0398 顔が増える……
「来るであろうことは分かっていた。だが、一人とはな。そのブレスレットが一つしかないからか?」
教皇の声は、よく通った。
街道脇で襲ってきた時に比べると、かなり感情の籠もった言葉に聞こえる。
「おっしゃる通りです、教皇聖下。実際、今、私はあなたと戦う気はありません。このまま見逃してはもらえませんか?」
「面白いことを言う。見逃してどうする? すぐに仲間を引き連れて、この四人を助けに戻ってくるか? その前に、私がこの四人を殺すとは思わないのか?」
「思いません。その四人は、あなたの魔力供給源でしょうから。いや、その四人だけではなく、さらにその奥にもかなりの数の魔法使いを閉じ込めていますよね。彼らからも、魔力を奪い取っているんでしょう?」
涼の指摘に、教皇は驚いてみせた。
やはり、街道脇で襲ってきた時に比べて、かなり感情豊かに見える。
「そこまで分かっているとは面白いな。なんだ? 風属性の<探査>でも使ったか? そんな魔力の流れは感じられなかったが」
「そんなところです」
「お前は危険だな」
そこで、教皇が少しだけ笑ったような気がした。
そして、言葉を続けた。
「いろいろ知る前に、死ね。<ブレイドラングトライデント>」
「<積層アイスウォール20層パッケージ><アイシクルランスシャワー>」
突然の開戦。
涼としては、もう少し情報を引き出したかったというのが正直なところだ。
今回は、よくしゃべってくれる教皇なために。
教皇の右手から三つの炎の渦が生まれ、涼を襲った。
涼は、積層の氷の壁で受ける。氷の壁は前方だけではなく、全面。上方もだ。
そして、降り注ぐ氷の槍の雨。
それも、超高密度、超高速、超大量。
吹き抜け全面が、氷の槍の通り道となる。
おそらく総計数万本。
……だが。
「まさか無傷とは」
これには、さすがの涼も驚いた。
教皇は一歩も動くことなく、自分の上方に<魔法障壁>を張るだけでしのいだのだ。
本来、<魔法障壁>というのは、それほど硬いものではない。
だが、教皇の障壁は驚くほどの硬さらしい……。
「面白いな、水属性の魔法使いだったか。それにしても、これほどの氷の槍を放って魔力が枯渇しないとは……。お前人間か?」
「あなたに言われたくないですね。あなたこそ、人間じゃないでしょう。この世界にあるかどうか知りませんけど、クローンあたりでしょうか」
そう、目の前の教皇は、街道脇で戦ったものとは別の個体。
見た目は全く同じだ。
だが、感情の動きが違う。
クローンは、遺伝子的には全く同じものができる。
だが、『精神』の部分まで見た場合、全く同じものにはならない。
なぜなら、生まれ出でてからこれまでの全ての知識、経験を元に、人の『精神』は形成されていくためだ。
それは、感情の動きの違いとして現れる。
もちろん、これは涼の推論に過ぎない。
地球には、公式の人間のクローンはなかったわけだから。
だが、論理的に思考を進めれば、誰でも辿り着く答えであろう。
そして、その思考推理の結果が、目の前にいるのだと涼は思っていた。
「クローンというのが何か知らんが、我々の秘密に辿り着いた雰囲気があるな。何とも興味深い。お前の事は知っているぞ。王国使節団のC級冒険者リョウだな。ふむ……使節団全体が知っているとは思えんが……どこまでその秘密を知っているのか、教えてもらおうか」
「もちろんそれはお断りします」
涼は考えた。
(さっきは、水属性の魔法使いだと知って驚いたのに、今は僕の名前も知っている。持っている情報が更新されている? 戦術データ・リンク……みたいなのが、ゴーレムだけじゃなくて、この教皇にも……? まあ、クローンならあり得ないことはないか。ゴーレムに、あんなのを組み込んでいるってことは、リアルタイムでの情報共有の重要性は、知ってそうだしね)
「魔法使いの口を封じるなら、これだな。<エンチャント><身体強化><ヘイスト>」
教皇は早口で唱えると、二メートル近い杖を構えて、涼に向かって突っ込んだ。
「口封じ、あなたにできますかね!」
涼は村雨に刃を生じさせ、迎え撃つ。
カキンッ。
杖と剣の衝突音が、吹き抜けに響く。
「なに……」
驚く教皇。
「今どきの魔法使いなら、近接戦くらいできて当然です」
得意げな涼。
「ほざくな!」
突く。突く、突く。
叩く。
振る。
再び突く。
教皇の杖による攻撃を、丁寧に村雨で受ける涼。
「近接戦では、らちが明かんか」
