0402 グラハム対カミロ
王国使節団宿舎で騒ぎが起きていた頃、教皇庁のグラハムの部屋を珍しい人物が訪れていた。
「カミロ枢機卿、珍しいですな」
「グラハム枢機卿、ちとお話ししたいことがありましてな。お時間を割いていただけますか」
二人の目の前にコーヒーが出される。
もちろん、どちらもにこやかな笑顔を浮かべているのだが……。
修道士カールレは、コーヒーを置くまでに、何度も生唾を飲み込んだ。
緊迫感ではない。
緊張感でもない。
そんな、表面的な圧迫ではない。
なんというか、心の奥底を素手で掴まれるような……そんな、精神の最も深い場所に感じる圧迫感……。
とても表現しづらいものが、二人の間に漂っている感じがした。
カールレが下がり、二人とも、一口ずつカップに口をつける。
最初に口を開いたのは、カミロ枢機卿であった。
「時にグラハム枢機卿、最近、新たな手駒を手に入れたそうで」
表情はにこやかなまま。
だが、ほんの少しだけ、本当に微量の中の微量なほどに、怒りが滲み出た言葉。
「さて……新たな手駒と言われましても……。かの四人の魔法使いたちは、勇者ローマンと共にパーティーを組んでいた仲間ですから……」
「そちらではない」
わざとはぐらかしたグラハムに、食い気味に言葉を挟むカミロ。
すでにこの時点で、精神的な優位性は明らかになっていた。
グラハムが奪った『手駒』は、カミロの中で非常に重要な手駒だったらしい。
「ステファニア大司教を味方につけられたそうで」
「ああ、彼女のことでしたか」
カミロが指摘し、グラハムが大げさに頷いてみせる。
「いや、実は、先ほどのパーティー仲間たちが、たまたま、ステファニア大司教の母上が捕らわれているのを見つけましてね。救出したのですよ。いやあ、世の中には悪い人たちがいるものですね。いったい誰が捕えていたのかは、分かっていないのですがね」
もちろん嘘である。
目の前にいるカミロ枢機卿だ。
だが、そんな事を追及しても意味がない。
どうせ認めないのだから。
「ステファニア大司教のお母上が見つかったのは良かったですな。それは喜ばしい限りです」
カミロも笑顔のまま頷く。
だが、滲み出ていた怒りが、さらに滲み出る量が多くなったようだ。
「まあ、はっきり言って、ステファニア大司教などどうでもいいのですけどね」
「なんですと?」
グラハムが、何でもないことのように言い、カミロが問い返す。
「どうせ、異端審問官たちは、私に忠誠を誓ってくれていますので」
グラハムは、事も無げに言い切った。
圧倒的な自信。
彼ら異端審問官たちの心を、完全に掴んでいるからこその言葉。
「たいした自信ですな」
カミロが笑う。
だが、ほんの少しだけ、目の奥が笑っていないことを、グラハムは見て取った。
(この辺りが、サカリアス枢機卿に及ばないところか……。サカリアスなら、こんな場面でも、目の奥まで完全に笑ってみせる)
グラハムは、にっこり笑ったまま、心の中ではそんなことを考えていた。
「それではカミロ枢機卿。今日、お見えになった本題について、そろそろ話されてはいかがですかな?」
「本題ですと?」
グラハムの話の転換に、首を傾げて問い返すカミロ。
「今日見えられたのは、聖剣の件でしょう?」
「な……」
まさか、グラハムにそこを把握されているとは想定していなかったのかもしれない。
これまでと違い、明らかに表情が揺らぎ、言葉も切れた。
元々は聖剣について探りにきた、という程度だったのかもしれない。
だが、グラハムからいきなり斬り込まれ、さすがに動揺したらしい。
「例の四振りの聖剣。私が持っていると思っていらっしゃる?」
「……聖剣というのは、保管庫から盗まれたあれですかな? いや、誰が持っているのかは分かりませんな」
公的には、何者かに盗まれ、どこにあるかは分かっていない。
だが実際には、『十号室』の四人がパダワン伯爵の家から奪還し、ヒュー・マクグラスを通して、グラハム枢機卿に渡してある。
「そうですね、誰が持っているか分かりませんね。早く見つかるといいのですがね」
