0418 戦争を起こす方法
第二部 西方諸国編 最終章開幕です!
西方諸国において教皇就任式が行われる、二十日前。
ここは、中央諸国三大国の一つ、ハンダルー諸国連合の西部国境近く。
ナイトレイ王国との国境近くにある、クルチョの街。
人口は五万人と、それほど大きな街ではないが、連合の西部国境沿いの街の一つであるため、国境守備隊が駐留している。
とはいえ、五百人ほどの守備隊だ。
連合は過去、何度も王国と争ってきた。
十三年前には、『大戦』と呼ばれる全面戦争も経験した相手。
だが、現在は、共に西方諸国に大規模使節団を派遣するなど、ここ数年では最も良好な関係と言える。
もちろん油断していい相手ではないが、もっと北で国境を接している帝国に比べれば、はるかにまし……。
その日まで、多くの民がそう思っていた。
クルチョの監視塔には、国境守備隊がいる。
「隊長、あれ、なんですかね?」
監視隊員が、設置されている遠眼鏡を通して見えた光景を不審に思い、傍らの隊長に問いかける。
「ん? ちょっと遠眼鏡、貸してみろ」
隊長はそう言うと、自ら遠眼鏡を覗き込む。
遠眼鏡は、遠くのものが大きく見える筒状の道具だ。
「砂埃……あれは、騎馬か?」
その瞬間、一気に帝国領に侵攻して、皇帝を討ち取っていったという騎馬の民が、隊長の頭をよぎった。
だが、少し考えて、ここでそれはあり得ないと思い至る。
国境の向こうは帝国でも、回廊諸国でもない。
王国なのだ。
ようやく、掲げられた旗も見えるようになった。
ほら、王国の旗じゃないか!
……あれ?
「王国の旗? 王国軍? 一万騎はいるぞ……」
隊長はそう言うと、遠眼鏡を最初の隊員に渡す。
「確かに……王国の旗を掲げています……。侵略?」
隊員が呟いた言葉に、隊長はようやく我に返った。
「か、鐘を鳴らせ! 城門を閉めろ! 急いで首都に連絡だ!」
矢継ぎ早に指示を出す。
「王国の旗以外は、旗がありません。王国軍なのか、貴族の領軍なのか……分かりません」
遠眼鏡を覗いたままの隊員の報告。
「いったい何だというのだ……」
隊長の言葉は、監視塔の中に虚しく響いた。
三十分後。
クルチョの街は陥落した。
ハンダルー諸国連合首都ジェイクレア、執政執務室。
「閣下、今、クルチョが陥落したという知らせが入りました!」
「早すぎる! 三十分前に、攻撃を受けたという知らせがあったばかりなのに……」
補佐官ランバーの報告に、さすがのオーブリー卿も驚きを隠せなかった。
確かに、クルチョの街は五百人の守備隊しかいない。
それは、主要な街道から外れ、周りにも標的になりそうな大きな街がないからだ。
だがそれでも、国境の街であるため、城壁は高く厚く、兵の練度も決して低くない。
おそらく数万の兵で攻められたとしても、城門さえ閉めていれば、一時間やそこらで落とされることはないはずなのだ……。
「だが、現実は三十分足らずで陥落……」
すぐに冷静さを取り戻したオーブリー卿は、そう呟き、考え始めた。
すでに、クルチョ支援の援軍は向かわせてある。
率いるのは、オーブリー卿子飼いの部下だ……昔から鍛えてきたため、状況に応じて正しい行動をとるであろう。
例えば、すでに陥落していれば遠巻きに包囲して、さらなる援軍が来るのを待つとか……。
その辺りの、細々とした指示を出す必要はない。
やはり考えるべきは……。
「本当に王国軍なのか?」
オーブリー卿の呟きは、報告したランバーにも聞こえた。
「え? ですが、王国の旗を掲げていたという報告が……」
「ランバーは素直だな」
ランバーの思わず口から出た言葉に、オーブリー卿は苦笑しながら言った。
「ああ……つまり閣下は、攻撃したのは王国軍を偽装した者たちで、その理由は、連合と王国の間で争いを起こさせたいからと? ですがそのために……攻め手側にもそれなりの、兵の犠牲が出たはずです。そんな謀略のために、兵に犠牲を強いたのですか?」