教皇の呟きは、涼にも聞こえた。
エンチャントを使ったからか、教皇はスピードとパワーで涼を上回る。
だが、杖術の技術は、驚くほど秀でているわけではない。
であるならば、涼の鉄壁の防御を抜くのは難しい。
『風装』を纏ったセーラの剣に比べれば、さばき続けるのは難しくない。
それが、涼の正直な感想である。
教皇は、大きく後方に跳んだ。
「<ウルランド>」
教皇が唱えた瞬間、教皇の顔の左に二つ顔が現れ、右に二つの顔が現れ……本人の顔と合わせて五つの顔が並んだ。
新たに生じた顔は、顔だけ……首から下はない。
浮いているように見える……。
「なんという不気味な」
涼は正直な感想を呟く。
だが、余裕があったのはそこまでだった。
「<ブレイドラングトライデント>」
「<アイシクルランス>」
「<ソニックブレード>」
「<ストーンランス>」
教皇の横に現れた顔たちが、同時に四つの魔法を唱えた。
「<アイスウォール20層>」
涼は後方に飛び退りながら唱える。
四つの属性の魔法が氷の壁にぶつかり……一瞬で氷の壁は、割れた。
「馬鹿な!」
<ブレイドラングトライデント>、<アイシクルランス>、<ソニックブレード>は、氷の壁が割れるのと同時に消えたが、三本の石の槍が……二本はローブに弾かれ、一本はローブの隙間から左足に突き刺さった。
涼は後方に飛ばされる。
完全に想定外の結果。
一瞬で<アイスウォール20層>が割れるとは。
だが、当然、それで終わりではなかった。
「<ソニックブレード>」
「<ソニックブレード>」
「<ソニックブレード>」
「<ソニックブレード>」
四つの顔が、ソニックブレードを唱える。
ソニックブレードは、一本の風の剣が五本に分裂する、面制圧用の魔法。
つまり、四本のソニックブレードは、最終的に二十本の風の剣に。
それが、吹き飛ばされ、足を撃ち抜かれて動けない涼を襲った。
降り注ぐ風の剣。
砕け散る壁、床。
「<絶対聖域>」
教皇が唱えるのと同時に、その直上から村雨を構えた涼が降ってきた。
カキンッ。
西方教会の高位聖職者だけが唱えることのできる絶対防御<絶対聖域>と村雨が激突し、甲高い音が響き渡る。
奇襲に失敗した涼は、後方に一回転して地面に降り立った。
片足立ちで。
左足は、負傷して、かなりまずい状態だ。
「本体は光属性で、他の四つが四属性の魔法を放つとは……なんという反則技」
涼が呟く。
「水属性の魔法使い、貴様にはできぬであろう」
「普通、誰にもできないと思うのですが……。でも、先ほどの、一瞬でアイスウォールが割れたのには、心底驚きました。なんですかあれは」
「知りたいか? 死の淵に立ったこの状況においても、そんなことを知りたいと思うのか?」
「ええ。ぜひ知りたいですね」
教皇の問いに、涼は大きく頷いて答えた。
確かに、死ぬかもしれない非常に不利な状況で、そんな事を、戦っている相手に問うというのは、ちょっと異常な気がしないでもない。
だが、逆に考えてみればいい。
そんな疑問を持ったまま死ぬのは無念じゃないか?
成仏できないんじゃないか?
この世をレイスとなってさまようのは、あんまりぞっとしない……。
「面白い! 真理の探究は人に許された特権だ。特別に教えてやろう。魔法には共振現象というものが存在する。共振が起きる条件はいくつかあるが……二つの属性の魔法がぶつかる程度では、滅多に起こりえない。だが、四つの属性が揃うと、共振が起きる条件を一気に満たしやすくなり、かなりの高確率で共振が起きる。その結果、いくつかの魔法が『消滅』する」
「なるほど。さっきの、僕の氷の壁を含めて、土の槍以外が一瞬で消えたのは、魔法の共振現象……」
共振は、魔法以外でも普通によく起きる。
「それって、四属性を同時に発動できるからこそですよね……」
涼は、ふとこれまで見てきた戦場の光景を思い浮かべた。
例えば王国解放戦でも……。
攻撃魔法で、火属性、土属性、風属性はよく使われていたが、水属性の攻撃魔法は見たことがない……。
そう、三属性までしか……。
まだまだ、涼の知らない魔法の深淵があるらしい。
「当然だが、四つの属性がすぐ近くになければ起きん」
これは当然だ。
魔法以外のものでも、遠く離れたものでは、共振は起きない。
「なるほど。勉強になりました」
涼はそう言うと、頭を下げた。
殺し合いをしている相手ではあるが、気になる事を教えてもらったのだから、それについては感謝してもバチは当たるまい?
