0003 氷の生成
『ファイ』に来て四日目。
朝起きても、アイシクルランスの謎は解けなかった。
とはいえ、今朝はそれ以上に喫緊の問題がある。
それは、空腹……。
思えば転生してきてからこっち、干し肉しか口にしていない。
それも、基本お昼しか食べていない気がする。
涼は、決して大食漢というわけではないが、健全な十九歳だ。
食べる量が少なければ、空腹を覚える。
ミカエル(仮名)が二カ月分の食料を用意してくれているというのに、食べ損ねて餓死しましたなど……もし、また転生した時にミカエル(仮名)に会ったら、その時どんな顔をすればいいのか。
まず貯蔵庫へ。
扉の中は、冷凍庫の様に冷えている。内壁が氷でできているからであろう。
おそらく水属性魔法を使っているのだろうが……涼が作った氷は、魔力を送るのをやめたら融け始めた。
だが、この貯蔵庫の内壁氷は融けるそぶりなど全くない。
ミカエル(仮名)の魔力がここまで通ってきているのか?
それとも、涼の未だ見ぬ水属性の高みを体現しているのか?
どちらにしても興味深い。
いずれは、この謎も解きたいものである……とはいえ、まずは空腹を満たさねば!
干し肉なら、すぐに食べられるのだが、さすがに転移四日目ともなると、別の物が食べたくなる。
そう、きちんと焼いた肉!
貯蔵庫内には、凍った獣や魔物の肉が並んでいた。
ウサギ、イノシシ、鶏らしきものなど……さらにそれぞれを解体したらしき肉も並んでいる。
「これは、それぞれを解体した肉だよね……。ミカエル(仮名)が準備してくれたのだと思うけど。つまり、こうやって解体すれば食用の肉が取り出せるぞ、ということなのかな。さすがミカエル(仮名)、できる男」
その準備の良さに感謝しつつ、とりあえずウサギのモモ肉らしきものを、二つ手に取る。
「二つともカチンコチンに凍ってるんだけど、これって融けるのかな。貯蔵庫から出せば勝手に融けてくれる……とかだといいのだけど」
両手に肉を持ち、涼は貯蔵庫を出た。
そして手桶に肉を入れる。手桶大活躍!
登り始めた太陽の光に照らされる二つの肉。
だが、全く融ける様子はない。
「これは、水属性の魔法使いとして、自分で解凍しなきゃいけないってことか……」
片方の冷凍肉に右手をかざし、頭の中でイメージする。
肉を覆っている氷の、水分子の結合を外していくイメージ。
「あれ? なんか弾かれる」
水分子同士の結合が外れない。
そして、外れないということが、明確に、涼の頭の中にフィードバックされてくる。
「これは、自分が作った氷ではないからということなのかな。ミカエルが作った氷だから弾かれるのかな?」
だがそれで諦めるという法はない。
食べなければ生きていけないのだ。
そもそもミカエル(仮名)が準備したものなのだから、融かせなくて食べることができない、なんてことはないはずだ。
そう、なぜならミカエルは出来る男なのだから。ならば融かせるはず!
「焦らずにやろう」
一気に全部を融かすのではなく、まず一箇所だけ。そこにだけ魔力を集中する感じで、分子の結合を外す。
次にその隣の結合を外す。さらにその隣。さらにその隣……。
結合の外れた箇所から氷が水に変わっていく。
ようやく、15分ほどかけて、ウサギのモモ肉一個が解凍し終わった。
それだけ時間をかけた後でも、もう一つの冷凍肉は、融ける素振りすら見せずに鎮座している。
「ミカエル魔法すごいね。凍ったやつは、このままにして実験をしてみよう。ミカエルの氷のままで焼いたらどうなるのか」
庭に薪と黒いシュロ皮を準備する。
そして、ミカエル(仮名)が準備しておいてくれたらしい塩を厨房から持ってくる。
ちなみに、ミカエル(仮名)が準備してくれている調味料は、大量の塩のみ。
枝に、解凍したモモ肉を刺し、塩を振りかける。
そして、いつもの氷レンズを作る。
何度か作ってきたからか、最初は水を凍らせるだけでも十五分ほどかかったはずだが、直接氷レンズを作っても二分ほどで作れるようになった。
「けっこう慣れてきた」
進歩が目に見える形で表れるのは、やはり嬉しいものだ。
その氷レンズを使って、太陽の光を黒いシュロ皮に集束し、火をつける。
できた種火に息を吹きかけて大きくし、薪へと火を移す。
枝に刺したモモ肉を火の側の地面に突き刺す。
そして、冷凍されたままのモモ肉は、手に持って火にかざした。
冷凍肉は、火にかざしても融ける気配も見せない。
「なかなかにシュールな絵……」
結論:ミカエル(仮名)が凍らせた肉は、火で炙っても融けない。
そんな結論を出している間に、枝に刺したモモ肉は、いい感じに焼きあがった。
「いただきます」
実に四日ぶりのまともな食事。
涙が出るほど美味かった。
というか、涼は泣きながら食べた。
もう一つの、冷凍モモ肉も、同様の手順で解凍、炙って食べて人心地ついた涼。
今日やるべきことを考える。
まずアイシクルランス……なぜ飛んで行かないのかは、全く分からない。