ランバーは、すぐにオーブリー卿が言わんとした事に辿り着いたが、謀略によって兵を犠牲にしたことに怒り始めた。
少なくともランバーは、謀略家ではないらしい。
「怒るな、ランバー。まあ確かに、その辺りは納得しにくい部分もあるが……。今の王国が、我が連合と戦争をしたいと考える方が、より納得しにくい。過日、アベル王は帝国の伏兵に襲われたという話もあっただろう? そんな、帝国にちょっかいを出された王国が、好き好んで連合とも戦端を開こうとするか? そんなことする奴は、ただの馬鹿だろう」
オーブリー卿はそこで一息ついて、さらに言葉を続けた。
「アベル王は、そこまで馬鹿じゃない」
連合から見て、王国は仮想敵国の一つだ。
十三年前の『大戦』にしろ、三年前の対インベリー公国戦への介入にしろ、何度も戦った。
だから、決して好ましい相手ではないが、それでも愚かな相手だと思ったことはない。
もちろん、先代王が統治能力を失っていた間は、愚かだと思ったこともあったが……。
戦争は、ある日突然、何の前触れもなく起きるものではない。
少し考えれば分かる事だ。
自国と周辺国の情勢、条件、状況、そういったものが揃わねばならない。
軍事力を行使するのには、準備がいる。
軍隊を揃え、訓練し、補給を整える。
兵を移動させ、武器や食料を運び、戦場の地形や状況を分析しなければならない。
武装蜂起が起きたり、列車が爆破されたり、はたまた皇太子が殺されるのが引き金になって戦争が起きることがある……それは事実だ。
だが、それらは全て、ただの『引金』にすぎない。
銃が準備され、弾が込められ、狙いが定められる……そんな準備がされて初めて、『引金』を引いただけで戦争が起きる。
『引金』だけ存在しても、何も起きやしないのだ。
オーブリー卿は考える。
なぜ、今なのか。
なぜ、クルチョなのか。
連合を戦争に巻き込みたい?
そうであるなら、連合東部国境の方が、可能性が高い。
周辺は小国が多いとはいえ、西部国境よりも不安定だ。
あるいは、帝国との国境の方が、遥かに可能性が高い。
それとも王国を戦争に巻き込みたい?
そうであるなら、対帝国の方が、よほどあり得るだろう。
帝国は、国王を襲ったのだから。
それとも……。
「連合西部、あるいは王国東部を戦場にしたいのか……?」
その日の朝、アベルは平和であった。
朝食前に剣を振るって汗を流す。
朝食は、リーヒャ王妃とノア王子と共に摂る。
その後、午前の執務を行う。
確かに、いつも通り書類まみれではあるが、さすがに三年もやっていれば、慣れもするというものだ。
それに、周りの者たちも、アベルのリズムというかペースというものを理解してきたのか、多くのものが最適化されている。
それはストレスの軽減、ひいてはミスの減少へと繋がっていた。
どこかのロンド公爵がよく言っていた。
「疲れるほどには働くな」と。
「いや、無理だろ」
アベルは、常にそう反論していた。
……今でも、そう反論している。
そんな平和な朝は、宰相アレクシス・ハインライン侯爵の、一つの報告で破られた。
「陛下、連合西部の街クルチョが、武装勢力によって陥落いたしました」
「……は?」
国王アベルの返事は呆けていた。
意味もなく絡んでくる筆頭公爵を除けば、もちろん、アベルを責めることは誰にもできない。
連合西部の街……接している外国は、王国と帝国だけだ。
さらに、クルチョの街の場所を考えた時、王国との国境付近の街のはずだ。
つまり、その街を攻める可能性がある国は、王国だけ。
だが、その王国の国王である自分は、連合の街を攻めろ、などという命令は出していない。
しかも『武装勢力によって』陥落したらしい。
何だ、武装勢力って?
