0379 三度現れる……
『十号室』と『十一号室』の一行が、
西ダンジョンと聖都の中間地点にさしかかった時。
世界が反転した。
三度目の経験。
「これは……」
思わずニルスの口から声が漏れた。
さすがに三度目の経験となれば、何が起きたかは分かっている。
「まったく……やっと出てきやがった」
もはや、聞きなれた声が聞こえてきた。
そして、現れる神官風の男。
その時、エトは唐突に理解した。
なぜ、ヒューが西ダンジョンの街を出るなと言っていたのかを。
恐らく、魔人マーリンが住む西ダンジョンの街は、この神官風の男、いや、『悪魔』は手を出せないのだ。
だから、街を出るなと言ったのだ。
「そうか……」
そして、隣のジークも、ほぼ同じタイミングで同じ結論に達したようであった。
顔をしかめている。
そう、今さら気付いても、もう遅い……。
六人は、悪魔によって転移した。
「さて……」
悪魔は、そこで、一度言葉を切った。だが、すぐに続ける。
「言ったよな? 堕天について広めろと。なんで広めないんだ? なんでだ? 広めようと努力した? したかもしれんが、広まってないだろうが。結果なんだよ、必要なのは結果! マジでお前たち、殺しちゃうよ? 俺も人間を殺すのは好きじゃないんだよな。いや、まあ、それは嘘だ、他の奴らに隠れてコソコソ殺しては食べてるが……それはいい。なんつーか、教会に堕天を突き付けて反応を見たかったけど、もういいや。めんどくさくなった。お前ら全員死んじゃいなよ」
悪魔の、狂った主張が響く。
この後何が起きるのかは、全員が理解した。
全員が、殺される。
だが、嫌でも理解させられる圧倒的な力の差。
その前に、誰も動けない。
いや、誰も動けなかった。
これまでは。
カキンッ。
ニルスが、剣を抜きざま斬りつける。
カキンッ。
反対側から、アモンが抜剣一閃。
どちらの剣も見えない壁に弾かれた。
だが、二人の目は絶望に満たされてはいない。
パリンッ。
中央から突き出された杖が、悪魔の<障壁>を破った。
ジークだ。
「ほっ。面白いじゃないか。人間のくせに俺の障壁を破るとはな」
だが、悪魔は余裕の表情で笑う。
「グフッ」
何の脈絡もなく、突然ニルスの腹に石のつららが突き刺さった。
「<エリアヒール>」
石のつららが消えた瞬間、エトのエリアヒールが響き、大穴が空いたニルスの腹部が修復されていく。
唯一の、ある程度の距離があっても効果を現す回復魔法。
だが、当然のように、消費魔力は大きい。
その間も、アモンとジークの連撃は続く。
二枚目の障壁に。
割れると、三枚目の障壁に。
割れると、四枚目……。
「うぐっ」
「くっ……」
そんな二人にも、突然、石のつららが襲う。
超反応により致命傷は避ける……だが、さすがに無傷ではない。
「<エリアヒール><エリアヒール>」
間髪を容れずにエトのエリアヒールで修復される傷。
その時になって、ようやくハロルドとゴワンも動き出した。
悪魔の後方に回り込んで、剣を打ち付ける。
五人に囲まれる悪魔。
だが……。
「ククク、いいぞいいぞ、抗え、抗え! これならどうする?」
その瞬間、悪魔を囲む五人全員の足に、石のつららが突き刺さる。
ニルスとアモンは辛うじて反応したが、その二人ですら足の肉を抉られる。
「<エリアヒール>」
<エリアヒール>は本来、範囲回復魔法。
五人をまとめて回復する。
エトは、すぐにマジックポーションを飲んで、魔力を補充する。
