0410 謀略の彼方に
「最近、男女二人組を救うことが多いのです」
涼は満足そうに腕組みをしながらそんなことを言っている。
頭の中に思い出していたのは、共和国のバンガン隊長とアマーリア副隊長のコンビであった。
「とは言っても、まだ全て終わったわけではありません」
「だな」
涼が言い、ニルスが頷く。
「パトリスとグティ、だったよな? 仲間の所まで戻れるか?」
「大丈夫……走るくらい……問題ありません」
ニルスが問い、グティが答える。
パトリスが少し心配そうに見ているが、その視線は無視された。
「よし。それなら俺たちは、左手、暗黒大陸西部諸国の方に回るぞ」
「はい!」
ニルスが言い、他の三人が答える。
そして『十号室』の四人は、走り出した。
その頃、教皇就任式のメイン会場であるアリーナは、大混乱に陥っていた。
「教皇聖下が刺された! グーン大司教が刺したぞ!」
「急げ! エクストラヒールを!」
刺された演台の上で、そのまま寝かせられる教皇。
傍らで取り押さえられ、焦点の合わない表情のまま床に頭をつけられて抵抗しないグーン大司教。
周りにいるのは、ほとんどが大司教以上……。
当然のように<エクストラヒール>を使える。
だが……。
「なぜだ。<エクストラヒール>が通らぬ!」
「教皇聖下はヒールを受け付けにくいお体なのか?」
「重傷なのだ。とりあえず、<ヒール>をかけ続けて、もたせなければ」
そんな混乱の中、横たわる教皇の周りに群がる大司教たちの間に、一人の枢機卿が入ったことに気付いた者がどれだけいただろうか。
その枢機卿は、横たえられた教皇の右側、首のすぐ横まで進む。
そして、法衣の中から何かを取り出した。
それは、斧。
決して大きな斧ではない。
だが、十分な大きさの斧。
何をするのに十分か?
横たわった人の首を斬り落とすのに十分……。
ザシュッ。
「え……」
その瞬間、何が起きたのかを完全に理解できた者はいなかった。
振り下ろされた斧が、横たわった教皇の首を斬り飛ばした。
噴き出す血。
転げる頭。
両手に血まみれの斧を持ち、傍らで両膝をついたまま地面を見つめるカミロ枢機卿。
完全なる無言の世界。
「なぜ……」
その、小さな小さな声は、いったい誰の声だったろうか。
おそらくは、教皇の周りで回復に努めていた大司教の誰か……。
だが、その小さな声が、その後の大混乱の引き金になった。
飛び交う怒号。
高位聖職者にあるまじき怒号であるが、目の前で、忠誠の対象たる教皇の首が斬り飛ばされれば、正気を保てなくなる者もいるであろう。
走り回る聖職者。
走っている自分たちも、なぜ走っているのかなど理解していない。
イライラしている時に、部屋の中を歩き回る人がいる。あれの強烈版であろう。
そして、動けない者たち。
信じているものが突然失われた時、多くの人間が、最もとる行動であろう……。
混乱は、アリーナだけではなかった。
正面観客席に座っていた西方教会の聖職者たち……彼らも大混乱の渦中にあった。
いや、むしろ、二千人近い人数から、大司教たちよりも収拾のつかない混乱の中にあったと言っていいだろう。
叫び出す。
右往左往。
泣き出す。
概ね、アリーナの大司教たちと変わらないが。
だが、西方教会の聖職者たちの中で、見た目混乱していない者たちもいた。
それは、同じアリーナにいる十一人の枢機卿。
とはいえ、さすがにいつも通りというわけではない。
ただ一人を除いて、驚きの表情、あるいは呆然とした表情を浮かべていた。
その一人が、サカリアス枢機卿。
だが、そんな彼ですら、教皇があの場で殺されるのは想定外であった。
替えがいるとか、生き返らせることができるとか、そういう問題ではない。
衆人環視の中、首を斬り落とされたのだ。
そんな人物が再び現れたりしたら……それはさすがに無理というもの。
つまり、もう、あの教皇は使えない。
同時にサカリアスの心の中を飛び交う思考。
(なぜグーンが……。なぜカミロが……)
そんな思考が、何度も何度も頭の中で繰り返される。
だが、突然閃いた。
瞬間的に、その答えを見る。
グラハム枢機卿。
だが、グラハム枢機卿も驚いた様子で、目が見開いたままだ。
そんなグラハムの様子を見て、すぐにサカリアスは視線を教皇の方に戻した。
(グラハムの仕掛けかと思ったが……違うのか?)
