0424 魔人の眷属
「魔人の眷属……」
ザックが、絞り出すように言う。
「おう……やっぱ、その辺は分かってるんだな。ん? そういえば名乗っていなかったか? 俺の名はオレンジュ。ガーウィン様の四将が一人よ。それで、隊長さん、お前さんの名は?」
「ザック」
オレンジュの問いに、ザックは素直に答えた。
今は、一秒でも時間が欲しい。
この状況を把握し、脱出できる方法を考えねばならない。
ザックは、オレンジュと対峙している。
スコッティーは、陰から出てきた二人と対峙している。
オレンジュと共に屋敷から出てきた三人は、先に打ち倒した三人を縛り上げている。
「三人を捕まえてどっかに連れていくのか? 魔人の眷属にしては、ちまちましてないか」
ザックは情報を引き出しつつ、時間を稼ぐために、あえて問う。
「情報は大切だぞ? あいつらを調べて、どの陣営が、あるいは誰たちが、どの程度の情報を掴んでいるか把握しておかないとな」
「その外見には、似合わねえな」
「てめえ……今すぐぶち殺してやろうか?」
ザックが素直に思ったことを口にしてしまい、オレンジュは頬をヒクヒクさせながら言い返す。
話している間も、オレンジュの打ち下ろした剣を、ザックが受けたままだ。
「これだけ話しても出てこないってことは、あの水魔法使いは、今回はいないのか? 二人共とか贅沢は言わん、どっちか来てないのか?」
「なぜそんなことを聞く」
オレンジュがわざとらしく辺りを見回しながら問い、ザックは顔をしかめながら問い返す。
「決まってるだろ。楽しいからだ。あの水魔法は、二人ともかなりのものだ。いや、俺が知る限りにおいては、かなりのものだ。今の水魔法使いのレベルは知らんが、あれほどの使い手なら戦うのは楽しいだろうからな」
「なるほど。その辺にいるかもしれんな」
オレンジュの説明に、ザックはぼかして答える。
わざわざ正解を教えてやる必要はない。
いるかもしれないと考えれば、思い切った行動をとらないのではないかとも考えたのだ。
だが……。
「ふん、嘘だな。そうか、来てないのか。それは残念だ」
「……」
「とはいえ、さすがに剣士二人でどうにかなる相手じゃないのは分かっているだろう? なぜ追っていた?」
「答える気はない!」
「ふむ。倒すつもりではない……当然、捕まえるつもりでもない……。となれば、偵察だわな。俺の力は知っているから……ああ、俺がいるかどうかか? その確認か? このウイングストンで? そうか……」
オレンジュはそこまで言って、一呼吸入れた。
そして禍々しい笑いを浮かべる。
そして続けた。
「公爵家との繋がりに気付いたな?」
「!」
それは様々な意味で決定的な一言。
魔人と公爵家との間に繋がりがある事が明確になる。
だが同時に、王国側がその繋がりに気付いたという事実を、魔人側に知られた。
つまり、この先、両陣営が本格的に衝突することになる……。
この瞬間、どちらの陣営にとっても、もう後戻りできない状況になった。
そういう事だ。
(これは……なんとしても、報告しないとマズい)
ザックは、心の中で顔をしかめた。
ここでザックもスコッティーも倒され、あるいは捕まって報告を上げる事ができなければ、一方的に魔人側に、王国が公爵家と魔人の繋がりに気付いたことを知られただけになる。
この先の大規模な行動の、先手を取られる。
それは極めてマズい。
マズいのだが……。
(俺もスコッティーも、二人ともこの場を脱する事ができない可能性が高い……よな)
ザックは、自分と目の前の魔人の眷属との力の差は理解している。
少なくとも、自分が勝てる相手でない事は。
であるなら、スコッティーがこの状況を脱して、報告を上げる方が可能性はある。
そう判断して、チラリとスコッティーを見る。
スコッティーも同じことを理解しているのだろう。
ザックの方を見る。
だが、小さく首を振る。
スコッティーの相手も、厄介な相手らしい。
四将でなくとも、魔人の眷属二人が相手であれば当然か。
しばらくすれば、前方で、三人を縛っていた者たちも合流する可能性が……。
三人を縛っていた者の一人が、急いで走ってきた。
ザックはそれを確認したが、動けない。
打ち下ろしたままのオレンジュの剣は、驚くほど重い。
常に、その剣で、上から押さえつけられている状態だ。
これが人間相手であれば、地面からの反発力を利用して、体全体で勢いをつけて上に剣を弾きあげて反撃、あるいは後退など、いろいろと方法がある。
だが、オレンジュの膂力は尋常ではない。
何十、何百キロもの重さに、上から押し潰されそうなっている感じ……。
動けない。
この状況から脱出する方法はただ一つ。
だが、それとて、タイミングを誤ればこちらのバランスが崩れ、返す一太刀で息の根を止められてしまう。
タイミングが重要だ。
走ってきた部下がオレンジュに報告した。
「オレンジュ様、前の三人の身分が確認できました……」
そこまで言って、ザックの方をチラリと見る。
「かまわん、言え」
「はっ。あの三人は、連合政府直轄の間諜たちのようです」
「連合政府直轄と言うと、国境の何とか大公国じゃなくて、ということか」
「はい」
(連合政府ということは、オーブリー卿……。連合もシュールズベリー公爵家を怪しんでいた?)
