0405 教皇杖
西方教会階級一覧(上から偉い順)
教皇(1人)
枢機卿(12人)
大司教(24人)
司教(いっぱい 元は48人)
修道院長(いっぱい 元は48人 司教と同格)
司祭(い~っぱい)
助祭(い~っぱい)
「0311」の本編中にも、簡単に書きはしたのですが……。
今さらですが、もう一度書いてみました。
教皇就任式前日。
聖都全体が、賑やかで華やいでいる。
だが、そうでない場所もある。
教皇庁もその一つであろう。
もちろん、明日の教皇就任式そのものは、教皇庁で行われる。
中央諸国使節団をはじめ、暗黒大陸からの来賓も来る。
そのメインとなる就任式は、教皇庁敷地内にあるコロッセオを思わせる、巨大な円形集会場で執り行われることになっていた。
そこでは、教皇庁に詰める多くの聖職者たちが精力的に飾り付けを行っている。
聖都の大工や石工たちによる準備はすでに終わり、絨毯を敷いたり椅子を並べたりなどだ。
従事する聖職者たちの表情は、非常に満ち足りたものであった。
それも当然であろう。
自分が教皇庁にいる時に、教皇就任式が執り行われるのだ。
しかも、第百代教皇聖下の!
なんという幸運。
この幸運を喜ばぬ者など、西方教会にはいない。
そう、普通なら。
教皇庁の中庭の向こう側の三階の部屋。
そこには、四人の司教がいた。
『教皇の四司教』と呼ばれる者たち。
アベラルド司教、ブリジッタ司教、チェーザレ司教、ディオニージ司教。
だが、ただの司教ではない。
教皇の命により、邪魔なものを力づくで排除する暗殺部隊を率いる司教たち。
多くの教会関係者たちから恐れられている四人。
だが、教皇庁の中にいる時には、激したりすることはまずない。
常に落ち着いた表情と雰囲気を纏っている。
だが、今日はそうではなかった。
バンッ。
ディオニージが机を叩いた。
「なぜだ……」
憤懣やるかたない表情でうめく。
「仕方あるまい、教皇聖下のご命令だ」
そう言うアベラルドの表情も浮かない。
その表情からも、不満であることは見て取れる。
「教皇聖下ではなく、サカリアスの、でしょう」
奥歯をギリリと鳴らして、ブリジッタはうめくように言った。
この中で最も表情を変えないブリジッタにしては、非常に珍しい光景だ。
「関係ない。俺は俺の汚名をすすぐ。今日、リョウを殺しに行く」
今回においては、チェーザレが四人の中で最も表情を変えずに言い切った。
「いや、それをするなと言われているんだ……」
アベラルドがため息をつきながら言う。
「奴を倒さねば、俺は前に進めない」
チェーザレの中では、すでに決定していた。
今夜、王国使節団の『魔法使いリョウ』を殺すと。
そんな事をすればどうなるかは理解している。
法国と中央諸国との交渉が破談になる……などというレベルの話ではない。
明日の教皇就任式も、正常に執り行われなくなる可能性がある。
本来、教皇に忠誠の全てを捧げる四司教からすれば、そんなことはあってはならない。
これまでもなかったし、これからもない……はずであった。
「教皇聖下が、サカリアスの人形だったとは……」
ディオニージのその呟きが、全てを表していた。
彼らは知ってしまった。
忠誠の全てを捧げていた対象が人形……。
いや、正確に『人形』なのかどうかは分からない。
だが、どうだろうが変わらない。
忠誠を捧げるに値しない存在。
心の底から信じていたものが砕け散った時、人はどうなるか?
まず、第三者から見たら理解できない行動に出る。
それは、誰かを傷つけるという攻撃的な行動かもしれない。
それは、部屋に引きこもるという防御的な行動かもしれない。
それは、何も考えないという全てを放棄した行動かもしれない……。
どうなるかは誰にも分からない。
再び立ち上がることができる者もいれば、立ち上がれずに去っていく者もいるだろう。
だが、再び立ち上がることができる者であっても、多少の時間がかかるのが普通だ。
それは恥じるようなことではない。
人が人である証なのだ。
この四人の司教は、まさにそんな状況に置かれていた。
彼らは、昨晩、知ってしまった。
現在の教皇が、サカリアス枢機卿の人形であることを。少なくとも、人ではない……。
もちろん、それは完全に偶然であった。
昨晩、何が起きたのか?
