に、右翼と左翼はじりじりと下がり始めていた。
まさに、悔しいが力負け、といった様子で。
少しずつ、少しずつ。
三十分かけて、両翼が押し込まれ、中央だけが突出した形になる。
それは、非常に危険な形。
前方だけではなく、右からも左からも敵に攻撃されるから。
しかし!
これこそが、望んだ形!
王国軍中央で戦う者全員に聞こえる声。
イラリオンの<伝声>が聞こえる。
「合わせよ! 三、二、一、放て!」
放て、の瞬間、突出していた中央部隊全員が、地面にうつぶせになった。
もちろん、戦っている最中にだ。
目の前の敵と、剣を合わせている最中にだ。
そんなことをすれば、殺される?
考えてみて欲しい。
今の今まで、剣で戦っていた相手が、いきなりうつ伏せになったら、あなたはどう思う?
その瞬間、地面に伏せた相手を剣で刺す?
残念ながらそれは無理だ。
どうしても、「なんだ、それは?」と疑問を持つ。考える。そして周囲を見回す。
いきなり伏せた相手を刺すことはない。
誰だって分かるのだ。
「何かある」と。
実体兵たちが、周りを見回した瞬間であった。
緑色の光が二条。
一つは、右から左へ。
もう一つは、左から右へ。
薙いだ。
多くの実体兵が、体を切断され、地に臥した。
「ヴェイドラ斉射、成功」
その瞬間、王国軍本営では歓声が上がった。
アベルですら、一つ大きく頷いた。
だが、冷静だ。
すぐに次の指示を出す。
「神官団に下命。戦域回復」
それを受けて、イラリオンが<伝声>を発動する。
「神官団、戦域回復を」
その<伝声>は、本営後方に届く。
そこには、ひと際大きな馬車が置かれ、錬金術師のケネス・ヘイワード子爵とラデンが命令を待っていた。
命令を受けて、馬車に載った装置のスイッチを押して言う。
「『長距離拡散式女神の慈悲』起動」
すると、二秒後、青い光が灯る。
「起動しました。ガブリエル様、お願いします」
「承知いたしました」
ケネスが、大神官ガブリエルに言う。
『長距離拡散式女神の慈悲』の周りにいるのは、ケネスとラデン以外は、全員が神官。
大神官ガブリエルはもちろん、聖女として知られる王妃リーヒャもいる。
その全員が、装置から延びる数十本のロープを握っている。
ガブリエルが、右手を上げた。
そして、一度、神官たちを見渡してから、その右手を勢いよく下ろす。
その瞬間、神官全員がトリガーワードを唱えた。
「<ヒール>」
神官たちの魔法が、ロープを伝って『長距離拡散式女神の慈悲』に届く。
そこから、不可視ではあるが、戦場全体にヒールがかけられ……。
王国軍全体が回復した。
「まさに、神の奇跡だな……」
「錬金術の奇跡であろう」
「これほど広範囲のヒールなど、人の業としては伝承にも残っておりません」
アベルが呟き、イラリオンが言い、ラーシャータが感嘆した。
空気中の水蒸気を伝って、戦場全体にヒールを届ける錬金道具。
それが、涼とケネスが開発した『長距離拡散式女神の慈悲』
通称、パナケイア・ブレス。
水属性魔法を使って、光属性魔法を遠距離まで届ける。
範囲回復魔法<エリアヒール>の強化版……ではない。
その特筆すべき効果は、王国軍全員に対して、神官が体に触れながらヒールをかけるのとほぼ同じ効果をもたらすという点だ。
しかもほとんどの者が、複数回ヒールをかけられる……その効果は凄まじく、死んでいない限り、重傷であっても、ほぼ全快する。
それでいて、神官たちの魔力消費は、<ヒール>一回分と変わらない。
「敵味方識別タグ、効果を発揮しましたよ、リョウさん」
ケネスは、微笑みながら、はるか西方諸国にいる共同開発者の事を思った。
王国軍は、全員が、ペンダント風の『敵味方識別タグ』を首から下げている。
もちろん、命名者は涼だ。
現代地球で、軍人さんたちが首から下げているタグ、外見的にあれを模したから……。
当然、現代地球のタグに、敵味方を識別する機能はないが。
この『敵味方識別タグ』を下げている人間に対して、『長距離拡散式女神の慈悲』から放たれる光属性魔法は効果を及ぼす。
敵まで回復してしまっては意味がないから……。
とりあえず、ここまでは計算通り。
アベルは、そう認識すると、傍らのイラリオンに、さらに命令した。
「ようやく魔人と上級眷属が前線に出てくるぞ。『船』に下命。狙いをつけたら躊躇なく撃て」
王国軍、押しています!