「まったくですな」
グラハムが笑顔で言い、カミロも笑顔で答えた。
その夜。
グラハムは、寝所も教皇庁にある。
執務が行われる棟とは別の、高位聖職者用宿舎だ。
司教以上の聖職者たちが、寝泊まりしている。
もちろん、教皇庁ではなく聖都内に屋敷を構える高位聖職者もいる。
ちなみに、枢機卿に限って言えば、現在この高位聖職者用宿舎で寝泊まりしているのは、グラハム枢機卿とオスキャル枢機卿のみ。
サカリアス枢機卿は西方教会開発局、カミロ枢機卿は西方教会修養所という、それぞれが責任者となっている施設におり、他の枢機卿たちは聖都内に屋敷を構えている。
そんな高位聖職者用宿舎の、グラハムの部屋に忍び込む影が三つ。
もちろん、音など全く立たない。
気配すら感じさせない。
三人は、その道のプロだ。
二人が部屋の中を探り、一人が部屋の入口を見張る。
グラハムは、隣の寝室で寝ているはずだが、起きてこないとも限らない。
どんな事が起きても、すぐに対処できるように……。
「グハッ」
見張りの男の胸から、剣が突き出た。
家探しをしていた二人は、男の声に思わず振り返ってその光景を見て……その瞬間、動けなくなった。
金縛りにあったかのように……。
地球であれば、瞬間催眠と呼ばれる技法であろうか。
魔法によらず、技法によって二人を催眠術にかけて動きを縛ったのは、言うまでもなく部屋の主。
「悪いな。教皇庁に出入りする聖職者や暗殺者の類には、全員、事前暗示をかけてある。だから、こうなったのは、お前たちのミスではない。とはいえ……昼間来て、すぐその夜に襲撃を命じるとか……お前たちの主は、よほど焦っているのか? まあ、あと三日で就任式だからな、仕方ないのかもな」
グラハムは、そう言いながらゆっくりと二人に近づき、ポケットから取り出した何かの粉をかがせる。
その瞬間、二人の目がトロンとなった。
「さて、いくつか聞いておきたいことがあるから、答えてもらおうか。どうせ、抵抗などできんだろうがな」
カミロ枢機卿が、グラハム枢機卿の元に三人の暗殺者を送り込んでから、二時間後の西方教会修養所。
そこは、カミロ枢機卿が責任者となっている施設。
三人が戻ってきた。
最後の一人は、剣が入っているのか、長い袋を抱えている。
三人はすぐに、三階会議室に進む。
そこには、カミロ枢機卿、グーン大司教、暗殺部隊を率いる側近二人がいた。
「おぉ! 見つけてきたか!」
グーン大司教が声を上げる。
元々は、四つの教会保管庫それぞれに、一振りずつ保管されていた聖剣。
それを、トマーゾ率いるテンプル騎士団調査大隊の者たちに襲撃させた。
ただ、正確には、騎士団だけではなく、グーン大司教配下の魔法使いも手伝っている。
聖剣を含む奪った宝物は、トマーゾの父であるパダワン伯爵の屋敷に隠された。
もちろん、いずれ、ばれるであろう事は分かっていた。
就任式まで、四振りの聖剣さえ確保しておけばよい。
受けた指示はそれだけだ。
パダワン伯爵の屋敷には、ゴーレム二十体と冒険者数十人を送り込み、守らせた。
二百人の騎士たちであっても、突破不可能な戦力だ。
実際、五十人のテンプル騎士団聖都駐留大隊を退けることに成功している。
だが、その裏で、何者かに聖剣を盗まれたことが分かった。
パダワン伯爵も、盗んでいった者たちについてはほとんど情報を持っていなかった。
泥酔した状態だったためと思われる。
そのため、カミロ枢機卿自らが、最も怪しいと思われるグラハム枢機卿に接触した。
そして確信した。
聖剣は、グラハム枢機卿の下にあると。
それゆえ、今夜の襲撃となったのだ。
「持ってまいれ」
グーン大司教が言うと、袋を抱えた暗殺部隊の者が前に出てきた。
あと二歩でグーンに届くというところで……消えた。
「うぐっ」
グーンの口から苦しげな声が漏れた瞬間。
すでに、後ろに控えていた側近二人の首は斬り飛ばされている。
グーンもカミロも、何が起きたか認識する前に……カミロの首に剣が突き付けられていた。
「貴様……グラハム!」