「どういうことだ、サカリアス!」
言葉激しく問い詰めるのはアベラルド。
落ち着いた表情などかなぐり捨て、胸ぐらをつかまんばかりだ。
「アベラルド司教、いちおう私は枢機卿ですよ。あなたたちの上位者です」
「黙れ!」
いつも通り、にこやかに微笑みながら言うサカリアスに、怒鳴りつけるアベラルド。
他の三人の司教は、言葉も出ない。
彼らの目の前には、ベッドに横たわった教皇がいる。
教皇は、明らかに正常な人間ではなかった。
だが、サカリアスが、錬金道具と思える箱を教皇の胸に置いて魔力を通すと、動き始めたのだ。
四人は、その瞬間を見てしまった。
胸が上下に動き始めた教皇は、少しずつ皮膚の色が緑から白に変わり始めている。
さすがに、緑の肌の人間など、聞いたことがない……。
「見られてしまったのならば仕方ありません。こちらが、第百代の教皇聖下です」
サカリアスは、笑顔を浮かべ、いっそ清々しくそう言い放った。
「貴様……」
アベラルドは、それ以上言葉を続けることができなかった。
サカリアス枢機卿が、当代屈指の錬金術師であることは、よく知られている。
そもそも、彼ら四司教が使っている融合魔法のブローチや、隠蔽を可能とするブレスレットなど、全てサカリアスが作ったものだ。
その錬金術師としての才能は、凄まじいの一言。
その前提知識からすれば、目の前の緑の肌の教皇は、サカリアスが錬金術によって生み出した何かであると考えるのは難しくなかった。
だが、アベラルドには疑問がある。
第百代の教皇になろうという人物は、人間として存在していたはずだ。
教皇がまだ司教であった頃、アベラルドは話したことがある。
アベラルドが、まだ助祭であった時だ。
とても聡明な司教であったのを覚えている。
あれは、断じて、目の前に横たわる非人間などではなかった。
ということは……。
「本物の教皇聖下はどちらにおいでになる」
アベラルドは、どこかに本物が、あるいはこの緑の肌の元となった人物が、いるのではないかと考えた。
「こちらが、本物の教皇聖下ですよ?」
「黙れ!」
サカリアスが答え、アベラルドが言下に否定する。
サカリアスは、一つため息をついて答えた。
「すでに存在しません」
その言葉が、決定打となった。
アベラルドも、他の三人同様に押し黙ってしまった。
「あなた方が、こんな時間に、教皇聖下を訪ねてきた理由は分かっています。王国使節団の魔法使いに借りを返したいとかそういうことでしょう? ですがはっきり言っておきます。それはダメです。これは、教皇の言葉として……いえ、教皇よりもさらに上位である天使様の言葉として聞きなさい。使節団に手を出すことは禁止します」
「サカリアスは、昨晩、天使様の言葉と言った……」
アベラルドは呟いた。
「どうせ嘘に決まっている!」
ディオニージが叫ぶ。
「そうかもしれん。そうかもしれんが、気になるだろう?」
「歴代の教皇聖下以外で、天使様と話された方はいない」
アベラルドが問いかけ、ブリジッタが小さな声で言った。
そう……これは西方教会の聖職者の間では周知の事実。
教皇以外で、天使と話したものはいない。
逆に、天使が話しかける相手は教皇のみ。
もちろん、いつも話せるわけではない。
教皇在位中に、ほんの数回と言われている。
例外はある。
開祖ニュー様のように、ほぼ常時話していたと言われる者も……。
ほとんど伝説であるが。
「確かめようがない」
そう呟いたのはチェーザレ。
「確かに……」
同意するアベラルド。
「いや、ある」
だが、ブリジッタが顔を上げて言った。
三人の視線がブリジッタに注がれる。
「歴代の教皇聖下が、天使様とお話をされるときに、必ずその手に持っていたものが……」
「教皇杖か!」
ブリジッタが気付き、アベラルドが答えた。
その在位中、教皇が必ず持つ杖がある。
長さは一メートルほど。
先端に、白い宝玉がついている。その宝玉が、正確に何なのかを知る者はいない。
教皇杖は、開祖ニュー様が作られたと言われ、代々の教皇が引き継いできた物だ。
そして、教皇以外の者が手を触れることは禁じられている。
教皇の杖としてはもう一つ、二メートルを超える物があるのだが、そちらは、それぞれの教皇が代替わりするたびに新たに作られるため、『教皇杖』とは言われない……。
『戦闘杖』という、物騒な名前がついている。
なぜその名前なのかは、もうほとんどの聖職者は知らないのだが。
「当然だが、あれは、いつも教皇聖下が持ち歩いているだろう?」
「持っていない時もある」
「沐浴の時は持っていない」
「その時は、教皇執務室の教皇杖の台座に置かれている」
ディオニージが疑問を呈し、ブリジッタが答えに辿り着き、チェーザレが答え、アベラルドが補足する。
「だが、俺らが持っても、天使様の声が聞こえるとは限らんのだろ?」
「本当に、教皇杖を持てば天使様とお話しできるのかもしれん」
「しかし、他に確かめようがない」
「昔から、教皇杖の伝説の中にあるから、可能性は一番高い」
他に、選択肢はなかった。
教皇の沐浴が行われるのは、午前九時。
