0367 圧
涼が宿舎に戻ると、受付から、すぐに団長室に行くように言われた。
そして団長室に入ると、いろんな人がいた。
ヒュー、先王ロベルト・ピルロ、その護衛隊長グロウン、ニルス、エト、アモン、そして軍務省交渉官グラディスとその副官アシュリー。
話を聞くと、グロウンが持っていた聖剣が狙われたらしい。
それを、たまたま見ていた十号室の三人が阻止したと。
「おぉ~」
涼は素直に感心した。
そして三人の方を見て言った。
「報奨金ゲットですね!」
「……」
誰も何も言わない。
「……あれ?」
涼は、何か間違った言葉を吐いたらしい。
そして、慌てて周りを見回す。
「も、もちろんじゃ。連合使節団から、金一封を贈らせてもらうぞ」
ロベルト・ピルロが慌てて言った。
まさか……涼が言わなければ、何も貰えなかったのだろうか……。
そんな話をしていると、外から大きな声が響いてきた。
すぐに、階段を上がってくる音が聞こえる。
乱暴に扉が開かれ、『コーヒーメーカー』のリーダー、デロングが駆け込んできた。
「ヒューさん、教会の異端審問庁とかいう奴らが、リョウを引き渡せと」
「なに?」
「僕?」
ロビーに降りていくと、まさに一触即発ともいえる状況であった。
黒い法服を着た教会の人間たちがロビーの奥に進もうとするのを、王国冒険者たちが前を塞ぎ、体を張って止めている。
そこに、割って入るヒュー。
「王国使節団団長のヒュー・マクグラスだ。これはどういうことなのか説明してもらおう」
その声は、辺りを圧する。
物理的な圧力すら伴っているのではないかと思える声。
だが、黒い法服の教会関係者の中から出てきた女性は、全くひるんでいなかった。
「私は異端審問庁長官、大司教ステファニアです。王国冒険者リョウを異端審問にかけます。即刻引き渡してください」
出てきた二十代半ばに見える女性は、ヒューとは逆に、落ち着いた静かな声でそう告げた。
「何を言っている? 王国の使節団だぞ? その護衛冒険者を異端審問にかけるだと? そんなことが許されると思っているのか!」
「許しなど必要ありません。誰も、異端審問を妨害することはできません」
「そっちの窓口のグラハム枢機卿は知っているのか? あいつも、以前は異端審問庁長官だったんだろうが」
「グラハム枢機卿にも、異端審問を妨げる権限はありません」
「なんだと……」
ステファニアの言葉に、顔を真っ赤にして怒るヒュー。
だが、そこに割り込む一人の声。
「妨げる権限はないが、憂慮しているとは告げましたよね」
黒い法服の異端審問官たちの背後から出てきたのは、グラハム枢機卿であった。
声が響いた瞬間、前を塞いでいた異端審問官たちがさっと割れ、道が開かれた。
長官を辞めて六年、今でもその威光は無視されないらしい。
「グラハム! これはどういうことだ!」
ヒューが怒鳴る。
「申し訳ない、マスター・マクグラス。そのステファニアが言う通り、異端審問を妨げることは誰にもできません。枢機卿である私にも」
「なんだと……」
「ただ、ここでリョウさんを異端審問にかければ、使節団との交渉が決裂する、それは憂慮すべきことだとは言いました。ステファニア、退くなら、これが最後の機会ですよ?」
だが、グラハムのその言葉を、ステファニアは完全に無視した。
「冒険者リョウを引き渡してもらいます」
「ふざけるな!」
ヒューは怒鳴った。その瞬間。
「お静かに」
その声は、大きくも、鋭くもなかった。
だが、ロビーにいる全員の耳に届いた。
後ろからその声が聞こえた王国冒険者たちは、すぐに振り返り、そして道を開く。
なぜかは分からない。
だが、そうするのが正しいことだと、全員が理解した。
静かに。
そしてゆっくりと。
ローブを纏った魔法使いが、冒険者が割れた道を通って現れる。
その間、誰も言葉を口にしない。
ステファニアも、ヒューも。
喋ってはいけない……そう感じたのだ。
そして、魔法使いはグラハムの前に着いた。
グラハムは、表情を変えずに立っている。
だが、それはある種の虚勢。
彼ですら、理解できない圧力にさらされていた。
(何なんだこれは……。リョウさん……そう、リョウさんなのは確かだが……いつものリョウさんではない。恐ろしいほどの圧力……。かつての教皇聖下から感じた……いや、それ以上か)
「私を、異端審問にかけると?」
涼は、ステファニアの方を向いて言った。
(私? いつもは僕、だよな……)
ヒューは、そんなところが気になった。
涼の問いかけに、ステファニアは何も答えられない。
「私を、異端審問にかけると?」
涼は、再びステファニアに問うた。
「は、はい」
ステファニアのか細い声。
先ほどまでの冷静さは、完全に失われている。
唇と指先は細かく震え、冷や汗も出ている。
「私を異端審問にかけると、どうなるか分かりますか?」
涼は問うた。今まで通り、非常に優しい声で。
優しい声なのだが……恐ろしい声。
「交渉が……破綻するでしょう」
ステファニアが答える。
「あはははは。そんなことではないんですよ」
涼は笑った。
だが、次の瞬間。
表情が消えた。
「聖都、全てが凍りつきます」
そして、唱える。
「<パーマフロスト>」
瞬間、一瞬だけ、ロビーが凍った。
ロビーと、異端審問官全員が、凍った。
ただし、一瞬だけ。
すぐに元に戻る。
だが、異端審問官たちは理解していた。
自分たちは、今、確かに凍りついたと。
それは、長官たるステファニアも。
「永久に、聖都を氷漬けにします。それで足りないなら、法国全土を。異端審問にかけようというのですから、それくらいの反撃は想定の範囲内でしょう?」
涼は、表情を消したまま、ステファニアに告げる。
ステファニアは、答えられない。