「堕天を知る神官は、思った以上に強靭だな」
今回現れて、初めて感心した様子を見せる悪魔。
「パーティー戦の定石は、回復役を真っ先に潰すことだが……さすがにそれはつまらん。ふむ、そうするか」
悪魔はそう呟くと、唱えた。
「<ロッピ>」
すると……あろうことか、腕が新たに四本生えた。
「なんだと……」
さすがに、ニルスも驚く。
次の瞬間、六本の腕それぞれが、剣を握った。
「これでお相手しよう」
悪魔が言った瞬間、悪魔を守っていた<障壁>がすべて消失する。
始まる、五つの剣戟。
悪魔は足を止めて打ち合う。
驚くべきは、見えていないはずの背後からのハロルドとゴワンの攻撃も、完璧に防いでいる点であろう。
「ククク、久しぶりの六剣戟だが……いや、五剣戟か。まあ、悪くないな」
圧倒的な余裕を漂わせ、笑いながら五人の剣を受ける悪魔。
腰の入っていない、完全に棒立ちながら、苦も無く五人の全力の打ち込みを受け続ける。
「膂力が違い過ぎる」
ジークのその呟きが、全てを表していた。
人間たちの全力の打ち込みを、手首から肩までの腕だけで堪え切れるのだ。
そのため、棒立ちであっても全く危なげない。
それどころか、打ち込み続ける者たちに絶望感を与える。
この防御は絶対に抜けないと。
普通なら、このような場合には突きが有効になる。
他の斬撃は、全て力によって受け止めることが可能だが、突きは……どこかの水属性魔法使いのように剣の腹で受ける以外は、普通はかわすからだ。
だが、悪魔は、剣で流す角度をつけて、突きの剣筋を大きく逸らす。
それによって、結局、腕以外の体を全く動かすことなく、さばききっている。
「技術も高い……」
ハロルドの呟き。
「当たり前だ」
悪魔はそう答え、大笑いして言葉を続けた。
「お前たちとは年季が違うんだよ、年季が。たかだか十年や二十年、剣を振るった程度で、俺に届くわけないだろうが」
笑って答えた後、さらに言葉を続ける。
「さて、では第二ラウンドだ」
「ぐはっ」
悪魔が言った瞬間、ハロルドの腹が、前後から石のつららで貫かれた。
「<エリアヒール><エリアヒール><エリアヒール>」
エトが<エリアヒール>を三度重ね掛けして、致命傷を回復させる。
マジックポーションを飲んで、魔力を回復させる。
「ぐふっ」
さらに、ゴワンの腹も、前後から石のつららで貫かれた。
「<エリアヒール><エリアヒール><エリアヒール>」
再び、エトが<エリアヒール>の重ね掛け。
「くっ……」
ニルスは、突然現れた前方からの石のつららは、剣で弾き落としたが、背後からの石のつららは突き刺さった。
「<エリアヒール>」
連続七度のエリアヒール。
だが、ここでエトが片膝をつく。
「エトさん!」
アモンが思わず叫ぶ。
「大丈夫」
エトは小さいが、力強くそう言うと、再びマジックポーションを飲み干した。
「やはり強靭だな、堕天を知る神官。面白い……極めて面白いが……さすがにそろそろ、マジックポーションも底を突くだろう?」
「試してみるかい、悪魔」
悪魔の挑発に、エトは目に力を籠め答える。
しかし、理解している。
今飲み干したのが、最後の一本だ。
もう、後はない。
だが、諦めない。
ここは、聖都と西ダンジョンの中間。
あの人の……悪魔を嫌う、かの魔人の……。
世界が割れた。
六人の視界の端に入る、赤。
空が割れ、降ってきたのは、前回同様、赤い魔人マーリン!