ザックは聞いた情報を考える。
「分かった。詳しくは、屋敷で聞きだす。あの三人を屋敷に運べ。それと、伝えよ」
オレンジュは、一度そこで言葉を区切り、ニヤリと笑って言葉を続けた。
「王国は、公爵家と我らの関係を確信したようだと」
「くっ……」
オレンジュの言葉に、ザックは顔をしかめて悔しそうに言葉を吐いた。
「悪いな。これも仕事でな」
「魔人の眷属が仕事とか……もう少し職場を選んだ方がいいぞ」
「はっ。この状況でも口が減らないとは、隊長さんもなかなか肝が据わっているな」
ザックの言葉に、面白そうに返答するオレンジュ。
その瞬間。
わずかに、オレンジュの力が弱くなった。
「ここ!」
ザックは、思い切り剣を傾ける。
ザザッ。
傾けられたザックの剣の上を、オレンジュの剣が勢いよく滑り地面を叩きそうになる。
圧力が無くなったザックは、右足を斜め前に出して体を開き、傾けた剣を斬り上げる。
剣は空を切った。
体勢を崩されたオレンジュであったが、右足一本で横に跳んだのだ。
ザックの必殺の一撃から逃れたオレンジュ。
だが……。
ザックは切り上げた剣を、そのまま突く。
突く、突く、突く。
三連突きの最後を剣で打ち落とすオレンジュ。
そこから、剣を薙ごうとした……。
だが、剣は途中で軌道を変えた。
いや、剣だけではなく、オレンジュの体自体が、後方に跳んだのだ。
同時に、スコッティーと戦っていた眷属二人の首から鮮血が舞った。
「逃げろ!」
辺りに響く男の声。
ザックとスコッティーは、何も考えずに走り出した。
たっぷり二分間。
オレンジュは、一人たたずんだままであった。
気配が完全に消えるまで一分。その後もそのまま一分。
「そろそろいいか」
そう呟くと、剣を鞘に納める。
その頃には、倒された部下たちは、形を失い、灰になっている。
陰から出てきたのは、ガーウィンの眷属の一人……。
「イゾールダ、あんな感じでいいんだろ?」
「ええ、上等よ。あんたが、あの騎士さんと戦い始めた時には、ぶん殴ってやろうかと思ったけど……」
オレンジュが頭をガシガシ搔きながら言い、イゾールダは小さくため息をつきながら答えた。
「いや、ちゃんと逃がしただろうが」
「あっちに援軍が来たからでしょ。来なかったらどうするつもりだったのよ」
「その時は……そうだな、水魔法使いの情報と引き換えに逃がしてやったかもな」
「何よそれ。怪しさ満点じゃない……」
オレンジュの適当な答えに、小さく首を振るイゾールダ。
少なくとも、この場でザックとスコッティーを殺すつもりはなかったのだ。
それどころか、逃げてもらって、王国政府にいろいろ伝えてもらわねばならない。
「これで、王国は討伐軍を出す事になるでしょうね。我々が軍隊を持っていることを知っているから……。ついでに、連合も出してくれるかもね。王国と連合で、魔人を挟撃しようって」
嬉しそうに言うイゾールダ。
「王国・連合対俺らの戦争か。まあ、戦争になれば多くの人間が死ぬからな。戦争の相手が、他国だろうが俺らだろうが、どちらでも構いやしない」
王国も連合も、魔人の最初の動きが、『国境付近で王国と連合による戦争を引き起こす』のが狙いであった事には気づいた。
だから、アベル王とオーブリー卿の直接会談で、それを回避した。
だが、『なぜ、国境付近で戦争を引き起こしたいのか』という理由までは分かっていない。
それが、人が多く死ぬことによって、人が持つ『神のかけら』が多く放出され、それがガーウィンの完全覚醒を促すから……そんな推測は、さすがに誰にもできない。