その時間に合わせて、四司教は教皇執務室に赴いた。
執務室では、二人の助祭が清掃を行っている。
これはいつもの事だ。
もちろん、執務室には大切なものが数多くあるが、なくなるなどということはない。
そんな恥知らずな事をする者は、教皇庁内には一人もいない。
誰しもが真面目に生きている。
いつものように、教皇執務室を清掃していた二人の助祭は、入ってきた人物たちを見て驚いた。
もちろん彼らも知っている、教皇の四司教。
「これは、司教様……」
慌てて二人ともお辞儀をする。
「お清め、ご苦労様です。少し、この部屋を使います。聖下の許可はいただいています」
アベラルドが告げる。
二人の助祭は、何の疑いもなく部屋を出て行った。
かの『教皇の四司教』が言うのだ。
疑うべき何の理由があろうか。
二人が出て行ったのを確認して、四人は教皇杖の元に集まった。
「触れるだけでも大罪……」
さすがのディオニージですら、声が震えている。
当然だ。
この杖に触れるという事は、教皇の権威にたてつくという事。
これまで、自分たちが信じてきたものと、決定的に決別するという事でもある。
だが……。
「他に選択肢はない。私は、本物の教皇聖下の事を知りたい」
アベラルドの言葉は、震えていなかった。
はっきりと言い切った。
それは、他の三人の迷いを吹き飛ばした。
頷く。
四人は、同時に、教皇杖に触れた。
頭が、直接、別のどこかに繋がった印象。
「天使様」
アベラルドが言う。
反応はない。
「天使様、どうかお答えください」
もう一度、アベラルドが言う。
すると……。
「誰だ?」
四人の頭に直接声が聞こえた。
思わず、四人とも片膝をつく。手は杖から離さずに。
「天使様、我々は司教、アベラルド、ブリジッタ、チェーザレ、ディオニージと申します」
アベラルドが答える。
「サカリアスではないのだな。それで? その司教たちがどうした?」
天使らしきものの言葉に、『サカリアス』の名が入っていたことは、四人に少なからずショックを与えた。
少なくともサカリアスは、この天使と思しき存在から名前を覚えられるまでにはなっているのだ。
だが、そうは思っても、確認せねばならないことがある。
「はい。我々は、教皇聖下直属の、教皇の四司教と呼ばれております。ですが、現在、教皇と呼ばれている存在は、本物の教皇ではないと知りました。それによって、我々の中の信仰に、迷いが生じております。天使様は、教皇についてご存じでしょうか」
「人間ではないということは知っている」
天使と思しき存在のその言葉に、四人とも小さく嘆息した。
だが、次の言葉に驚愕した。
「あれは、私の指示でサカリアスに作らせたものだ」
「なんですと……」
アベラルドはそう言うと、絶句した。
他の三人も、当然言葉を失う。
たっぷり、三十秒、誰もしゃべることができなかった。
「天使様、なぜそのようなことを……」
「それは、お前たちが知る必要のないことだ」
天使のその言葉は、重々しく四人を打った。
「申し訳ございません」
反射的に四人の口をつく言葉。
「お前たちに命じる。サカリアスを補佐せよ。サカリアスの言葉は我の言葉と思え」
そう告げると、天使と思しき存在は、去っていった。
四人の頭は、別のどこかに行っていた感じから、教皇執務室に戻ったように感じられた。
「天使様とは話せましたかな?」
四人は、慌てて声が聞こえてきた方を向いた。
そこには……。
「サカリアス……」
アベラルドが言う。
「天使様はおっしゃいませんでしたか? 私の言う通りにしろと」
サカリアスは、いつものにこやかな笑顔で言う。
「ああ、言った」
アベラルドは言った。だが、すぐに言葉を続ける。
「だが、断る」
サカリアスが首を傾げて問う。
「なぜですか?」
「信頼できぬ。先ほどの存在が、お前が準備したまやかしでないとなぜ言える」
「愚かな……」
アベラルドが言い、他の三人も頷く。
それを見て、初めてサカリアスの表情が歪み、吐き捨てるように言った。
そして、無言のまま、中指に填めた指輪を親指で弾いた。
その瞬間、四司教の体が床に崩れ落ちた。
「な、なんだ……」
「体が……」
「動かん……」
「何をした」
ディオニージも、ブリジッタも、チェーザレも、そしてアベラルドも……何の抵抗もできず、全く体に力を入れることができない。
何が起きたのかも理解できなかった。
「その教皇杖の原理は、振動の増幅です。それが、天使様との会話を可能にするのです。あなた方は、天使様と話している間中、信じられないほどの振動が体中を駆け巡っていたのです。今、私は、それを増幅しただけです。まあ、難しいことを言っても分からないでしょう。あなた方には、仮死状態になって円形集会場に埋まってもらいます。そうすれば、明日の就任式で、天使様に吸い上げていただけます」
「貴様、何を言って……」
「愚かな四司教。あなたたちは知る必要のないことです」
珍しく(?)今日はシリアスでした。
仕方がありません。そういう日もあるということで……。
明日の「0406 教皇就任式当日」から、
主人公である涼たちが活躍しますからね!
……多分。