0400 <<幕間>> グラハムとステファニア
「失礼するよ、ステファニア」
「ぐ、グラハム様……」
そこは、異端審問庁長官室。
異端審問庁は、教皇庁とは別の建物である。
渡り廊下で繋がってはいるが、めったにそこを人が通ることはない。
そのため、異端審問庁長官室を、普通の聖職者が訪れることもめったにない。
しかも、その相手が枢機卿となればなおさら……。
「このような場所に枢機卿がおいでとは、何かございましたでしょうか?」
狼狽したのは一瞬。
すぐにステファニア大司教は、冷静沈着な仮面をつけなおして問うた。
「いや、かつての職場訪問にすぎないよ、気にすることはない」
グラハム枢機卿は、終始にこやかな笑顔で答える。
前異端審問庁長官、グラハム枢機卿。
現異端審問庁長官、ステファニア大司教。
グラハムが、勇者パーティーに聖職者代表として加わる際に、後任の異端審問庁長官として推薦したのが、目の前のステファニアであった。
以来六年、ステファニアは異端審問庁長官として、辣腕を振るっている。
だが、それはグラハムを含めた、ある程度、外にいる者たちの評価であり感想。
当のステファニアは、自身に対して、異なる評価と感想を持っている。
すなわち、「前任者たるグラハムに比べて劣っている」と。
もちろん、誰かに面と向かって言われたわけではない。
あるいは、陰口が聞こえてきたわけでもない。
だが、分かる。
多くの面において、グラハムと比べるべくもないと。
誰あろう、彼女自身が、そう認識しているのだ。
グラハムが異端審問庁長官であった当時、ステファニアは、直属の部下であった。
最も目の前で、グラハムの手腕を見てきた。
違いは歴然。
とても優秀な前任者を持った者の不幸。
それは、どんな世界、そんな組織においても起きる事だ。
周囲の評価基準は、その職位についてきた歴代の者たちとの評価ではなく、直前の、前任者が評価基準となる。
仕方のないこととはいえ、非常に理不尽。
実際、ステファニアは、歴代の異端審問庁長官と比べても、明らかに平均以上の能力を有し、結果を出し続けている。
あと二年もすれば、歴代の長官の中でもトップクラスと言われるのは間違いないほどに。
だが、それでも……届かないのだ。
何に届かないのか?
前任者、グラハムの評価にだ。
グラハムは、異端審問庁長官になる前から、非常に高名な肩書、あるいは二つ名を有していた。
ヴァンパイアハンター。
西方教会とヴァンパイアの対立の歴史は古い。
そして、深い。
西方教会の歴史上、最大の敵はマファルダ共和国ではなく、ヴァンパイアたちであったと言っても過言ではない。
ここ百年、ヴァンパイアそのものへの遭遇例が少なくなったとはいっても、それは一般人に限っての話。
実際は、西方教会の聖職者とヴァンパイアとの戦いは、秘かに続いている。
その争いの中で、グラハムの位置付けは、英雄。
それも、近年まれに見るほどの、英雄。
圧倒的な実績と評価。
そんな人物が、異端審問庁長官となったら。
新たな部下たる異端審問官たちはどう思うか?
