0411 霊煙
「ステファニア、離れろ!」
叫ぶグラハム。
サカリアスの自刃に呆けていたステファニアは、すぐにバックステップしてサカリアス枢機卿の死体から離れる。
他の異端審問官たちも、ほとんど遅れることなくサカリアスから遠ざかる。
むしろ、枢機卿や大司教たちの動きの方が鈍かった。
爆発という概念は、西方諸国においても知られている。
火薬の類はもちろん一般的ではないが、火属性の攻撃魔法の中に『爆発系』とも呼べる魔法があるためだ。
まさに、サカリアスの体は、爆発したかのようであった。
距離をとるのに失敗した者たちは、その爆風に吹き飛ばされる。
噴き上がる砂塵。
砂塵はやがて、渦を巻き始めた。
この時、教皇の死体が無くなっていることに気付いた者が、どれほどいただろうか。
渦が止まり、見えるようになった時……。
中から一体の……何かが出てきた。
「……クモ?」
「……ゴーレム?」
「足は四本だ」
「足……膝? 膝に人の顔が……」
「上半身は人だぞ……」
「頭が……顔が……サカリアス猊下……」
「いや、見ろ! お腹にある顔……」
「教皇聖下!」
「さすがに、あんなものが現れるのは想定外だな」
現れたものを見て、グラハムが呟く。
「あれは何でしょうか……錬金術?」
「いや、錬金術では、あの一瞬で六人の集合体を生み出すことはできまい……。人の業ではない」
ステファニアが問い、グラハムが答える。
グラハムの言葉を裏付けるように、晴れていた空が曇り、稲光まで走り始めた。
さらに、集会場全域に、空から降り始めた……。
雨ではないものが。
それは、無数の……魔物。
それは、観客席にも降ってきた。
「魔法使いは、上方に障壁を張れ! 横からの敵は物理職が防ぐんだ」
ヒュー・マクグラスの指示が飛ぶ。
すでに、文官らを中央に守りながら防御陣が敷かれ、降ってきた魔物たちに対処しているのはさすがと言うべきだろう。
王国使節団だけでなく、帝国、連合も似たような防御陣を敷き、状況の推移を観察している。
可能ならば、安全な地域に移動したい。
それもできるだけ早く。
だが、最大の問題は、どこが安全なのかが分からない、ということであった。
空を見る限り、魔物はこの集会場だけでなく、集会場の外にも降っているようだ。
教皇庁の中だけでなく、もしかしたら聖都中に。
中央諸国使節団は、三カ国合わせて千人近い人数。
これだけの人数が外に出て移動できるか。
不可能であろう。
なぜなら、集会場の外は、逃げる聖都民でパニックになっているはずだから……。
観客席は階段状になっているため、必ずしも防御しやすい場所とは言えないが、それでも集会場の外よりはまし。
それが、別々に判断しながら、同じ結論に辿り着いた、三カ国のトップたちの結論であった。
防御陣を敷きながら、ヒューは起きる全ての事象を見逃さないように意識していた。
だから気付いた、というわけではないだろうが……。
それでも、かなり早い段階で気づいたのは確かだ。
「魔物にとどめを刺す必要はない。防御陣を維持することに注力しろ。魔物は傷を負わせれば、共食いを始めるぞ!」
それが、ヒューが気付いたことであった。
それは、集会場の外に降った、『赤い熊』を見たのが原因の一つだったかもしれない。
その『赤い熊』は火属性魔法を放つ、一目で変わった魔物だと分かるもの……。
以前、『十号室』と『十一号室』から報告を受けた赤い熊の可能性がある。
赤い熊は、普通に他の魔物も襲っていたのだ。
魔物同士は、決して仲間というわけではないということ。
森の中にいる魔物たちのように、お互いに敵であり、縄張りに入ってくれば戦うし、勝てる相手には襲いかかって食べようとする……。
誰かが、全ての魔物を操っているというわけではなさそうだ。
「堕ちた天使様なるやつは、魔物を連れてくることはできても、思った通りに操ることはできないということか」
ヒューのその呟きは、隣にいた『コーヒーメーカー』のデロングの耳には聞こえた。
「これが……悪い天使様がやっていることですか……」
『堕ちた』という概念は難しいらしく、デロングですら完全には理解できなかったために、以前の説明時に、『悪い』という言い換えをしてあった。
『悪い天使』であれば、多くの冒険者たちも理解できたのだ。
ただし、神官たちは眉をひそめていたが……。
『中央諸国の天使ではない』とエトが説明して、ようやく納得していた。
信仰とは難しいものである……。
そんな『信仰』に全てを捧げた者たちが、アリーナにいた。
枢機卿と大司教という、教皇を除けば西方教会最高位の者たちが集っているのだ。