当然、サカリアスも、枢機卿の中で最も注意すべき相手がグラハムであることは認識していた。
だがその対処は、カミロ枢機卿に任せてあった。
そのカミロが教皇の首を斬り落としたとなれば、グラハムが何かしたのかと思ったのだが……。
心の中で考えつつ、ようやく、先の事を考えることができるようになり始めていた。
教皇の首が落とされてから、実に三分も経っていた。
(とはいえ、私がやるべきことはもうない。観客席から吸い上げている魔力は、私が何もせずとも、地下の魔法陣の起動魔力として流し込みが始まる。そうすれば、すぐにレグナ様の糧に……)
そこまで考えて、サカリアスはふと向かいの観客席を見た。
そこは、中央諸国使節団の観客席。
だが、違和感がある。
それなりに距離もあるため、その理由は、最初は分からなかったのだが、しばらく見つめて分かった。
椅子が、やたらと輝いているのだ。
陽の光を驚くほど反射している。
「氷か?」
そう、氷が張られている。
考えられる理由は一つ。
魔力の吸い上げに気付き、それを妨害しようとした。
「だが、氷を張った程度では防げぬぞ。魔力そのものは、氷など透過する」
サカリアスは小さな声でそう呟いたが、それでも不安に感じた。
そして、周りに注意しながら、ポケットからカード大の錬金道具を取り出す。
それは、この集会場に設置した三つの魔力吸い上げ道具の稼働状況を確認できる錬金道具。
確認すると……。
「馬鹿な……」
思わず、想定以上の声が出た。
もちろん、すぐ周りには誰もいないが、用心に用心を重ねなければならない。
さらに、他の枢機卿たちから離れて、カード大の錬金道具を再びしっかりと見た。
「やはり……三基とも止まっている」
そこで、対面以外の左右の観客席を見る。
暗黒大陸からの来賓席だ。
だが、その二つには氷は張られていない。
「中央諸国使節団は氷で妨害し、暗黒大陸からの来賓は一層を攻略したか」
サカリアスは、そう結論付けた。
ニール・アンダーセンが死亡すれば、このカードに表示が出るがそれは出ていない。
そもそも、ホーリーナイツを護衛に置いているのだ。簡単には突破できまい。
「どちらにしろ、もう遅い」
そう呟くと、カードに唯一あるスイッチを押した。
それは、吸い出して溜めた魔力を、強制的に、一気に地下の魔法陣に流し込むためのスイッチ。
満タンになれば自動で行われていたことを、強制的に行うスイッチ。
満タンでなくとも問題ないはずだ。
これで、本当に、サカリアスがやるべき仕事は何一つなくなった。
(あとは、レグナ様の御心のまま……)
そんな枢機卿たちが集まる一角に、黒い法服の一団が走り寄ってきた。
異端審問官たちだ。
先頭は、異端審問庁長官ステファニア。
さすがにこれには、今まで驚いて教皇の方ばかりを見ていた枢機卿たちも気付いた。
異端審問官は、サカリアス枢機卿を囲む。
ステファニアは、サカリアスの正面に。
「ステファニア長官、私に何か御用ですかな?」
サカリアスは、さりげなくカードをポケットに入れながら、いつも通り微笑みながら問うた。
「猊下、教皇聖下への凶行に関しまして、お話を伺わせていただきます。これは、異端審問です」
その瞬間、サカリアスの顔に、激情が走った。
そして、グラハムの方をキッと睨む。
気付いたのだ。
やはり、全て、グラハムが仕組んだことだったのだと。
そう、グーン大司教もカミロ枢機卿も、グラハムが操ったのだと。
先ほどの驚きの表情は、この状況までの、時間稼ぎの欺瞞だったのだと。
「ステファニア長官は、異端審問とおっしゃいました。異端審問は、枢機卿ですら受けないわけにはいきませんな」
まさにいけしゃあしゃあという表現ぴったりに、グラハムが大きめの声で言う。
「グラハム……!」
呟くように、絞り出すように……嚙みしめるように……。
サカリアスの口から漏れる。
「ここ数カ月、グーン大司教はもちろん、カミロ枢機卿も、サカリアス猊下の下で動いておりましたからな。異端審問庁としても、このタイミングで心苦しいと思いつつも、見過ごすわけにはいかないでしょう」
再び、グラハムが大きめの声で言う。
周りの枢機卿たちに聞こえるように。
そして大司教たちに聞こえるように。
ギリギリという音が聞こえそうなほど、奥歯を噛みしめていたサカリアスの表情が、緩んだ。
そして、小さな小さな声で言った。
「よかろう。どうせ私の役目は全て終わっている」
聞きとがめたのはグラハム。
「いちおう伝えておきますがサカリアス。地下空間の魔法陣は使いものになりませんよ」
「!」
グラハムの言葉に対するサカリアスの反応は激烈であった。
グラハムの方を向いたその表情は、夜叉。
正気が失われる直前の表情。
「き、きさ、貴様……貴様……何をした……」
夜叉のような顔で囁くような小さな声で、だがそれは折れそうなか細い声ではなく、怒りを内包した爆発しそうな危うさを伴った声。
「神のかけらを集められないように、細工をしました」
「馬鹿な……試験運転は正常に……」
「ええ、そうでしょうね。本番だけ上手くいかないようにね。あなた同様の錬金術に長けた方がやってくれましたよ」
グラハムは、いっそ冷ややかな声で告げた。
サカリアスは両膝をつき、地面に正座するように、ぺたりと座り込んだ。
そして頭をかきむしる。
「なんたる……なんたること……なんたる失態か……天使様……レグナ様、申し訳ございません……不肖サカリアスはお役に立てず……」
そこから先は、すぐ目の前にいるステファニアにも聞き取れないほど小さな声であった。
「このうえは、私の身を依り代としてお捧げ致します」
手を閃かせ、袖に隠し持っていた短刀を自らの喉に突き刺した。
「なっ……」
さすがのステファニアも、想定外の行動には、なすすべがなかった。
そして……世界が弾けた。
『水属性の魔法使い』には珍しいスプラッター展開!
まあ、教皇は人間ではないですけどね。
だから首が斬り飛ばされてもセーフ。
……そういえば、それなりに首、斬り飛ばされる表現、ありますね。
悪魔レオノールとか。
首を斬り飛ばすのは、技術的には結構難しいのですが……。