「悪魔!」
「来たな、スペルノ!」
憤怒の形相の魔人。
凄絶な笑みの悪魔。
「他はいらぬ! <風よ!>」
悪魔が唱えると、彼を囲んだ六人は吹き飛ばされた。
吹き飛ばされたというよりも、弾き飛ばされたという表現の方が適切なのかもしれない。
そして、開いたスペースで……。
人外の戦いが始まった。
「<グラビティ>」
魔人マーリンが唱える。
「初手は必ずそれか! <空よ>」
悪魔が唱えると、悪魔を上空から襲った重力の塊は、悪魔を逸れ、地面に落ちた。
「グラビティを逸らすだと?」
マーリンが明らかに驚いた声を出す。
「ククク、かわさずに逸らされたのは初めてか? 前回は移動でかわしたからな。今回は逸らしてみたぞ」
悪魔は笑いながら言う。
マーリンも悪魔も、あえて会話を交わしている。
息もつかせぬほどの全力高速戦闘……というわけではない。
最初から全力で押し切れる相手でないことは、双方理解している。
一瞬の油断か、想定を超える動きか。
最後の瞬間だけ、相手の思考を上回る……そういう決着しかないであろう相手。
ちなみに、風で吹き飛ばされた六人は、二人からそれなりに離れた位置に集まって戦闘を見ていた。
自分たちが参戦しても、足手まといにしかならない戦いだ。
見合ったまま動かない両者。
先に動いたのは、悪魔であった。
「見合っていても仕方あるまい。<業火>」
悪魔から、炎の滝がマーリンに延びる。
「<リバース>」
だが、マーリンが唱えると、炎の滝は反転して、悪魔に向かう。
「そう、そうやって返すんだったな」
悪魔はそう言い、事も無げに向かってきた自らの炎を、片手を振るって打ち消す。
「ならば、これならどうする。<周炎>」
悪魔が唱えると、マーリンの周りをまわる炎の壁が現れる。
「これなら、そのリバースとやらでも返せんぞ?」
悪魔は楽しそうに尋ねる。
「<インバリッド>」
マーリンが唱え、炎の壁は一瞬にして消えた。
「ふむ。それは魔法無効か? それとも『元の状態に戻す』のか? 興味深いな」
「好きなだけ分析するがいい」
マーリンは吐き捨てるように言うと、唱えた。
「<グラビティロッド>」
空から、無数の細長い黒い針が降ってくる。
「当たらんよ」
悪魔は余裕でそう言うと、高速移動でかわし始める。
だが……。
「な……。動けん?」
黒い針が地面に刺さると、悪魔は急に動けなくなった。
「刺すための針ではないわい」
「針に体が吸い寄せられる? 全方向から引っ張られて、その結果動けんのか。なるほどな」
悪魔の分析。
「その状態になっても分析とは余裕だな」
マーリンは顔をしかめたまま呟くように言う。
「スペルノ、この状態になっても、近接戦で打ちかかってこんのか?」
「悪魔と近接戦をするほど、無謀ではないわい」
マーリンはそう言うと、魔法で決着をつけにいった。
「消えろ。<インプロージョン>」
前回、悪魔を消し去った『爆縮』
だが……。
「それを待っていた! <ディメンションスラッシュ>」
悪魔は悪魔的に笑うと、唱えた。
その瞬間、爆縮は轟音を残し、消えた。
当然、悪魔の体が消し飛ぶこともなく。
「馬鹿な……」
さすがのマーリンも呆然とする。
かわされるのならまだしも、<インプロージョン>を消滅させられたのは、初めての経験だ。
「そうそう、その顔を見たかった」
悪魔は余裕の笑み。
しかも、先ほどのディメンションスラッシュによって、悪魔の動きを封じていた黒い針も、全て消え去っている。
「スペルノ、残存魔力が少ないのだろう?」
悪魔は、再び凄絶な笑みを浮かべて言い放つ。
マーリンは表情を変えないが、明らかに、<インプロージョン>を放つ前とは違う。
魔人基準であっても、かなりの魔力を消費する魔法なのだ。
本当に、一撃必殺の。
一撃必殺……それでとどめを刺せなければ、敗北は必至。
とどめを刺せなかった以上、マーリンの命は風前の灯火……。
だが、三度、戦況は変わる。
ドゴンッ。
上空から落ちてきた重量物が、轟音を響かせた。
悪魔を狙ったものだが、もちろんそんなものに潰されるような悪魔ではない。
「氷の壁?」
悪魔とマーリンが異口同音に呟く。
落ちてきたのは、氷の壁。
「あれって……」
「多分、そうだと思う……」
「他にいないだろうが……」
離れて見ていた、十号室と十一号室の六人。
アモンが呟き、エトが同意し、ニルスが小さく首を振る。
そう、彼らが知る、水属性の魔法使いの<アイスウォール>……。
明日、ようやく、涼の帰還……そして、対悪魔戦!