そして、それぞれに子飼いの部下がいる。
敬愛すべき上司を守るため、観客席にいた司教以下の者たちもアリーナに下り、空から降ってきた魔物たちと戦っていた。
とはいえ、普通の聖職者たちでは戦えない。
戦う聖職者……その最たるものが、聖騎士団。
その中でも最強と言われ、人数も多いテンプル騎士団。
もちろん、一枚岩などではなく、騎士団内で、ほぼ大隊ごとに派閥に分かれているといっても過言ではない。
だが、今この場では、心を一つにして、空から降ってくる魔物を倒していた。
困難が、騎士たちの信仰を呼び覚ましたのかもしれない。
大盾を重ねて作った即席の屋根で、枢機卿と大司教たちを守りながら、奮戦する騎士団。
そこへ、待ちに待った援軍が到着した。
「ホーリーナイツ!」
それを見た多くの聖職者が、異口同音に叫ぶ。
教会を守る聖なるゴーレム騎士。
教皇庁敷地内にあるゴーレム基地から出撃し、ようやく集会場に着いたのだ。
基地に詰めていた整備師たちが、逃げることなく起動したおかげであった。
数では圧倒的に魔物にはかなわない。
だが、聖なる騎士の強さは半端なかった。
圧倒的と言ってもいい。
思わず、多くの者が口にしたかもしれない。
「勝ったな」と。
そして、一度空から降る魔物が止んだ。
その瞬間、先ほどの言葉を口にしなかった者たちも、「勝った」と思っただろう。
アリーナ内に降り立った魔物たちは、すでに駆逐された。
元々、強さはたいしたことない魔物ばかりだ。
数と、空から降ってくる点が厄介というだけ。
だが、ここからが本番であった。
降ってくるものが変わった、というべきだろうか。
アリーナの中に霧が降りてきた。
金色の霧。
降り注ぐ金の滝。
かつてキューシー公国の国境の街に降り注いだ金の滝……。
それであった。
降り注いだ金色の滝の中から現れた、人型に見える……二十体の煙の集合体。
それら煙は、形を作るそばから、すぐにホーリーナイツに襲いかかった。
もちろん、ホーリーナイツも迎撃する。
だが、相手は煙。
ホーリーナイツの剣は煙を薙ぐのだが……空を切る。
しかし、どんな原理か、煙の一撃は、ホーリーナイツの喉に大穴を開け、その一撃でホーリーナイツは倒されていった。
「あの煙は……レイス?」
「いや、レイスにしてはあまりにもはっきりとした形だ」
ステファニアが呟き、グラハムが否定する。
「おそらく……『霊煙』」
「それって……ただの伝説だと思っていました……」
グラハムが、間違ってもステファニア以外には聞こえないように、本当に小さな声で言い、ステファニアも同じくらい小さな声で答えた。
西方教会における『霊煙』とは、天使が地上に遣わす力が、形となって現れたものだ。
教会の教えの中には、多くの天使が出てくる。
名前を確認できるものだけでも二十四。
他にも数百の天使がいるだの、いや数千だの、実は数万だの……学派によって様々。
それら、数多の天使は、だが、地上に顕現した記録はない。
開祖ニュー様ですら、天使の声を常に聞くことができたと言われる彼ですら、天使の実際の姿を見たことはないと言われている。
彼が見た記録として、明確に残っているのが、金色の煙のようなものが形作った天使の姿。
それが『霊煙』と呼ばれるもの。
それゆえ、西方教会においては、『煙』は特別なものとも言える。
グラハムが得意とする『聖煙』……彼の人気が高い理由の一つでもある。
とにかく、天使が地上で力を行使する際に、現れると言われるのが『霊煙』だ。
だが、ステファニアも言ったように、聖職者の中にも、あくまで伝説あるいは何か別のものの象徴的な描写、と認識している者も多い。
「もちろん伝説などではないさ。確かに、ニュー様を除けば、接触したことのある教皇は限られるがな」
グラハムは、開祖ニュー様の秘蹟の研究家としても知られている。
そのため、この『霊煙』に関しては、教会の中でもかなり詳しい方であろう。
「問題なのは、『霊煙』と戦った人間などいない、という点だ」
「そう……ですよね……」
グラハムの言葉に、ステファニアは顔を強張らせて頷いた。
天使とは、西方教会において、人を導くもの。
天使とは、西方教会において、神の力の地上代行者。
天使とは、西方教会において……少なくとも敵ではない。
だが、今、目の前に、いるものは……味方とは思えない。
グラハムとステファニアは、先ほどから小さな声で話しながらも、少しずつ後退していた。
もちろん、部下である異端審問官たちと共に。
砂塵の中に現れたサカリアス枢機卿だったものとは、すでにかなりの距離が離れている。
さらに、その周りに現れた二十体の『霊煙』……。
