0372 船の調達
翌日。
美味しい晩御飯、快適な睡眠、美味しい朝御飯。
やはり完璧であった。
この宿は、全ての期待を裏切らない。
涼は、食後に、軽くストレッチをこなしてから、受付に下りた。
「ロンド公爵様、馬車を準備しております」
「ありがとうございます」
すでに、本日九時からの面会の約束が取り付けられたという報告は受けている。
今回は、王国の代表であり、筆頭公爵であり、場合によっては客となるため、きちんと馬車で乗りつけることにしたのだ。
もっとも、着ているのは、いつものローブなのだが。
いや、このローブは、全く汚れないため、いつも綺麗なので問題はないはずだ……。
ちょうど九時に、フランツォーニ海運商会の門をくぐる。
その車寄せには、十名ほどの人間が立ち、涼の馬車を迎えた。
「ロンド公爵閣下、お待ちしておりました」
そう挨拶したのは、フランツォーニ海運商会の商会長、ジローラモ・フランツォーニ。
商会長自ら、車寄せにまで来て迎えたのだ。
最上級の接遇と言えるだろう。
「これはジローラモ会長、ご無沙汰しております。突然の訪問、申し訳ありません」
「いえ。いつでも大歓迎です。どうぞこちらへ」
前回同様、商会長室に案内された。
そして、スムーズに出される暗黒大陸産のコーヒー。
「それで……本日、公爵閣下が見えられた理由について、お聞かせ願えますか?」
ジローラモは聞く。
「実は、長距離航行が可能な船の買い付けに伺いました」
「なるほど……」
涼の言葉に、ジローラモは言葉を切る。
だが、その表情から、涼でも推し量ることができた。
すでに、その情報は掴んでいたと。
ジローラモの兄は、諜報特務庁局長ボニファーチョ・フランツォーニだ。
昨日、涼の元に来たバンガン隊長とアマーリア副隊長は、当然上司たるボニファーチョ局長に報告したはず。
となれば、そこからジローラモ会長に情報が渡っていても、決して不思議ではない。
もちろん、情報が渡っていても問題はない。
リョウがやることは変わらない。
「すぐに売っていただける船はありますか?」
涼は直接的に聞いた。
「申し訳ございません。長距離航行が可能な船となりますと、ご注文をいただいてからの造船となります。完成品が手元に残ることはありません……」
ジローラモの言葉は、予想通りであった。
ここからが交渉だ。
「造船中の船を、用立てていただきたいのです」
「それは、さすがに……」
涼の言葉に、ジローラモは表情も変えずに断る。
これも当然だ。
造船中の船は、全て注文主がいる。
完成させて、注文主に引き渡す日程も決まっている……。
それを、勝手に涼に譲れば、商会の信用問題となる。
「注文主の方に、相応のお金を払う用意はあります」
「なるほど」
涼は切り出し、ジローラモも頷く。
フランツォーニ海運商会としては、注文主が了承すれば、問題はない。
注文主が、涼が保証する金額で頷き、船を譲ってくれるのであれば問題ない。
あるいは……。
「すでに進水した船で、まだ航海日程が決まっていない船を紹介していただくというのでも構いません」
基本的に、海運に使われる船は、行ったり来たりと休む暇はない。
数か月後、場合によっては一年後の寄港予定まで決まっている場合がある。
そうでなければ、荷物の引き受け量が決まらないからだ。
つまり、港に行って、「この船を売ってください」と言っても、まず売ってもらえない。
もう、数カ月先までの、稼働予定が決まってしまっているから。
だが、唯一、その予定が空いている場合がある。
それは、メンテナンス中の船。
ドライドックにあげられ、喫水下の修復、清掃など数カ月かけて行う、そんな船だ。
そんな船なら、「売ってください」と言って、売ってもらえる可能性が……ないわけではない。
だが、ジローラモ会長は、小さく首を振って涼に悲劇的な事実を告げた。
「公爵閣下。一度、共和国籍となった船は、他国に売り渡すことができない法律があるのです」
「なんですと……」
さすがに、そこまでは『旅のしおり』にも載っていなかった。
「つまり、造船中でまだ登録されていない船を……手に入れるしかない、と?」
「はい、そういう事になるかと思います」
涼が絞り出すように言い、ジローラモも顔をしかめて答えた。
船調達のハードルは、一気に上がった。
フランツォーニ海運商会は、造船も行っているが、自社で船による交易も行っている。
その規模は、共和国内でも有数の規模だが……。
「そんな手前どもの商会でも、長距離航行が可能な船となりますと、三隻しかございません」
つまり、造船の注文を出している、注文主自体が多くない。
「現在、造船を請け負っていますのは、一隻です」
「一隻……」
「沿岸から暗黒大陸に行く程度の船であれば、いつも十隻近く造船しておりますが……。長距離航行可能な船となりますと……。しかもその一隻も……」
「その一隻も……?」
「共和国政府からの発注です」