もし、西方諸国への使節団が持つ『神のかけら』という情報があれば、辿りついた者がいたかもしれないが……。
原因が分からなければ、本質的な問題解決は難しい。
それは、いつの時代、どんな世界においても変わらないのだろう。
「面倒だよな。ウイングストンの住民全員を殺して、それで神のかけらを回収すれば楽なのに」
「あんたも知ってるでしょ。最後の一割は、戦場に出てくるような人間たちの神のかけらじゃないとダメなのは」
オレンジュが過激な事を言い、イゾールダが答える。
「まったく……何なんだよ、神のかけらってのは」
「知らないわよ。私に聞かないで」
数千年を生きる魔人の上級眷属であっても、知らない事はあるらしい。
「もしかしたら……私たちよりも、リチャード王の方が理解していたかもしれないわね」
「ああ……。ガーウィン様を、これだけ長く封印したんだからな。そうかもしれん」
「なんとか……逃げ切った……か……」
「ああ……。多分」
ザックとスコッティーは、呼吸を整えながら、そんな会話を交わした。
だが、すぐに、剣を抜いて身構えた。
人の気配を感じたのだ。
「ああ、敵ではありません。ザック・クーラー隊長、スコッティー・コブック隊長。我々は、ハインライン侯の命を受けて潜入した冒険者です」
そう言うと、陰から五人の男女が出てきた。
「アクレ所属、C級パーティー『明けの明星』のヘクターです」
「久しぶりだな。王国解放戦以来か?」
ザックが聞く。
ザック、スコッティーは、解放戦前、王都に潜入し、反乱者として活動していた。
その時、『明けの明星』とも面識があった。
「ええ。お久しぶりです」
ヘクターが代表して答える。
「先ほどは助かった。感謝する」
ザックが言い、スコッティーと共に頭を下げた。
「いえいえ、どうか気にせずに。我々が確認したいのは一点です」
ヘクターはそう言うと、二人の顔を交互に見てから言葉を続けた。
「魔人の眷属を確認しましたか?」
「ああ、確認した。魔人ガーウィンの四将の一人、オレンジュと名乗った。俺が、ハフリーナの街で戦った眷属だった」
ザックがそう言うと、ヘクターは頷いて言葉を続けた。
「了解しました。では、その事を王国政府に伝えます」
ヘクターの言葉を聞いて、ザックは情報を追加する必要性を感じた。
「ただ、奴らも、王国政府が公爵家と魔人の間に繋がりがあることを確認した事を、分かってしまったから……」
「ああ……。内戦というか、戦争になりますね……」
ザックの言葉に、ヘクターは顔をしかめて頷きながら言う。
誰しも、戦争などやりたくはないのだ……。
「お二人は、くれぐれも気をつけて、ハフリーナの街にお戻りください。報告は我々が責任をもって行います」
ヘクターがそう言うと、後ろに控えた女性が頷いた。
「あんたたちは……?」
「我々は、もう一つ確認することがあります」
ザックの質問に、ヘクターが答える。
「確認?」
「ええ。公爵家と魔人の眷属が関係することは確認できました。次は、アーウィン・オルティス自身が、魔人の眷属と関わっているのかどうかの確認を行います」
ヘクターの答えに、ザックとスコッティーは驚いて言葉を失った。
アーウィン・オルティスとは、現シュールズベリー公爵だ。
確かに、今夜、眷属が出てきた瀟洒な屋敷は、地下で公爵邸の『別館』とやらに繋がっている。
であるなら、アーウィンが無関係ではないのだろう……が。
そう、「だろう」では困るのだ。
確実な証拠が欲しい。
それが、五人、『明けの明星』に与えられた今回の任務であった。