0392 エレナ
四人が泊った宿には、食堂がなかった。
なぜなら、隣に、食堂兼酒場があったからだ。
ちなみに、宿の経営者も食堂兼酒場の経営者も同じ人物らしい。
なかなかのやり手だ!
食堂兼酒場は、酒がずらりと並ぶカウンターが奥にあり、そこには男たちがたむろしていた。
手前には、多くの机と椅子が並び、そこでは老若男女が食べたり飲んだりしている。
かなり繁盛しているようだ。
四人が座ると、すぐに若い男性がやってきた。ようやく成人になったくらいだろうか。
「こちら、メニューです。先にお飲み物の注文を承ります」
「とりあえずビール、四つな」
ニルスが間髪を容れずに答える。
かつて地球で見られた光景が、『ファイ』においても広がっているその事実を、涼はリアルタイムで見ている……。
「恐るべし、とりあえずビール……」
その呟きは、周囲の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かない。
そんな中、涼は不思議な構図を目にした。
涼の正面に座っているアモンの首が、大きく傾げている。
「アモン、どうしたんですか?」
「いえ……あのカウンターの中の女性が……」
涼の問いに、アモンが首を傾げたまま答える。
「お! ついにアモンの心を奪う女性が現れたか?」
「いや、なんか違うみたいだよ?」
ニルスが笑いながら言い、エトがそれを否定する。
涼も振り返って、カウンターの方を見る。
確かに、カウンターの向こう側、つまり従業員として女性が一人いる。
カウンターにいる男どもの多くは、その女性との会話が目当てらしい。
それくらいに、目を引く女性。
だが、どこかで見た記憶がある……。
涼の首も、アモン同様に傾げた。
続いてニルスとエトも同じ疑問を持ったのであろう。
首を傾げた。
四人全員が大きく首を傾げている光景は、非常に奇異なはずだ。
とはいえ、ここは食堂兼酒場。
お酒が入った人間たちは、そんなものは気にしない!
「あ、わかった!」
エトが言う。
ほぼ同時に、アモンも叫んだ。
「あの女性です!」
「ほら、エトもアモンも分かったらしいですよ。ニルスはまだですか?」
「うるせえ! リョウもまだ分からんだろうが」
涼とニルスは分かっていない……。
だが、三十秒後。
「分かった!」
二人同時であった。
「ロケットに描かれている女性か!」
「ニルスと同時とは、不覚」
ニルスが言い、涼は一人沈んだ。
とにかく、カウンターの奥にいる女性は、ロケットペンダントに描かれていた女性だったのだ。
恐らく名前は、『エレナ』
「なんという都合のいい展開……」
涼の呟きは喧騒にかき消され、誰にも聞こえない。
そして、こう言葉を続けた。
「だけど、たまにはこういうイージー展開もいいよね!」
「ロケットの事、尋ねに行きたいけど……」
「無理ですよね。男の人たち、すごくいっぱいたかってます」
「とりあえず、飯食っておこうぜ。あいつらが酔いつぶれれば、聞きに行くこともできるだろ」
エトが言い、アモンが困難を指摘し、ニルスが現実的な提案をする。
「そこはニルスが、俺と飲み比べをしようぜ! って言って、全員、酔い潰しちゃえばいいんじゃないですか?」
「いや、俺、別に酒、強くねえし……」
「意外です! ケンタウロスの所では、けっこう飲んでたじゃないですか」
「弱くはねえぞ? 弱くはねえが……強い奴らは、ほんと化物だからな」
ニルスは、誰か記憶の中の酒豪を思い出したのだろう。
小さく首を振った。
とりあえず、四人は食べることにした。
その際、全員一致で、『カラアゲ』が頼まれたのは言うまでもない……。
カウンターの客がほとんど酔いつぶれるか帰ってしまったのは、閉店間際であった。
四人はどうかというと、エトは完全に酔いつぶれている。
他の三人は、喋りながら適度に飲み、適度に食べていた。
「そろそろいいか?」
「行きましょうか」
「エトは……まあ、このまま寝かせておいて、後で回収しましょう」
「いらっしゃい。もうすぐお店閉まるけど、最後に飲んでいく?」
三人がカウンターにつくと、店員の女性……おそらくエレナが、そう声をかけた。
「いや、向こうで食べて飲んでさせてもらった。ちょっと、あんたに尋ねたいことがあってな」
「私に? な~に?」
ニルスの問いに、エレナは、グラスを拭きながら答える。
ニルスは、ロケットを取り出してカウンターに置いた。
エレナはそれをちらりと見る。
だが表情は動かない。
ニルスはロケットを開けて、中にある『エレナ』の絵を見せた。
「これ、あんただろ?」
「あら、綺麗な絵ね。私に似てるかもしれないけど……何とも言えないわね」
その間も、エレナの表情は変わらない。
「ああ……そうだよな、突然こんな冒険者がやって来て、そんな事を言えば警戒するよな。ちょっと落ち着いて聞いて欲しいんだが……このロケットの持ち主は殺された。俺たちは、仇……というか、なぜ殺されたのかを知りたい」
「え……」
さすがに殺されたと聞いて、表情が動いた。
一瞬だけだが、視線がロケットペンダントに走る。
少なくとも、ロケットの持ち主を知っているのは確かだ。
「殺された、って言ったわね」
エレナが口を開いたのは、たっぷり一分以上経ってからであった。
「ああ」
「誰が殺したかは分かっているの?」
「十中八九な」
抑揚の無いエレナの言葉に、ニルスも意識して落ち着いて答える。
「私がこれから言うのはたとえ話。この持ち主とは関係ないわ」
「承知した」
「ある所に、伯爵家の三男がいたわ。仮に、トマーゾと呼んでおきましょうか。パダワン伯爵家のトマーゾ。彼は、伯爵家とはいっても三男坊だから、家は継げない。官吏になるか聖職者になるか……。彼は多少信心があったから聖職者になったの。そして、小さい頃から家で鍛えられたから、剣もかなり使えたわ。まだ二十代半ばで、有名な聖騎士団の隊長になった。貴族の三男としては、かなりの出世頭だったでしょうね」
そこでエレナは自分のグラスに水を注いで、一息で飲み干した。
そして言葉を続けた。
「でも、彼は道を踏み外したわ。酒場娘に恋をしたの。愚かよね。聖騎士が酒場に入り浸るのも、あまり褒められないのに……酒場娘に恋をするなんて、自分の出世を棒に振るようなもの。でも、彼はそれでもいいと言ったわ……」
これまで、口調に全く乱れの無かったエレナだが、さすがに少し声が震えた。
見れば、グラスを拭く指も、少し震えている。
「二人は、将来を約束した。一年後、男は聖騎士団を辞めて周辺国の騎士団に移籍して、女は男についていくと……そんな約束。半年後、男はかなり大きな仕事を請け負ったの。それまではいつも朗らかに笑っていたのに、だんだん苦痛な顔が増えていった。それでも、女の前では、今まで通り優しかった……。そして一昨日……男は女に言ったの。例の件に父も関わっていた……伯爵家が預かっているらしいと。女には、意味が分からなかったわ。でも、男が苦しんでいるのだけは分かった……」
エレナは小さくため息をついた。
「これが私のお話。何か参考になったかしら?」
「ああ。とてもな」
ニルスはそう言うと、席を立った。
アモンと涼も続く。
目指すは、トマーゾの実家、パダワン伯爵家……。