「ぐむむ……」
お金で解決という最強の手札を封じられた。
残された手札は、借りっぱなしの聖印状、そして王国筆頭公爵の地位。
聖印状は、共和国内では逆効果。
となると、王国筆頭公爵の地位……のみ。
「これは、厳しすぎる状況です」
さすがの涼も、何度も首を振るのであった。
フランツォーニ海運商会を辞し、涼の馬車が向かった先は、まず宿ドージェ・ピエトロ。
受付にお願いする。
「明日、元首公邸上層部の方との、面会の約束を取り付けてもらえますか」
「畏まりました」
言ってはみたものの、無理だろうと思っていたのだが……普通に受けられた。
一流の宿は、元首公邸の上層部の人間との面会すら取り付けることができるのだろうか……。
恐るべし、一流の宿。
次に涼が向かったのは、諜報特務庁の本庁。
受付で呼び出してもらったのは、バンガン隊長とアマーリア副隊長であった。
「公爵閣下、お待たせしました」
バンガンとアマーリアは急いで走ってきて、涼の前で頭を下げた。
「ああ、いえいえ、突然訪ねてすいません。ちょっと共和国の法律で、詳しく知りたい箇所がありまして」
「共和国の法律?」
「詳しく知りたい?」
涼の言葉に、バンガンもアマーリアも、大きく首を傾げた。
「ああ、これですね。海洋法第200条」
ここは、特務庁書籍室。
共和国の法例、条例、局長通達など、およそ『法令』に関するすべての記録が保管されている。
どんな国においても、諜報機関、あるいは情報機関というものは、驚くほど法律に詳しいものだ。
なぜなら、どこまでが法律の範囲内で、どこからが法律の範囲外なのかを理解したうえで、非合法の行動をとる必要もあるから。
法律の、ギリギリの線を理解していなければ、まともな諜報活動などできやしない。
そんな特務庁の書籍室で、バンガン隊長とアマーリア副隊長が、法律の該当箇所を涼に教えてくれていた。
「むぅ……やはり、一度共和国籍になった船は、手に入れられないですか……」
「そうですね。共和国以外の国の船籍に変更することは不可。それどころか、共和国人以外の船主も不可では……」
涼が落ち込み、バンガンも小さく首を振った。
「海洋法施行規則第333条によると、船籍登録のタイミングは、造船所からの引き渡し時となっていますから、造船している船かまだ造船に取り掛かっていない船しか……王国は手に入れられないと思います」
アマーリアも船籍登録のタイミングの観点から、穴がないかを調べてくれていたが、やはり難しいらしい……。
「さて、どうしたものか……」
涼は、ほとほと困り果てた……。
翌日。
「ロンド公爵様、馬車を準備しております」
「ありがとうございます」
きちんと、ドージェ・ピエトロは、元首公邸上層部との面会の約束を取り付けていた。
しかも……。
「元首閣下、お時間を割いていただき恐縮です」
「いや、公爵閣下、当然の事です」
涼が感謝し、片目の元首コルンバーノが答える。
ドージェ・ピエトロは、元首との面会を取り付けたのだ……。
涼が王国の筆頭公爵であるとはいえ……恐るべし、一流の宿。
元首コルンバーノは、身長百九十センチ、体重九十キロという堂々たる体躯。
年齢は四十代後半、浅黒い肌に短く刈り込んだ髪……濃い茶色の髪には、すでに白いものが混じり始めている。
そして、最も特徴的なのは、眼帯をつけた左目。
共和国元首というより、海賊のボスというほうが似合っているのかもしれない……。
コルンバーノは、元々、海の男だ。
「実は、公爵閣下がいらっしゃった理由については、だいたい分かっています」
元首コルンバーノは、言葉を飾るのは苦手だ。
そのため、物言いも直接的である。
「ああ、それなら話が早いです」
涼も、似たようなものだ。
「長距離航行可能な船が欲しい。しかし、共和国では、一度共和国籍になった船は他国に売ることはできない。そのため、造船中の船で長距離航行可能な船を手に入れたい。現在、フランツォーニ海運商会で造船中の長距離航行可能な船は、共和国政府が発注者の船だけである。だから、それを手に入れたい」
「はい、全くその通りです」
コルンバーノの説明は、完璧にその通りであった。
「ちなみに、共和国内にはフランツォーニ海運商会以外にもいくつかの造船所がありますが……現在、完成間近の長距離航行可能な船を造っている造船所はありません」
「なんと……」
「つまり、共和国政府が注文している船が唯一のものなのですが……」
「が……?」
「申し訳ありませんが、お譲りすることはできません」
「……そうですか」
それは、半ば想定通りの答え。
これが個人、あるいは商会が注文している品であれば、金額や友誼次第でなんとかなったのかもしれない。
だが、国が関わると一気に不可能となる。
誰のせいでもない、国とはそういうものなのだ。
一部の政府上層部の人間や、官僚トップなどが勝手に国のものを売り払うなどあり得ないであろう?