そんな時……。
「猊下、こちらを」
異端審問官の一人が、明らかに剣を収めた長い袋を、グラハムの前に差し出した。
グラハムは、苦笑いしながら受け取りつつ言う。
「聖剣……私に使いこなせるとは思えないのだが」
聖剣は、主を選ぶ。
主として認めない者が握れば、容赦なくその命を奪うとすら言われている……。
「グラハム様の他に、この場で聖剣に認められる者などおりませぬ」
ステファニアが真顔で言う。
その言葉に、黒い法服を身に纏った異端審問官全員が力強く頷いた。
(絶対的な信頼の、なんと重い事か……。ローマンは、あの若さでこんな重圧を受け止めていた……しかも西方諸国中の。彼が勇者なのは、体以上に心そのものだな)
グラハムは、心の中で一つため息をつく。
今は、遠い中央諸国の地にいる、かつてのパーティーメンバー。
グラハムよりもかなり年下であるが、心から尊敬していた相手でもあった。
そう、尊敬の対象に、年齢など関係ないのだ。
「さて……私に耐えられるのか」
グラハムが言ったその言葉は、はたして聖剣に対してだったのか、それとも絶対の信頼に対してだったのか……。
その間に、『霊煙』はテンプル騎士団にも襲いかかっていた。
それは、一方的な虐殺でもあった。
ホーリーナイツと共に魔物を駆逐したテンプル騎士団であったが、『霊煙』相手にはなすすべがなかったのだ。
剣が通じない。
煙なのだから当然と言えば当然。
盾で防げない。
煙なのだから当然のようにかわされる。
ギリギリ、完全な戦線の崩壊を防いでいるのは、大司教たちが展開する<絶対聖域>のおかげだ。
『霊煙』たちは、普通の<魔法障壁>は透過するが、絶対防御たる<絶対聖域>は透過できないらしい。
だが、<絶対聖域>は、神の奇跡とも言える、まさに聖職者の奥義。
何度も乱発できるものではない。
継続展開できているのは、ひとえに高位聖職者たる大司教の数の多さゆえであった。
だがそれも、いよいよ限界を迎えつつあった、その時。
一陣の風が、<絶対聖域>の前に流れ込み、『霊煙』の一体を切り裂いた。
「グラハム猊下……」
思わず、その名を呼ぶ大司教。
もちろん、グラハムが『ヴァンパイアハンター』としても高名であることは、全聖職者が知っている。
それは、個人戦闘能力が異常に高いという意味でもある。
だが、剣閃どころか体の動きすら見えないのは普通じゃない。
別の大司教は、グラハムの周りに漂う、『霊煙』とは別の煙に気付いた。
「聖煙……」
グラハムは、聖煙の使い手としても知られている。
だが、そう知られているだけで、ほとんどの聖職者が、聖煙の正確な知識は持ち合わせていない……。
『聖煙』が、人の感覚を狂わせることができるだけでなく、『霊煙』と、サカリアスであった怪物の感覚すら惑わすことができるということを。
「ふむ。仮初にかもしれぬが、この聖剣は、私を主と認めてくれたようだ」
グラハムの呟きは、誰にも聞こえない。
グラハムの耳には、後ろの方からステファニアと異端審問官たちの歓声が聞こえてきているが。
「斬れるだけ斬る、か」
グラハムはそう呟くと、二体目の『霊煙』に斬りかかっていった。
あの赤い熊……次回、その無双が始まる! とかはありません。
魔王山地で平和(?)に過ごしていたのに、強制的に連れてこられた不幸な魔物なのです。
(「0318 赤い熊」の赤い熊さんです)
降ってきた魔物たちは、西方諸国各地から集められ、降らされた不幸なものたち。
それを表現するために、赤い熊さんには出てもらいました。
集会場を脱出して、聖都に出た彼は、この後、どうなるのか……。
法国から出港する船に潜り込んで、暗黒大陸に渡る可能性も……。
ええ、筆者のただの妄想ですよ!
あ、妄想ではない情報を一つ。
現在投稿しているのは「第二部 西方諸国編」です。
その先の展開としては、
第三部 東方諸国編
第四部 暗黒大陸編
第五部も決まっているのですが、それはまだ秘密なのです。
第五部が何編なのかの公表は、書籍の第四巻が発売されてからになると思います。
ええ、もちろん、関係するからなのです。
書籍版第四巻の内容に……。
え? そんな箇所あったっけですって?
ええ、もちろん、書籍版加筆部分なのですよ。
いつか、その辺りも、あとがきや活動報告に書いて、お知らせしたいです。
え? その前に第三巻は?
あ、はい、あの、もう少し、もう少しだけお待ちを……。
情報開示日も出版社の方で決まりましたので、もう少しだけお待ちを……。
ちなみに、明日の投稿から、再び涼たち十号室が登場します。
お楽しみに!