答えが閃かないのは、情報が揃っていないから。
たいてい、長々と考えても答えは出てこない。
ならば別のことを試しながら、解答に必要な情報が揃うのを待つべきだろう。
時間は有限なのだから。
氷の生成、これは相当に慣れてきた。
だが、例えば魔物との戦闘で使えるかと言われると、多分まだ難しい。
アイシクルランスの生成から発射まで一分。飛んで行かないが。
氷レンズの生成は二分。
どちらも、最初に生成した時に比べれば格段の時間短縮である。
だがもっとだ。もっと短縮しなければ。
魔物との戦闘は、自分の命が懸かっている。
そこに妥協の余地などない。
生成完了まで一秒、そういったレベルにまで習熟しなければ。
そう結論付けると、涼は行動を起こした。
様々な氷を生成してみる。
アイシクルランスの様なつらら状。
それこそ、槍の様な二メートルほどの長さの氷槍。
氷の板、氷の柱、氷の壁などなど……。
その際に気を付けていることがあった。
それは『硬い氷』を作る、ということだ。
地球においても、硬い氷、融けにくい氷というのがある。
これは、水の中に含まれる空気を取り除けば融けにくくなるのだ。
そのために、例えば凍らせる前に一度沸騰させて、水に含まれる空気を外に追い出したりする。
さて、では涼が氷を生成する場合、どうすれば比較的硬い氷が生成できるのか。
凍る際に、空気を含まなければ硬くなる。
そのために、中心から外に向かって凍らせるようにしてみた。
普通、水が凍る場合、外側から中心に向かって凍っていく。そのため、水中に含まれる空気が氷の中心に固まっていき、気泡となる。
だが、そこは魔法による氷の生成。中心から凍らせればいいじゃない!
たったそれだけのことではあるが、多分、何も考えずに生成された氷よりは、硬いはず。
そう、涼は信じている。
お昼は、いつもの干し肉をかじりながら、ひたすら氷の生成を繰り返す。
右手からの生成、左手からの生成、あるいは足元からの生成……考えられる限りの状況を想定しながら。
ひたすら没頭し、ふと気づいたのは日も陰った夕方であった。
「お風呂に入らなきゃ」
食事を摂り、お風呂に入り、また魔法の修行を繰り返す。
なんて文化的な生活なのだろう。
涼は幸せだった。
『ファイ』に来て五日目。
今日は、今までやってきたことの復習をしてみる。
朝は、昨日同様に貯蔵庫からウサギのモモ肉を持ってきて、焼いて食べる。
肉の解凍、火の点火、焼く、食べる……全てスムーズに行える。
そして昨日の続き、氷の生成。
昨日一日の修行によって、アイシクルランスの生成は二十秒、氷レンズの生成も二十秒にまで短縮された。
だが、まだまだ実用レベルではない。
もちろん、アイシクルランスは飛ばせない以上、戦闘では使えないわけだが、どこでどんな技術が自分を守ってくれるかはわからない。
それに氷の生成そのものは、おそらく、この先、一生使っていく技術であろう。
それこそ、最終的には呼吸するように生成できる、そんなレベルにまで高めたい技術。
涼はそう考えていた。
氷槍、氷板、氷柱、氷壁などなど……。
作っては融かし、融かしては作り、ひたすら繰り返していく。
一心不乱に。
お昼もいつもと同じように干し肉をかじって済ませた涼。
午後もひたすら氷の生成に明け暮れた。
ふと、空を見上げたのは、頬に何かが落ちてきたからであった。
「雨……?」
この地に転生してきて、初めての雨である。
「ふぅ、きりもいいしお風呂に入ろうか」
このミカエル(仮名)が準備してくれた家には、窓ガラスなどというものは無い。
窓はあるが、壁をくりぬいた形で、雨の時は木の板をかぶせて雨が打ち込んでくるのを防ぐ。
そして部屋にはランプも無い。
火も無い。
そう、真っ暗。
昨日までは特に問題無かった。
お風呂の後は、外で魔力切れを起こすまで魔法を使っていたから。
ベッドに戻ったらそのまま意識を手放すだけだったから。
窓は開けっぱなしで、月明かりに部屋は照らされていたが、それを認識する余裕すらなかった。
今日は雨が降り、窓を閉めているため、月明かりもない。
「魔法の練習には関係ないけどね」
風呂から上がり、ベッドに横になり、先ほどまで外でやっていた氷の生成を繰り返す。
生成後は融かすのではなく、そのまま空気中に水蒸気として含ませる形にする。
これなら、融けてベッドが水浸し、などということは避けられる。
昨日、今日と繰り返してきた氷の生成だが、形によっては五秒を切るようになってきた。
それを認識したところで、今夜もやってきた魔力切れ。
アイシクルランスを消し去ったところで、涼は意識を手放した。
その後の一週間、涼は氷の生成に明け暮れた。
『ファイ』に来て十二日目。
ついに、アイシクルランスの生成をほぼ一瞬で、つまり一秒を切るスピードで生成できるようになったのだ。
ただし、未だにアイシクルランスは飛んで行ってはくれないが。
とはいえ、これでようやく目処が立った。
何の目処か?