当然だ。
国の資産は、国民全体の資産なのだ。
行政が、その管理を任されているのだとしても、勝手に処分していいものではない。
もちろん、法律に基づいての処分ならばよいが、今回はそうではない。
国が造船中の船を、他国に売却する……。
後で議会に叩かれるのは目に見えている。
場合によっては、元首弾劾の対象にすらなりかねない。
最初から、勝負になっていなかった……。
涼はその後、フランツォーニ海運商会に向かった。
約束は無かったが、ジローラモ会長が会ってくれた。
「残念ながら、万策尽きました」
涼は、うなだれてそう告げた。
「そうですか……」
ジローラモ会長も悲しげな表情で答える。
彼らの前に横たわるのは国の法律。
そして、国家の資産。
個人や、商会でどうにかできるものではない……。
「ああ、公爵閣下。その、共和国政府が発注している船を見ていかれますか」
ジローラモ会長が、涼をそう誘ったのは、涼があまりにも落ち込んで見えたからに違いない。
このまま帰すのは、あまりよくないと。
「はい……。お願いします」
涼の答えも、本当に元気のないものになっていた……。
フランツォーニ海運商会第二造船所。
そこでは、巨大な船が造船中であった。
「おぉ~」
落ち込んでいた涼でさえも、思わず目を見張り、声を上げてしまうような。
まさに威容。
地球の帆船基準で言うなら、戦列艦とフリゲート艦の中間といった感じであろうか。
「あれ? 戦列艦? いや、まだ大砲はない……よね……?」
涼のその呟きは、ジローラモにも聞こえたが、理解はできなかったらしい。
「あの……この船、戦闘艦ですよね? 攻撃方法って……」
「船側の小窓が開いて、そこから魔法使いたちが砲撃します」
「な、なるほど……」
大砲による砲撃ではなく、魔法使いによる砲撃……。
技術は、場所によって、いろんな形で発達するものらしい。
「欲しかったなあ……」
涼は、その戦闘艦の威容を見上げて、呟いた。
もちろん、戦闘艦である必要はないのだが。
涼は、ふと気づいたことを尋ねる。
「ジローラモ会長、ここって、第二造船所ですよね? 第一造船所って……?」
「ああ……。すぐ隣です。建造が止まったままの船があります、見てみますか?」
「建造が止まった? はい、見てみたいです」
第一造船所は、第二造船所よりも外観は大きい。
中に入ると……。
「クリッパー……」
先ほどの戦闘艦も威容を誇っていたが、こちらは優美であった。
優美な船といえば、ウィットナッシュで見たレインシューター号が真っ先に思い浮かぶが、あれとはまた違う。
いや、全く違う。
あれは、トリマラン、つまり三胴船。
だが、今目の前にあるのは、見た目、純粋な帆船。
地球なら、クリッパー船と呼ばれる船種。
多くの帆を張るための巨大な三本のマスト。
前後に細長く、水の抵抗を最小限にするための優美な船体。
それは、涼でも知っている、クリッパー船。
帆船日本丸などは、美の極致と言っても過言でない。
まさに、帆船が最後に到達した構造美。
それが、クリッパー船……涼は、勝手にそう思っている。
中央諸国の船のほとんどが、未だガレオン船であったことを考えると、このクリッパー船も異常な進化を遂げていると言えるだろう。
だが、先ほど、ジローラモ会長はこう言った。
「建造が止まったままの船」と。
どういうことだろう?
「これほど美しく素晴らしい船が、建造が止まったままというのは……?」
「はい。実はこの船は、動かないのです」
「え?」
マストはある。
舵もある。
外観も問題ない。
あとは、帆を張れば進むはずだが?
「この船は、このままですと復原性が低く、横波を受けるとすぐに横転してしまうのです。その問題をクリアするために、いくつか修正を加えたのですが、それによって今度は速度が大幅に落ちてしまうという計算結果が出ました。本来、風属性魔法による推進だけでなく、魔法が全く必要ない純粋な帆船としても航行可能な船なのですが……。そこまで、問題が出てきまして。そのため、錬金術によって復原性の問題を解決するはずだったのですが……」
「が……? あ、まさか、ニールさん?」
ジローラモの説明に、涼は思いついてしまった。
「はい。アンダーセン殿が解決するはずだったのですが、国を出られてしまいました……。もちろんそれは、共和国政府の意向だったため、この船の問題は共和国政府お抱えの錬金術師が解決するという約束だったのです。ですが……彼らには、解決できませんでした」
「なるほど」
ようやく……本当に、ようやく、涼の目に力が戻ってきた。
「すいません、ちょっとこの船の設計図、見せてもらえませんか?」
筆者は、船酔いが酷い人ですが、お船は大好きです。
『大航海時代』が大好きなのです。
もしかしたら、第一部最終章で、あの空中戦艦に「ゴールデン・ハインド」(黄金の雌鹿)と名付けた段階で、
その事に気付かれた読者の方もいらっしゃったかもしれません。
「ゴールデン・ハインド」と名付けるために、ルン辺境伯の紋章を「雌鹿」にして、
第一部の各所で、何度も触れてきたわけで……。
これぞ伏線!
え? そんなの誰も気付かない?
うぅ……別にいいんです! 作者の自己満足ですから!
物語のストーリーには何の関係もないですから!