涼は、変に律儀なところがある……。
「さて、心残りもなくなったであろう。無駄な抵抗をせずに死ね」
「それはお断りします」
教皇の提案をはねつける涼。
「なぜ、それほどに生にこだわるのか……」
「決まっているでしょう。生きていないと、美味しいケーキが食べられません!」
教皇の呟きに、大真面目に答える涼。
涼にとっては、非常に大切な事だ。
人はパンのみにて生きるにあらず……そう言った神の子がいた。
真意は、カレーもケーキも必要だ……というわけではないのだろうが、涼にとってはカレーもケーキも大切なものだ。
「どちらにしても死んでもらう」
「お断り、します!」
「<絶対聖域>」
「うっ……さっきの破れないやつ! いや、破れない魔法など、ない!」
教皇がまず唱えたのは、絶対防御魔法。
それで本体の安全を確保した後に、四属性の攻撃魔法を唱えるつもりなのだ。
それに対抗する涼は……。
「<動的水蒸気機雷Ⅱ“縦深陣”>」
動的水蒸気機雷を、複層に重ね、共振現象でいくつかが消滅しても、涼の元に到達できないようにした。
まず、お互いに防御を整える。
その上で、唱える。
それは、大技。
「<ボルケーノ>」
「<ニューアイシクルランス>」
「<トルネードウインドウ>」
「<ストーンバレット>」
教皇の横の顔たちが唱える。
涼は知らないが、いずれも西方諸国における各属性攻撃魔法の最強呪文。
それに対抗する涼。
「<フローティングマジックサークル>」
十六基の魔法陣が浮かび上がる。
教皇の顔たちが唱えた魔法を、<動的水蒸気機雷Ⅱ“縦深陣”>が防ぐ。
対消滅の光を放ちながら。
そんな中、涼はいつも以上に集中して唱えた。
「<アイシクルランスシャワー“貫”>」
その瞬間、一秒当たり数万の氷の槍が、教皇の額、ただ一点に向かって飛んだ。
もちろん、<絶対聖域>によって弾かれる。
だが、関係ない。
五秒、十秒、二十秒……。
十万、二十万、四十万……。
全ての氷の槍が、ただ一点……一ミリの狂いもなく、ただ一点に飛ぶ。
「愚かな。<絶対聖域>は破れん」
「破れない魔法など、ない!」
教皇の言葉に、絶対の自信で反論する涼。
なぜそれほどの自信があるのか……。
それは、かつて、ミカエル(仮名)が言ったからだ。
地球と「物理現象に関しても、ほぼ同じである」と。
地球の物理現象で論理的に考えた場合、『絶対防御』などというものは、存在しえない。
であるなら、この『ファイ』においても、存在していない。
ただ、絶対防御と思えるほどに、超高硬度の防御障壁、<物理障壁>と<魔法障壁>が生成されているだけだと涼は考えた。
本来、その二つの障壁は無属性魔法だが、そこに光属性が加わると、驚くほど硬くなるのではないかと……。
いわゆる、一般相対性理論の共鳴吸収……原子核が、光を吸収することによって基底状態から励起状態になる……そんな感じのことではないかと……。
しかもそれは、かなり難度の高いものだから、高位の神官、聖職者しか使えない……つまり、光属性魔法の習熟度が非常に高い魔法使いにしか使えない……。
それが涼の推論であった。
そうであるならば、破れないはずはない。
ただ一点に、アイシクルランスを集中攻撃する魔法、<アイシクルランスシャワー“貫”>
その累計発射数が一千万を超えた時……。
パリンッ。
ザシュッ。
<絶対聖域>が割れ、次の氷の槍が、教皇の額を貫いた。
さらに、“貫”は“扇”へと移行し、教皇の横に浮かんだ顔たちと、教皇の体全身が、数百の氷の槍で貫かれ……吹き飛び、教皇は背後の壁に磔になった。
対教皇 第2ラウンド。
これまで書かれた、数多の小説、漫画に出てくる、
光属性や、聖属性の絶対防御系の魔法……作者はみんな、相対性理論を知っていたに違いありません!
…
……
みたいな妄想を、筆者は抱きました。