「……暗殺教団みたいなやつか? それとも、この前の北部のような盗賊か?」
「詳細は不明です。ただ、連合首都ジェイクレアに入った情報ですと、王国旗を掲げた一団だったと」
「馬鹿な!」
ハインライン侯の情報に、思わず声を荒らげるアベル。
当然であろう。
王国旗を掲げた一団?
自分はそんな命令を出していないのだ。
ハインライン侯が連合首都ジェイクレアに忍び込ませている諜報員からの情報なのだろうから、情報そのものは事実なのだろう。
であるならば、どういうことなのか?
「……もちろん、王国軍関連で、そんなことをした部隊はいない……よな?」
アベルが知らないだけの可能性もあるので、宰相たるハインライン侯に確認する。
「もちろんです。ジェイクレアに届いた情報によりますと、一万ほどの騎馬ということでした。現状、それほどの兵を動かせるのは、王国全体でも数えるほどしかありません。各地の領主にも確認しましたが、遠征に出ているのはシルバーデール騎士団のみ。他は全て領内にいるとの事です」
ハインライン侯も不審に思い、すでに多くの事を確認していたらしい。
「シルバーデールが遠征しているのはいつもの事だし……精鋭だが、多くとも二千騎以下だ。一万など……」
「いろいろと理解しがたい部分がありますが……。王国東部国境の街には、通達を出しておきました。それから、情報収集のために、主要商会の方にも協力要請を」
アベルもハインライン侯も、何か異変が起きていることは理解していたが、その原因と目的が何であるのかは全く理解できていなかった。
何より情報が少なすぎる。
だから、商会に協力を要請し、情報を上げてもらうことにした。
各地を移動する商隊の数は膨大なものだ。
そこから商会に上がってくる情報も膨大なものとなっている。
その中には、王国政府にとって重要なものが混じっている場合もある。
それを拾い上げることができれば……。
王国全体としては、未だ未完成だが、商会が抱える商隊からの情報収集は、無視して良いものではなくなっていた。
連合西部クルチョの街が陥落した数時間後。
クルチョの街がある辺りよりも、少しだけ南の、王国東部国境にあるバン・レーンの街。
人口約五万人と、連合のクルチョの街とほぼ同規模の街。
兵は、王国東部守備隊三百人が配置されている。
その、バン・レーンの物見塔でも異変が起こっていた。
「隊長! あの砂煙を!」
「まさか……連合か? いや、通達が来ていた、あれか? 城門は閉じたままだな?」
「はい。通達で閉じました」
「よし、急いで王都に連絡しろ。東方に、砂塵見ゆだ」
三十分後、バン・レーンの街は陥落した。
バン・レーンの街を眼下に見る山の中腹に、三台の荷馬車を連ねた商隊が停まっていた。
王国東部国境の街を往来する商隊。
商隊旗は、月の光に照らされた街が描かれている……。
ゲッコー商会ルン本店所属、東部国境方面第三商隊。
国境を越えることはなく、王国内の国境付近の街どうし、あるいはルンのような大きな街と国境の街を繋ぐ商隊。
時期や品物によって、かなり柔軟な商売を行うため、主要街道を通らないこともしばしば。
それだけに、強力な専属護衛隊がついている。
第三商隊の護衛隊長は、クロエだ。
かつて、インベリー公国情報部に所属し、王国南部軍を案内した、栗色の髪と同じ色の目がクルクルとよく動く可愛らしい女性。
だが、情報部で鍛えられていたこともあり、近接戦は驚くほど強い。
インベリー公国滅亡後、王国に亡命し、元インベリー公国繋がりでゲッコーの商会に護衛として所属した。
そこで、商会護衛として護衛隊長マックスに鍛えられ、現在では東部国境方面を行き来する商隊の護衛隊長になっている。
「エヴァンス、それは……?」
クロエが話しかけたのは、まだ若いといってもいい商隊頭。
元々、決して楽な仕事ではなく、タフな体力と強靭な精神力が必要な商隊員は、総じて年齢が若い。
