0422 各地の事情
ハンダルー諸国連合首都ジェイクレア。執政執務室。
「閣下、また村が焼かれたとのことです……」
執政補佐官ランバーが、顔をしかめながら報告する。
「イウバラか、カリニャーノ辺りか?」
「イウバラ村です……」
連合執政オーブリー卿は表情を変えずに問い、ランバーがしかめた顔のまま答える。
ランバーが何か言いたそうにしているが、結局何も言えないのはオーブリー卿も分かっている。
「ランバー、言うまでもないと思うが……」
「分かっております。当地の防衛は、ヴォルトゥリーノ大公国の役割であることは」
そう、ランバーも理解しているのだ。
連合政府が手を出せない箇所である事は。
これが、正式に『戦争』と認定されれば、連合独裁官であるオーブリー卿が、連合領内におけるほぼ全ての軍関連の権限を持つことになる。
だが、現状、地方反乱。
せいぜい、大規模武力勢力活動。
それは本来、連合を形成する各国で対処する内容なのだ。
ハンダルー諸国連合は、『諸国連合』という名の通り、多数の国による連合国家だ。
オーブリー卿が執政を務める連合政府は、あくまで取りまとめ役にすぎない。
もちろん、様々なごり押しをしようと思えばできないことはないが、乱発できるものではない。
あくまで、各国が治政の中心。
その中でも、『十人会議』に席を持っている十カ国は、連合の中でも強力な力を持っている。
ヴォルトゥリーノ大公国も、十人会議に席を持っている。
もちろん、ヴォルトゥリーノ大公自らが、その席に座っている……。
今回、赤鎧の男たちが暴れまわっているのは、元インベリー公国の領地の一部と、ヴォルトゥリーノ大公国の一部。
元インベリー公国であった地域は、十国が分割して統治しているが、王国と接する国境付近は、ヴォルトゥリーノ大公国が併合していた。
元々、インベリー公国があった時から、王国の国境の街レッドポストと接していたのが、ヴォルトゥリーノ大公国だ。
そのため、元インベリー公国の西部地域も大公国が併合。
これに関しては、他の九カ国も、文句は言わなかった。
王国との国境付近は大公国に任せて、自分たちは他の地域を欲した。
大国と接する国境警備は、いろいろ面倒ごとが多いので……。
その結果、今回被害にあっている場所の九割が、ヴォルトゥリーノ大公国支配地域……。
「せめて、ヴォルトゥリーノ大公が、連合政府に支援要請をすればこちらも兵を出せるのですが……」
「せんだろうな、あの男は」
補佐官ランバーが言い、オーブリー卿は小さく首を振りながら答える。
頑固そうなヴォルトゥリーノ大公の顔を思い浮かべながら。
基本的に、十人会議を構成する十国の代表は、オーブリー卿による連合政府の方針に反対することはない。
だからと言って、なんでもかんでもオーブリー卿の好きなようにできるわけでもない。
この辺りのバランスをとるのは、非常に難しい……。
十三年前から、あまり変わっていない。
周りが思うほどには、オーブリー卿も好き勝手にやっているわけではないのだ。
元インベリー公国の公都アバディーンは、連合政府の直轄地となっている。
さらに、連合首都ジェイクレアからアバディーンまで、インベリー公国に攻め入った時に造った直通路が走っており、物資はもちろん軍の移動も驚くほどスムーズに行える。
はっきり言って、戦略的には、このジェイクレアからアバディーンまでを押さえておけば、現在の連合南部地域の支配権は確立したも同然なのだ。
だからこそ、西部で王国との国境沿いなど、十カ国に任せておけばいいと、オーブリー卿は割り切っていた。
だが、さすがに、これだけ荒らされると、他地域の人心に影響を及ぼし始める。
曰く、何か起きた時に、連合政府は自分たちを守ってくれないのではないかと。