「お話が聞きたいのであれば、後日、そこのラウンジでお話ししましょう。ですが、異端審問はお断りします。煙を使って自白させたり記憶をいじったりするでしょう?」
涼は、グラハムの方をちらりと見て言った。
グラハムは、少しだけ口を歪めている。
そこで、ようやく、涼は『圧』を解いた。
「ですから、出直してきてください。そして、次は、きちんとアポを取ってから来てください」
ステファニアを筆頭に、黒い法服を着た、異端審問官たちは帰っていった。
「いや、お見事。あの『圧』の出し方、なかなか身に付けられるものではないのですがな。王族ですら、小さい頃からそういう場で育っても、身に付けられぬものが多いのですが……」
そう称賛したのは、後ろでずっと見ていた先王ロベルト・ピルロであった。
称賛されても涼は苦笑い。
訓練は、実はロンドの森でやっていた。
時々家にやってくるお隣さん……竜王様が指導してくれていたのだ。
圧、あるいはオーラ、場合によってはカリスマという言い方もするが……若干違う気もする……。
もちろん、地球においても扱える人たちがいる。
元々、人間が持っている機能の一つ……なのかもしれないが、多くの人が使う必要がないため、大人になる頃には使えなくなっている。
悲しい話だ。
「あんな感じでいいんですかね……」
涼は、苦笑しながら言う。
実際、自分では分からない。
「完璧でした。さすがは筆頭公爵ですな」
後半は、本当に小さな声でロベルト・ピルロは言った。笑いながら。
「リョウ……」
そこに近づいてきて声をかけたのは、ヒュー・マクグラス。
「ヒューさん、ご迷惑をおかけしました」
涼は頭を下げた。
「いや、リョウのせいじゃない。俺が、お前さんを共和国に送ったのが、全ての始まりな気がするしな……」
ヒューはそう言うと、頭をガシガシと掻いた。
あの時は他に選択肢がなかったとはいえ、それがここまで、こんな形で繋がってくると、自分の判断の甘さを痛感してしまうのだ。
世界はいろいろと難しい……。
((そうして、ヒューさんにケーキとコーヒーを奢ってもらったのです))
((ああ、それは知っている……つうか、あの時も、『魂の響』は繋がっていたしな))
((そうだったんですか))
((あの、異端審問官とかいうやつら、聖職者だろ? 魔法を使う相手は凍らせられないとか、以前言っていたが、できるようになったんだな))
((ああ……。<パーマフロスト>は、空気中の水分子の振動を停止して凍結させる魔法なので、極端な話、剣士も魔法使いも関係ないのです。それにさっきのは、一瞬凍ったっぽいってだけなので、彼らを完全に凍りつかせたわけじゃないんですよ?))
全てが終わって、ラウンジでコーヒーを飲みながら、涼は国王陛下に報告をしている。
とはいえ、アベルはよく理解できていないらしい。
仕方がない。
魔法の深淵は深いのだ。
((……まあ、リョウを怒らせたら怖いというのはよく分かった))
((僕? 怒ってないですよ? あれも、ちょっと圧をかけて脅してみせただけです))
((え……))
((ほら、ロンドの森に棲むドラゴンさんたちから、圧の使い方を習ったんで、実践してみようと思っただけですよ。多分、本気で怒って冷静さを失ってしまったら、逆に、できない気がします。アベルって、さすがに王子様だったから、そういうのが自然にできるじゃないですか? ちょっと羨ましいです))
涼は、素直にそう言った。
王家の人間などは、小さい頃から有形無形のプレッシャーに、常にさらされている。
それは人にとって、ある種、異常な状況だ。
異常な状況だが、それを耐え抜いた人たちは、やはり普通とは違う何かを手にするのではないかと思っている。
もちろんそれは、良いものもあれば、悪いものもあるだろうが。
アベルが、突然、書類まみれになっても、結局それをこなしていけるのは、小さい頃からのそんな経験の積み重ねなのかもしれないと、涼は考えている。
可哀そうだと思うこともあるが、凄いなとも思う。
それも含めて、涼は、アベルの事を尊敬している。
((アベルは本当に凄いです))
((なんだ、藪から棒に))
((僕はアベルを、いつも応援していますからね!))
((お、おう……))
そこで、アベルは何かを思い出したようであった。
((リョウ、いちおう言っておくが、明日から北部の視察に出る))
((視察?))
((ああ。その後、東部に回ってから、王都に戻る。五十日くらいの予定らしい))
((その間、書類は……))
((あ? そ、それは……ハインライン侯がやってくれるんじゃないか?))
涼は深いため息をついた。
さっき、感心したばかりなのに。
((アベルを応援していると言いましたけど、撤回します))
((え?))
((五十日間も旅行するなんて、贅沢です!))
((いや、リョウたちが勧めたんだろうが、視察しろと))
((……そんな気がしないでもないわけでもない気がしないでもないです))
((言ったから! まあ、その前に、ハインライン侯からも勧められていたんだがな))
((おお、そうなんですか。ならいいです。頑張って視察してきてください))
((その……俺とハインライン侯の評価の違いは……))
((やはりそれは、実績の差でしょう))
((そうか……))
((アベルも頑張って、実績を積み上げてくださいね))
((ああ、頑張る……))
なぜか、上から目線で偉そうに言う涼であった。
これで「第五章 教皇庁」閉幕です。
明日から二話、「幕間 アベル王の北部行」の投稿となります。
王国解放戦で、北部貴族たちが敵にまわり……。
そんな北部が、今どうなっているのか!
その後、明々後日より新章開幕です。