まさに、熱狂的な支持者となった。
実際、グラハム率いる異端審問庁は、完璧なる鉄の統率の下に多くの実績を上げた。
優秀なカリスマに率いられた組織。
だからこそであろうか。
当時の教会トップたちは危惧した。
その、あまりに強くなり過ぎたグラハムの権力と人気を。
そのために、グラハムは勇者パーティーの聖職者へと転出することになったと言われている。
もちろん、必ず一人配属される勇者パーティーの聖職者枠は、あらゆる西方教会聖職者の夢の枠でもある。
それは事実。
だが、グラハムである必要性があったのかどうか……。
結局のところ、グラハムはその役割も完璧に全うした。
勇者パーティーは、無事、魔王を討伐。
グラハムも教会の大司教に復帰し、その勇者パーティーでの功績から、大司教としての序列一位となった。
グラハムとは、そんな男。
未だに、異端審問庁においては、現長官ステファニアよりも人気がある……そう言われても、誰も否定できないであろう。
「お忙しい枢機卿猊下が、わざわざ見物に来ただけなど、誰も信じません」
ステファニアは、表情を変えないまま言う。
「ステファニア、そう怖い顔をするものではないよ」
グラハムは、変わらず、にこやかなまま答える。
そして、少しだけ、言葉を切り、また続けた。
「では、単刀直入に。ステファニア、カミロ枢機卿ではなく、私の方につきなさい」
「なっ……」
穏やかなまま提案するグラハム。驚きを隠せないステファニア。
もちろん、ステファニアが、カミロ枢機卿側についていることを知られたことを驚いているのではない。
それは、グラハムほどの者であれば、知っていてもおかしくない。
もちろん、明確に、そうである行動をとったわけではないが……知られていてもおかしくはない。
驚いたのは、この場ではっきりと、そして直接的に、自分につけと提案したことだ。
「ど、どういうおつもりですか……」
「どういうつもりも、言ったままだよ?」
ステファニアは問い、グラハムは表情を変えずに答える。
「私は、教会に全てを捧げております。誰の側にもついておりません」
「本当に?」
ステファニアの言葉を、全く信じていないグラハム。
「そもそも、私がカミロ猊下についているなどと、何を根拠にそんな……」
「母上が人質に取られているだろう?」
グラハムが言った瞬間。
ステファニアが持った短剣が、グラハムの喉元に突き付けられた。
ステファニアは鬼の形相。
グラハムは涼しい顔。
「なぜ、それを、知っているの、ですか」
ゆっくりと、言葉を切りながら問うステファニア。
だが、剣先がほんの僅かに震えている。
「もちろん、調べさせたからさ」
部屋に入ってきた時から全く変わらない、にこやかな表情のまま、グラハムは答えた。
そして、部屋に掛けられた時計を見て、呟いた。
「そろそろ来るはずなんだが」
グラハムが呟いて五秒後、部屋がノックされると、ステファニアは短剣を収め、席に戻った。
すぐに、黒い法服に身を包んだ異端審問官が入ってくる。
「猊下」
そう言って、紙片をグラハムに渡す。
グラハムは一読すると、小さく頷いた。
異端審問官が出て行ったのを確認して、言葉を発した。
「連絡が来たよ。ステファニア、君のお母様はこちらで保護した」
「え?」
「今こちらに向かっている。元勇者パーティーが護衛しているからね。問題なく着くと思うよ」
「本当……ですか?」
ステファニアの唇は震えている。
信じられないのだ。
どれほどの力と時間を投入して、その身を探したか。
見つかればすぐに奪還できるようにするために、特殊な任務に就く者たちも育てた。
だが、驚くほど巧妙に隠され、異端審問庁長官ですら見つけられない……。
もちろん、カミロ枢機卿が手を回したからだ。
それが見つかった?
もうすぐ、ここに連れてきてくれる?
「さあ、もう一度聞くよ? カミロ枢機卿の下を離れて、私の側につきなさい」
グラハムは、最初から変わらぬにこやかな表情のまま問うた。
だが、目の奥は違う。
今度は、目の奥は笑っていない。
「ステファニア、君は、いずれは教皇の座に就きたいのだろう? 歴代でも二人しかいない女教皇……その三人目になりたいのだろう? 君ほどの能力があれば、いずれはその座に就けるだろう。そのためにも、今、ここでの選択を誤ってはいけない」
グラハムは一度言葉を切ってから、続けた。
「私の側につきなさい」
ステファニアは、三度、深い呼吸を繰り返した。
そして……片膝をついて言った。
「はい、猊下。ステファニアは、グラハム猊下に、全き忠誠を捧げます」
明日「0401」より新章「第八章 教皇就任式」となります。
西方諸国編の、集大成です。