そういう意味では、あまり大きな被害になって欲しくない、というのが為政者としての偽らざる心境でもあった。
「そうか、ハフリーナの街は守られたか」
報告を受けて、国王アベルは大きく息をつき、頷いた。
「襲撃したのは、かなり上級の眷属だという報告が届いております」
報告をするのは宰相ハインライン侯爵。
独自の諜報網も持っているため、かなり詳細な情報が彼の元には集まる。
「よく……そんな上級の眷属を撃退できたな? 最後、シルバーデール騎士団が間に合ったというのは聞いたが……ハフリーナは、まだ守備隊も脆弱だし、駐留していた王国騎士団は二個中隊だろう?」
「はい。陛下もよくご存じの、ザック・クーラーとスコッティー・コブックの隊です」
「マジか! 無事……なんだよな?」
「はい。件の上級眷属と斬り合ったのは、ザック・クーラーだそうです」
アベルの少しだけ心配そうな問いに、ハインライン侯爵は頷いて答えた。
「ザック……マジで剣の道に邁進しているのか……」
その理由を知っているアベルとしては、かなり複雑な心境ではある。
ザックの恋が実らないことを知っているから。
とはいえ、頑張っている友人の気持ちを折るのも……また心苦しい。
「ですが報告によりますと、ザック・クーラー一人では相手にならなかったとか」
「何?」
「ゲッコー商会の商人が、彼の危機を救ったそうです」
「ゲッコー商会? 商人? 何だそれは?」
ハインライン侯の報告に、首を傾げるアベル。
だが、閃いた。
「まさかそれは……水属性の魔法を使ったとかじゃないか?」
「ご明察、恐れ入ります」
「やはりか。リョウの弟子か……」
ゲッコー商会を訪れた時に、アベルも見たことがある。
少年たちが、<アイスウォール>と<アイシクルランス>で模擬戦をしている光景を。
最初見た時は、口をあんぐりと開けて止まっていたと思う……。
商人ゲッコーが言って、理解した。
「リョウさんの弟子たちです」と。
「弟子すら、魔人の眷属と戦える……しかも商人とは……」
アベルの呟きは、ハインライン侯の耳には届いた。
ハインライン侯は少しだけ微笑み、言った。
「先生が先生ですから」
その頃、ハフリーナの街では。
「ルーチェ殿は?」
「無理をしたみたいで……眠っています。しばらくは動けないだろうと」
ザック・クーラーの問いに、クロエは館の方を見て答えた。
「……エヴァンス」
「ルーチェ、気が付いたか。ダメだぞ、動くな。ただでさえ弱っているのに、5層パッケージなんて使ったんだから」
「仕方ないでしょ、エヴァンスがヤバかったんだから」
ルーチェが苦笑しながら言い、エヴァンスは顔をしかめて答えた。
「ああ……助かった」
エヴァンスはそう言うと、座ったまま頭を下げた。
「僕は……うまくやれたのかな?」
「ん? 私の命を助けてくれただろう?」
「そうだけど……。先生が見てたら……褒めてくれたかな?」
「当たり前だ。リョウ先生なら、絶対こう言うぞ。『ルーチェ、凄いです!』って」
「似てる」
エヴァンスが、口調を真似て言うと、ルーチェは笑った。
「でも結局、5層パッケージも切り裂かれて、逃げられた……」
「そうだな。魔人の眷属らしいけど、とんでもないな」
「もっと練習しなくちゃ」
「……まずは、完全に体を治してからな」
練習熱心な後輩を気遣う先輩……。
それは、いつの時代も、なかなか大変なのだ。
「馬鹿者、オレンジュ! 王国の騎士団に不覚をとるとは、なんたる失態か」
「申し訳ありません」
ここは、ウイングストンのシュールズベリー公爵家の別館、新領主執務室。
外見十三歳のアーウィン・オルティスが、跪く巨漢の男を叱っていた。
「とはいえ、そこに至るまでに、多くの村を滅ぼしたのは重畳。それは褒めてやる。よくやった」
「ははっ」