もちろん、結界外に出る目処である。
目処は立ったが準備は完了していない。
早急にやらなければならないのは、回復手段の確保だ。
異世界転生の定番としては、やはりポーションであろう。
ポーションの材料となる植物については『植物大全 初級編』に書いてあった。
書いてあったのだが、植物以外の材料を揃える自信が涼にはなかった。
だが、回復手段無しで結界外に、というのは無謀を通り越して、あまりにも愚かと言うしかない。
ポーションほどの回復効果はなくとも、すり潰して傷口に貼れば、怪我の回復を助けてくれる植物はある。
まずは結界内で、それらの植物を確保しなければならない。
確保できれば、明日結界外へ出てみよう。
『植物大全 初級編』によると、怪我の回復で最も使えそうなものに、『キズグチ草』といういかにもそのままの名前がついているものがある。
ポーションを手に入れるのが困難な、市井の住民たちがよく使うらしい。
キズグチ草は家のすぐ裏に生えていた。
群生している、と言ってもいいレベル。
「素晴らしい。たまにはこういうイージーモードもいいよね! アイシクルランスも、これくらい簡単に問題解決してくれるといいのに……」
魔法の使えない『ファイ』の八十%の住民たちが聞いたら激怒しそうなセリフを吐く涼であった。
もう一つ手に入れたかった『解毒草』という、煎じて飲めば解毒効果のある草は残念ながら結界の内側には無かった。
結界の外に出た時に、手に入れなければならない。
火打石と解毒草、この二つを結界の外で確保するのが、最初の目標になりそうだ。
あとは、実際に狩りをして食料を手に入れることができるかどうか、その見極め。
物理的な攻撃手段は、ミカエル(仮名)が準備してくれたナイフしかない。
刃渡り二十センチというのは、ナイフにしては大きい方ではあるが、攻撃に使う武器としてはかなり相手の近くにまで寄らねばならない。
はっきり言って、現状の涼にそんなことができるとは思えない。
間合いは広いほうがいい。
「槍の長さは、兵に安心感を与える」
第六天魔王もそんなことを言っていた……多分。
ナイフを槍にする。
とはいえ、水属性魔法を使って、ではない。
物理的に槍を作るのだ。
見た目、竹の様な……というかどこからどう見ても竹を、ちょうどいい長さに切りだしてくる。
これだけで、竹槍、として使ってもいいのだが、せっかくナイフもあるので、竹の先端を割り、そこにナイフを入れ込む。
取ってきた蔦を巻き付け、ナイフが落ちないようにしっかり縛る。
最後に、結界の外に出る時に、その部分を氷で補強すれば大丈夫だろう。
さすがに尾張兵の様な六メートルもの槍ではなく、二メートル半程の取り回しのよさそうな感じにしてみた。
日本三名槍と言われる日本号は三・二メートル、御手杵も三・八メートル、蜻蛉切に至っては二丈余、つまり六メートルもあったらしいが……そんな長さ、素人の涼に扱えるわけがない。
氷の槍を物理攻撃武器として使ってもいいのだが、戦闘では何が起こるかわからない。
命のかかった場面、冷静に氷の生成ができない可能性も無いとは言えないのだから。
「とりあえず今日はゆっくりして、明日の結界外への出発に備えよう」
涼は、ほぼ毎日、魔力切れを起こすまで魔法を使いまくってから眠っている。
それはミカエル(仮名)が「使えば使っただけ鍛えられる」と言ったことも理由の一つである。
もちろん別の理由としては、経験を積んで、呼吸するかのように魔法を使えるようになるためだ。
しかし、実際のところ、朝起きた時点で、魔力がどれほど回復しているかはわかっていない。残存魔力量といったような、数値化されたものが見えるわけではないからである。
そういう点もあって、明日結界外に出る時には、体内の魔力量も満タンに近い状態にしておきたい、だから今日は少し余裕をもって休もう、と思ったのだ。
日が暮れるまで『魔物大全 初級編』を読み、焼き肉を食べ、お風呂に入って寝る。
そうして、決戦の朝を迎えるのだ。