0375 <<幕間>> デブヒ帝国の動向
本日二話投稿。第一話目。
二年前、ルパート六世が皇帝位を退き、新たに皇帝となったのは彼の長子ヘルムート八世であった。
先帝ルパートが、一切の政務から退くことを宣言したため、帝国の実権は完全にヘルムート八世と、その側近たちに移った。
もちろん、本来はそれで問題ない。
そのために、ヘルムートは皇太子時代から側近を集め、与えられた領地で統治を学び、経験を積んで実績を出してきたのだから。
皇帝になり、しっかりと国を統治する。
それは時間をかけて結果を出していくものだ。
だが、ヘルムートは待てなかった。
彼の前には、あまりにも偉大な先帝の影がちらついていたからだ。
先帝ルパート六世が即位したのは、ちょうど二十歳の時であった。
そこから、強大な帝国をさらに強大にし、皇帝の権威にわずかでも逆らう貴族たちを改易し、絶対的な権力と絶対的な経済力を手に入れていった。
そんなルパート六世が退位し、ヘルムート八世が即位した時、皇帝の権威に挑戦するような貴族はもはや帝国内におらず、皇帝の力と権威は、すでに絶大なものとなっていた。
先帝が築き上げたその偉大過ぎる功績に、ヘルムートが焦ったのは、仕方がなかったのかもしれない。
彼がずっと考えていたのはただ一つ。
先帝を超える偉大な功績を成し遂げるにはどうすればいいか?
何をすれば、先帝を超えられるのか?
それは、ヘルムート八世だけではなく、多くの歴史において、多くの世界において繰り返されてきた問いでもある。
ある者は巨大な建造物を造った。
ある者は図書館を造り知の集積を図った。
また、ある者は……隣国に攻め込んで領土の拡大を画策した。
「失敗しただと?」
ヘルムート八世は、声に明らかに不快感を滲ませて詰問した。
「申し訳ございません」
頭を下げ謝罪するのは、帝国第十軍司令官フローラ・ライゼンハイマー。
深く頭を下げはしたが、その表情は全く変わらない。
すぐ後ろに控える彼女の相談役エルマーは知っている。
フローラが、一ミリも申し訳ないなどとは思っていないことを。
そもそも彼女は、今回の作戦に否定的であった。
一度は、皇帝に再考を願い出たのだ。
だが、作戦は実行された。
しかも、彼女を責任者にして。
その責任を取らされる可能性も……。
「もうよい。下がれ」
「はっ。失礼します」
特に何もなく、フローラと相談役エルマーは部屋を出た。
第十軍司令官室。
「皇帝陛下は、かなり焦っておられる」
帝国第十軍司令官フローラ・ライゼンハイマーは顔をしかめながら、コーヒーを飲む。
応接セットの対面には、彼女の相談役が座っている。
「エルマー、どう思う?」
エルマーと呼ばれた男は、肩を竦めて答えた。
「基本的には、時間が解決してくれるのでしょうが……。傾向としてはとても良くないですね。陛下はご自分の中で、勝手に先帝陛下と比べられておられる。仕方のないこととはいえ……。周りにそれを止める者がいない。ハンス・キルヒホフ伯爵を追い出されて以降、誰も意見を言えません。怖いですからね、仕方ないですが」
「王国との戦争から、まだ三年だ。王国は確かに深い傷を負ったが、帝国とて決して無傷ではなかった。せっかく、西方諸国への使節団を合同で出したことで友好ムードも出てきたというのに」
「まあ、皇帝陛下としては……先帝陛下が成し遂げられなかった王国の打倒。それを成すことができれば、確かに先帝陛下を超える業績の一つと言えますからね」
「そんなもののために、兵士を犠牲にしてほしくないのだが」
最後のフローラの言葉は、さすがに囁くような声であった。
もちろん、錬金道具によって、盗聴などできない部屋ではあるのだが、それでもだ。
どうしても、声を潜めてしまう……。
「そうだ、エルマー。回廊諸国の状況はどうなっている?」
「非常に悪いですね。あの騎馬の王様が、全て制圧してしまいました。先帝陛下の件で、帝国に恨みを持っているとか。これまでは、回廊諸国と中央諸国が関係を持つなど、ほとんどなかったですが、相手が『騎馬の民』となると話は変わってきます。行動半径が全く違いますからね。気にしておいた方がいい相手です」
フローラの問いに、エルマーは顔をしかめながら答えた。
「西と南に、同時に問題を抱える必要などないのに……」
フローラのその呟きに、エルマーも頷くしかなかった。
帝都郊外、帝国軍第二十演習場。
「我ら影、二十軍ではなく、十軍に下命されるとは……皇帝陛下は何を考えていらっしゃるのか!」
その声は、怒声ではない。
だが、悔しさを押し殺した声であった。
声の主は、第二十軍司令官ランシャス将軍。
その愚痴を聞くのは、二年前に新たにランシャスの副官となった弓士ボッサボである。
その神業とも言うべき弓の腕により、第二十軍に配属となったボッサボであったが、副官としての調整能力、場合によっては一軍を率いての指揮能力と、ランシャスの高い評価を受け、完璧な信頼を得ていた。
まあ、そのために、愚痴を聞く羽目になっているのだが……。
とはいえ、三十代半ばのボッサボも、それなりに経験を経てきているため、上司の愚痴を聞くのも仕事の内と割り切っている。
「未だ、皇帝陛下の信頼を取り戻していないという事でしょう」
そして、言いにくい事もはっきりと言う男でもあった。
「耳が痛いことを言うな……」
顔をしかめつつ受け入れるランシャス将軍。
「王国との戦争の後、エルフの森から戻った者たちの半数は軍を抜けた。あんな経験をすれば仕方ないのであろうが……。それによって、二十軍の戦力がガタ落ちになったのもまた事実。新たに、新入りたちを鍛えてはいるが、『影』の技術は簡単には身に付かぬ」
そう言うと、ランシャスは大きなため息をついた。
分かっているのだ。
分かってはいるのだ。
一度失われた信頼を取り戻すのが、非常に難しいという事は。
失われた栄光にしがみついてしまっているという事も。
だがそれでも……。
再び栄光を掴みたいと思うのは、人の性ではないか。
「もう一段、軍を鍛えなおす!」
「……はい」
ランシャス将軍は、何度も首を振ってからそう言い切り、副官ボッサボはきつい訓練メニューを頭に浮かべて、一瞬だけ、返事が遅れてしまった。
そう……いろいろ、仕方ないのだ……。
次話は、21時に投稿します。
連合の動向です。