「こんばんは、カミロ枢機卿」
仕込み杖の抜剣でグーンの鳩尾に柄を叩きこみ、間髪を容れずに暗殺部隊を率いる側近二人の首を斬り飛ばし、カミロの首に剣を突き付ける……。
ヴァンパイアハンターと呼ばれたグラハムの、個人戦闘力の圧倒的高さを見せつける結果となっていた。
「こんなことをして、ただで済むと思うなよ!」
昼間のにこやかさの仮面などかなぐり捨てて、憤怒に満ちた表情でグラハムを睨みつけるカミロ。
「いちいち言葉が安っぽいですね、カミロ枢機卿。ただで済む段階は過ぎたのですよ、お互いにね」
にこやかな笑顔を浮かべながら、楽しげに言葉を紡ぐグラハム。
「私には、貴様お得意の『煙』は効かんぞ」
「いやあ、さすがは枢機卿にまで上がった方は違いますね。心の強さが違う、というのでしょうか。でも、大丈夫です。体の動きさえ縛ればね」
「なんだと?」
グラハムの言葉に、訝しげな顔をして問うカミロ。
確かに、剣を突き付けられているが……。
「……動かぬ」
いつの間にか、体は動かなくなっていた。
おそらく、催眠の技法……。
「ええ。体を動けなくするのは簡単なのです。意志の強さなど関係ない。さて、ここで問題です。カミロ枢機卿、私がローマンのパーティーに入る前、何の役職に就いていたかご存じですか?」
「……何が言いたい?」
さらに顔をしかめるカミロ枢機卿。
当然、グラハムが、異端審問庁長官であったことは知っている。
「私が、聖煙だけしか使えない男だと思われているようで、少し悲しいのですよね」
もちろん、そんな事は誰も思っていない。
単騎でこの場を制圧したのだから。
グラハムが、剣を閃かせると、カミロが着ていた法服が斬り落とされた。
胸部中央、つまり心臓の辺りが露になる。
グラハムは、細かく剣で皮膚を斬りつける。
一般的に知られる形の、円を基本とした魔法陣とは違う、直線を多用した魔法陣がカミロの血で描かれる。
皮膚一枚を斬り、血を滲ませる。
滲んだ血が、魔法陣を描く。
凄まじい技量。
ほんの二分ほどで、カミロの胸に直線を多用した星型の魔法陣が刻まれた。
そして、ゆっくりと、グラハムは左手を、その魔法陣の上に添える。
唱えた。
「クオッド ペリラト アパレト ラティオ クアレ ミグラット 我の掌中に掴みし魂よ 我の意中に捕らえし魂よ 愚かなるものも善なるものも 汝の全てを我に捧げよ <フラリメアム>」
カミロの胸に刻まれた星形魔法陣が光り、カミロの目が大きく見開かれ……床の上に倒れた。
「カミロ、起きよ」
グラハムが言うと、カミロは起き上がった。
「カミロ、汝は何者ぞ」
「グラハム猊下の忠実な僕にございます」
そう言うカミロの表情は、以前と全く同じ。
目がトロンとしていたりもせず、話し方が変わっていたりもしない。
以前と全く同じ。
だが、以前と同じではない。
「これで、カミロ枢機卿は、私の人形となった」
変わらず、にこやかに言うグラハム。
その光景を、明らかに震えながら見ているグーン大司教。
そんなグーンの方を見て、グラハムは声をかけた。
「さて、グーン大司教。選ばせてあげよう。強固な意志を持ったまま胸に魔法陣を刻まれて人形となるか、それとも、意思を放棄し『煙』によって私に付き従うか。どちらがいい?」
どちらにしても、自分の意思は無くなる。
「わ、私は、煙を、希望いたします、猊下……」
震える唇で、少しずつ言葉を紡ぎながら、魔法陣を刻まれるのではなく煙によって操られることをグーンは選んだ。
「いいでしょう」
にこやかに微笑むグラハムの顔を、グーンは恐ろしげに見上げるのだった……。
はい、今までにない魔法(魔法陣)が出てきましたね!
グラハムはいったい何者なのか!?
『0184 <<幕間>>』で、書斎の主(ヴァンパイアの真祖様)が呟いていました。
「グラハム……不憫なやつ……」と。
ヴァンパイアを殺しまくる憎い相手ではなくて、「不憫なやつ」です。
その辺りと関係があるのでしょうか?
いつか、どこかで、その辺りの物語も書かれるでしょう……。