アーウィンの外見の、魔人ガーウィンが褒め、巨漢の男オレンジュが感謝した。
「だが、まだ足りん。ヴィム・ローは、連合領で動いておるのだな?」
「はい。あちらは、たいした戦力がおらぬようで。非常に順調です」
ガーウィンの確認に、イゾールダが頷いて答えた。
謝罪した後、イゾールダの前のソファーに座るオレンジュ。
オレンジュの機嫌がいいのは、イゾールダにも分かった。
「珍しいわね、あんたが上機嫌なんて」
「あ? 別にそんな事はねーだろ。いつも通りよ、いつも通り」
イゾールダの言葉に、オレンジュは適当に答えた。
だが、自覚はあった。
はっきり言って楽しかったのだ。
ハフリーナでの戦闘が。
騎士は……まあまあ、悪くなかった。
人間であれだけ剣を振るえれば、かなりのものだろう。
だが、それ以上に良かったのは……。
(あの水魔法使いだ。しかも二人だぞ? 二人も、あんな奴らがいる……。以前、覚醒していた時に比べて、今代の魔法使いのレベルは低くなったと思ったが、とんでもない! 水魔法はすげー発達していた!)
なにやら誤解があるらしい。
(他の水魔法使いとも戦ってみたいな……いっそ、ガーウィン様に再出撃をお願いするか? あ~けど、実体兵、けっこう死なせたからな……難しいかな~)
そんなことを考えながら、一つの記憶がよみがえる。
(あの水魔法使いは言っていたな。先生は、自分の一億倍凄いと……あれの一億倍ってどーよ? まあ、そこまでなくとも、あれより強いのは確かなんだろう? あ~~~、めっちゃ戦ってみて~~~)
そんなオレンジュを見ながら、イゾールダは少し考えた後、口を開いた。
「ガーウィン様」
「なんだ、イゾールダ」
「そろそろ、次の段階に進んでもよろしいかと思います」
「次の段階?」
イゾールダの言葉に、問い返すガーウィン。
「はい。最近、街の動きを見ますに、ネズミがうろついております」
「ネズミと言うと……密偵か? どこが、何に気付いた?」
「王国、連合双方の密偵でしょうが、はっきり気付いたとは言えないかと……」
「ふむ。して、どうする?」
二人は、詳細な打ち合わせに入った。
オレンジュは、いちおう聞いている風ではあるが、頭の中では別の事を考えていた。
そう、あの水魔法使いたちが本気で戦えば、どんな魔法を使ってくるだろうかなどを……。
アベルの執務室に入ってきた宰相アレクシス・ハインライン侯爵の表情は曇っていた。
それは珍しい事だ。
常に激務をこなしているため、疲労が溜まっていることも多いはずだが、それが表情に表れることはない。
また、大きな問題が発生しても、報告する際にそれが表情に表れる事もない。
だが、入ってきた瞬間、アベルがチラリと見ただけで、それと分かるほどに表情が曇っていた。
「どうした?」
「はい、陛下。まだ確定情報ではない……いえ、事実ではあるのですが、なぜそうなっているのかは不明なのですが……」
ハインライン侯が、これほど逡巡するのは、おそらく宰相になって初めてのはずだ。
「珍しいな。何か相当に悪いことが起こったのは分かる。何が起きた?」
「はい……。シュールズベリー公爵家は、魔人と関係がある可能性がございます」
「……何?」
アベルは顔をしかめた。
もちろん、ハインライン侯が、何の根拠もなくそんな報告をするはずがない事は分かっている。
恐らく、何度も情報を精査したはずだ。
その上での報告であることは分かっている。
分かっているが、それでも……嬉しくない報告であるのもまた確かだ。
現シュールズベリー公爵は、もちろん十三歳のアーウィン・オルティス。
公爵権限は停止中であるが、領地経営を学びたいという本人の希望によって東部の領地に戻り、現在は公爵領の都ウイングストンにいる。
「詳しく説明せよ」