ゲッコー商会においては、三十代になればだいたいの場合、商隊は引退し店舗勤務となる。
そちらの方が体力的には楽ではあるからだ。
だが、商売の面白さという点では、商隊の方が圧倒的に上だ……。
そんな、若者揃いの商隊員の中でも若い、十九歳の商隊頭エヴァンス。
だが、若くとも実績は十分であり、十歳の頃から、国境を越えての商隊活動にも従事してきた。
若くとも、商隊員、護衛共に彼をないがしろにするような者はいない。
「ああ、クロエ。今見たことの、報告書です」
エヴァンスはそう言うと、書き終わった紙を丸めて親指大の筒に入れた。
「さすがに……今のバン・レーンで見たのは……報告しても信じてもらえないのではないか?」
クロエはそう言って懸念を表明する。
エヴァンスも同意して頷く。
だが……。
「そうだとしても、報告しておいた方がいいでしょう。こういう時のために、各商隊に伝書鳩を持たされているのですから」
エヴァンスはそう言いながら鳥かごに入った伝書鳩の足に親指大の筒を付け、空に放った。
鳩は西に向かって飛んでいった。
「鷹ほど速くはないですが、それでもルンの街まで、あまりかからないでしょう……」
東部地域から様々な情報が集まりつつあった中に、その情報は入ってきた。
「陛下、東部ランシャン伯爵のバン・レーンの街に、向かってくる一団がいるという報告が入っております。ランシャン伯は領軍を向かわせたという事です」
「来たか……」
ハインライン侯の報告に、アベルは頷いた。
向かってくる一団が連合軍だとは思わないが、何らかの動きがあるだろうと思ってはいた。
まだはっきりと、誰が動き、何が狙いかなのかは分かっていないが、少なくとも治安の悪化につながりそうな何かは起きるだろうと……。
三十分後。
「陛下、バン・レーンの街が陥落したとのことです」
「早すぎるだろう!」
どこかの連合執政と同じ言葉を、思わず吐くアベル王。
だが、冷静になるのには、一呼吸だけで充分であった。
「なあ、アレクシス」
アレクシスは、ハインライン侯爵のファーストネームである。
アベルが、こう呼びかける時は、たいてい難しい提案がなされる。
難しい提案だが、それが正解である場合が多いことを、アレクシス・ハインライン侯爵は、ここ三年で何度も経験していた。
「はい、陛下」
「俺とオーブリー卿が、直接会って話をするべきだと思うんだが」
「おっしゃる通りかと」
ハインライン侯爵は一度大きく頷くと、そう答えた。
その正解には、ハインライン侯爵も辿り着いていたが、なかなかに提案しづらいものでもある。
大国のトップ同士の会談。
しかも、緊急……。
だが、アベルの提案は、ハインライン侯の想定外の付属がついていた。
「その会談、ケネスも連れていく」
「ケネス・ヘイワード子爵ですか?」
言うまでもなく、ケネス・ヘイワード子爵は、王国どころか中央諸国を代表する天才錬金術師だ。
「可能なら、向こうもフランク・デ・ヴェルデを連れてきて欲しいと提案してくれ」
「ああ……。王都クリスタルパレスと首都ジェイクレアの間に、錬金術での直接の交信が可能な仕組みを作ろうとお思いなのですね?」
現在、王国内の主要な街は、ケネス・ヘイワード子爵が開発した錬金道具によって、直接の交信が可能だ。
もちろん、いくつかの制約はあるのだが、三年前までの、そんな仕組みが無かった時代に比べれば、桁違いに便利になった。
それに似た仕組みを、王都と首都の間に敷き、今回のような事が起きた場合に、素早くトップ同士の意思の確認を行いたいということであろう。
ここに涼がいれば叫んだかもしれない。「ホットライン!」と。
地球では、二カ国の政府首脳が直接対話できるように直通回線が引かれているが、それをホットラインと呼ぶことがある。
アベルが提案しようとしているのは、まさに王国と連合の間の、『ホットライン』であった。