「はい。ウイングストンのシュールズベリー公爵邸ですが、その一角には、使用人はもちろん、騎士団長をはじめ重鎮たちすらも近づくことが許されない『別館』と呼ばれる場所があるそうです。アーウィン殿が戻られてから、そのように取り決められたそうなのですが……」
「ふむ?」
「そこに、赤鎧の者たちが出入りしているようです」
「なんだと……」
ハインライン侯の報告に、アベルは言葉を失った。
『赤鎧』と言えば、王国東部国境、連合西部国境を荒らしまわっている者たちが着ている。
それが、『東に封じられた魔人』の眷属であることは、ほぼ確定している。
そんな者たちが出入りしているというのは……少なくとも普通ではない。
「人数は多くないため、恐らく本拠地は別の場所にあるのでしょう。ですが、王国騎士団ザック・クーラー中隊長と打ち合った上級眷属と思われる者が、確認されております……」
「むぅ……」
アベルは、文字通り頭を抱え込んだ。
言うまでもなく、シュールズベリー公爵家は、王国東部の要。
三年前の戦争の最初の引金も、当時のシュールズベリー公爵の死から始まっている。
そんな要の公爵家が……?
「アーウィン・オルティス自身が関わっているかどうかが重要だ」
「おっしゃる通りです。ですので、陛下、提案がございます」
アベルが確認するように言い、それに対してハインライン侯が、提案があるという。
「まず、ハフリーナの街に駐留しております、ザック・クーラーをウイングストンに派遣し、例の上級眷属を確認させてはどうかと」
「なるほど……」
「もちろん、相手は魔人の眷属ですので、危険な任務ではありますが……」
「危険ではあるが……その確認はとても大切だ」
ハインライン侯の言葉を理解しつつも、その確認が大切であることをあえてアベルは口にした。
場合によっては、再び国を二分しての争いとなる。
しかも片方は、シュールズベリー公爵家と魔人の眷属が組んだ勢力。
アベルは思わず口に出した。
「間違いであって欲しいが……」
ハインライン侯も頷く。だが、その表情は渋い。
自らが掴んだ情報の確度がどれほどかは、誰よりも分かっているから。
それでも、間違いであって欲しいとは思うが……。
(繋がりがあるのは間違いない。問題は、アーウィン殿がどこまで関わっているか)
中央諸国中……どころか、今では回廊諸国にまで諜報網を張り巡らしているアレクシス・ハインライン侯爵。
当然のように、シュールズベリー公爵家の中にも、間諜を潜り込ませている。
当然、優秀な者たちばかりであるが……。
そんな者たちですら、公爵邸『別館』の中の様子を探る事はできていない。
現公爵アーウィンと魔人との繋がりがどうであったとしても、彼らが様子を探る事ができないほど厳重な場所があるというのは……少なくとも、そんな状況は普通ではない。
絶対に隠しておかねばならない事がある。
公爵家ともなれば、国の政治と無縁に存在する事はできない。
嫌でも係る羽目になる。
その中には、宰相のような国家中枢に知られたくないものもあるであろう。
それは当然だ。
だが、公爵邸『別館』は、あまりにも異常すぎる。
アーウィン自身は、本館の執務室と、別館の新執務室を行ったり来たりしているらしい。
別館とはいえ、かなりの広さがあるのだ。
そこに、使用人の誰一人として近付けない?
掃除はどうしている?
アーウィンが、自分で掃除をしているのか?
そんな馬鹿な。
考えれば考えるほど、不自然な部分が出てくる。
(ザック・クーラーには、上級眷属の確認に行ってもらうとして、確認できた場合のさらに先……アーウィン・オルティス自身の確認も必要か。そういえば、『彼ら』が近くにいたか? 回ってもらおう)
ハインライン侯は、小さく心の中で頷くと、国王執務室を出て、すぐに命令書を書くのだった。